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雨の墓地

フランシス・ベルティエ通りに面したところに、その墓地はある。

フィルマンにとって憎むべき男が眠っている場所だ。


その日は、とくべつ冷たい雨が降っていた。

今日、くだんの幼馴染がここに眠る男の元を訪れると聞いて、フィルマンとララはやって来た。

墓地の前の道に車を停めた運転手が降りて、傘をさしながら後部座席のドアを開けた。

フィルマンに続いて、ララが車から降りる。

ララは黒い礼服、フィルマンは仕事の合間を縫って来ているためシックなスーツに、それぞれ身を包んでいる。

二人はなぜだか、仇敵に相対する前のように緊張していた。

いや、 ララにとってはまさしくその通りだ。

愛しい男の指輪を奪っていく相手と、対面するのだから。


言葉数も少なく、 二人は墓地の中を進む。

雨に打たれた墓石たちはその色を暗く変え、重苦しい空気を生み出している。

ララはフィルマンより前に立ち、愛する人の墓を目指した。

フィルマンは墓の場所など覚えていなかったので、黙って娘の少し後を付いて行く。

パシャ、パシャと、歩くたびに嗚る足音と雨音だけが響いている。


ふと、ララが足を止めた。

コンクリート道の先にある、一つの墓。

ケイ・ユウキが眠る墓の前に、黒い傘をさして黒いスーツ姿で佇む一人の男がいた。


男、であることにまずフィルマンは驚く。

フィルマンの中ではこの幼馴染は、娘の婚約者であるケイの浮気相手と推測していた。

なので必然、女だと思っていたのだ。


見られていることに気づいた男は、ゆっくりとこちらを振り返る。

フィルマンもララも、無意識のうちに息をのんだ。

それはその男があまりにも、この墓地に似合いすぎるほど、冷たい目をしてこちらを見たからだった。

黒い髪に、黒い瞳。

ケイほどではないが細身の体は、しかし筋肉が適度に付いて引き締まっているように見える。背はケイより高く、フィルマンよりは低い。

シースルーの短い前髪に、襟足は長めの髪型は、その男の雰囲気には似合っていた。

雨の墓地が、これほど似合う人間もいないなと、フィルマンは失礼なことを考える。


「はじめまして」と、片手をスラックスのポケットに突っこんだまま、彼は流ちょうな英語で挨拶をした。

物おじしないその大きすぎる態度に、フィルマンは「おや」と思う。

自分も仕事で日本人と話す機会はままあるが、たいていの場合もっと謙虚で下手に出てくるのが彼らの特徴だと思っていた。

娘の婚約者だったケイも、ペコペコとしながら初対面の挨拶を交わしていたことを思い出す。


「はじめまして、ララ・ド・ル・テリエです。こっちがパパのフィルマン」

ララは同じく英語で自分と父の紹介をした。

「どうも。アキミツ・ヒシイです」

ニコリともせずに青年は言った。


しばし、沈黙が訪れる。

ララとしてはこの青年がケイとどういう関係で、どんな人間であるかを聞き出す目的があるのだが、そのためにまずなんと切り出すべきか悩んだ。

事前にいくつかのパターンを頭の中に用意していたのに、青年の雰囲気が予想していたよりもずっと固く冷たく、怖気づいたともいえる。


一方の彰光あきみつも、ただ様子をうかがっている。

日本を発つ前にけいの母から電話があり、彼の婚約者とその父親が一緒に墓参りをしたいと言っていると聞かされていただけだ。

要件があるならそっちから言い出せ、という空気を隠しもせず黙っている。


仕方なく、フィルマンが一歩前へ出た。

「今日は、わざわざ時間を作っていただいて、ありがとうございます。娘がどうしてもあなたと話がしたいと言うので、父である私も同行させてもらいました。もし、ランチがまだでしたらこの後ご一緒にいかがですか?すぐ近くにある有名なレストランを予約して」

「結構だ」

言葉の途中で青年にピシャリと遮られ、フィルマンの笑顔がわずかにひくつく。


「僕は、人前で食事をするのは好きじゃない。要件があるなら今、ここで聞こう」

なんという無礼さだろうか。

ケイの幼馴染ということは、青年は二十四、五歳といったところだろうか。

どう見たって年上であるフィルマンの提案を聞く姿勢もなく、こちらを敵視しているとさえ思える仏頂面に横柄な仕草。


いけ好かない男は友人までもいけ好かないものか。いや、なんだったらこの青年のほうがよほどフィルマンには受け付けなかった。

ケイは、軽薄でありながらもこちらの機嫌を伺ってくる可愛げがあったな、と何様のようなことをフィルマンは思った。


「では、せめてお茶だけでも。ここでは雨に濡れてしまうわ」

ララは心底悲しいという顔を作って言った。

本人に自覚はないが、この顔でお願いをされて断れる男はいない。

しかしやはり彰光は、不承不承といった風にため息をつくと、「一杯だけだ」と告げた。


フィルマンはここに来るまで、指輪がララのものにならなくても構わないと思っていた。

その方が、ララもはやく悲しい記憶を捨てられると考えたからだ。

しかしこのときになって初めて、こんな男に渡してなるものかという気持ちが沸き起こった。

この青年が指輪を手に入れるということ。

それは愛する娘の負けを意味するように思えてきた。


ララとて気持ちは同じで、ケイが指輪を譲ると決めた相手はきっと素敵な人だろうと勝手に想像していただけに、反動が大きかった。

これからお話をして、ケイが自分よりこの人を選んだ理由を見つけなければ。

それでも納得のいく理由が見つからないときは、どんなことをしても指輪を譲ってもらおう。

彼女の傘を握り締める細い手にぎゅっと力が入ったのが、フィルマンにはわかった。


「どうぞ、行きましょう」

それでも懸命に笑顔を作ったララは、手のひらで行き先を示す。

彰光はうなずきもせず表情も変えず、鷹揚に足を進めた。


この青年に、指輪を渡したくない。

フィルマンとララの心中は、ここに来て一致した。

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