リビングドール
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
先輩って、人形に興味あります?
ふーむ、ネタとしてはいいけれど、趣味としてはさほど、ですか。
ああ、いやいや。友達が最近、アンティークドール集めにはまっているらしくて、先輩だったら興味深い知識とか、持っていらっしゃらないかなあ、と思いまして。
僕ですか? いやあ、僕も人形に関してはさっぱりぱりの、ぱり〜ですよ。
小さいころから、「お人形遊びは、女の子のもの!」って印象が強かったですしね。どこか敬遠し続けていました。
でもそれ以上に、クラスメートの子が持っていたお人形に、強いインパクトがありましてね。そのことがあって、人形関連が少し怖いというか……。
――その人形について、知りたい?
う〜ん、確かに先輩の好きそうかも……。じゃあ、話をしましょうか。
「たか子の持っている人形、生きているんだぜ」
そんな話を僕が耳にしたのは、小学4年生くらいの時でしたか。
当時はキーホルダーをランドセルにつけるのが流行っていましてね。たか子もご多分に漏れず、ランドセルの横へぶら下げていました。
リカちゃん人形とは、造詣が違いますね。市松人形とも違います。長い黒髪の女の子で、ピンク色のワンピースを着けていました。大きさも15センチほどあって、他のみんながつけるキーホルダーの人形に比べれば、だいぶ大振りです。
そして、たか子本人もクラスの中では頭一つ抜けた美人なんですね。それこそお人形のように思えましたよ。
「右から」見る分には。
彼女の左頬には、無残な傷跡が残っていたんです。
頬半ばから、首に接するところへかけて、扇形に広がるもの。何度もはがされたのか、皮膚は黒ずんでおり、動物が持つシマのようにも思えました。
男としては「かっこいい」とほれ込みさえしそうですが、そのたびに先生に注意されましたよ。彼女のいないところでね。
「女の子にとって、顔の傷は重大事。はやし立てたりしてはいけない。もちろん、女の子に傷をつけるなんて、もってのほか」
女の先生でしたからね。そこのところの指導に、力が入るのも当たり前のことでしょう。
少し話がそれましたかね。
で、件のたか子の人形ですが、生きていると話した友達は、人形が血を流しているのを見たというんです。
下校際、たまたまたか子の背中を見かけた友達ですが、直後に自分をかすめるようにして、通り過ぎていく自転車がありました。その自転車は、前方を行くたか子にも肉薄し、勢いを緩めずに追い抜いていきます。
でも、その車体が通った瞬間、彼女のランドセルに提げてあった、あの人形が跳ね上がったんだ。
ぶつけられたのは明らか。
たか子は自転車を見やることなく、慌てた様子で人形を抱きとめると、急に足を早めてその場を後にする。でも友達は、その人形からしたたり落ちていくものがあるのを、見逃しはしなかった。
たか子のいたところへ急行すると、道路にまだしみこまない、真っ赤な液体がこぼれていたんだ。
「あの人形、血が流れているんだ。絶対に、生きているぜ、ありゃあ」
この話、僕は体育館の裏手で聞いていました。たか子本人の耳に入ると、何があるか分からないと、子供ながらの警戒心がそうさせたんです。
たか子は、学校にいる間もよく人形の手入れをしていました。友達が、人形からの出血を見たのは昨日のことらしいですが、メガネ拭きで体を拭われている人形には、傷ひとつ見受けられません。
替えのものを用意した……という線も考えられます。しかし、僕の目には昨日までと同じもののような気がしてなりませんでした。
そのたか子なんですが、月に一度、休み時間にふと席を立つことがあります。
これまでは、トイレに行ったりしていると思ったんですがね。その月イチの機会のときは、あの人形も持っていくんです。両手で大事に、包み込むようにして。
その確信を持てたのは、3か月目ですね。彼女の意図を確かめるべく、教室にとどまって様子をうかがっていました。
カレンダーで調べたところ、たか子は新月の日に動きを見せるようです。この月は、新月が2回ありました。その1回目で人形を持っていきましたから、間違いありません。
そして昼休み半ば、たか子が立ち上がりました。目で追うと、教室後ろのロッカーから自分のランドセルを手に取り、人形を取り外していきます。
――来たな。
僕は彼女が教室を出るのに合わせ、席を立ちました。
ととと、と小気味よく階段を降り、廊下を歩いていく彼女。いつも僕たちが使う昇降口を通り過ぎ、その足は体育館方面へ。
重たい鉄の扉は開放されており、そこから差し込む光の中へ、彼女の背中が消えていきます。僕もそれを追って、外へ出たんですが……。
だしぬけに、背後から口をおさえられたかと思うと、そのまま強い力で体を持っていかれ、壁に叩きつけられます。
たか子です。そのまま渡り廊下を進んでいったと思ったたか子は、光に紛れて開きっぱなしの扉の影へ隠れ、僕を待っていたんです。その手が僕をとらえ、強烈な「壁ドン」を見舞ったというわけでした。
「キミ、前から私のこと、チラチラ見ていたでしょ」
壁に背中を押し付けられながら、彼女の端正な顔を真正面から見つめる羽目に。怒っているというより、面白がるように口の端が持ち上がっていました。
「男子のそういう視線って、分かりやすいんだから」と、おかしそうな表情を崩さないまま、無造作に彼女がスカートのポケットから取り出したものに、僕はどきりとします。
空っぽの注射器。そのキャップを、慣れた様子で口にくわえて外すと、自分の二の腕へ刺したんです。
「今の私はお人形。お人形こそが人間にならなきゃいけないの」
眉ひとつゆがめず、注射器のプランジャーを押し上げるたか子。たちまち薬室内は、彼女の赤い血で満たされていきます。
ガラスの向こうにある陽の光が、変わらずに透き通ってくる様には、鳥肌が立ちましたよ。
これほどまでに、きれいな血があるのか。いや、そもそもこれは血であるのか、と。
針を抜くたか子。特におさえるわけでもないのに、刺した痕からはわずかな血さえ漏れてこないのです。
そのまま彼女がもう片方のポケットから出すのは、あの黒髪人形。傷ひとつなく整ったそのつむじあたりに、たか子はまた無造作に針を刺し、ぎゅううっとプランジャーを押し込みます。
これも陽の当たり方の関係か、中身が注がれていくたび、人形の目がうるみ、肌がうるおい、これまで以上に美しく感じられるようになっていきました。
中身を完全に注いでしまうと、たか子は注射器を抜き、キャップを付け直しながら、人形を戸のわきにある、非常階段の足元へ設置。
指を口の前で立て、「静かに」の合図をしながら、僕に向かって戸の影に控えているよう、指示してきました。またあの力で壁ドンされるのもごめんですし、やむなく従ったんですね。
ほんの30秒ほどでしょうか。
肌を撫でる弱い風が吹き抜けると、あの黒髪人形が震え出したんです。
風に揺れているわけではなさそうでした。我慢の限界といわんばかりに、強くなる震えとともに、人形は体中のあちらこちらから血を流し出したんですから。
出血個所が増えるたび、人形からはパキン、パキンと音がたち、珠の肌にひびが入ります。そこが新たな出血を呼び、一分もたたないうちに、人形は全身から紅を滴らせる格好に。
「――きれいなものってね。人ばかりじゃなく、多くの相手も惹きつけちゃうの。あまりにのめりこんじゃうのか、心だけじゃなくて、身体も欲しくなっちゃうんだって。それこそ、血でも肉でも」
すっと、たか子は自分の頬から広がる、無残な傷をなでます。
そこに悲しみの色はありません、むしろ清々(せいせい)したとばかりに、明るい表情でした。
「だから今、この人形に頑張ってもらってる。誰かさんの代わりとなって、奴らの気持ちを受け止め続けてくれるように」
パキン、パキン……。
音がするたび、人形は揺れて血を出していきます。結局、おとなしくなったた人形をたか子が拾い上げたときには、もう休み終わりのチャイムが鳴っていたんです。