第十話『主君なき忠臣』
この話が書いて、投稿した直後に手術なのです。
がんばってきます。
ともかく、
プロヴァンス戦記第十話です。かわいがってください。
いまから五年前、ルーシアから遠く離れた地。夜の黒に溶け込んだ森林のなかでぽつねんと立つ一張の軍営帳篷。木々の入り乱れるふくざつな道を駆け抜ける赤髪の子ども。その子どもは黒の軍服を身に纏い、腰に二本差しの剣、右手には一通の密書があった。帳篷に到着すると、彼はまよわずになかへと入り、「メディウス様!」と呼んだ。
奥から出てきた眼鏡をかけた青年は、隈が生じた目元をこすり、「あれ。ディオークくん? こんな夜更けにどうしたんだい」とたずねた。
「皇帝陛下より勅命を承りまして、これをメディウス様にお渡しするようにと」
「父上から? そうか、ありがとう……」
その青年は、プロヴァンス帝国の第一皇子、メディウス・イヴァリアル・デル・プロヴィンキア。曾経は『オルムの朱雷』と呼ばれる英雄として戦場を駆け抜け、世界各地を震撼させるほどの功を挙げていた。しかしそんな鬼神のごとき活躍の数々とは裏腹に、彼は温和かつ怜悧で、軍事面のみならず政治面においてもその手腕を揮っている。それゆえに、父たる皇帝は彼に千仞の信を置き、国の将来をゆだねる決心をしたのである。
「これは……」
密書の内容を確認したメディウスの面容に影がさした。なにかを憂慮しだした彼にディオークは気がかりとなって、「どうかなさいましたか」と訊いた。しばらくすると、メディウスは深刻な面持ちとなって、「ディオークくん」と呼びかけた。
「なんでしょう」
「明後日、アーカディアがついに帝都に攻め込む」
「なっ!?」
密書にはたいへんなことが書かれていた。そういえば皇帝は、たしかに自分に密書を託すとき頭を痛めた様子を見せていた。あの苦悩はこれを意味していたのかと、ディオークは納得尽した。
「どうやら、アーカディア帝国も待っていられなくなったんだろうね。私たちの国をさっさと落とそうとしているらしい。機関からの情報だ。おそらくほんとうだろう」
「……さようですか」
「プロヴァンスは、敗けるね」
「そんなこと断じてありませぬ……!」
「ディオークくん、君は逃げるんだ」
「なにをおっしゃいますか」
「そもそも君は戦闘員じゃないんだ。工作員として育てられたうえまだ六歳。戦場にいていいわけがない」
「お言葉ですが……そもそも僕は、メディウス様の小姓でもあります。貴方様に従いてゆかずに阿容々々と逃げ帰れば、僕の一生に、永久に拭い去ることのできない羞耻が付きます」
「死ぬぞ!」
メディウスは号んだ。
めずらしく取り乱すメディウスに、ディオークはおもわずふるえあがり、二歩後ずさりをした。
「……明後日、アーカディアが最後の決戦を仕掛けてくる。敵兵はそうとうな規模となるだろう。いかんせん君はまだ戦士ではない。敵兵の海に飛び込めば確実に死に至る。そして、なによりもプロヴァンスの敗北の色は濃厚だ。敗け戦にわざわざ付き合う必要はないんだ。忠誠よりみずからの命を守れ、わかったね、ディオークくん」
「……」
ディオークは押し黙った。
「君と違って、私は戦わなければならない。いずれは国を一身に背負う私には最期まで戦う義務があるからね」
国を背負うのは、皇子だけではない。その国に住むすべての人々ではないか。ディオークはそう思い、独りで抱え込むメディウスに憐憫の情を催した。
すると、目前にいるメディウスと、その周囲の風景が徐々にぼやけていき、やがて闇の奥底へと吸い込まれていった。それと同時にディオークははっと目を覚ます。彼が見たのは、きれいに輝く星々のちらばる、青みがかってはいるがまだまだ黒の夜空であった。いよいよ暁が迫ってくる。そんな感じであった。
しばらく星空に見蕩れていたディオークは、ふと脇見をした。そばにはすぐにアルデがいて、彼はしずかに眠りに入っていた。どうやらさきほどの戦いで力を消耗しすぎて疲れたようだが、にしても隙だらけである。ここで始末してやろう。彼はそう思うもからだが自由にうごかすことができなかった。アルデの寝首を搔くどころか、寝首を掻くための刀さえ握る力がディオークにはなかったのだ。
「ちっ、為す術なしか……」
せっかくのチャンスを逃さざるを得ないことに、ディオークは悔恨の想いで胸がいっぱいとなった。そして彼はようやく自分の後頭部の感触に違和感をおぼえるようになった。この場所は砂地であったはず、なのになぜかざらざらとした感覚がまるでない。どちらかというふうわりとして、あたたかな感覚があった。下を見ると、そこにはアルデの膝があった。
「……はあ」
ディオークは嘆息した。
「なにゆえ僕はこのような、敗北よりもすさまじい辱めを受けねばならぬのだ……神よ、せめて僕にもっとべつの罰を与えてくれ……」
そう言って、また嘆息した。
時間を過ぎゆくごとに恥ずかしさが増していったのか、ディオークは残された最後の力をふりしぼって、アルデの寝顔に一発拳を見舞った。殴り飛ばされたアルデはたちまち目を覚まし、鼻から流れる一筋の血をぬぐってディオークに、「きゅ、急に殴らないでよ、なに、なんなの!?」と訴えた。
「お前こそなんなのだ! 女子か、お前は! 僕をお前の膝に寝かせるんじゃない!」
「いや、だって、地べたに寝かせると汚れると思って……」
「地べたのほうがいい。お前の膝よりは格上のベッドだ」
「そ、それも失礼な」
「失礼なのはお前のほうだ。まあ、気遣ってくれたことには感謝するけどね」
と、赤面をしながら会話する二人であった。
会話が途切れると、しじまが思い出したかのように舞い戻り、森のひしめきの奏でる音も相俟って、虫のさざめきが二人の両の耳のなかで強い印象を残すほどに滞り続けた。
「なぜ僕にトドメを刺さない?」
唐突にディオークはそうたずねた。
「せっかく僕を倒したのに。トドメを刺さないとお前自身が反撃に遭って命を落とすかもしれないんだぞ」
「……きみは反撃してこないと信じてたから」
予測していなかったアルデの答えに、ディオークは若干とまどった。
「どうもきみは、”月”に対して忠誠心を持っていないなと思ってさ」
「……っ!」
「図星、かな?」
「……」
ディオークの沈黙が、ある種正解という返答を暗示していた。
「しかし、僕が”月”に対して忠誠心を持っていないとは言うけど、そう思った根拠はなんだ」
「暗殺しにきたくせに、ぼくとタイマンで勝負をしようとしたところ、そしてヘンな術をつかってすぐにぼくを殺せるはずなのに、つかわなかったところかな」
「たしかに、暗殺者が戦闘に持ち込むというのは馬鹿げているな」
「ほんとうは、ぼくを殺す気なかったんだよね」
「誰も殺す気はなかった」
そう言うディオークの目は、絶えずうごめく悲しみの色彩が宿っていた。
「……”月”はきみにとっては主人じゃないんだ」
「ああ、主人とは思っていない。しかし僕は拾われた身。拾ってくれた組織がどれだけ落ちぶれていようと、従わねば処分される。しかたがなかったのだ」
「……そっか」
「いままで、”月”の私利私欲のために、僕は多くの命を掠め奪った。みな、殺されるべきでない、いい人間ばかりだったよ……」
「……」
「アルデ。僕は、お前を殺すことに、躊躇してしまったかもしれない」
「それは、どうして……?」
「お前は、むかしぼくが仕えていたメディウス様と、どこか似ていたからだよ。戦闘中、お前と言葉を交わせば交わすほど、お前のおもかげは、段々と僕のよく知るメディウス様のおもかげとかさなった……だから、僕は暗殺ではなく、戦うという選択肢をえらんだのかもね。かのルシファー様をしりぞけるほどの力を持つお前になら、メディウス様とよく似たお前になら、殺されてもいいと、心のどこかで僕はそう思っていたのかもしれない」
『オルムの朱雷』と称された神速の戦士・メディウス。その存在は民間に立場を置いていたアルデでさえも知っている。忠誠心の強いディオークがみとめるということは、ほんとうにアルデはメディウスという男と肖似しているだろうが、メディウスの人物像をくわしくは知らないアルデにはいまいちぴんと来なかった。それよりもまずアルデはべつに気になった点があった。
「メディウスって、プロヴァンス帝国の皇子……するときみは帝国の人間だったのか! なんでルーシアに!?」
「もともと僕は捕虜だ。ルーシア王国の王子を暗殺しようとしたところ捕らえられ、ここの”月”という組織に入れられたのさ」
「王子? アビストメイル王子のこと?」
「……ちがう。そいつじゃない」
「じゃあ、誰が」
「名はたしか、アマリア・アインシュヴァイツと言ったかな。『英雄ルーシスの再来』と呼ばれる凄腕の剣士であったと聞く」
「ところで、ディオーク……」
「なんだ」
「メディウス皇子って……、もしかしてもう?」
これまで即座に答えてくれたディオークだったが、今度は答えることに少し渋っていた。
「……アーカディア帝国との戦いのさなかに落命した」
「そ、そう」
残酷な問いを発したアルデは、罪悪の池に浸かった気分をあじわった。彼は知っていたのだ。メディウスの栄誉ある戦士を。知っていたのなら、たいせつな人をうしなったディオークの古傷に塩を塗るがごとき問いは、すべきではない。なのに、ついその問いを発してしまった……
「と言われている」
と付け加えるディオーク。またたきの猶予も残されないほどの速さでそう付け加えた。
「言われている?」
「あのお方がそうやすやすと敵の手にかかって死ぬことはない。……僕にはわかっているのだ。あのお方は、暗殺されたんだ」
「そう……」
否定はしなかった。アルデはとうに、ルーシア王国がいま腐敗の絶頂に達していることに気付いていたからである。他国の皇子の暗殺など、躊躇せずやってのけるだろう。そういった負の信頼を置いてやまなかった。
ディオークはゆっくりと起き上がり、うらめしげにこう言った。
「下手人はアマリア。僕はそう思った。だから真っ先にやつを殺しに行ったが、待ち伏せしていたルーシア兵にとりおさえられた! とりおさえられた僕に、アマリアは偽善者面で僕をあわれむような言葉を吐いた。あれ以上の辱めを僕はまだ知らない!」
「アマリア王子が?」
さきほどは肯定したが、今回ばかりは猜疑するアルデ。アマリア王子といえば聖賢にも伯仲する人格者として、ルーシアの民に親しまれていた。それゆえ、アルデは、アマリア王子は暗殺を遂行するどころか、暗殺を阻止する側の人間としか思えなかった。
「そして捕らえた僕を、この”月”などという野蛮な組織に捨て置いた……これでわかったか、アルデ・バランス」
「……!」
「斯くして僕の地獄は始まったんだ! 僕は、あくまで生きるためにやむをえず”月”に従っているだけだ。決して、”月”に、レジスタンスに、ルーシア王国に忠誠心を持ってなどいない。憎むべき仇敵の言いなりとなって人を殺す、それがどれだけ自分には重たかったか、わかるか!」
「……わかるでしかないよ、そんなこと」
ディオークの五年分の苦痛が、アルデの胸にも圧しかかった。他人のことなのにもかかわらず、なぜかアルデはまるで自身がディオークであるかのような苦しい顔を見せていた。
「アルデ……お前は」
そのとき、一発の銃声が鳴り響いた。肩に風穴があいたディオークはふたたび倒れ、滲みるような痛みにもがきはじめた。あまりにもだしぬけのできごとで呆然としたアルデだったが、すぐに状況を理解しあわてふためいた。
「ディオーク!?」
「アルデくん! だいじょうぶ!?」
聴きなれた声と言うか、聴けばおのずからからだがふるえあがる女性の声がした。シータであった。しかしいまはふるえている場合ではない。駆けつけてきたシータに、アルデは抑制しえない怒りをぶつけた。
「なんてことするんですか!」
アルデは涙目になっていた。
敵がアルデのそばにいるのなら狙撃するのは妥当である。しかし、シータは敵が無抵抗であること、アルデに危害を加える様子を見せていないことを観察できていないのが痛恨のミスであった。戦意のない者を撃ち抜くことは卑劣な行為。アルデはそれにつよい憤りを感じたのである。
「アルデくん……」
わけもわからずに怒鳴られて、動顛したシータは手に持ったスナイパーライフルを地面に落とした。
「この子は敵じゃありませんよ……いや、最初から敵なんかじゃありません。撃たれるべきなのはいっそぼくたちのほうだったんです……」
止まらぬ涙を拭いては拭き、ディオークに目をやるアルデに、シータはようやく事を悟った。そうして深刻な表情となり、しばらく思惟した。
「……とにかく、医務室にはこぶわ」
シータはそう言うと、アルデは點頭き、ふたりで動けないディオークの両肩をかついで、レジスタンス基地のなかへとはこんでいった。けれどもいまは四時。医務室に人などいるはずがない。そう思ったアルデだったが、さいわいにも、一縷の望みが彼のすぐちかくにあった。
医務室に入ると、アルデは病床にディオークを寝かせ、シータはせっせと薬剤の用意をしたあと、白の手袋を両手に嵌めた。
「治療を開始するわ」
と、シータは言った。
「シータさんって……」
「いちおう、わたしはVE医療のスキルを会得してるのよ。……だいじょうぶだよ、アルデくん。責任はちゃんととるわ」
「……おねがいします」
銀色の燐光を両手で生成し、それをディオークの胸と肩にあてるシータ。胸の傷は緩慢でありつつも癒えていき、肩に空いた小さな穴も血肉があつまって、穴を埋めていった。
「ごめんね、アルデくん」
「……」
「ごめん……」
治療をすすめながら、謝罪を繰り返すシータ。
「危険な目に遭わせたうえ、あんなことを……悪い女だね、わたし」
「もう、いいんです」
アルデは、執拗にあやまるシータをなだめた。
うつろな目となり、治療を受けた身でシータとアルデをながめるディオークは、蚊細い声で、「もう、いい」と言った。
「僕は、敵だぞ……助ける必要なんて……僕は……アルデ、お前を殺そうと」
「黙ってて」
アルデは言った。
「いまは怪我が治るまでおとなしくしてて」
「やめろ……それに、たとえ生きることになっても……僕には生きる理由も帰る場所も……」
「黙っててって言ったのがわからないのかよ!」
アルデの怒声は、医務室に強く、大きく響き、最後はむなしく消えていった。アルデ、シータ、ディオーク。みなの顔に大きな暗雲がかかっていた。
「生きる理由なら、ぼくがなってあげる。帰る場所ならぼくがつくってあげるから……! いまは、生きることだけを考えて、余計なことはしゃべらないでよ……ディオーク」
「……」
アルデの魂の叫びは、たしかにディオークの耳を通して、脳髄に通じた。ディオークはしずかに眼を瞑り、つぎに眼を覚ましたときにアルデにつたえるべき言葉を懸命に考えをめぐらした。やがて考えをめぐらすうちに、彼の心は貴いぬくもりを感じとるようになっていったのである。




