第二十九話『色無きもの(中編)』
思い通りにならないのが、この作品なんです。
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スナイパーの狙撃への対応は完璧であるはず。なのに、どうしてルシファーの右胸に風穴が開いているのだろう。倒れる彼はまた一度生体探査の能力を発動させ、シータ以外にもスナイパーの存在が居るかどうかさぐってみたけれど、それでもやはり誰かが隠れているとはおもえなかった。
居場所をさとられぬように息を殺したとしても、体内で絶えず循環しているバイタル・エナジーの気配までは殺せやしない。いったいどういうからくりを使って、自分の生体探査の穴をつくことができたのか。ルシファーはそこを疑問に思ったのである。
(……殺意さえ感じられないだなんて、ありえない)
他人からのプレッシャーに人一倍敏感であるルシファーは、背後を狙うスナイプに込められた殺意をたやすく嗅ぎ取る。生半可な騙し討ちや不意打ちも、彼には通用しない。けれども、今回彼の右胸をみごとに撃ち抜いた弾丸に関しては、なぜかその例から漏れている。
右胸の出血はさほどひどくはなく、命に係わるほどの負傷とはいえない。しかし、この狙撃は、ルシファーを斃すためのものではなかったらしい。
(ボクのバイタル・エナジーが……この弾丸に吸い取られている。なるほど、ボクを殺すのではなく、ボクの力を殺して戦いを終わらそうという魂胆か)
「やっと中ったか。……俺の注文どおり、ギリギリ急所を外してくれるとはさすがはステージⅤだ」
ステージⅤ。ルシファーはエレフの口から出たそのワードを聞き逃さなかった。ステージⅤとはレジスタンスのなかでもとりわけ優秀とされる者がつどう部隊を指し、おもに王家の守護を任務としている。言わずもがな王家という存在は王権国家をささえる重要な柱の一本である。しかし、だからって王家の守護にばかり兵を割くわけにもいかない。民も王家とならぶ重要な柱であるのだが、民の安全もまた確約せねばならない。そのため、ルーシア王国はバランスよくレジスタンスの人事を整理した。ステージⅢとステージⅣの主力部隊に王都防衛の責務を与える一方で、ステージⅤという選ばれた精鋭のみが所属する部隊に王家守護の責務を与えたのである。その栄誉ある責務を受け持つステージⅤにえらばれたのは七人。その七人のうちの一人が、いまこの戦場におけるデウス・エクス・マキナの役を担っている。
「サンキューな、ユーフェミア。この一発はデカいぜ」
エレフから感謝された彼女は、氷のようにつめたい声調で、『大した事ないわ。私の弾丸も、シータさんの弾丸も』と言うと、シータは、爆発しそうなほど多量の熱を込めた異議を申し立てる。
『なんですって? わたしがいなければ、この作戦なんてはなっから成立していなかったのよ?』
『シータさんが失策などしなければ、はなっから作戦を練る必要もなかったし、そもそも東部が占拠される事さえありませんでした』
矢継ぎ早に繰り出されたこの反論に、シータはおもわず口を噤んだ。相手は帝国の総大将たるルシファーなのだから、それと戦って負けるというのは無理もない話。なのでシータに非があるわけではないとはいえ、彼女はゼフィランサス東部の防衛を遂げられなかったというのも事実。シータはその責任を重く受け止めたのである。
「んー、ちょっとユーフェミア、それは言い過ぎかもな」
『エレフ、私が何か間違っているの?』
「間違っちゃいないさ。だけどよ、その話はいまするべきなのか?」
『……』
「そういうのは後回しでもいいだろう。この状況で仲間にきびしくあたったりしたら、仲間の士気が下がっちまう。だから、なんつーか、いまは戦いのみに集中しておこうぜ」
『理解した』
「相変わらずさかしいやつだ。ありがとな」
静謐そのもの。それがユーフェミアの総たる人物評価。余計な感情をさしはさまずに仕事をこなし、しかしプライベートにおいても物静かであり、ほかのレジスタンス構成員を簡単に近づけさせない雰囲気をつねに醸し出していた。それゆえに友人らしい友人がほぼおらず、というよりは積極的に作ろうとせず、同年代だとエレフくらいとしか交流していないのだ。むかし彼女はシータがたばねるステージⅣの第五小隊に属していたのだが、戦いではシータとなんだかんだ良いコンビネーションを築けていても、普段となるとてんでだめで、戦友としてはベストかもしれないけれど、友人としては仲が良いとはとても言い難かった。シータはフレンドリーでありユーフェミアのすぐれた腕前をしっかりとみとめているのだが、ユーフェミアのほうはどうもシータのことが気に食わないようで、がんばって親しく接近してくるシータをよく追い払っていた。ユーフェミアは取っつきにくいところがあるが、冷徹だとか、厳格だとか、意外にもそういった一面は見られない。ただ、なぜかシータにはあたりがきつい。それだけの話なのだ。
「……わからないね」
ルシファーは、自身に狙撃が中ったことよりも、この戦場に存在する狙撃手が一人ではなく、二人だったという事実に戸惑いをおぼえていた。
「ボクが生体探査したかぎり、半径六百メートルの範囲内に居る狙撃手はたったの一人……であるはず」
「さあな、実体のない幽霊があんたを撃ったのかもな」
「……」
「たしかにあんたの言うとおり、あんたを撃った狙撃手は半径六百メートル範囲内には居ない。もちろん、幽霊があんたを撃ったとか、そういうオカルティックなことを言うつもりもない……話は簡単だ。あんたを撃った狙撃手は、半径千五百メートル範囲内に居る」
「千五百……だと?」
「あいつはいまこの東部には居ねえ。東南部の端から虎視眈々とあんたを狙っていたのさ」
千五百。その突飛な数字にルシファーはおもわず唾を呑む。やり手の狙撃手でも七百が限界であることが多いのに、まさかその限界を超えた二倍の数字を叩く者が居るとは。そのような狙撃手がエリートぞろいのステージⅤに属すると言われれば、だれしもが首を縦に振りたくなる。
しばらくすると、ユーフェミアがエレフに声をかけた。
「ねえ、エレフ」
「ん、なんだ、ユーフェミア」
「揚げ足を取る気はない。エレフは『戦いに集中しろ』って言ったけど、戦いなんてもう終わったも同然じゃないの?」
「どういう意味だ?」
「いかに敵のバイタル・エナジーの量が異常だったとしても、今の一発を受けてしまえば、一分と経たずにバイタル・エナジーが弾丸に吸収され、枯渇する。後は捕らえるだけ」
「……そうだな」
「こいつは敵の総大将。捕らえたら今回の防衛戦どころか、ルーシアとプロヴァンスの戦争そのものを終わらせることができる。今更警戒することなんてあるの?」
「敵の総大将だからこそ警戒せざるを得ないんだよ。ユーフェミア、理屈っぽいお前にはわからないだろうが、バイタル・エナジーは有限という常識が通用しないやつもいる」
「……この人がそんな化け物だとでも」
「注意するに越したことはないだろ……ほれ見ろ、どうやら俺たちが戦っているのは、そんな化け物らしいぞ」
エレフの言い分はただしかった。あれだけのバイタル・エナジーが抜かれていたら、通常の人間は立つことがままならなくなり、最悪昏倒して二日は目を醒まさなくなる。なのに、ルシファーの四肢はなおも自由を保っている。あまつさえ信じられないことに、彼の躰からまたあらたな”白色”のバイタル・エナジー――『ホワイト』が川流のごときいきおいで湧き起こっている。『ホワイト』はルシファーの右胸の傷になだれこみ、瞬時に損傷した細胞を組みなおしたり、うしなわれた血液を生成したりして、そうして傷口をきれいに埋めて治してゆく。危機的状況をかくもたやすく覆す『ホワイト』の能力を前にして、さすがに無表情に定評のあるユーフェミアでも愕然せざるを得なかった。
「……なにあれ。さっきの私の狙撃、意味がなかったじゃないの』
「バイタル・エナジーをすべて抜き取れば、身動きが取れなくなって捕縛しやすくなる。という常識、この人には通じなかったようだな。案の定」
「案の定って」
信じたくなかったが、やっぱあの白いバイタル・エナジーは無限に出てくるようだな。チートにもほどがあるだろうがよ、まったく)
策は潰れた。と思われたが、
「でも、大丈夫だ。いずれにしろ活路は開いた!」
逆にエレフはこれをチャンスと見立てていた。エレフは右手で握っている聖剣レーヴァテインを振るい、治癒に傾注するルシファーのほうへと走っていった。
「こいつ……(『ホワイト』の治癒能力の”ムラ”に気がついている)」
ルシファーは早くもエレフの意図を察知した。焦った彼は治癒につかっている『ホワイト』から一部だけ切り取って、攻撃用に転じて突っ込んでくるエレフにむかって放った。放たれた『ホワイト』は複数のダーツみたいな形を取り、しかもご丁寧にもエレフの急所を正確に射貫けるように飛ぶ方向を設定されている。
「おいおいおい……殺意がたけえな」
とはいえ、攻撃自体がきわめてシンプルなので、それがふせげないとなると、エレフはステージⅣかどうかがあやしくなる。彼にはそれを容易にはらいのけることが可能なのだ。
「けど、そのていどの攻撃で止まるほど、ステージⅣの俺は甘くねえぜ!」」
有言実行。エレフは放たれた多くのダーツをすべてはらいのけていった。聖剣レーヴァテインでではなく、片手だけではらのけていった。聖剣レーヴァテインにはこれまでの比ではない威力の炎が溜められている。いまレーヴァテインで対処すれば、せっかく溜めた炎が漏れ、最悪力みすぎてすべて飛んでいって台無しになるおそれがある。というかわざわざレーヴァテインを使うまでもない。苦しまぎれに出したルシファーの攻撃くらいならば、片手でも十分に対処できる。エレフは油断などしていない。彼はがさつそうな見かけによらず、微に入り細をうがつのを徹底する性格である、どういった場面でてかげんすべきか、どういった場面で本気を出すべきか、その差異をしっかりとわきまえ、見かけによらず賢明な判断を早く叩き出せるのである。
「くっ……(あれで倒せると思っているほど、ボクはうぬぼれちゃいないし、彼をあなどっちゃいない。時間を稼げればそれでいい。ほんとうの反撃はまだまだ先だ)」
ルシファーがなすべきなのは、時間稼ぎ。ここで反撃してもやられるだけ。いや、そもそもの話、彼にはまだ反撃できる力がない。
(……と、向こうはそう考えているのだろうが、そうは問屋が卸しませんよっと)
距離は縮まった。このまま行けばエレフはほとんど無防備なルシファーに一太刀を浴びせられる。
「ケリ、つけてやる」
治癒能力を持つ相手をいくら嬲ろうとただの鼬ごっこ。ここで得策となりえるのは、能力者を気絶させること。ルシファーが気絶すれば、厄介な能力を使ってくる危険がなくなり、捕縛がやりやすくなる。
レーヴァテインに溜められた爆炎を食らえば、ルシファーは桁外れの高熱のショックで気絶してくれるかもしれない。大量のバイタル・エナジーを躰に秘めるルシファーであれば、エレフの炎で焼殺されることはまぬがれられる。
(主たる目的は、ルシファーの捕縛であって、ルシファーの殺害ではない。できることならこいつをとっ捕まえて、この戦争の裏にどんな闇がひそんでいるのか突き止めてやりてえ……!)
ルシファーが治癒を終えたちょうどそのとき、レーヴァテインの刃がまっすぐに彼を目掛けて食いつこうとしていた。ここでカウンターをしてももう遅い。エレフにも、ルシファーにもそれはわかっていた。それゆえにエレフは不敵な笑みをうかべて、みずからの勝利を確信している風だった。
「……と、キミは勝利を確信しているのだろうけど、そうは問屋が卸さないんだな」
ルシファーはすばやくエレフの右腕をつかんだ。膂力での勝負であればルシファーのほうが不利。だがルシファーは力比べをする気など毛頭ない。
「いただくよ、キミの力を」
「……!? なにを」
「なにを? これからはボクがエレフ・シュバーナになるんだよ」
レーヴァテインに溜められた爆炎が、どうしてか急速に弱まって、散り散りになって、やがて純粋なバイタル・エナジーへと分解されたあと、エレフの右腕をつかむルシファーの手の脈に入り込んでいった。そして分解されたバイタル・エナジーは脈をつたっていって、最後はルシファーの心臓部にまで到達した。
「……そうか! もしかしてあんた」
ルシファーがやろうとしていることを理解したエレフの瞳は、深紅からあやしい鴇色へと変化していく。
「チートには勝てねえってわけか。三十六計逃げるに如かず……ここまでやっておいてだが、一旦退いたほうがいいかもな」
「怖気づいたのかな……?(まだどんな能力かは見せていない。なのになぜわかった、この男……)」
「逃げはダサいっていう考え方があるけどもよ、かしこい逃げはどっちかというとクールなほうなんだぜ!」
「ならばそのクールな色、ボクが受け継いであげよう」
(……この距離ならサイコ・アビリティを発動できる。逃げるまえに、のぞかせてもらうぜ、あんたの過去を!)」
エレフは生体戦闘にとくにすぐれたサイコ・トルーパー。サイコ・トルーパーは単純な戦闘能力も他とくらべて絶大なものであるが、なによりもおそろしいのはサイコ・アビリティという超能力。エレフのサイコ・アビリティは、相手の目を通して脳に侵入し、脳に収納された過去の記憶を覗くという、わかりやすく言うならサイコメトリーに近しい能力である。エレフは、ルシファーが何者であるか、なぜルーシア王国を攻めようとしたか、それらの真実を知るために、ルシファーの記憶をさぐろうとしているのだ。
「……発動」
エレフの脳内に、ルシファーが経験した過去の映像が流れはじめた。ルシファー視点の映像であるため、ルシファーの幼少のすがたなどは見れない。……本人が鏡に映るシーンがなければだが。
プロヴァンス帝国の皇帝が映った。ルシファーは皇子を自称している。すくなくともルシファーが皇帝一家とかかわりがある人間であるのはたしかであろう。にしてもこの皇帝、太陽とたとえたいくらいにかがやかしい笑い方をする。もし彼が生きていたなら、この戦争を回避することが叶っていたのかもしれない。
つぎに男のすがたが映った。プロヴァンス帝国軍の衣装をまとっているが、頭巾をかぶっているのでどういう顔かまではわからない。男はルシファーのほうへと歩いていき、疲れ切った声でこう言った。
「父さんは間違っているのに、面と向かってそう言えなかった。そのうえテロという彝倫に乖いた手段で国を変えようとした。すぐに後悔してやめたよ。後悔するくらいならはじめからやるなよって話だよね……プロヴァンス帝国をみちびくのは皇帝。ルシファー……でいいんだっけかな。もしもキミが皇子で……」
映像は、ここで途切れた。




