第五話『プロヴァンスの皚き幻影』
八月にぼくは手術したあと入院するかもしれません。そのころはおそらく小説は休載なのですが、あくまでおそらくであります。だって、病院にてつれづれなるままに、ひぐらしパソコンにむかひて、よしなしごとをならうにて書きならぶるやもしれぬでせう?
ともかく、プロヴァンス戦記第五話です。
かわいがってください。
ラテンプル水路はルーシア王国の領土のおよそ半分ほどの面積で、灌漑や発電等を目的として地下にて造設された施設である。基本ここは水道局の管理者と王国軍関係者だけが立ち入るのを許された領域で、ほかの人間が無断にこの場を侵せば厳罰に処されるとされている。たかが地下水路ごときに王国が神経を尖らせているのは、この場所は啻に水量の調節なる役割を果たしているのみならず、レジスタンス本部基地のシークレットゲートへとつながる通路にもなっているからで、それゆえにきびしい警戒態勢が敷かれていると言われれば、かならずしもうなずけぬ話でもない。
なのにもかかわらず、王国とはまったく関与していない風の身なりをした人間が五名ほど侵入していた。ぽつりぽつりと残滴の落つる音に、かつりかつりと軍靴の踏み入る音がまぎれこんでいた。湿った石畳の道をあゆむのは、赤のラインの際立つ黒服を着装したプロヴァンス帝国軍の人間たちであった。彼らは東を見て、西を見て、そして北を見ては南のほうへと振り返って、あたりに人影がないかを細心を以てして警戒していた。
ものものしい殺気を氤氳としてはなつ五人のほうへ、ひとりの小柄な少年とおぼしき人間が舒遅たる足どりでむかっていった。ウェーブの掛かった黒髪に、わたつみに沈みゆく夕陽のごときくれないのひとみ、それから枯れ木よりも貧弱そうな小さくて羸細い体躯に、ふり積もる霜雪のごとき白皙の肌膚。彼らとはおなじ黒の軍服をまとっている点から言えば、おそらくは同志、つまりプロヴァンス帝国の者だとかんがえられるけれど、彼らとはちがう点もはっきりとあらわしているのも亦無視できない。それは、これまでに踏んできた場数の多さを暗示しているかのような、かの神妙な顔つきにほかならない。さりとてそれは屈強な狂戦士とおもわせる強面ではなく、むしろ黒蟻一匹をあやめたかすらうたがわしい綺麗な容色であった。殺すがわではなく殺されるがわの、強者らしさなどあからさまにもない、そんな無垢なる孩童みたいな容色であるくせして、尋常一様にあらざるつめたい殺気を四肢五体から醸し出している。だからこそ、つきそう人々はみな、彼につよい畏怖の念をいだくのである。
「老鼠のにおいが、鼻につくね……」
彼はしめやかにそうつぶやいた。
「ボクの計画にしたがって、第43主水路と東南部水量調整区、そして例のこざかしい門の爆破準備は済ませたのか?」
しめやかさを超過してもはやおごそかさとなっている彼の言葉を受け、兵士はまばたく間に極度の緊張に取り憑かれて、無意識のうちにひざまずいて事の報告をし始めた。
「手筈のとおりでございます。ルシファー殿下」
「ご苦労……だけど」
ルシファーは言った。
「いまのボクはしがない『大将』だ。『殿下』などとは呼ばないでほしい」
「し、失礼いたしました」
「それと……そんなかしこまらないでおくれ。そこまで硬い態度を取られると、『殿下』と呼ばれているのとおなじきぶんになるのでね」
「……承知」
おとなしくいらえども、なさけなくおよぐ瞳孔を見るかぎり、その兵士は態度をゆるくあらためる気はさらさらないようであった。いくら皇子じきじきの懇願とて、これを聞き入れれば臣民として堕落する。彼らは堕落をおそれるがゆえにこの命令にしたがうのにいさよいをおぼえたのである。おさなきころより帝国に堅実なる忠誠をちかってきた兵士たちにとって、皇子ルシファーこそは天上に坐する神の子に同然。なので、「かしこまるな」というのは、聞くべきだが聞くべきでないという、きわめて逆説的な命令であり、戸惑いに値するものでしかない。しかし無意味な命令とはいえ、これにはルシファーの”人徳”という名の馥郁たる香が染み付いていてはなれない。あたりまえだが兵士たちは決してこれを厭忌するはずがなく、いたりてありがたき心遣いとして胸膛につつしんで受け止め、ただただ頭を下げるばかりであった。
「復讐の刻は遠からず。あともうすこしの辛抱だよ、みんな。あともうすこしでボクたちの恥辱は、きれいさっぱり、雪がれることだろう」
うつし世の一切をうつさぬうつろな目のみすえるは、涯の見えぬ半透明の昔日。少年はそれのみを眤とみすえたまま、まえへとあるきだした。痛苦を知る彼の家臣は、なにも言わずその後をついていった。
地下水路の不穏な動きとの同時進行で、あらたに誕生した選召者アルデ・バランスの今後について話し合う会議が執りおこなわれている本部基地。アビストメイル王子と少年アルデの言葉の交わし合いが、まさにここでくりひろげられているのである。
「あまり長く話を引き伸ばすのもなんだから、単刀直入に訊く。返事はイエスかノーかで頼むよ」
深く息を吸って、アビストメイルは重々しく問うた。
「アルデ・バランス。王国防衛部隊『レジスタンス』への加入を望むか」
ルシア、エレフ、アスノ。三人の視線が背中にそそがれているのを感じるアルデの頤には、ひとすじの冷や汗が垂れて皮膚に絡みついていた。
「……はい」
間、髪を入れずにアルデはいらえをかえした。
「ルシアは言いました。ぼくが聖剣に選ばれたのは運命であるがゆえに、と。けだしそのとおりかもしれません。よしんばぼくが茲で『ノー』と答えたところで、その運命とやらから遁れられる道理はございません。なぜぼく以外の選召者たちは聖剣を捨てて平穏に暮らすことをせず、戦火に身を投ずることに意を決したか。その理由にぼくは見当がついております」
興味深そうな顔持ちで、アビストメイルはアルデの話す理由に耳をかたむけていた。
「聖剣のお召しにあずかることはすなわち、ぼくたちこそが唯一、ゆがんだ歴史の産んだ殺し合いに終止符を打てる人間だということを指し示しております。トクベツな力を與えられたぼくらが戦わなければ、これからの人間たちに、殺し合いのさきにあるきらびやかな和平を見通ししえないのです。これを選召者たちは理解しているから、戦うよりほかの道は用意されていないと悟っているから、敢えて戦うことに意を決した。というのが、ぼくのおもうところであります」
「なるほど、つまり君は」
「むろん、聖剣の意味をぼくとて理解していることは言を俟ちません」
アビストメイルの怜悧な視線が刺すのは、アルデの瞳孔の奥にある深紅の覚悟のかたまりであった。もはやこれよりさらに追及をかさねる必要は無い。そう判断したのか、彼はゆるりと椅子から立ち上がり、こう言った。
「……合格だ。固より、レジスタンスの入隊条件は10歳以上であることと、戦う覚悟があること、このふたつだけだ。君はどちらの条件を満たしているだけではあきたらず、とてもけなげな選召者でさえある。期待しているよ……アルデくん。よし、エレフ」
「ん、なんすか」
「入隊の手続は今朝済ませておいた。今日からアルデ・バランスはステージ3所属の構成員となる。四〇〇二の隊室に案内してあげてくれ」
「す、済ませた? アルデくんの決断を待たずに済ませてしまったんすか」
「なんせ私が知る選召者はみな、妙に意志堅固な人間ばかりでね。『戦い』というものをおそれて尻尾を巻いて逃げるようなことはなぜかしないのだよ……聖剣も人を選ぶセンスがある、ということなのかな。アルデくんもどうせそのたぐいの人間だ、レジスタンスに入隊するのにためらいを見せないに相違ない。そう思って入隊手続を一足先に完了させておいたのだよ。やはり、アルデくんも例に漏れず強い意志を持つ英雄の卵だったようだ」
「あいかわらずものすごい慧眼っすね。尊敬をとおりこして、恐怖すらおぼえますよ」
と、惘れたかのように、エレフは言った。そうして彼はアルデのほうへと歩み寄り、「やけに気の早い殿下の話も終わった。じゃあアルデくん。俺について来い」と指示した。
「どこへ?」
「隊室だ。これからおまえの家になるところだな」
「まってください。ぼくにはもう家がありますが……!」
「ああ、わかってるが……ちょっと言いにくいんだがな、選召者はかならずレジスタンスの保護下におかなきゃいけないんだよ。安全のためにな」
「そんな……」
「敵がわの戦力をできるだけ多く削ぐためには、すべからく敵の要となる剛兵を射ることを優先とすべきである。戦争の基本の一つだ。おまえは俺たちの『要』に入る貴重な人間なんだ。殺られてもらっては困るし、なによりも敵の手に落ちてもらっては猶以て困る。わかってほしいな」
「もちろん、わかってます、それくらいは。ただ」
渋面でアルデは言った。
「仲間には、せめて言っておきたいです。ぼくはもう、五年間つづいた日常にはもどれないって……日常どころか、ひょっとしたら仲間の許にももどれないかもしれませんが」
「……よっぽど、すげえ覚悟をお持ちのようで。でも大丈夫だ」
さわやかな笑みを含み、エレフはアルデの肩を叩いて、言った。
「俺たちは、おまえを骨となった状態で仲間の許に帰らせるつもりは毛頭ねえよ。そんな趣味悪いこたぁしたくねえ。おまえはおまえなりに戦い、俺たちは戦いながらおまえを護る。そんだけの話さ」
「……はい」
少しだけ安心に満ち足りた顔を見せるアルデ。されどそれもつかの間。静寂を爆破するような轟音と衝撃、これらが総監室を儵忽として大きく撼がした。おどろく五人。危機を察知する五人。先刻のやさしげな表情がまるで嘘であったかのように、アビストメイルは一転してけわしげな表情となり、ひとときも暇を置かずにエレフに命をくだした。
「敵襲、らしいね……ずいぶんとはやいな。エレフ。かたづけにいきなさい。ほかの部隊にも追ってつたえる」
「ラジャー、っす」
さも日常茶飯事かのごとくに、いま発生した異常を冷静にあしらう二人。それはこの二人にかぎったことでもなく、アスノは悠々とあくびをし、ルシアは帽子の裏に付着している金色の髪の毛を一本一本手で取り除いていた。敵襲というにはあまりにも余裕な態度をとっていた。
さすがに事態を軽く受け止めているみんなに疑問を持ったのか、アルデは言った。
「本部基地にまで揺れがおよぶくらいですよ? そう悠長にかまえていていいのですか?」
「そう頬をテカテカさせるなアルデくん」
ふっと笑って、エレフは言った。
「あわてるのは、敵に喉仏を刃でつきつけられたときでいい。いまあわてれば兵の動きはにぶくなって死ぬことにつながる。あわてていいことなんざ、なにひとつありゃしねえのさ」
「そ、そういうものなのですか」
「そういうものなのさ。アルデくん」
アビストメイルはもとのやさしげな表情にもどして、言った。
「さて、今日から君も誇りあるレジスタンスが一員。さっそくで申し訳ないが、君にもはたらいてもらうよ? ……アルデくん」
とはいえ、その表情は、たしかに柔和でこそあれど、どこか深い暗闇を孕んでいるようであった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ラテンプル水路のシークレットゲートが爆破されていた模様です」
下級構成員からの報告を承っても、まったく動揺せずに暢気に頬杖をつくアビストメイル。「そうかい」と言って彼はこれを問題としてあつかうことをしなかった。
「『引きつけ』は成功だったようだ」
「……は?」
「ラテンプル水路は公においてはルーシアの軍事とは無関係、単なる国家の水を管理するためだけの施設として軍に保護されていることになっているが、プロヴァンス帝国ならばこれを虚偽であると看破するだろうとかねてより予測していた。やはり水路の秘密を勘繰って攻撃してきたらしいね」
「よもや、なにか策でもお有りなのですか、殿下」
「策などとうにむかしに練っていたさ、バロス君。なぜ二年前からラテンプル水路にルーシア軍の人間がしばしば立ち入るようになったか、わかるかい?」
「お恥ずかしながら……わたくしの存ずるところではありません」
「こたびの戦の肝はバイタルウェポン。現時点でバイタルウェポンで戦うのはルーシア王国軍ではなく、その配下たる我々レジスタンスだけだ。おなじバイタルウェポンで戦うプロヴァンス帝国軍へのただ一つの対抗策となりえるのは我々レジスタンスのみ。邪魔者以外の何者でもない。プロヴァンス帝国が早期に我々と雌雄を決したいのであれば、もちろんレジスタンス基地本部を落としにかかることに頭が回る。そして、やがては本部基地を安直に落とす手段についてかれこれ思案を巡らせる。あたりまえだろう?」
「と、言いますと?」
「血管が浮き出るほど悩んでいる帝国が不憫でしかたがなくてね、ついヒントを与えてしまったのだよ。あえて本部基地の地下にもあるラテンプル水路に厳重なる警戒態勢を敷いて、水路の下にある基地本部のシークレットゲートの存在をほのめかせておいたのさ。おそらくレジスタンス内にはプロヴァンス帝国の老鼠が忍び入り、みずからの家の主に我々に聯関する情報をはこぶ役目を担っているのだろう……否、たった今まで担っていたと言うべきか」
そう言い終えるやいなや、アビストメイルは腰に佩していたサーベルを抜き取って、下級構成員バロスに瞬速の一撃を浴びせたのであった。
「バロス君。我々レジスタンスへの出張、ご苦労だった。これは私からの特別給与だ」
黒に偏った赤い血を口からこぼし、うらめしき眼光を煌々とさせるバロス。
「ぐっ、ばかな。いったいいつからきづいて……」
「最初から、厳密に言えば、最初よりももっと前からさ。スパイのひとりやふたり、こちらに寄越してくるであろうと私は確信していたのだよ。非常に遺憾であるけれど、君のいつわりにまみれた経歴にまどわされるのであれば、私は総監の玉座からしりぞかざるをえないのでね。」
「アビストメイル……いかほど貴様が賢明な君主とて、あの方にはかなうまい。あの方……プロヴァンスの皚き幻影には……ゼッタイに!!」
地面に仆れ、縡切れる寸前に、バロスは鮮血と倶にかくのごとき言葉を吐き残した。
「あの方は神のご加護を身に纏いしもの。しがない人間ごときに敗北を喫しやせん」
「ほう、愉しみだね、それは」
笑みを一向に絶やさずにアビストメイルは、彼にとどめを刺したのであった。
日ごろしずけさを保っていた水は、いつもの暗くて橙色のではなく、明るくて白色の光をあびることができてはしゃいでいるのか、こめかしく流れることをせず、うねってとびはね、あばれてばかりいた。兵の一歩踏みしめるごとにあばれ、兵の殺意のたかぶるごとにあばれ、おちつくけはいはまったく見せていなかった。
本部基地のシークレットゲートを爆破し、つぎつぎと侵入してくる大勢の帝国兵。彼らにとっては不意打ちのつもりだろうが、この事態を予測、というよりはむしろ狙っていたレジスタンスの構成員は、焦燥に駆られるはずもなく猛然としてその反撃に打って出た。本部基地内部、および水路東部。ことなる意志を持つ鋼鉄の鬩ぎあう音のたえぬ場所。黒の駒も白の駒も、黒白明暗のわかれた盤上ではともに赤き駒となっては散り果て、いまだに生きて死なざる者は、おのれのいろが赤とならぬよう懸命に劔を握って離さなかった。
「おおかた敵さんは、シークレットゲートは近頃つくられたものだから、ここの守衛は手薄だろうと踏んでいたようだが、そうはいかねえ」
並でない自信に満ち足りた顔で、せまってくる敵兵に一太刀一太刀あびせるエレフ。
「俺たちレジスタンスは敵さんがそう考えるのを知ってて、わざとここに多くの兵を配置していたんだからな」
「もしかしてシークレットゲートは、敵の侵入をふせぐためにあるものではなく、多くの敵を一網打尽できる『餌』としてつくられたというわけ? エレフさん。よっと」
そう言って、ルシアはふたりの敵兵を蹴り飛ばした。
「そうだぜ、ルシア。ご覧のとおり、まんまと釣れたわけだ、しかも大漁だぜ? ”月”から渡された情報によると、どうやら今回の襲撃には三百の魚が釣り針を口にしたらしいぜ」
「なるほど。敵は今回の小さな穴から大きな中枢まで進んで、一気にレジスタンス本部の壊滅を図ったってことだね。てかなんであたしはその情報知らないの。なんでエレフさんは知ってるの?」
「門以上に、この作戦自体がシークレットだからな。ステージ4の上位と司令部にしか作戦の旨は伝達されていない。ルシア、あいにくだがおまえはステージ4ではあるが、部隊を持たない独立の構成員。伝達対象にはならなかったみてえだな」
「ちぇ。拗ねちゃうよ。やっぱり、あたしもおもしろい仕事を仰せつかりたいなら部隊を組めと、アビストメイル殿下が暗に命令しているのかな?」
「かもな! あらよっと」
突っ込んでくる無謀な兵をまた一人斬り捨てるエレフ。
「アルデくんはどうした、ルシア」
「べつの隊員の指示の下にいるよ。戦う力はあってもまだ経験はないし、レジスタンスという組織で動く勝手がわかってないからね」
「おまえがいろいろおしえてやりゃいいじゃねえか。付き合いなげえっていうか、あいつのことよくわかってんのはおまえしかいねえだろう?」
「そうだけどさ? 殿下はあたしがつきそうのを允許してくれなかったんだよ。しかたないでしょ!」
「は? 殿下にはいったいどういう目論見があって」
「やむごとなき殿下の御心を端倪するなんて、あたしたち一兵卒にははなっからできない咄だよ、エレフさん。それよりいまは」
「ああ……大掃除だな!!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
しろがねの剣が眉間めがけて突進してくるのがわかったのは、ほんの一瞬。つぎにそれをみずからの聖剣で受け流し、返す刀で殺しにかかってきた相手の胸に痛撃を食らわせたのも、亦一瞬であった。しかしそれらの刹那とはちがって、身を侵し染み込んでくる恐怖は嬝嫋たる餘韻を残して、たちまち消えることをせんとしなかった。
「はあ、はあ、……」
戦う覚悟はある。されどもおそれまではおさえきれない。いまだに迷いの精霊がアルデの聖剣に宿っていて、我が物顔で下手な斬りあいを見物し、あざ嗤い、大きなあくびをしてやまなかった。息を切らすアルデに、追い詰められた敵は慈悲をあたえるはずもなく……
「くたばれ!」
胸に残存している激しい痛みなどにかまわず、すさまじい闘気を顔面に露出させてアルデに飛びかかり攻撃する帝国兵。6デシベルの悲鳴を洩らしつつも、死線を飛び越えようという意志に身をゆだねてカウンターするアルデ。ギリギリで腕肱の皮膚にひとすじの切り傷を負ったけれど、帝国兵の体躯を刺しつらぬくことは成功していた。人間の血肉を刺す。身の毛のよだつおぞましさ、しめつけるような罪悪感、それから心臓がほろほろと崩れるような気味の悪さが、一斉にアルデに襲いかかっていた。
(……おかしい)
敵兵との交戦中に、アルデの奮闘ぶりを観察していたレジスタンスの構成員は、すこし腑に落ちぬところがあった。
(ルシアからの情報、アビストメイル殿下からの話に拠れば、あの選召者の少年、戦闘経験がゼロであるにもかかわらず、帝国の手煆煉に深手を負わせて撤退せしめたらしいが、それほどの手腕を一向に見せていない……なんとか戦えてはいるが、動きがあまりにもぎこちなすぎる……いったいどういうことだ?」
死への恐怖。弱さへの疑問。これらをまとめて吹き飛ばす脅威が、後方へしりぞく帝国軍の群れのなかに神々しく舞い降りた。虹彩を刺激するような白光をはなつ双翼で飛ぶ小柄な少年であった。ただ、その双翼はよくよく見ると羽らしきものは一片も見当たらなかった。当然といえば当然かもしれない。ヒトの脊につばさなんてものは生えていないのだから。しかしこの当然はするりと納得の扉を通りぬけても、この少年が不可思議な光るつばさを以てして飛んでいる異常はそう簡単に通れやしない。
「あいつは!」
どうやら、アルデと同行していた構成員は、その少年のことをいくばくか知っているようであった。
「なに……あれ」
「アルデくん。君は逃げてくれ。ここは私が受け持つ」
「そんな! こんな大勢を無理ですよ! 第一、あの子は何者なんですか!」
構成員は答えた。
「プロヴァンスの皚き幻影……ルシファーだ」