第七話『叢雲去りて、月出づる』
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』にハマっています。
プロヴァンス戦記第七話です。かわいがってください。
大将・ルシファーの命によって、波のように押し寄せてきた帝国兵は渋々撤退し、レジスタンス本部基地の被害は最小限にとどまった。破壊されたのは、シークレットゲートとそのさきの領域、ラテンプル水路の東南部水量調整区。レジスタンスの活動に大きく影響するほどの被害ではなかった。しかしこれよりも問題となるべき点はほかにあった。帝国急襲、そして撤退から二時間後。時刻は、すでに21時を過ぎていた。
「どういうことですか、殿下!」
劇しい忿怒のこもった声で、アルデは追及した。さすがに今回の失態に余裕を持った姿勢であつかうことができなかったのか、アビストメイル王子はふだんどおりの冷静でありつつもいかめしい顔持ちとなり、深く考えこみはじめた。
「ふむ。困ったね。私には見に覚えのない話なのだが」
「とぼけるおつもりで?」
アルデの火にあぶらが瀉がれた。
「毒瓦斯発生装置をしかけたのがレジスタンスの構成員でないとすれば、上層部の人間でしかありえません」
「残念ながら、いくら私とて手段を選ぶタイプの人間でね。毒瓦斯などという狡猾な手段には講じないよ」
「ならば、誰がこのようなことをしでかしたと言いたいのですか」
「待ちなさい。もうしばらくすれば、あの装置が誰の仕業か判る……頭に血が昇り過ぎだよ、アルデくん。落ち着き給え」
蟒蛇は頭を潰さなければ止まらず、くさむらをくぐり抜けながら山道を疾く這っていくのを已めようとしない。その頭であるルシファーを取り逃がしたこともだけれど、なによりも毒瓦斯という卑怯な真似をしたレジスタンスに抑えがたき歯がゆさと、冷めきったうえ冴えきってさえいる軽蔑の目をむけているアルデ。そんなアルデに対していささか申し訳無さそうな視線をあてるエレフは、腕を組んで二人の会話にただ耳を欹てるのみであった。
触れれば破裂しかねない緊張感が支配する司令室。しかしその緊張感が居座るのも数秒の間で、司令室の扉が開かれるとそこから出ていって二度ともどらなくなった。扉を闡いたのは、ひとりの女性であった。エメラルドグリーンの長髪と瞳が目につく、十四才ほどの綺麗な少女であった。
「ん、シータ君か。報告を聞こう」
「はい。イクトくんからの調査結果ですと、あの毒瓦斯撒布装置は”月”の者が我々”太陽”の目を盗んで、みそかに設置したものとのことです。瓦斯にふくまれている毒素は”月”の生体化学研究チームが独自で精製したものと判明されました」
「やはり”月”か。清純でうつくしい名前を冠しているのに、その名前に反して陰湿で肮脏ないことをするとは。まったくもって皮肉な連中だね。彼らのおかげで、私たちは帝国に不要な濡れ衣を着せられてしまったよ」
呆れが礼に来たアビストメイルは、大きなため息を叹いた。
「エレフさん」
アルデはたずねた。
「”月”ってなんのこと?」
「ああ、レジスタンスは今二つの派閥に分裂しているんだよ。ひとつが俺たち”太陽”。仕事は主に国家防衛だ。そしてもうひとつが”月”。諜報とか暗殺とかの仕事ばかりで、国家防衛にはさほどかかわらない閉鎖的な組織だ」
「今回の毒瓦斯は、その”月”の仕業ってこと?」
「らしいな。俺たちの作戦という叢雲に隠れて、こそこそと毒瓦斯という光を放つ機宜を覬っていたわけだ」
「……」
すると、シータはいつもよりおごそかな面持ちとなって、
「殿下」
と呼びかけた。
「あきらかに”月”は、ルーシア王国の秩序を紊すのみでは慊らず、世界全体の秩序さえも軽視している組織です。なぜ国王陛下は”月”の数々の悪しき所業を黙殺していらっしゃるのですか?」
厭悪をうかべた顔で、シータはアビストメイルに問うた。
「申し訳無いがシータ君」
アビストメイルは言った。
「父上はあれから三年経っても、”月”の組織がいまだに処罰されずに存続している理由を教えてくれないのだよ。それどころか、なぜか父上はこの私にさえなかなか謁見の機会を与えてくれない……」
「やっぱり」
この場面で、嘴をはさんで来たアルデ。
「やっぱり、いまの王国は腐っている」
「お、おい」
慌てたエレフはアルデをいさめた。
「殿下のまえで無礼だぞ、アルデくん。つつしめつつしめ」
「いや、つつしまない!」
「おいおい……」
断然困惑し、冷や汗が止まらなくなったエレフ。
「王国のせいでお兄ちゃんは死んだんだ……! 都合が悪ければ平気で隠蔽し、王国のために死んだ人たちをとむらわない。それがルーシア王国なんだ」
興奮しだしたアルデの口をふさいで、アビストメイルから遠ざけるエレフ。
「す、すみません、殿下。宥してやってください……」
「大丈夫だよ。これしきのことで私は怒らないさ。それより、『お兄ちゃん』と言ったね。君の兄は王国軍にいたのかい? アルデくん」
「……わかりません。そのころお兄ちゃんはまだ11歳でした。王国軍は16歳以上でないと志願できないし、レジスタンスはまだ兵の募集を受けつけていませんでしたから……しかし、お兄ちゃんはいつも言っていました。『ボクは王国のために戦っている』って」
「……ああ、なるほど」
アビストメイルはなにか悟ったようだった。
「おそらく、君の兄はテロリストだったのでは?」
「は?」
意表を突かれたかのごとくにとまどうアルデ。まわりにいる構成員二人もおどろきのいろを隠せていなかった。
「いくら王子殿下といえど、ぼくの兄をおとしめるような発言は……」
「だけど、王国を守る組織は軍とレジスタンスよりほかにいないよ。それでも王国のために戦っていると言っているのであれば、答えは一つ、テロリストだ」
「……!」
「六年前……プロヴァンス戦役が勃発する前の話だが、ルーシア王国ではテロが多発していた。テロをおこなっていたのは、革命軍『紅の教団』という組織だ」
「『紅の教団』。耳にしたことはあります」
「きっと君の兄はそこに所属している傭兵だったのだよ」
「まさか、そんな」
「もともと彼らは真に正義を胸にして闘っている。ただ、なかには少々過激なやからがいるだけのことさ。考え方とやり方、そして立場はちがえど、国を想うココロはおなじだからね。彼らは国を想っているがゆえに、敢えて国に弓を引いているのだよ……だから、私は『紅の教団』に興味を抱かずにはいられなかった……そうか。理解したよ」
不気味にほほえんで、アビストメイルは言った。
「君の戦う理由の最たるは、もしかして兄の遺志を継ぐため……かな?」
図星らしかった。この一分間の会話だけでアビストメイルは、アルデの人格にひそむ本質をみごとに看破していた。そのすぐれた慧眼におそれをいだいたアルデはふるえを見せながらも、「ひょっとしたら、そうかもしれません」と答えた。
「ほう。けなげな弟だね。そして聞きたいのだけど……」
「……はい?」
「君は、国を戍ろうとした兄の遺志を継ぐために戦っている。それはいいさ。無難な理由だね。だけど、もし立場が無難でなかったら?」
「なにをおっしゃりたいのですか……?」
「つまりもし君がレジスタンスの兵士ではなく、兄とおなじテロリストとして国を戍ろうとしたら? という話さ……君は大好きな兄のためならば、テロリストになることも厭わないのかい?」
「……厭わないですよ。ぼくには、あの人しかいなかったので……」
「一人で一国を敵に回す羽目になってもかい?」
「むろんです」
「ますますけなげだね。だが、過剰なけなげさは自分の身を滅ぼしかねない。君はいま澄ました顔で言っているが、それは不敬罪に値する言葉ということはちゃんとわかっているのかい?」
「……」
「まあ、いいさ。わかりやすい反逆さえしなければ、王国は君を処罰することはない。なにせ君は、王国の創設者・ルーシスの聖剣ラグナロクを持つ選召者だからね。ひどくあつかうことはできない」
「ぼくが選召者でなければ?」
「聞くまでもないだろう」
「……だいじょうぶですよ。ぼくはレジスタンスの一員として国を戍るつもりですから」
「そうかい。なら安心だ」
冷めた笑いをするアビストメイル。冷めたひとみをするアルデ。冷や汗が止まらないエレフ。冷気が治まらないシータ。司令室をただようほのかな熱のいきおいは、だんだんとおとろえはじめては消失していった……
※ ※ ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
まどろむほどに昏い空間に溶け込む五つの人影。そして彼らのまえで敬虔にひざまずくひとりの赤髪の少年。腰にたずえている刀の欛をおさえて首を垂らすそのすがたは、あたかもいつでも命をささぐ覚悟があることを暗に誓っているようにも見える。きこゆるは吐息、鼻にながれこむはほこりのにおい。しばしのしじまがたちもとおると、やがて中央に位置する人の影が言葉を発し始めた。
「ただでさえおぼつかぬ力の均衡は、今となって竟に崩れてきたようだ」
「左様ですね」
「”月”の剣士、ディオーク・ドラクロアよ」
「は。なんでございましょう」
「汝、赮日の煌に屈せず、其の白月の皓を象りし刀を以てして、吾等に報うる事を潔しとする乎?」
慥かな従属心をあらためて固めんとするのように、重々しく問う一人の影。
「言を俟たずとも、汝既に其の答を知りけり。吾心澄明にして纔かの曇りも無く、此の黮黭の地に踏み入りし時より、月光の冥助を享受せるものになりけり。然れば一遍の憂を置かず、堅き信のみを吾に置く可し」
と、神妙な面持ちで答える少年ディオーク。
「好し。月光の冥助、忘却すること莫れ」
影は言った。
「では、命を下す。アルデ・バランスなる孩童は存じておるな?」
「はい。ルーシスの力を受け継いだ者と風聞にて知りました」
「なら、話は早い」
「暗殺ですか」
「ふむ。理解も早いようだ。アルデ・バランスを放置すれば、いずれ”太陽”は彼の力を借りて、吾等”月”の壊滅を図るやもしれぬ。であるからして、一刻も早くアルデ・バランスの排除にかからねばならん」
「そのような仕事を、この僕めにあたえてくださるとは、光栄であります」
「まかせたぞ、ディオーク」
期待の言葉を残して、颯とくらます五つの影。取り残されたディオークはしばらく思案して、みずからの腰に差してある刀を一瞥した。
※ ※ ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「いたっ、いたっ、いたっ、いたっ」
エレフの軽い連続チョップを頭に受け続けながら、廊下を歩くアルデ。
「おまえさぁ、気持ちはわかるけど、理性もちゃんと働かさねえといけねえよ。一国の王子にあんな態度を取ってはいけねえよ」
「ご、ごめんなさい。つ、つい……い、いたっ、いたっ、いたたっ」
「今日は冷や汗で背中が痒かったぜ、まったく。ですよね、シータさん?」
「びっくりしちゃったよ」
困り顔で笑ったあと、アルデのほうへとふりむくシータ。
「で、その子がラグナロクの所有者か。けっこうかわいいじゃない。それからユキルきゅんとちょっと似てるわね」
「ん、 たしかに顔つきが似ていますね 」
「ユキルきゅんとセットだったら、もう世界平和は実現できるかもね!」
鼻息を荒ぶらせるシータに、エレフはたしなめた。
「こらこら。悪い癖が出てますよ。少年愛の性が剥き出しになってますよ」
「しょうがないじゃない! こういうちっちゃい子好きなんだもの!」
逆効果だったようで、ますます興奮が高ぶっているシータであった。
「あの、エレフさん」
「なんだ。アルデくん」
「シータさんって、エレフさんの先輩なんですか?」
「ん……ああ。俺とおなじく、レジスタンス創設期からいるメンバーだから、べつに先輩と後輩の関係ではないかな。だけど、歳は俺より一個うえで、十四歳だよ」
「ということは、ぼくより三つ四つ年上ですか」
「そういうことになるのかな」
(なんだよ……たいしてぼくと年が離れていないじゃないか。少年愛どころか正常なのでは……)
嗜好にたいして疑問を持ったあと、アルデがふと頭を挙げると、こちらを嬉しさの光にみちあふれたまなこで見つめながら垂涎するシータのみっともない顔があった。
(こ、こわいよぉ……)
忽然と恐怖を思い知ったそのとき、シータはいつもより速い動きでアルデのほうへと歩み寄った。
「な。なんですか……?」
「あとでわたしの隊室に来ない?」
「な。なんでですか……?」
「お菓子いっぱい用意するからおいで。ジュースとかもあるよ!」
「……(いよいよ誘拐犯じみたことを言い出した)」
冷や汗をかく番が回ってきたアルデは、意識と反して左足をうしろへ持っていった。
「逃げない逃げない。ユキルきゅんもそうやって逃げてたわね。まああの子は君とちがってあまり感情を出さないけど……」
距離を取ろうとするアルデに抱きつき、決して離さまいとアルデをつよく抱きしめるシータ。呼吸がつらくなったアルデはもがいてもがいて、なんとか人間の形をした枷から脱出せんとふんばったけれど、徒労に終わった。体力を使い切って、シータの腕の中でしずかに息を引き取った……
「いや、死なせやしないわ! 戦いでたまった疲労を君でたっぷり癒やしてもらうんだから!」
きれいな顔貌とは裏腹な、欲に飢えた猛獣のようなセリフを吐き出すシータ。
「ひ、ひぃ! エレフさんたすけて! (やはり正常じゃない……!)」
「新人はいろんな構成員と交流したほうがいいだろう。めんどうかもしれないがシータさんにかまってやれ、アルデくん」
「そ、そんな殺生な!!」
救援信号を無視されたアルデは、潸然として涙を流して無情なエレフに憾みごとを吐いた。
「わかってるじゃないエレフ! めんどうかもしれないは聞き捨てならないけど、まあ、ナイスだわ!」
「いや、ぼくはゼンゼンナイスじゃない! たすけてー!」
「じゃあ、今夜はおたのしみですね。シータさん」
「そうだねぇ」
「おたのしみってどういうことですかエレフさん!! ちょっと! 無視しないでよエレフ!!」
さりげない呼び捨てにさえ反応しないエレフは颯爽と立ち去り、アルデはそのまま狂女シータの美味い餌となってしまった。
レジスタンス本部基地は広大なスペースを有しており、構成員に割り当てられた隊室がそのスペースの五割を占めている。隊室はいわば日々職務をまっとうしている構成員たちの休憩所であり、そして希望があればそこで居住することも可能である。居住希望はたいてい、家族を持たない人、戦災で家を失った人などが多く、すべてが成年に満たない少年少女ばかりである。なお、原則として個人での居住はできず、三人以上で組まれる小隊での居住のみがみとめられている。
「アルデきゅんの隊室の提供は、どうやらまだまだ先らしいのよ」
と、シータは言った。
「え? 今回の帝国の急襲のまえに、アビストメイル殿下は用意してあると言っていましたが……」
「……隊室は、三人以上の小隊に割り当てられるのだけどね」
「はい」
「君、アルデきゅんとルシアちゃん、そしてもうひとりが小隊を組んだことで隊室の提供が決定されたんだけど、さっき急遽その決定がくつがえされちゃったのよ」
「ぼくとルシアが小隊ですか。それより、どうして急に変わったんですか?」
「もうひとりの構成員が死んだからよ。君の守衛につとめていた子」
「あ、あの人が……」
衝撃を受け止めきれないアルデ。さきほど自分のそばにいた人間が、これからともに敵と戦うチームメイトが、あんな簡単に死んでしまったとかんがえると、なんともせつなくかなしいとおもった。
「感傷に耽る余裕なんて、わたしたちにはないんだよ、アルデきゅん。人死になんて、固よりわたしたちの世界ではめずらしくないのだから」
この一言が、アルデの胸にずっとひっかかった。
慈愛というものがあれば、憎悪というものも亦ある。慈愛が人を産むのであれば、憎悪は人を殺すこととなる。慈愛あってこそ憎悪があり、憎悪あってこそ慈愛がある。戦争は、その慈愛と憎悪の産物。戦争は、感情を持つ人間だからこそ引き起こせるもので、敵国の民草を刈れば刈るほど、自国の民草は良くそだつ。だから、この世界において、人死にが出ることは必然であり、摂理である……殺し合いによって、幸福と不幸は均等に分けられている。つまり戦争は、人間たちの生死と禍福の帳尻を合わせるためにある、謂わば冷酷でこそあれど効率の好い壮大な算出方法のひとつなのだ。
プロヴァンス帝国は、レジスタンスの構成員を殺すことで、自国の民をしあわせにしている。それはアルデたちレジスタンスも一緒である。他人の笑顔をうばうことで、自分たちが笑顔になれる。それが本質なのだから、アルデはシータのあんまりにつめたい一言に反駁する勇気をおこせなかった。
(ぼくらは結局、だれかを殺すことでたのしそうに笑える悪魔なんだ)
失望の視線は、おのずと窓の外へとむけられた。灰と黒と白の錯綜した叢雲がおもむろに分散すると、望月がささやかな光を帯びながらあらわれて、アルデの青褪めた顔をぱっと照らし出した。こころがうつろとなった彼には、これから忍び寄る影には、まだ気づけなかった。