第十二話『アマリアの意志を継ぐもの』
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歩調はつねにひとつ。しかしいまではそうではなく、つねにほかの者の歩調と重なってふたつとなってしまっている。跫音が二重に聞こえる。気配を感じないときはない。ふりかえればそこには、いつだって彼がいた。
「……いつまでぼくにつきまとうつもりなんだよ!」
堰を切ったかのようにアルデは言った。
昼過ぎ、レジスタンス基地内。起床から朝食、そしてこれからアビストメイルへの謁見に臨まんとするときまで、ディオークはずっとアルデのうしろにいる。アルデが歩けばディオークも歩く。アルデが食べればディオークも食べる。まるで運命共同体といわんばかりに、彼はアルデに張り付くようについていた。
普段は物腰が柔らかく、理不尽がない限り、めったに人に怒鳴ることがないことに定評があるあのアルデが、めずらしく怒鳴った。彼の怒りのトリガーとなったのは、先日アルデの従順な家臣となったばかりのディオークである。
「寔に畏れながらアルデ様。いつふたたびプロヴァンス帝国、あるいは”月”の刺客が貴方様の命を狙いに来るかわかりませぬゆえ、念のため、僕が貴方様の護衛に……」
「つかなくていい! というか、百歩譲って護衛につくまではよしとしても、ぼくの起床、着替え、食事から……トイレにいたるまで、全部面倒を見ることはないじゃんか! 介護士か、君は!」
茹で蛸みたいに顔を赧めながらアルデは言った。その不服にディオークはいささか心外だったようで、顔をしかめて、「介護士ではありません、家臣です。家臣たるもの、主君に侍り、そのご身命を守るのが務め。当然のことです」とほこらしげに返した。
「そもそも、ぼくがきみの主君とやらに成ったおぼえがないんだけど……」
ため息をつくアルデ。彼が迷惑がっているのが伝わったディオークは妙なむなしさに襲われ、ふくざつそうな面持ちとなった。
「「アルデ様のことが心配で、気が気でないのです......わかってくださりませぬか、僕の気持ち」
「いや、それただの杞憂だよね、杞憂を霽らしたいがための自己満足だよね」
「自己満足だなどとんでもない! お言葉ですがアルデ様、僕は貴方様のためとあらば、命を擲つ覚悟さえあるのですよ!もし私が主君である貴方様の意志に背くようなことをしてしまったとしましょう。しからば、しからば……」
すると彼はまたたく間に白装束に着替え、短刀を持って将に己の脇腹を割かんとしていた。
「わが腹に、赤き血の花を咲かせてみせましょうぞ!!」
「ぼくの命を大切にする前に、自分自身の命を大切にしたらどうなの!?」
「おお!アルデ様!またも僕の身を気遣ってくださるのですか!ああ、やはり貴方様こそ人の亀鑑、貴方様に仕えることができるディオークは、しあわせものであります!」
「もういいや、それで」
執拗に崇敬の感情を押し付けてくるディオークにほとほと呆れたディオークは、言葉を返すことを諦念した。先日の彼のするどい目つきが、きらきらとした純朴な目へと一転していることに、アルデはいまだおどろきを隠せずにいた。しかしその目にはつめたい絶望ではなく、生き生きとした希望が宿っているのも事実で、それにアルデは一種のやすらぎをも悟った。
偶然通りすがり、このふたりの仲睦まじい場面を目の当たりにしたエレフは、飄々として近づいてきて、「やあ、ずいぶんと打ち解けているみたいじゃないか」とにこやかに言った。そのすぐそばには似合わない仏頂面をしたルシアも居た。何か思うところがある彼女を見たエレフは、「ルシア、お前の小隊愉快になるな」と話を振った。
「あたしは……」
正直、彼女はディオークの加入を歓迎するほどの寛容さを持ち得ていなかった。しかし、アルデがディオークを受け容れ、ディオークがアルデを受け容れている以上、わがままを言って彼の加入に拒絶の意志を示すわけにはいかない。だからこそ、どのような言葉を選んで口にするかに迷ったのである・
「……ルシア。お前の気持ちもわからなくもねえよ。だが、もうディオークは”月”じゃねえ、俺たち”太陽”の光に照らされた仲間だ。あまりつめたくしてやるなよ」
「……わかってるよ、エレフさん」
あからさまなルシアの不服が気に障ったようで、ディオークは目角を釣り上げ、そっぽをむきながら吐き捨てるように言った。
「いっそ正直に言ったらどうだ。『気に食わない』と。そうやって気を遣って黙られるほうがかえって腹が立つ」
毒づかれたことをきっかけに、ルシアはひそかにためていた不満を一気に爆散させた。
「えらそうに。だったら言ってあげるよ! あたしはこれからあんたと手を組んでたたかうなんて御免だね。事情があったとはいえ、”月”に籍を置いていたやつなんか信用できない」
「……」
「おいおい、ルシア。そいつぁ言い過ぎだ。ディオークは心底からアルデを信じ、アルデに尽くそうとしている。……おまえが”月”を恨む気持ちはわかるが、本気で協力してくれるやつにその態度は筋違いってもんじゃねえのか?」
さきほどの陽気な雰囲気から一変、毅然としてエレフはルシアの悪態を窘めた。たしかにディオークが余計なことを口にしたことがそもそも可けないのだが、その安い挑発に簡単に乗ったルシアにも半點の非はある。それにルシアは自覚したうえで反省し、胸の裡で燃え盛っていた火に水をかけた。いざこざは防がれたが、緊迫は一向に解かれずむしろあたりにずっとただよっている。
エレフはその緊迫を吹き飛ばすような咳ばらいをした。
「さて、書類はもう全部上層部に提出しておいた。今日からアルデ、ルシア、ディオーク……おまえたちはこれからステージⅢの小隊を組み、王都ゼフィランサスの防衛任務に就く。だから……」
ルシアは左をむき、ディオークは右をむく。二人のあいだに立つアルデはどちらにも目をむけずにたじろいでいた。
「だから……仲良くしろよ、まじで……」
エレフは大きなため息をついた。
気まずくなったアルデは、ひとつ話題を思いつき、この不穏な空気を掻き消そうとした。
「あ、そのエレフさん」
「ん、なんだ」
「レジスタンスの隊服は、白を基調とし、オレンジのラインが入ってるのはわかってるんですが」
「ああ」
「ぼくのだけ、なぜオレンジではなく赤なのですか?」
「……」
「ディオークは”月”に居たから、隊服のラインが薄紫であるのは把握しましたが、ぼくがこのふたりと違って赤なのは、何か理由でもあるんですか?」
「……むかしのレジスタンスは、いまみたいに”太陽”と”月”に分裂していない一つの組織でな。その隊服はそのころのものなんだ」
「へえ」
「そしてその隊服はアビストメイル王子からのプレゼントだ」
「プレゼント?」
「その隊服はだな、今や亡きアビストメイル王子の兄、アマリア王子が着用していたものだ」
驚愕せずにはいられなかった。なぜ一平民である自分に、王族がまとっていた衣装が与えられたのか、アルデには理解できなかった。そして彼は心なしか躰に妙なむずむずとした落ち着かなさを感じ取った。
「なぜそのようなものをぼくに」
「アマリア殿下は文に穎れ、武にも亦穎れ、英雄ルーシスの再来と称されるほどのお方だ。英雄ルーシスの血を継ぎ、ラグナロクの選召者であるお前には、アマリア殿下の隊服を着る権利がある。アビストメイル殿下はそう言っていたよ」
「……」
「つまりおまえは、レジスタンスでもなかんずく期待されているってこった。光栄に思いながらがんばれよ」
「ぼくにばかり責任を押し付けてもらっても困ります!」
いきおいよくアルデは不服の声をあげた。
「ぼくの躰と心では、この国のすべてを背負うにはあまりにも矮小です」
「……躰はともかく、殿下と俺たちはおまえの心のほうを高く買ってるんだぜ? 或る日忽然聖剣を手にしたことをきっかけに戦うことをもとめられ、ノーと言わずにこれを引き受けたんだ。それだけの意志があればきっと大丈夫さ」
「……」
「人々をみちびくことができる者のみが聖剣に選召される。言いたかないが、おまえは選召された時点で、人々をみちびく責務が押し付けられているも同然だ。もちろんおまえとおなじ選召者である俺やルシアもな。だが、これだけは肝に銘じておけ」
エレフは言った。
「おまえは独りじゃねえ。たしかにこの国をみちびく責任があるのは選召者だが、その選召者を援ける責任があるのは仲間だ。国の命運を背負うのは、国に住まうすべての人間なんだ。戦う責任ならばみな平等だぜ」
そして彼はアルデの頭をやさしく撫でたが、それをわずらわしくおもったのか、たちまちその手を振り払った。
「選召されたということは、ぼくにはそれだけの力がある。だからぼくは戦う。でもエレフさん、甘ったれたことかもしれませんけど」
「プレッシャーに耐えられないってか。わかるぜ、その気持ち。なんせ俺だってかつてはそうだったからな」
「……」
「俺はレジスタンスで最初に出た選召者だ。みんなをみちびけるのは、俺しかいなかった。あのころ自分にかかっていた重圧の余韻は、まだ残っているよ」
剽軽な自信は息をひそめ、熱のひいた声でエレフはそう言い、腰に携えてある自身の聖剣に手を当てた。アルデは後ろ暗い気持ちとなり、みずからの利己心に気がつき、うつむいた。選召者はアルデ一人だけというわけでもなければ、この世界で戦っている勇士も断じてアルデ一人だけというわけでもない。戦いをおそれ、みなをみちびく責務をおそれる、これはすなわち、自身を信頼する人々をないがしろにし、戦うことを誓った自分を貶めることである。なんと脆弱だろう。先日アビストメイルに向かって堂々と見せつけた意志は伊達の強さで、中身はまったくの空虚だったのか。エレフとアビストメイルに強い意志を持っていると言われたが、ほんとうはそこまで大層れてはいない。アルデはそう思い、みなを騙くらかした罪悪感に身を浸し、刃を胸の奥底までふかく刺すように、恥じた。
「選召者の責務。これを恐怖することまで恥じるこたぁねえぜ。戦士たるもの、恐怖を持つことは肝心だ。ただ、恐怖を乗り越えるのは、もっと肝心だぜ。それに」
「それに?」
「アビストメイル殿下の先見の明はあなどれねえぜ。あのお方がアマリア殿下の隊服をおまえに渡したってことは、おまえがアマリア王子を継げる唯一の人間ってことは確定なんだ。自信を持っていいぜ」
「……アビストメイル殿下を信じます」
「おめえなら大丈夫さ、なにもかもな」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「アマリアの意志を継ぐもの?」
青みがかった銀髪を特徴とした少年は、不機嫌そうにそう言ったあと、「お言葉ですがアビストメイル殿下。アマリア様の代替など、未来永劫何者にも務まりやしません!」とマントを翻し、アビストメイルに喝破した。声量ももちろんのこと、その真に迫る彼の血相にひるんだほかの構成員は、ついよそを向き、彼の顔を直視しないようにした。
「君は我が兄、アマリアの一番弟子だったからね。君の気持ちは容易に察せられる。だが私情で私の判断を否定してもらっては困る」
「ラグナロク。なるほど。その聖剣に選召されたらば、さぞかしすばらしい素質を持ち合わせているのでしょう、そのアルデという少年は。こればかりは残念ながら、狷介なるオレでも認めざるを得ません」
「自身が狷介という自覚があったんだな、お前は」
となりに立つ金髪の少年はイヤミな笑みを浮かべてそう言った。
「貴様は黙れ、ヤクト」
「……おいおい。おれは一応お前より歳とランクが一個上なんだが」
「知ったことか」
「舐められてんな……悲しいけど、いっか、べつに」
「ラグナロクに選召されるべきはアマリア様のはずだった。それをあの小僧が……しかも訓練と試験無しでステージⅢの小隊を結成とは、生意気な」
「私情爆発だな。総監の決定なんだぞ。さからってもしゃあねえだろ」
「二度も言わせるな。貴様は黙れ」
「……へいへい」
戸惑うアビストメイルは、「じゃあ、どうすれば君はアルデくんを認めるんだい?」と問うた。
「そいつがオレに勝てば認めます」
「ほう。ずいぶんと簡単な条件だね」
アビストメイルのその一言がそうとう癇に障ったらしく、少年は怒りを通り越して低い笑声をこぼした。
「簡単……ですか。……ヤクトよ、聞いたか。どうやら舐められているのはオレらしい」
「ふーん。総監。アルデってやつはそこまでデキるのか」
ヤクトは、俄然アルデに興味を惹かれはじめた。
「私が見るかぎり、レジスタンスでなかんずくバイタル・トルーパーとしての資質が高い。戦闘経験を積めばトップクラスの腕となるだろう。いまヤキモチを焼いている君の相棒に匹敵する強さだよ」
「そいつはおっかないね」
「まあ、それでもまだ、君には到底およばないようだけどね」
「……あらら」
ヤクト・ヴィオンは、ルーシア屈指の貴族、ヴィオン家の養子である。ひとたび彼が剣を振れば、その疾ささながら飛燕のごとく、厖大なる窟壁でさえたやすく万顆のさざれ石へと変える。抜きん出た数々の好敵手をうならせる手腕。それゆえに、彼はとうとう齢纔か十四にして、ミズガルズ八大剣豪の一角たる『剣王』の座を襲名した。レジスタンスに籍を置くすべての剣士は、ほかの剣士と切磋琢磨し、たがいに勝負を挑むことはしばしばあれど、ヤクトにだけは勝負を挑んではいけないという暗黙の戒飭はわきまえている。ヤクトと互角に渡り合えるのはかなり限られており、たとえば、エレフや、アルデのことが気に入らないこの少年は、ためらわずにヤクトに模擬戦を申し込み、それどころか勝ちにいこうと気合を入れていた。だが、この二人をしても、ヤクト相手に大金星をあげることはめずらしい。レジスタンス防衛部隊の事実上のトップ、ステージⅣのランク1の肩書きはお飾りではないということである。
「一つ聞くが、もしアルデが敗けたら、アルデはどうするんだい?」
「……アルデとやらの意志の如何にもよりますが、聖剣だけおいておとなしく平民の日々に戻っていただきます」
「良いだろう」
即答だった。さすがの彼も、アビストメイルがやすやすと自分の提示した条件を呑むことを怪訝に思ったらしく、「よろしいのですか? 貴方様はレジスタンスの総監にして、この国の王子。オレのような取るに足りぬ一兵卒の意見を真に受けず、却下しても問題ないのですよ」と言った。
「これは却下も同然の返答さ。ヤクトならともかく、君では勝てない。そう確信してるから、君とアルデの模擬戦を許可しているのだよ」
「なんですって」
少年は青筋を立てた。
「いちおうオレはヤクトに次ぐ剣士です。付け焼き刃は、練磨された騎士の剣に勝ることはありえない」
「自信満々なのはいいことだ。では、模擬戦は明日の午後に指定しておくよ。どのような結果になるか、愉しみだよ……エンデュリオン・マクスウェルくん」
「……はい」
エンデュリオンは慎ましく会釈した。




