第二十三話『狩猟(前編)』
そろそろリアルでの執筆もがんばらないと。
『プロヴァンス戦記』第二十三話です。
かわいがってください。
悪いね。
おれが最強なのよ。
結局ね。
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腹はとうに決まっている。兄にあこがれ、剣を手にして、名誉を身に包んでからも、国に殉ずる覚悟は不変のままであった。忠節の塊そのものである彼にも心残りがある。彼にはまだ超えるべき存在がいて、まだ護るべき存在がいる。さすがに十四で死するにしては、背負うべきものが多すぎたのである。毒蛇の牙を咫尺にしたその瞬間、彼はおそれこそ持たなかったが、心はくやしさの坩堝と化していて、いずれきたる死に対してあきらかな動顛を見せていた。
しかしこのあと、彼はあまりに早すぎる死をまぬがれることができた。毒蛇の頚をつかんでその牙を止めたのは、百舌が好敵手たる鷹、すなわちヤクトであった。その場にいる誰もが気が付かぬほどのスピードで舞い降りては、猛々しくふたりがいるほうへと疾駆し、自慢の剣を振るってゲオルグのトドメの一撃の力を無に帰した。
死に対する動顛はおさまったが、エンデュリオンはこのとき、先刻聞いたばかりの言葉を脳裏にうかべた。『戦って死ぬことよりも、部下に守られて命拾いをすることのほうが、よほどの恥だ』という、ゲオルグのひややかなセリフがまざまざと、あざ嗤うかのように、彼の全身を絡げてはぷつぷつと粟肌を立たせた。実際に経験しなければ、永遠に理解できないことがある。他者に扶けられて首の皮が一枚つながる慚愧を、エンデュリオンは少しだけ理解したが同時に、よりにもよってヤクトに貸しをつくってしまうとはとはげしい悔恨にうちひしがれた。
「……!? 『ルーシアの蒼鷹』がお出ましか」
ヤクトは以前から名が通っている戦士である。エンデュリオンがロイヤルパラディンズの一員であると同様に、ヤクトも亦世界屈指の強さを持つ剣士たち、ミズガルズ八大剣客の一角とされている。エンデュリオンはまだロイヤルパラディンに就いたばかりであり、不遇にもいまだに目ぼしい活躍ができず、そのうえあまりにも強かった兄の影に埋もれてしまっている。だから、彼はまだそれほど名が知られていない。ヤクトは二年ほどまえから剣神と謳われるものに早熟の才をみとめられ、おさなくして八大剣客への加入をゆるされていると、これだけであればエンデュリオンと似たような境遇なのであるが、最大の差異となるのが功績という点である。
前述のとおり、エンデュリオンの戦績は大したものではない。実力はあるのだが、戦場でなかなかその実力を活かす機会がなかっただけである。
くらべてヤクトはレジスタンス入隊直後から早々と頭角をあらわしていた。その実力たるや、遠征の際に単騎のみで戦場を駆け抜け、二百人ばかりの敵兵をものともせずに斬り捨てるほどである。鬼神もおののく強さを惜しみなく発揮し、八面六臂の大活躍の結果、レジスタンスの窘迫した戦況を一息でくつがえしたうえに、プロヴァンス帝国軍の兵力を予想以上に削ることとなった。この現実離れにすぎる、絵巻物にて大仰に語られる英雄しか為せないような戦績により、ヤクトに『ルーシアの蒼鷹』なる異名がつき、ひどくおそれられるようになった。つまり、ヤクトはまさに生ける伝説なのである。
「ルーシアのエースと戦り合えるのは至上の光栄ではあるが、惜しむらくは私は貴様を倒せると考えるほどうぬぼれた人間ではなくてな……ここは一旦退くとしよう」
「おっと!」
ゲオルグがうしろへふりむこうとしたその瞬間、ヤクトは目に留まらぬはやさで彼のまえへと飛んで行き、逃走経路を塞いでいった。
「申し訳ないけどさ。そういうのは無しだと思うんだ。さっきまで熱気盛んだったのに、おれが出てきた途端につれないそぶりとか。冷めるんだよね。おれも仲間に入れてくんない?」
自分と相手の力量を的確に見きわめ、その歴然たる差をすなおに肯定したゲオルグは、賢明に撤退という選択肢をとってその場から去ろうとする。しかし、どの部隊よりも厄介である毒蛇部隊のトップの遁走を、ヤクトは断じて許さなかった。蟒蛇はまず頭から叩き潰さなければ、延々とやすまずに這うことをつづける。みすみすと頭をのがせば、ふたたび甚大な被害が生じるリスクがぐんと高くなる、そう考えたヤクトは、するどい目を以て執拗にゲオルグの一挙一動を観察し、あたかも獲物を狙いすます鷹のような殺気を放っていた。
「戦うだけではなく、逃げるのも一筋縄ではいかなさそうだな」
八方塞の敗北へまよい込んだとさとったゲオルグは、苦笑をうかべては、舌打ちをした。
「そうだよ。蛇というのは、往々にして鷹の猟の犠牲になるんだ。あきらめな、これも自然の摂理ってやつだ」
「いくら強者だからとはいえ、傲慢はよくないな」
「ん?」
「……下剋上を知っているか?」
「上剋下しか知らなかったもので」
「ぬかせ!」
顰蹙の買い物上手ぶりに神経を逆撫でされつづけて、とうとう鶏冠に来たゲオルグは軍刀の欛を握る力をつよめる。そうして、エンデュリオンを苦しめたブラックマンバーを発動しようとして、軍刀を地に突き刺した。
刹那もなし。
いつのまにか、ゲオルグは両肩にあざやかな刃傷を負っていた。斬られた本人であるゲオルグは痛みもおどろきもまだ感じておらず、かたわらにて侍るブリギッテも、後方で見ていたエンデュリオンも、気づいているか気づいていないかのはざまにてさまよっているような反応であった。三人が刹那に起こったできごとを感知したときは、みなそろって眼を瞠っていた。
「……これは、うっ!」
おそらく攻撃から五秒ほどが経ったのだろう。ここでゲオルグはようやく両肩の焼けるような痛みにひるんだ。
「あらら、ずいぶんと遅いのね、あんた」
余裕綽々にヤクトはゲオルグとの力の差を誇示した。
「貴様……!」
強者は、激昂の時間をあたえてくれるほど寛容ではなかった。反撃されるまえに、ヤクトの剣はすでにゲオルグの胸部をつらぬいていた。怒りの声も、痛みにくるしむ呻きもせず、ゲオルグはくやしさを抱いたまま意識をうしなって、しずかに仆れた。
「あんたは強いよ……エンデュリオンをあそこまで追いつめたんだからね……でもね」
戦士としての敬意を払ったあと、ヤクトは剽軽にこう言った。
「残念。おれのほうが強いのよ」
一敗地に塗れるゲオルグの息はまだわずかながらある。生かす理由もないし、生きていたらのちのちレジスタンスにとって脅威となりかねない。ヤクトはためらわずにトドメを刺して仕舞にしようとした――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ルーシア王国。王都ゼフィランサス東南部。土の嵐の怒り狂う場所。要請から十五分。そろそろ増援が来てもよい頃合いなのであるが、クリストフはいまだに孤軍奮闘の状況に置かれている。当たれば即死であろうヒルデガルドの『エイゼルゲン』の連続砲撃から回避するために、瓦礫の影に隠れたり、瓦礫を楯にしたりと、とにかくなるべき多くの時間をかせぐクリストフは、すでに息があがっており、眼もいよいようつろとなってきている。反撃として『グリフォンウインド』を何発か撃ち込みたいところだが、このあとの戦いのことを考えると、バイタル・エナジーをむやみに消費するのはよろしくない。期待できない反撃に力をそそぐべきでないと判断したのである。
「いいかげん飽きてきたな、逃げ惑う鼠を追いかけ回すのはストレスが溜まる。なによりバイタル・エナジーがもったいないしな」
豪快に笑っていたヒルデガルドもしびれをきらしたのか、いつになく真剣な面持ちとなっていた。
「疲れてきただろう? さっさと楽になったらどうなのだ!」
とっくに隠れ場所をつきとめているヒルデガルドは、クリストフが背にする瓦礫に向けて砲撃を放った。巨大な衝撃に飛ばされたクリストフは、強く地面に落ちてぶつかり、そのときに左手の橈骨を折る怪我をした。これにより『グリフォンウインド』をうまくあつかうのがままならず、ヒルデガルドとまったくおなじ条件で戦うのを強いられ、ますます不利となった。爆発でたちこめる砂ふぶきを利用してヒルデガルドの目を竊み、クリストフは崩れた建物の中へと一旦姿をかくした。
「……消耗戦はきびしい」
クリストフは額につめたい汗をうかべ、ずしずしと痛む左手をおさえつけてつぶやいた。
「ここまで……ですか」
力が沸きあがるけはいがない。勝機を見据えられずに意気消沈するクリストフ。
「あきらめてんじゃないわよ!」
「わっ!」
そんな彼のしおれきった精神に喝を入れたのは、ヘッドセットのスピーカーから聴こえる、音割れしたシータの怒鳴り声であった。吃驚でクリストフはおもわず飛び上がり、しばらく鼓膜に残留している耳鳴りになやまされた。
「びっくりするじゃないですか! シータさん!」
「うるさいわね!」
シータは訴えを黙殺して、いくじのないクリストフを責め立てた。
「まだ戦う力は持っているでしょ、全部出しきらずにあきらめるなんてことしないでよ!」
「……敵は人間砲台みたいなものです。腑甲斐ない話ではございますが、ボクひとりだけでは到底対処しきれません」
「スナイパー部隊の増援はまだ到着していないの?」
「は、はい」
「あの連中もなにやってんだか……こういうときに役に立ってくれないと、つくづく憎まれ役じゃない」
シータは礼に来る呆れに眩暈を起こした。すると、彼女のヘッドセットから少しだけ声がしはじめた。ノイズがまじっていて、はっきりと聞き取ることが困難であった。
「ん?」
「こちら……応答……」
「……? だれ?」
しばらく時間が経つとようやくノイズがなくなり、相手からのメッセージを受け取ることができた。
「こちらは”月”のダスクだ。”太陽”の者、応答を願う」
「……! こちらは”太陽”所属、ステージⅣの第5小隊隊長のシータよ! あんたたちいつになったらクリストフのところに着くのよ! あんたたちがおそすぎるせいでクリストフが死んじゃったじゃないの!」
『シータさん。嘘はいけませんよ、嘘は。死んでないから』
微塵もしおらしさを見せないダスクは、間を置いたあと澄ました感じの声で、「しかたがないだろう」と言った。
「しかたがない?」
「道中でメンドーな敵に絡まれたものでな、増援に駆けつけるのに遅れてしまった」
「……『メンドーな敵』? どんなやつよ?」
「そんなの、現在知るべき情報ではないだろう」
「こっちに来たり、クリストフのところに行ったりしたら厄介でしょ! 情報共有大事! 基本中の基本でしょうが! それとも”月”は半人前の戦闘員があつまる烏合の衆なのかしら?」
「わかったわかった、そう熱くなるな、メンドーなやつめ」
うんざりしたかのようにシータの言葉を悉くうちはらったあと、ダスクはシータに情報を伝達した。
「見た目は十歳ほどの少年。いかにも羸弱そうな感じだ。だが、舐めてかかってそいつと交戦した部下たちがみなやられた」
「その子ひとりに?」
「そうだ」
「でも、おかしいわ。プロヴァンス帝国軍の入隊資格は最低十五歳以上であるはずよ、私たちレジスタンスみたいな子どもが居るわけがないわ」
「……」
「この状況でまた”太陽”を嵌めようとしてるんじゃないでしょうね?」
シータがうたがいを向けると、ダスクは心外そうに声に怒気をふくめる。
「我々は見たままのことを話しているだけだ。信用したくないのなら、それでも構わん……そもそも貴様が話せとねだったのだろう。それなのになぜ俺がそのような無礼なことを言われなければならん」
「……あ、そう。というか、あんたらいつごろにクリストフのところに着くのよ」
「もうすぐだ。あと3分。クリストフという者にそうつたえておけ。戦意喪失など論外はなはだしいぞということもついでにな」
「了解したわ、さっさとしてね」
通信が終わると、シータはダスクに言われたとおりのことをクリストフにつたえた。そのころクリストフはふくざつそうに眉間をゆがめ、瓦礫に隠れて気配を殺しながら敵のようすを観察していた。
「3分……ですか」
「たいへんだとは思うけど、そのあいだてきとうに敵をあしらっててね」
「はい……!」
みじかいようで長い3分間、連続砲撃をしかけてくる強敵とずっと対峙しなければならない。そのような苦境にまだ立つことを強いられるクリストフは、冷静に思考をめぐらせ、これからの策を練るのに没頭した。
(考えるんだ。逆転へとつながる時間稼ぎさえすれば、あとで担う荷が少し減る……まずはこれまでのことを整理しよう。相手のエイゼルゲンの砲弾は破壊力が高く、そのうえ速射も可能。なのにもかかわらず、ボクのグリフォンウインドとちがってインターバルなるものが存在しない。つまりこの完全無欠に見える大量破壊兵器に、ボクひとりが立ち向かうことはすなわち自殺行為。ここまでは理解できた。しかし、弾速と威力にすべて振った反動で、なにかしらの致命的な闕所が生じている可能性も亦否めない。そう、たとえば、敵の防御面はどうだろうか。彼は命の凪を展開してグリフォンウインドの威力を削ろうとするようすを見せず、ボクのグリフォンウインドを回避しようとする動きばかり見せている。もしや、エイゼルゲンの性能にばかりバイタル・エナジーを注ぎ込んだ結果、命の凪に使用するだけの分がまったく残されていないのではないか? もとより彼は膨大なバイタル・エナジーを体内に秘めており、威力に六割のバイタル・エナジーを注いで、弾速に四割のバイタル・エナジーを注いだ結果、あのようなおそろしい、即死レベルの砲撃を放つことを可能にしたのではないか? だとすれば……やはり瞬発力が勝負の分かれ目となる!)
一分間の考察を経て、的確な戦い方をわきまえたクリストフは、間を置かずに作戦にうつり、あらかじめ右手にグリフォンウインドを撃つための力を込める。
「どうした、えらく静かじゃあないか! ひょっとしていまのでおっ死んだのかァ!?」
天地をして鳴動せしめる囂々たる声で呼びかけるヒルデガルドは、足許に転がる岩をつよく蹴飛ばしながら前へ進み、クリストフの居場所を探る。
「うーむ、ほんとうに死んだのか? ……いや、そんなことはないな、まだかすかにやつの生体反応があるな。死んだふりなど、姑息きわまりないな」
臆病風に吹かれ、すっかり真正面から攻めてこなくなったクリストフに失望したヒルデガルドは、ひどく不機嫌な顔をのぞかせ、探すことさえ億劫となっていた。
「隠れ鬼に興じる余暇はなし。嫌でも出てきてもらうぞ」
そう言い終えるやいなや、ヒルデガルドはエイゼルゲンをかかげ、視界を覆い尽くすほどの砲撃を放った。一瞬もやすまずに破壊に傾注してはや二十秒、あたり一帯はみじめな黒にまみれた焦土と化してしまった。けむりのむなしく巻き昇る道をヒルデガルドはつよく踏みしめ、もう一度クリストフのバイタル・エナジーが残っているのかをたしかめた。
「……ほんとうに死んだのか? ふん、たわいのない。風のたよりでクリストフは強いと聞いたが、どうやらガセネタだったらしいな」
殺ったという手ごたえはまるでなかった。とはいえ、いまのはげしい砲撃の雨を受け取って四肢のカタチを保っているとも思えない。どういった結末となっているのかわからぬ歯がゆさをおぼえつつも、ヒルデガルドはとにかくその場から去って、ほかの友軍のてだすけに向かおうと考えて踵を返した。
しかしそのときだった。敵を討った。もしくは、敵に反撃の意志がなく、これ以上相手にするのは時間の浪費にほかならない。そう判断したために大きな油断をしてしまったヒルデガルドのまえに、いつのまにかクリストフが待ち構えていた。何が起こったのか呑み込めずにあとずさりするヒルデガルドに対し、クリストフは生々しいすり創が目に付く右のてのひらに濃密な風を貯めて、渾身のグリフォンウインドをくりだした。ほぼ至近距離での攻撃を咄嗟に躱す神業など披露できるはずもなく、ヒルデガルドは腹に直撃を食らって致命的な傷を負うこととなった。装甲もろとも腹に風穴を開けてしまった彼は、すぐにうしろへと下がり、あたかも混乱の迷宮のなかで右往左往しているかのようであった。
「……不覚」
先刻砲撃に飛ばされ、崩れた建物の陰に身をひそめていたクリストフは、ちょうど付近にあった用水路を利用し、そこをつたってヒルデガルドの背後へとみそかに移動してきた。発しているバイタル・エナジーも極限までおさえて外に漏らさないようにしていたのだが、用水路のなかであればさらに気づかれにくくなる。
「……だが、ずいぶんと大きいな隙を見せてくれるとはありがたい」
至近距離であることが利点となるのは、むしろヒルデガルドのほうであった。
「消し炭となれ」
間近で砲撃を受ける前に、クリストフはすかさず第二撃のグリフォンウインドをくりだすも、命中しなかった。ヒルデガルドの肩の上を通り過ぎて、一直線に尾をひきながら、彼の背後にある牆壁へと突貫していった。牆壁はずしずしと音をたてながらむなしく倒壊した。
「……どこを狙っているのだ?」
あっけにとられたヒルデガルドは、おもわずエイゼルゲンの砲門を下げ、対するクリストフは息をきらしていた。
「悪あがきはもうよせ。終わりだ」
「ええ……ボクの仕事はこれで終わりです」
淡々とクリストフが台詞を吐き捨てた瞬間、突如三発ものの光の弾丸が飛んできて、確実にヒルデガルドの心臓をねらって貫いていった。




