第三十二話『軍鼓、どよめく(後編)』
東京を離れて、北海道で暮らします。
『プロヴァンス戦記』、第三十二話です。かわいがってください。
エレフが占拠されたゼフィランサス東部にて、敵の総大将・ルシファー・プロヴィンキアと交戦中。その情報を得たヤクトは小隊を率い、ただちに待機していた城堡から飛び出し、東部へと足を急がせる。エレフの力量は知っているが、たった一人で立ち向かうにはあまりに強大過ぎる。そう思ったのだ。
ヤクトの統べる01小隊はステージⅣに属する最強の部隊。リーダーのヤクトをはじめに、剣客ローラン、火兵トード、そして刀剣も火器も使いこなすアインスなどをそろえた、優秀であるうえバランスのとれている部隊である。
「ヤクトさん、おれもエレフのことが気がかりだけど、アビストメイル殿下からはまだ命がくだされてなくね? いいの?」
トードは走りながら言った。
アビストメイルがエレフへの増援に選んだのはあくまでアルデ・バランス。彼以外の人間が増援に向かうことは許されていないはず。自分たちの行動が命令違反に問われて罰せられないかと危惧したトードは、小隊長たるヤクトに是非をうかがった。
「上意にそむいている、って言いたいの? 殿下はべつに、アルデくんの増援に行くなとまでは言っていないぞ。なによりも……アルデくんを放っておくわけにはいかないでしょ。彼一人に任せるとか、殿下も無茶をおっしゃる。どうせおれたちはフリーでやることがないんだ。暇を持て余すよりエレフを助けたほうが断然いいだろ? ついでに敵さんをまとめているルシファーとやらを倒すことができれば万々歳だ。そうすれば、仮におれらのしていることが殿下の思いに反するものであったとしても、罰よりもさきに、敵さんをよくぞ倒したと褒賞が来るだろうぜ」
「そういうもんっすかね。俺は不安でしかたがありませんよ。アビストメイル殿下、おだやかなお顔をされているけど、裏ではとんでもなく怖いという噂ですし」
「……噂じゃなくて事実だな、それ」
ヤクトはステージⅣのトップチームをまとめるリーダー。それゆえにアビストメイルからはよく信頼され、重大な仕事をまかせられることも多いからこそ知っている。アビストメイルはたしかにまだ若いが、人格はすでに成熟している。個人の犠牲を決定づけてしまうとしても、それが国家安寧に裨益するところ大と判断すれば、逡巡せずに実行にうつる。そんな理論至上主義の人間なのだ。
公にすると民衆の国家権力に対する支持が著しく下がり、最悪の場合ふたたび反乱を煽ることになりかねないために隠匿されているが、アビストメイルは一年前、プロヴァンス帝国のスパイ容疑をかけられた人間を処刑したことがある。その人間はルーシア王国軍に配属されたばかりの女性で、人格や平生でのおこないといった面から見ても、王国をあざむき、及び王国に不利益な行為をはたらいたとは思えず、まわりに居た知人たちの信頼も揺るがぬほどに堅牢であった。うたがうべき要素が一点もないはずなのに、アビストメイルはまよわず彼女を捕縛し、即日に、裁判なしに、みずからの手で斬首に処したのである。秘密裏での処刑であったので、不審がられぬように彼女の経歴は書き換えられ、表向きでは刑死ではなくプロヴァンス帝国の襲撃に遭い絶命したということにされている。このことを知っているのは、アビストメイル本人と、その側近たるレオン司令、そして刑死した女性をよく知るヤクトのみである。
「殿下は無情だ、横暴だ」と、剽軽なヤクトでさえも、当時は心のなかでアビストメイルを強く非難した。相手は自国の王子だから、面と向かって異議を申し立てることは畏れ多くてできなかった。心のなかで非難するのが彼にとって精一杯だった……このスパイ事件を通して、ヤクトはアビストメイルの笑みの裏の、そのさらに深遠なところにある闇を覗いてしまったのである。
しかし、ヤクトはいまでも考えている。アビストメイルほど聡明な人物が、果たして訳もなく人に罪を着せて殺すのだろうかと。きっとなにか確証があったのではないかと。ただ、その女性が知人なだけあって、とても我が国を害する存在であるようには映らないため、やはりアビストメイルの判断を信じ切ることはできない。ゆえに、ヤクトは一旦覗いた闇をもう少しおよがせておくことにしたのだ。
「君は私のことが苦手なのかい? ヤクト」
「なにを。どう苦手になれというのです。おれがふだん飲んでいる珈琲にいつも下剤を入れるとかするんでしたら、そりゃあ苦手にはなるでしょうけど」
「……ひとつだけ言っておくよ、ヤクト」
「……なんですか?」
「深淵を覗く時、深淵もまたそちらを覗いている」
「……何を、何を」
「おぼえておく必要はないよ。いま聞けばもう十分だと思うから」
そのときの静かなほほえみを、ヤクトはずっと忘れていない。
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刺せど刺せど、ルシファーの刀の鋒はなおもアルデの命を貫けず。ことごとくすり抜けて、風を掻き切るばかり。一方アルデはするどい眼光となって、追い風に乗って前足を前へ、それにつらなって後ろ足も前へ、そうしてルシファーに詰め寄って、間隔をかぎりなくゼロとして……一心不乱に剣を振る。逆にルシファーが前へ出て反撃に出るのを断じて許さなかった。ルシファーに殺意の重圧をかけて、うしろへしりぞくことをばかりうながしていた。誰の目で見ても、狩る虎と狩られる兎の戦いであった。
(これじゃあ戦いにならない。なんとかアルデの術のからくりを見抜かないと……!)
額から焦燥の汗がうかびあがる。ブレードを握りつづけている手の疲労が、筋を通し、血管を通し、ひしひしと脳の髄へと伝わり、震えさせる。息をひそめる死の影はあざ笑うかのように目前ではためき、ルシファーの恐怖を喚び起こそうとばかりたくらんでいる。極度に達したルシファーの緊張は、触れたらたちまち断ち切れてしまいそうなほどはかなげであった。それは『ホワイト』にもわかりやすく反映していて、たとえば純んだ白のかがやきがいつもとくらべるとどこかうしなわれており、パッと光ったり消えたりと点滅をくりかえして不安定な様子を見せている。
ラグナロクの固有能力である『生きている幻影』。その能力はたしかに非常に強力でこそあるが、完全なる対策がないとまでは言えない。強力といっても穴があまりにも大き過ぎる。知られてしまえば、敵は確実にその穴に狙いをさだめて、突こうと必死になるであろう。
『生きている幻影』とは、使用者の肉体を一時的に霊体へと変換して、あらゆる物理攻撃を無効化する能力である。ラグナロクの刀身までもが霊体になるわけではないので、霊体化したアルデは一方的に相手からの攻撃を無視することができ、そして一方的に相手に攻撃をくわえることができる。みずからの攻撃だけが許される絶対的世界を創り出すこの能力に、当然デメリットがないはずがない。『生きている幻影』に存在する大きな穴とは、使用者であるアルデの命を削る点よりほかにない。一時的な霊体になることはすなわち、一時的な肉体の死を意味する。能力を使用しているあいだ、生体維持に必須な呼吸器や循環器などが機能停止してしまうのである。だから、もし使用時間が長過ぎれば、肉体に戻ったとき体力の異常な消耗を一気に感じて、多大なる苦痛をあじわうこととなり、死に至るリスクもまた到底否めない。
しかし、初めてこれと対峙した敵にそのようなデメリットなど知りえない。自分の攻撃がすべて通らないことにまず動揺し、どのような能力であるかを分析することさえ無意識に忘れる。そしてその隙をアルデに突かれて敗北を喫するのが常である。いちおうルシファーはそれなりのつわものであるため、一瞬は動揺しても、たちどころに我を取り戻してこれの対処を考える冷静さは持ち合わせていた。透明になるというシンプルな能力であるが、すぐにそれだとはわからない不透明さこそが敵をおびやかしていると言ってよいだろう。
時間はかなりかかったが、ルシファーはようやく『生きている幻影』のデメリットに気が付いた。きっかけとなったのは、手ごたえだった。自身のブレードはアルデの躰にかすりもしないのに、なぜ聖剣ラグナロクにはしっかりと当たるのか。ルシファーはこれを疑問に思い、戦いのさなかに考えた。その結果、アルデの能力のからくりについて、ひとつの仮説を立てた。「おそらくアルデは、聖剣ラグナロクの能力を用いてみずからの肉体を透明化させている」……「それから、聖剣ラグナロクまでも透明化してはいないため、自分の繰り出す斬撃を受け止めることができ、なおかつ自分に攻撃を当てることができる」――短い時間で思考がみちびきだした答え、それをルシファーはあてにせざるをえなかった。一寸の躊躇も許してはいけない。ルシファーはそれに賭けを投じ、斬りかかってきたアルデの剣を軽く受け止めたのち、その剣の柄をアルデの右手ごとがっちりと掴んだ。
「止めた」
掴んだまま、しばらく手を放さない。
「……どうした、得意げだった顔が青くなってしまっているよ」
「うっ……」
「……ふうん」
ルシファーは片手でアルデの剣を止めながら、もう片手に握っているブレードを以て、身動きのとれないアルデを突き刺した。首を狙っていたがうまく回避されたため、ブレードはアルデの肩に中り、あざやかな切創を残していった。
今度はしっかりとアルデの躰にブレードが通った。この事実に、ルシファーは思わず笑みをこぼす。
「中ったね、やっと」
「……だから?」
「どういうわけかまだ知らないけど、どうやら長い間躰を透明化させるのは無理のようだね」
生体機能停止に耐えうる範囲内の時間、およそ二十秒。霊体化できるのはたった二十秒なのである。そのためアルデは、攻撃をするときは霊体化し、限界を感じたら一旦しりぞき、そして能力を解いて肉体に戻るという、そんなヒットアンドアウェイの戦法を取るしかなくなるのだ。
「永続的にその能力を使うことは不可能。それはわかった。つぎは持続時間がどれくらいかたしかめてあげるよ」
ルシファーは不敵に笑う。
「ほら、もう一度そのうっとうしい能力を使いなよ。ボクには通用しないということを、痛いほど思い知らせてあげるさ」
そう言って、ルシファーは柄から手を放し、アルデを思いきり突き飛ばした。彼の目には勝機を見据えた、ゆるぎない明確な自信が灯っていた。今後ふたたび蝶の輝きにまどわされることは、きっとないであろう。
第二ラウンドは間もなく始まった。今回は一方的にルシファーが嬲られてはいない。互いの力を知った同等の斬り合いである。
軍鼓は依然として鳴りやまぬ。
初撃、ルシファーの一刀はアルデの腹を目掛けて、横にすべるように斬りかかる。アルデは剣を縦に構えてそれをなんとか受けきり、つぎに『ホワイト』のブレードを踏み台にして高く飛び上がり……ルシファーの頭を二度蹴ろうとするも手で薙ぎ払われ、ふせがれど進撃をとどまることを断固としてせず、即座に聖剣ラグナロクを彼の肩に、負わされた傷の報復をあたえるかのように、力強く突き刺していった。突如襲った激甚たる疼痛! 意志薄弱の者ならばここでうつぶして負けをみとめるであろうが、そう簡単にはいかぬのが『プロヴァンスの皚き幻影』。誇りを胸に、復讐の情動を頭に、親愛なる帝国臣民の想いを背にしたルシファーが、この程度でへばりつくのなら、国家を統率すること能わず。歯を食いしばって、脚にありたけの力を込めて、一時の疼痛を気力のみで吹き飛ばして――進撃するアルデの首根っこを掴む。掴んだあとアルデを岩盤へとたたきつけ、一旦その場からすばやく身を引いた。咳込みながらもアルデはさっと立ち上がり、しりぞいたルシファーのほうへと突進する。そのさま、さながらカリュドーンの猪の如し。ルシファーはその猛きいきおいに圧され、周章しつつも剣を握るアルデの腕を掴んで、うしろへと投げ飛ばそうとした。が、そのまえにアルデに顔面を頭突きされ、ひるんだ。意識混濁となって、ゆるやかに倒れていくルシファー。三秒ほど経つと、たちまち意識を取り戻し、両足をアルデの首にかける。気道のせばまるを感じて苦しむアルデは、両足をどうにかほどこうとするも、無駄であった。そのまま両足によって躰を持ち上げられて、頭から地面へと強くたたきつけられた……かとおもわれた。どうやらこの一瞬にアルデは『生きている幻影』を発動させていたようで、ダメージはゼロにおさまる。両足がほどかれたあと、アルデはすかさず反撃に転じ、ルシファーの背に鮮烈な一太刀を浴びせた。くれないの血が虚空に浮かび、くるりと舞ってはアルデの頬にかかった。一撃のみではあきたりぬのか、ルシファーにたいして大きなダメージを与えられなかったのが気に入らぬのか、今度はルシファーの心臓を狙うアルデ。だが心臓を狙うアルデの刃はルシファーに軽く手で払われた。読まれていたようであった。動きがふくざつではげしい二人の近接戦闘――アルデに中らぬように狙撃することはシータとユーフェミアにとってはあまりにも至難であった。とても支援射撃をする隙が見られず、ただ呆然とこの戦いに目をくぎ付けにするよりほかなかった。エレフも自分がへたに手を出すのはよくないと判断した。自分の存在が視界にちらつき、そのせいでアルデがルシファーに対して集中力をそそぐことができない。それに、アルデの言うとおり、自分にはもう戦えるだけのバイタルエナジーが残されていない。壊れた鉾を敵に向けたとて、軽く打ち砕かれるのが落ち。なさけないかもしれないが、ここはアルデとルシファーの戦いの行方を見届けるしかない。エレフはそう思ったのだ。
近接戦闘でアルデを対処するのがきびしいと考えたルシファーは、もう片方の手で『ホワイト』を発生させた。やがてそれは銃の形を成していき、銃口はアルデのほうへと方向を向けた。飛び道具への対策を練っていないアルデはそれに愕然とし、つい意味なく身構える。恐怖心がゆえにとった態勢であり、決して防御の態勢ではない。白く冷徹な弾丸は銃口より六発放たれ、うち二発はアルデの左腕と大腿に命中する。撃たれた痛みは、アルデの身を刻む恐怖心を払拭し、ルシファーへと立ち向かう勇気を奮い立たせた。臆していては何になる。茲で何もせぬということは、敵に命を差し出すことと同義。前に進むしかない。痛みで脚が悲鳴をあげているのにかまわず、アルデはすさまじいスピードで走り、ルシファーに斬りかかる。その狂戦士ぶりは逆にルシファーのほうが臆させ、おもわず後ずさりをさせることになった。ルシファーはアルデの攻撃をブレードで受け止めたが、直後にブレードが硝子のようにがしゃんと破れてしまった。防御しきれなかったのである。アルデの一太刀はダイレクトに胸を切り裂き、致命的とまではいかないだろうがこれからの戦闘には支障が出るほどのダメージをルシファーに与えることとなった。
(なぜ……キミはそうまで必死なんだ。なにがキミを戦いへと駆り立てるんだ。解らない)
ルシファーは、ここまでの猛攻をしかけられるアルデが腑に落ちなかった。




