第一話『日常は病に臥せり』
遅筆王なのですよ、ぼくは。ええ、そうですとも。みなが蛇蝎のごとくに嫌悪する遅筆王、それがしこそがぼくなのですよ。ぼく以外にはひとりたりともおりませんとも。と、卑下しているぼくがこの前書きなる場で言いたいことは、「プロヴァンス戦記 第一話です。本編スタートです。かわいがってください」
ただ、それだけのことですとも。
あまりにも残酷な暑さである。その暑さは、慍り立ちやすい人にとってはなかんずく我慢ならないものである。たとえば、今アルデの目前でおろおろ歩いている、橘色のバンダナを頭に巻いた人とかは暑さを嫌う人間の典型だ。誰よりも暑さを嫌うその人の名前はダントロ。陽炎が立つ山道を歩くのにうんざりしたのか、彼は突然叫びだした。
「ダァーーーー!! 死ねや、太陽!! あっちぃんだよ! ただでさえ険しい道を歩くのがつれぇのに、おめぇが俺の汗水を余分に奪うからもっとつらくなるじゃねえか! 舐めてんのか! 俺にこんな目に遭わせやがって、許さんぞ。俺は、いつかおめぇをぶっ潰してやるぞ、太陽!!」
身のほど知らずな彼は、頭上に居る神神しい太陽を脅迫した。灼熱の空気がただようなか、一頭の矢が刺さったイノシシを背中に担ぎながら、脅迫した。
「うるさいよ、ダントロ。耳が壊れる。ただでさえ道が険しいうえに暑苦しいのに、暑苦しく叫ばないでくれないかな?」
アルデはだらだらと汗をかきながらそう言った。
「とにかくもうそろそろで麓に着くからさ。辛抱しようよ」
「んあぁ! わぁーったよ!」
アルデたちは王都ゼフィランサス郊外の野山に狩りにでかけていた。このダントロという少年が狩りにおける重役を担っていて、彼がいなければ狩りはほとんど成り立たない。ダントロは年若くして弓の名手であり、狙った的は大抵百発百中。それゆえ、王都ではかなり名が通っている。アルデはときおり野放図に走るダントロに呆れるが、みそかに彼の腕前を慕っているのだ。
十五分後、アルデとダントロは竟にご執心の麓についた。「家に帰るまでが狩り」を常套句としている彼らは、まだ家に着いていないうちに草臥れて、一旦付近にある岩の上に座りこんで休憩した。
「くっそ! シンディのやつ。あいつだけ涼しい茅葺き小屋でごろごろしやがって。俺らが骨身惜しまずに一頭のイノシシを狩ってきたんだぞ。食料調達係の俺たちに感謝の気持ちはないのか」
「シンディもちゃんと感謝してると思うよ。自由奔放に見えて仲間思いだから、あの子」
アルデがそっとフォローを入れると、ダントロは間髪を入れずに反駁した。
「はぁ!? アルデ。おめぇ莫非忘れたわけじゃねえよな!? 仲間思いとか冗談がきついぜ。昔、三人とも財布を持ってなく、無銭飲食をしちまったときのことを思い出せ。シンディが『わたしがお金をとってくる』とか妙に責任感のある言葉を残し、俺たちを人質として置いてって家に帰ったときのことを思い出せ。六時間待っても来ないシンディに業を煮やした俺たちが、店の人と一緒に家に帰ったら、あいつ、近所の男子たちとバリケット(この世界のおける野球的なやつ)やってたんだぞ!!しかも楽しそうに!!」
「ま……まぁ。そういうこともあるよ。ははは……」
アルデは苦笑した。
「あるか! つーかあってたまるか、そういうこと! バリケットが終わったあと、俺たちにむかって『熱いゲームだったわ!』って輝かしい笑顔でほざくのが”そういうこと”で許されるか!」
「たしかに……フォローしかねる案件ではあるね」
「だろ? あいつはいっつも自分勝手なんだよ、腹立つぜ」
突如、鼓膜を麻痺させるような轟音がした。二人はそれに懾駭して身を伏せた。硝煙の匂いが付近を漂い、翠色の光が幾度も空で輝いていた。
「なんだなんだ。またプロヴァンス軍とドンパチやってんのか!?」
「みたいだね……」
「毎日うるさいったらありゃしない。耳と心臓が持たねぇぜ」
「いつ終わるんだろうね……」
ダントロはすこし黙ったあと、落ち着いた面持ちになって「アルデ」と呼んだ。
「なに」
「あのさ……いや、なんでもねぇや、すまん」
「なに? 気になるじゃんか」
「俺たちで戦争終わらせてやりたいなぁっておもったんだよ」
アルデは少し不安になった。これから兵士に志願することをおもわせる友人の言葉から、いずれやってくるであろう喪失感を察知して、卒然と危惧したのである。
「でも俺はともかく、お前じゃ無理だろうな。もやしみてぇにひ弱なお前じゃあ、剣にも盾にもなれないだろう」
「えっ!? うぅ……バカにするな!」
アルデは顔を赤くしてそう言った。
「ははは」
快活な笑い声ではあったが、どこか空っぽだった。ダントロの笑い声には、自信など微塵たりとも込められておらず、むしろかすかな恐怖がこめられているようだった。
響く銃声と爆発音。それらを気にしなくなった二人は、黙って帰り道を歩いていった。
北方に位置するルーシア王国。その首都ゼフィランサスは、800万人も居住している大都市である。
三年前、ミズガルズ歴 六三七年の四月朔日、プロヴァンス帝国は九千ものの兵を動員し、ゼフィランサスの大地を蹂躙した。帝国軍の兵の大半はVEを扱うバイタルトルーパーで、ルーシア王国の通常兵器では太刀打ちできるはずがなかった。戦闘員の犠牲者二〇十三人、民間人の犠牲者三六九人、行方不明者四十人。ルーシア王国は一時、壊滅的被害を蒙った。
牙城崩落の危機を目前としたそのとき、王国にとっての切札レジスタンスが出現した。普段は国家機密の存在であったレジスタンスは、いずれくるバイタルトルーパー軍による攻撃に備えて構成された武装組織で、たった四時間という驚異のスピードで帝国軍を撃破し、わずか一日で滅びようとしたルーシア王国を救った。
あれから三年後――ミズガルズ歴六四〇年。戦争はまだ終わっていない。レジスタンスによる防衛は依然として続いている。
「はあ! おっそいわねぇ!ボンクラ二人!」
「黙れ! アバズレ一人!何もしてねぇくせに文句言うな!」
名物、ダントロとシンディの痴話喧嘩で御座います。早速めでたく始まりました。と言わんばかりの雰囲気のなか、二人はやかましく文句の嵐を互いに浴びせた。
「まぁまぁ二人とも。ご飯できたよ。喧嘩するのは食後でいかが?」
今日の料理当番はアルデである。
嬉々として振る舞った大皿のイノシシステーキを両手に乗せたアルデに、シンディは目を輝かせながらこう言った。
「おおっ、美味しそう! アルデ、なかなかやるわね!! さすがわたしの将来のお婿さんだわ!!」
ダントロはシンディに人差し指をつきつけて、言った。
「は? アルデがお前の将来の婿だって? お前にはもったいねぇわ、猫に小判だわボケッ!!」
「はあ?わたしがアルデを婿に取ることはあんたには関係ないじゃないのっ!外野は黙りなさい!」
「関係あるわ! アルデは俺の友達だもん。友達が鬼嫁持つことを看過できるはずがあろうか? 危険だ」
「なによっ、危険って!」
隅で静かにお茶を飲みながらアルデは思った。シンディとダントロはいつか結婚するかもしれない、と。
三人の食事は、にぎやかなものであった。戦時中とはとてもおもえない平和な風景であった。アルデはこの風景をむなしいものと感じざるを得なかった。もし、プロヴァンス帝国がふたたび王都に大侵攻を仕掛けてきたら、もう二度とこの風景を見られなくなるかもしれない。アルデはそう感じたのである。
食事中、アルデは忽然と立ち上がり、自分の部屋に戻ろうとした。これを不審に思ったダントロは「ん? お前どこいくんだ?」と尋ねた。アルデは屈託のない微笑で「うん。ちょっとお腹いっぱいになったから、部屋に戻って休みたいと思って」と答えた。
「ふうん」
ダントロはこれ以上追求することをやめ、再びスプーンを動かした。
部屋に戻ったアルデは、額を流れる冷や汗を拭い去りながら、箪笥の抽屉をゆっくりと開けた。なかには、あきらかに普通のものとは考えられない奇妙な剣が置かれてあった。しかり。昨日アルデが鉱山で発掘していた際に見つけた剣である。やけに広い空間だなといぶかしんで進んだ鉱山の奥には、この剣が地面にある水晶につき刺さっていた。不思議がったアルデは剣に近づき、これを手に取ってみると、存外簡単に抜けてしまった。
――いけないものを抜いてしまったかもしれない。
アルデはそう不安におもった。
最初は王国の騎士の忘れものかとアルデは推測した。しかし、彼はこの剣を佩した騎士を見たことがない。この剣が武器屋に陳列されているところさえ見たことがない。ならばこの剣はいったいなんなのだろう。疑念を抱きはじめたちょうどその時に、アルデは、虎視眈眈と剣を狙っていたプロヴァンス帝国軍の襲撃に遭ったのである。
そしてその帝国軍の兵士をものともせずに斃した少女兵も、アルデにとっては気がかりであった。着ている軍服から、彼女はレジスタンスの一員であることが理解できたけれど、なぜレジスタンスの人間が鉱山にいたのかまでは、アルデには理解できなかった。少なくとも、レジスタンスの人間が鉱山にいたことは偶然ではおそらくありえない。用もないのに鉱山に立ち入ることは到底考えにくい。だからアルデは推測した。帝国軍はこの剣が目的だった。少女兵はその目的を看破した上で鉱山に居て、帝国軍を撃破した。ということではないか? だとしたら筋が通っている。もしもこの推測が正しければ、この剣はいわくつきのしろものであると断定できる。
――レジスタンスの本部に赴くか否か。その選択肢がアルデの胸膈に泛かんだ。
(そうだ。この剣を持っていればきっとまた襲われる。無関係であるダントロとシンディが巻き込まれるのは厭だ。レジスタンスに保護を求めるべきではなかろうか。そうだ、そうしよう)
そう判断したアルデは、慌てて箪笥の中に隠しつづけていた剣を取り出して、家の外へ飛び出して、レジスタンスの基地へと向かった。
三人の住む茅葺きの小屋が段々と遠ざかっていく。目的地へ走れば走るほど、遠ざかっていく。この当たり前なことが、アルデにとっては苦痛でしかならなかった。やがて目的地にたどりつけば、いままでの日常がうたかたのごとくに潰えてしまうに相違ない。それが、苦痛だったのだ。
道中に、人影がひゅっと飛び出てきた。
見覚えのある影だった。というか、昨日見たばかりの影であった。
「やっほい。どこかお出かけ?」
昨日鉱山でアルデを助けた、くだんの少女兵であった。風と共に現れた彼女は、爽やかにほころび、アルデの前に立った。その唐突な登場に驚いたアルデは、二三歩あとずさりをした。
「あ、あたしルシアというの、よろしくぅ」
アルデはまだ呆然としている。
「随分とびっくりしてるねぇ、少年」
少年とのたまっているけれど、ルシアもアルデとはそう変わらない年である。
「なんですか?」
「いや。君が今持ってるその聖剣のことが用事でさ」
「やっぱり......」
「およ? やっぱりってことは、あたしがここに来た目的を理解しているってことだよな?なら話がはやい! 一緒に来てくれない?」
「え、うん」
一息をついたアルデは、肩から力を抜いて、ゆっくりと彼女の方へと歩み寄る。
「まぁ、死体となってから来てもらいたいかな」
「はいっ!?」
不意をついてきたかのような恐怖を感じたアルデは、また二三歩あとずさりをした。
「冗談だよ冗談。真に受けないでよ。もしガチで言ってるんだったらあのとき助けてないし、とっくに殺してたかもでしょ?」
少女は明朗にウインクしてそう言っていたが、実に洒落になっていない。緊迫しているこの時にそう言われると、神経が糸のごとくに細くなってしまう。嫌な脅しをかけてくる彼女に、アルデはとりとめのない嫌悪をおぼえた。
「君、名前は?」
ルシアが尋ねると
「アルデ。アルデ・バランス」
アルデは拗ねた口調で答えた。
「そっか。アルデね。あたしはルシア。レジスタンスだよ。驚いたか?」
それに関しては言われなくてもアルデは解りきっていた。むろん冗談ではないということさえも解りきっていた。軍服を見れば素性はバレバレである。もし解らなかったら所属を示す軍服に意味がなく、ただのコスプレ衣装として認識される。
「それで、この剣はいったい何なの?」
「それは禁則事項だ。民間人には漏らせないね」
「え……」
「当然でしょ?君は軍とは全くの無関係だし、あまつさえ子供だ。そんな君に教えていいことだとでも?」
その発言はアルデにとって怒りのトリガーとなった。
苛立ったアルデは、ついに激情に走ってこう言った。
「子供は君も同じことじゃん! てかちがう! まずぼくは無関係なんかじゃない。発見者にして被害者だ!」
「はいはい。精神苦痛の賠償の責任とかはちゃんと受け持つから安心していいよ」
首を横に振りながら言うルシア。まるで聞き分けのない子供をあやしているかのような口ぶりであった。
「そんな軽々しく……! ぼくが地面に刺さっているのを見つけて抜いたら、帝国軍の兵士に襲われたんだ。話くらい聞いてくれても……」
「ちょい待ち! ……今なんて?」
この瞬間、ルシアは打って変わって深刻な面持ちとなった。まるで幽霊を間近で、はっきりと見てしまったかのような驚愕の表情であった。
「え……兵士に襲われたって言ったんだけど」
「ちがうちがう。その前」
「剣を見つけて、抜いたんだけど……」
「……なおさら来てもらわないといけなくなったね」
どういうことだろう。
アルデが剣を抜いたことが、ルシアの態度を急変させるほど重大なのだろうか。獲物を睨みつける猫のようにするどい彼女の目つきに、アルデは冷ややかなものを感じ取った。
しばらくして、ルシアの目つきがふたたびおだやかなもの変わった。
「そうか。君は選召者だったんだねえ……わかったよ。話を聞いてあげる」
「え?」
「……あたしについてきて」
だしぬけであるルシアの手のひらがえしに対して、アルデはあっけをとられた。なぜ急に自分の話を聞く気になったのかがわからなかった。だが何にせよ、一応話を聞いてくれるらしいので、アルデはルシアについていくことを決めた。
ルシアは、少女というよりむしろ少年のようだった。アーモンド状の睛の色はエメラルドグリーン。金糸のように煌くブロンドの髪が、戦闘では邪魔であるからかきちんと束ねている。白を基調とし、オレンジ色のラインが入った軍服。袖も裾も短く、肌を少々露出させている。軍服の胸部には、太陽だろうか。それを象ったマークが刻まれていて、腕にはレジスタンスの印章がついている。
特に気になるところはない、といったら嘘になる。
アルデは、ルシアの頭に深々とかぶっている桔梗色の猫の形をした帽子に目を離さなかった。というか、あれは果たして猫でよいのか? 狐にも見えなくはない。アルデはどうしても気になったので、彼女にその帽子について訊いてみることにした。
「ルシア」
「んー?」
「さっきからずっと思っていたんだけど」
「んー?」
「その帽子はなに?」
「んー……」
「……好きな食べものは?」
「んー」
「……」
(んーとしか言わない。なんだろうか。ンー星からやってきた姫かなにかだろうか)
真面目に話を聞く気があるのか甚だしく疑わしいルシアに、アルデはもどかしくおもった。柔和なはずのアルデはしだいに憤怒を顔に湛えはじめた。
「あのさ。舐めてるの? ルシア」
「んー」
「舐めてるのか!!」
「…んーくぉ」
「え?」
「にゃんこ!って言ってるでしょ!」
「にゃんこ? ああ、帽子のデザインが?」
やはり猫だった。
「そうだよ、耳が悪いなぁ、君は」
「……」
(なんか腹たつなあ……)
アルデは心の中でそう思ったが、口に出さないようにした。
もうとっくに日は暮れて、あたりが闇に呑まれているから見えなかったが、目を凝らしてじっと見てみると、彼女は何か口に咥えていた。
「ん、なんか食べてる?」
「うん。アメちゃんだよ。いる?」
「いや、いらない」
なるほど。口に何かを含ませているから、あんな適当のような返事をしたのか。と、アルデは納得した。
「今、巷で流行のアメーバ味アメだよ」
どうやらこの娘の味蕾は重症どころか瀕死状態になっているらしかった。アルデは別にそのアメを食べたいとは思っていないが、どんな味なのだろうと興味をそそられていた。それより彼女は巷で流行っていると大法螺を吹いていたが、もしそれがほんとうであれば、世間の人々の舌はアルマゲドン状態ではないか。
「流行っているのか。はあ……」
「そうそう。今一部の地域では静かなブームだとか」
「それはもはや流行っていないのでは……? まあ、それはとにかく、ルシアさ」
「なぁに?」
「さっき選召者と言ってたけど、それってなんなの?」
「……んー、もう秘密にする必要もないし、言っちゃうか」
アメをしゃぶり尽くしたルシアは、残った棒をそこらの草叢に捨てた。
「……」
(……ポイ捨てした)
「選召者というのは、簡潔に言えば、聖剣に選ばれたやつのことさ」
「聖剣に?......ということは、ぼくはこの剣に選ばれたの?」
「そゆこと」
「でも、なんで、よりにもよってこんな懦弱なぼくが」
「さあ、それは知らない。陳腐でありきたりなことで言っちゃえば――運命、だからじゃない?」
彼女は、そう言った。