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プロヴァンス戦記  作者: 雪臣 淑埜/四月一日六花
scene 02『諸人の想いの交差する時』
13/42

第十一話『二本差し』

毎日投稿なんてしている作家さんの気が知れません。そんなことを考えているぼくは怠惰かも知れません。好きでも嫌いでもないレスラーはスタン・ハンセン。


そんなぼくです。

プロヴァンス戦記第十一話です。二桁いきました。かわいがってください。

 「あの日から僕は『忠臣(ちゅうしん)の剣』を手放した。そしてあの日から僕の『護衛の刀』は折れ、二度と使わなくなった」――無明(むみょう)の闇に囲まれるなか、ディオークはニル・アドミラリの領域に儃徊(せんかい)し、淡々かつ坦々(たんたん)としてそう独白した。まざまざとよみがえる悪夢の嚆矢(こうし)。遠ざかって見えなくなったレーゾンデートル。むかしディオークは(あずま)という辺境(へんきょう)の島国に、サムライという人種がいることを知った。いちおうプロヴァンス帝国には騎士(ナイト)という似た感じの人種はいるけれど、サムライと較べて命の懸け方がまるで違う次元であった。主君より御恩(ごおん)(うけたまわ)れば、みずからの命を()して奉公(ほうこう)する。何があれ奉公しきれなければ腹を切って()びる。その高潔さにディオークは惹かれ、いつの日にか自分もサムライのようになりたいという、若々しい希望を抱くまでとなったのである。

 ディオークはプロヴァンス帝国の名門貴族・ドラクロア家の一人息子であった。本来ならば交友や経済などといった境遇にめぐまれながら、そのままエリートの一途いっとをたどってゆくはずだったが、とある短兵急たんぺいきゅう惨劇(さんげき)に遭遇したことで轗軻(かんか)の底へと転落してしまった。彼には、父親、母親、兄弟から屋敷の使用人に至るまで、彼と関わるものをすべて殺された過去があるのだ。五歳の幼児には、精神をえぐるほどに深刻な出来事であった。ディオークだけが生き残ったことは僥倖(ぎょうこう)であるが、視点を変えればそれは殺されるよりもずっと不幸なことであるかもしれない。たいせつな人たちをうしなった悲しさ、ひとり取り残されたさびしさ、一晩でおちぶれたせつなさ、これらの重圧が一気にディオークの()にのしかかったつらさは、他人にはそう簡単に呑み込めるはずがない。何せとうの本人ですら、これを呑み込むことに数日くらいかかったのだから。

 ドラクロア家は、人々から怨恨を買うような貴族ではなかった。むしろ慈善事業にはきわめて積極的であり、貴族らしからぬ(ぞく)っぽさをも(あわ)せ持つところが民衆に愛されていた。殺されるのであれば、弱者を搾取(さくしゅ)して私腹(しふく)()やす貴族たちであるはずなのに、なぜドラクロア家が鏖殺(おうさつ)されたか。この事件は大衆を震撼させ、悲嘆させ、そしてさまざまな憶測が生まれ交錯(こうさく)してゆくなか、現在においても真相の判明が願われているが……依然(いぜん)として(やぶ)の中である。

 やんごとなき身分から、引き取り手のいないみすぼらしい孤児へ堕ちたディオーク。大衆は心を以て彼をあわれめど、だれひとりとして彼に拯救(すくい)の手をさしのべようとしなかった。当時はアーカディア帝国との戦争で経済の雲行きがあやしくなっていて、臣民の神経は非常に尖って子をやしなう余裕がなかったから、偽善とそしるのも酷である。

 虚無(きょむ)(ふち)にさまよっていたディオークを(たす)けたのが、プロヴァンス帝国の皇子、メディウスである。ドラクロア家で起こった惨劇を耳にした彼は、すぐさま(つかい)いの者を通してディオークを城へ(まね)き、ディオークを自分の小姓として引き入れる決断をした。この決断に皇族と強いつながりを持つ公爵(こうしゃく)らからは反発されたが、平生(へいぜい)穏和な態度を崩さなかったメディウスはこの時に限って意志が牢固(ろうこ)で、反発を(ことごと)黙殺(もくさつ)して相手にしなかった。皇帝もこの件に関しては難渋(なんじゅう)していて、メディウスがディオークを小姓にする申し入れを最初は(がえん)じなかったが、あまりにも切実かつ執拗(しつよう)な懇願を受けて参ったので、致し方なくこれを承認することとした。以前よりドラクロア家は民衆にかたむく異端な貴族で、ほかの貴族とは屡々(しばしば)衝突していた。そのため、ドラクロア家の子息をメディウスがあずかることは、ドラクロア家より(ほか)の大多数の貴族の不信感を(つの)らせ、やがて皇族の権威の失墜(しっつい)にむすびかねない。この皇族の権威を懸念したがゆえに、皇帝は最初メディウスの申し入れを一旦断ったのである。

 だからこそ、ディオークはメディウスに恩を感じられずにはいられなかったのだ。それから、彼にとっては、憧憬(しょうけい)の対象であるサムライにも()れるチャンスでもあった。ついに、彼は仕えるべき主君を得たのである。みずからの心身をとこしえに主君たるメディウスに捧げる覚悟を持った。小姓として引き入れられた日から、彼は過保護というくらいにメディウスに身辺を護衛し、生活の世話に骨身を削りはじめた。ドラクロア家が健在のころは温室育ちで(からだ)がなまっていたゆえ、小姓の仕事は不慣れであったが、強い忠誠心の(こう)あってたちまちこなしてゆくようになっていった。

 「メディウス様は、なにゆえ僕を?」

 或る日、ディオークは自分を救ってくれた理由について訊きたくなった。

 「……君が家族をうしなったのは、()()()()()()だからだよ。同情……とはちがうかもしれない。私が君を援けたのは罪滅ぼしのためかもしれない」

 「罪滅ぼし……?」

 「ディオークくん、この国は……いや、この世界には異変が起きている。アーカディア帝国と同様に、プロヴァンス帝国も何らかの『歪み』に支配されている。君は、その『歪み』の犠牲となったんだよ」

 「ゆがみ……」

 「その『歪み』が生まれたきっかけを作ったのは、私たちの世代だ。そしてその責任をとるのも私たちの世代。だから私は君を援けたんだ」

 このとき、ディオークにはメディウスの言っていることを理解しきれなかった。年齢弱冠五歳、あまり世間を知らないディオークには度しがたい、曖昧な返答であった。ただ、その意味深長な返答はふしぎにも、ディオークの記憶に深く刻まれていた。あれから五年を経たいま、ようやくディオークはメディウスの言葉の意味を理解できるようになった。母国を攻めてきたアーカディア帝国、政治的に不安定なプロヴァンス帝国、そして、この両国の戦争に裏で一枚噛んでいる疑いのあるルーシア王国も、きっとその『歪み』とやらの波に呑み込まれているのだ。そのようにも思った。 

 過去の重力にばかり引かれて、未来へと一歩を踏み出せないディオークのあとを押す役目は、いまや死したメディウスには為せない。メディウスの代わりとなるのは、果たしてだれか。それがわかるのはそう遠くない未来。

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ルーシア王国軍病院。病棟のソファに座るアルデは、神妙な顔でディオークが目を覚ますのを待っている。そんなアルデのほうへと、ルシアは歩み寄る。

 「あ、その、アルデ」

 気まずそうな感じで、ルシアは話しかけた。

 「ルシア……」

 「災難だったな。で、お前を殺ろうとしたやつは……」

 「まだ眠ってるよ。傷はほとんど治っているし、じきに目が覚めるってシータさんが言ってた」

 「……もしかしてお前、寝てないのか?」

 「うん」

 「ディオークだっけ。あいつの過去は上からの調書で知ったけど、なんでそこまで敵に同情するの。これを言ってしまうとひどいかもしれないけど、悲惨な目に遭った人間なんて、この世にありふれている。いちいち同情していたらきりがなさすぎてノイローゼになるぞ」

 「わかってる。でもぼくは」

 アルデは言った。

 「自分の力で助けられるものは、助けていく。できる限りのことをしないよりはいいと思っている」

 「そっか」

 「……一つ、訊きたいことがあるんだけどさ」

 「なに?」

 「ディオークは、どうなるの?」

 「……”太陽”と”月”は基本相互不干渉。国王の命令がなければ共闘することもない。今回のディオークの密偵活動と暗殺未遂は”月”の独断によるもので、相互不干渉の規定に思いっきり(そむ)いている」

 「”月”は何らかの処罰を受けるってこと?」

 「……どうかな。処罰を受けるのはディオークだけだろうね」

 「末端の兵にだけ責任を負わせるなんて、そんな」

 「上の連中はなんでか”月”を庇護(ひご)する。たとえ”月”が問題を起こそうとそれを()み消してしまう。だけど今回の一件を無かったことにもできない」

 「責任をディオークにだけ押し付けてチャラにしようという魂胆(こんたん)なの?」

 「そういうことだな。あたしもキタナイやり方とは思っている。でも、あたしたちが抗議したところで、結果は変えられない……覚悟しておいたほうがいいと思うよ、お前があいつに情をうつしていたのなら」

 「……」

 「……あ、そうそう。今日は用があって、あたしはお前のところに来たんだった」

 「なに?」

 「アビストメイル殿下がお呼びだよ。落ち込むのはほどほどにして、とっとと来なさいよ」

 「……わかった」

 気の毒な色を込めた目をアルデにやって、ルシアはその場を静かに立ち去った。疳高(かんだか)く鳴り響く跫音(あしおと)をよそに、アルデはひとえにディオークの身を案じてやまなかった。密偵活動、そして暗殺未遂。いずれにしろ極刑(きょっけい)モノの重罪である。おさないころから凄惨(せいさん)な境遇であった彼が、最後は彼でさえも忌み嫌う罪を犯し、挙句(あげく)の果てにはその罪に(かこつ)けられて、自分をさんざんに利用した仇国(きゅうこく)の手にかけられて殺される。救われない。まるで人間というよりむしろ家畜(かちく)のようなあつかいではないか。アルデはそう思えば思うほど、目尻(めじり)と頬が熱くなった。

 聖なる選召者とてしがない末端兵。なんの権力もなく、危害の及ばぬ上にて居座り、悠然(ゆうぜん)と下をながめる者らに服従するだけの身分。この一件をなんとかできるのは、おそらくルーシア国王だけ。あの”月”の悪行に眼を()めない国王のことだ。王子アビストメイルでさえも謁見(えっけん)(ゆる)されないとあらば、よしんばアルデがいくら必死に主張(こえ)をあげても一笑に付され、一瞬のうちに(しりぞ)けられて()わるのが関の山であろう。アルデは絶望感で胸が冷めた。

 アビストメイルからの召喚。さながらこれより判決を受けようとする罪人のような重々しい足取りで、アルデは謁見の間へと向かっていった。その途中彼はルシアとふたたび顔を合わせ、互いに挨拶を交わした。ルシアは彼の青ざめた顔を見て心配になり、なにかなぐさめの言葉をかけようとするものの、どれもアルデにとっては気休めになりかねないと察したらしく、即座に口を閉ざした。いまのアルデに気休めを言えば、却って彼の気を落とすこととなってしまうだろう。

 「アビストメイル殿下。アルデが来ましたよ」

 「ん。来たのかい」

 玉座に(もた)れ掛かっていたアビストメイルは、ゆっくりと態勢をととのえて、アルデたちと対面した。

 「おとといの深夜、大儀であった。と言いたいところだけど、どうやらまだ浮かない様子だね、アルデ」

 「……」

 「しかもいささか憤りも感じられるよ、私に対する……ね」

 「アルデ……」

 となりに立つルシアは、アルデがまたしても何か礼を欠いた発言をするのではないかとあやぶみ、眼をおよがせてやまなかった。

 「憤りですか……」 

 アルデはうつむいて、言った。

 「そういった感情は多少はあるのかもしれません。ですけど殿下にぼくの考えをぶつけても不毛です。”月”とやら関して疑問をさしはさむことさえ億劫になりました」

 「ふむ。しかしそれだけではないのだろう?」

 「……」

 「私にはまだ、君が私に何かつたえようとしていると感じられるのだが、これは気のせいかな」

 「……」

 逡巡しているのか、なかなかアルデは心中に秘めた思いを吐き出すことをしなかった。そうして全身を刺すような緊張のある沈黙が過ぎてゆくと、とうとう彼は話を切り出すようになる。

 「ディオーク。という少年はご存知……ですよね」

 「おとといの夜、君を抹殺しようとした”月”の少年だね。彼がどうかしたのかい?」

 「あの子は、これからどうなるのでしょう」

 「……レジスタンス条規に従えば極刑はほぼ確実」

 「……そうですか」

 「本来は、そうなるはずだったけどね」

 「え?」

 気がかりな言葉を付け加えるアビストメイルに、アルデはいぶかしんだ。

 「どういうことですか?」

 「今日君を(ここ)へ呼んだのはほかでもない。今日君を呼んだのは、ディオークの一件について知らせるべきことがあるからだ」

 「……?」

 「今朝大審院から通達があってね。何の酔狂(すいきょう)か私の識るところではないが、彼らはディオークに執行猶予付きの有罪判決を下したのだ」

 「……! それってつまり、ディオークは」

 「首の皮が一枚繋がったということだね。まあ、普通なら執行猶予など付かないもので、今回の大審院の判断は異例中の異例だ。おそらく、王国の上層部の何者かがディオーク君の利用価値に免じて、裏で大審院にはたらきかけたと考えるのが妥当だろうね」

 「利用価値とはいったい」

 「さて、何だろうね。奇妙なことに、王子であるぼくの権利が、ここ数年で急速に弱まっているようで、裏で私の代わりとして王国をあやつる連中がいるらしいのだ。きっと、私の父……国王と強い繋がりを持った者だと思うのだが、(くわ)しくは」

 「……そのことについて、国王陛下とはやはり相談できないのですか」

 「それどころか、私を避けているような気さえするね。きな臭さでしかない。王子とは言え、国王から謁見を拒まれれば、私とて国王と対面することは允されない」

 「……そうですか」

 すると、アルデはこのような提案を持ち出した。

 「殿下。ぼくに、ある考えがあるのですが」

 「……申してみよ」

 「レジスタンスの構成員は基本三人以上で小隊を編成し、行動を共にするのですよね」

 「そうだね。君はもともとルシアとレフリーと組むはずだったけど……知ってのとおり、レフリーは先日のプロヴァンス急襲で戦死したからね……」

 「ですので、ぼくはルシアのほかに、ディオークも小隊に入れようと考えております」

 「アルデ、おまえ」

 かりそめにも死をまぬがれたとはいえ、”太陽”に(あだ)をなした罪人を自分の小隊に加えようとするアルデに、さしものルシアも動揺を隠せなかった。しかしこのアルデの提案にアビストメイルもとうに看破していたかのようで、ただおだやかな笑顔で「いいじゃないか」と言った。

 「それは承認のお言葉ですか、殿下」

 「もちろんだよ」

 何か思うところがあったルシアは、アビストメイルに意見を述べた。

 「殿下。ディオークを”太陽”に転入させれば、”月”側から干渉が」

 「大丈夫だよ、”月”はディオークのことを完全に見捨てたらしい」

 「え」

 「どうやら、彼らにとってディオークは捨て駒に過ぎなかったようだね。ディオークを代償として、アルデの聖剣の能力の情報を掴んだようだ」

 つまり、ディオークは期待などされていなかった。そういうことである。プロヴァンス帝国の歪みの渦に幾度も巻きこまれ、波に長く流されてたどりついたところは己の忌み嫌うルーシア王国。そして今度はそのルーシア王国の歪みの渦に巻きこまれ、最終的には海の底へと沈んで二度と這い上がれなくなる。やはり、彼にとっての唯一の幸運は、いまや鬼籍(きせき)に入りしメディウスの存在にほかならなかったのかもしれない。

 「アルデ。一つだけ訊いていいかい?」

 「……なんでしょう」

 「レジスタンス総監として、君がディオークを隊に引き入れることは許可しよう。ただし、いかなる状況に陥っても、彼を見捨てるようなことだけはしないであげたまえ」 

 「……はい。そのつもりです」

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 「転入の手続きは今しがた終わらせた」 

 燃え盛るような赤髪、紅玉(こうぎょく)と見まがう瞳。レジスタンスの軍服の上に黒外套をまとうその長身の男は、静かな立ち振る舞いでこそあれど、すさまじき威圧感を放ちながらディオークに報知(ほうち)した。その男の名はレオン・シュバーナ。レジスタンスの構成員を指揮する司令であり、レジスタンス”太陽”を全体的に管理するアビストメイルの下に位置する役どころである。そして彼はルーシア隣国のエマール王国に多いシュバーナ一族の血を持つ人間で、シュバーナ一族の体内のバイタルエナジーの性質は”炎”であることで有名である。神話に拠ればシュバーナ一族は炎の神プロメテウスの末裔(まつえい)とされているが、バイタルエナジー科学の進歩した今日において、その神話の言い伝えの信憑性は俄然(がぜん)高くなっていく傾向にある。

 ディオークの傷は完治し、明日には退院できる。レオンはいま、レジスタンス司令として”月”との取引を終えたのち、完治したディオークのいる病室へとおもむき、今後をディオーク本人とともに話し合って決定しようとしているところである。

 「……本当にいいのか」

 レオンはディオークに念を押した。

 「”月”から脱退したあとは”太陽”にうつるだけが選択肢ではない。血腥(ちなまぐさ)くない平穏の日々を過ごす選択肢も(また)あるぞ」

 「レオン司令。もうすでに遅いのです。平穏の日々などにはいまさら戻れるはずがない。僕はこれからも刀を握らねば、生きている心地がしなくなるほどです」

 「……以前にアマリア王子が遺した調書を読んだ。おさなくしてお前は親を殺され、みなしごとなってからはプロヴァンスの皇子に仕えたが、その皇子も謎の死を遂げた。それ以来は”月”の汚れ仕事にひたすら付き合わされてきた。そうとう悲惨な過去を背負ってきたらしいな」

 「……」

 「だからこそお前には休息が必要だ。これ以上祖国でもないルーシアにいつわりの忠誠を誓わなくてよい。お前は一生分の苦しみを味わったのだから」

 「刀を握って戦うことは、必ずしも苦しいものであるとは限りません」

 「どういうことだ」

 「僕の苦しみは、仕えるべき主君がいない。それだけのことでした」

 「……」

 「しかし、我が忠臣の剣にも、積もりに積もった五年分の灰を払う(とき)が、(つい)におとずれたようです」

 そう言うディオークの口元には、めずらしく笑みが浮かんでいた。

 翌日、アルデとルシアは、ディオークが”太陽”への転入をみとめたこと、それから、彼らの小隊に加わることを自発的に希望したことを耳にして、戸惑いつつも軍病院へと駆けつけた。アルデはあの日の夜、ディオークの痛ましい過去を知ってからいまだに心を痛めている。そして、ルーシアに並々ならぬ憎悪の念を抱いているディオークが、自分たちと手を取り合って祖国であるはずのプロヴァンスに刃を向けることに、彼は猜疑せざるをえなかった。

 病室でアルデとディオークが対面したときは、ずっと胸の底に沈殿(ちんでん)していた悲しみも、さきほど浮かび上がっていたかの疑念も、跡形もなく消え去っていった。ディオークは腰を低くしては頭を下げ、アルデに向かってつつましい態度をとりはじめたのである。あの夜とはまるで別人な彼の態度もさることながら、アルデをきわめて困惑せしめたのは、彼のアルデに再会したときに放ったある一言であった。

 「え、どういうこと?」

 あまりにもだしぬけで、予想だにしなかったディオークの言葉に、アルデはおどろきを隠せず、もう一度彼の真意を知ろうとした。

 「……アルデ・バランス様」

 「様?」

 急な敬称に拍子抜けするアルデ。

 「僕、ディオーク・ドラクロアは今日より、アルデ・バランス様のために忠誠を尽くす下僕しもべでありつづけることを、(ここ)にてお誓いいたします」

 「はい!?」

 愕然とするアルデは、ディオークの腰に二本の刀剣が差さってあることに気が付いた。あの夜、ディオークは(あずま)の国の刀のみを使っていたのだが、もう片方の剣はアルデにとってはじめて見るものであった。その剣はどう見ても東製のものではないので、おそらくは彼の祖国であるプロヴァンス製のものだと考えられる。むかしアルデは本で読んだことがある。東の国にいるサムライは二本差しで、一本の刀は主君を守護するため、そしてもう一本は主君を守護する自分を守護する、つまり自衛のための武器であるという。二本差し。これの指し示す意味はたぶん、いままで無意識のうちに死に場所を探していたディオークが、とうとう生きる理由を見つけたということだろう。とにかくわだかまりを解消したディオークを見て、アルデは安堵に胸を撫でおろした。

 「命を狙いにやって来た僕を、ご海恕(かいにょ)するのみならず、よもや僕の命にまで気を遣ってくださるとは。貴方様の人格には心打たれました。ゆえに、僕はこの二つの刀を、貴方様のために振るいましょう」

 そう言って、ディオークは(ひざまず)く。

 「……ああ、そう」

 とはいえ、彼の卒然(そつぜん)な切り替えを、即座にアルデが呑みこめるはずがなかった。


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