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プロヴァンス戦記  作者: 雪臣 淑埜/四月一日六花
scene 01『メサイアの産まれた日』
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第九話『蝶の翅、下弦に晃めく』

突然死することがあるブルガダ症候群と診断されましたが、いまはだいじょうぶらしいです、問題ない。

詩埜(しの)はいいやつだったよ」と言われないよう、健康に生きていきたいと思います、たぶん。

 灰を被り、傷を負い、地に這いつくばるその惨憺さんたんたる少年のさま、他者からすればとても視することはできない。少年は”月”の軍服を身に纏う男につよく取り押さえられ、動きを封じられた彼は、鷹を彷彿ほうふつさせるするどい眼光を以てして、自分の上に居る人間の影をつよく睨みつけた。

 「ほう。こんな小さな子どもが、我が国の王子の命を狙ったとな。末恐ろしや」

 玉座につく男があざけるような顔でそう言った。なにをかくそう、彼こそが、”月”の者をべるわば総監的な人物にほかならない。

 「小僧、名を何という」

 少年は答えた。

 「ディオーク……ドラクロア」

 「歳はいくつか」

 「六つだ」

 「六つで王子の暗殺という大仕事をおおせつかったのか。そうとう信頼を置かれているようで良いが、残酷でさえあるな。失敗したら問答無用で死罪じゃろうに」

 「産まれし時より僕は汚れ仕事を担う身にこそある。殺しが僕の天職だ、残酷などとはとうていおもわない」

 「肝の据わった小僧じゃな……ボギー。今日(こんにち)からこやつは”月”の構成員とする」

 「宜しいのですか? 大審院だいしんいんからの通告では、明朝にて処刑であったはず……」

 と、ボギーは箆太(のぶと)い声で、注意をうながした。

 「いまさらなに堅物かたぶつを気取っておる、ボギー。大審院の言いなりになる必要はもうないじゃろう。我々にはやつらよりも強い()()()を得ているのだ。後ろ楯がある以上、”太陽”も大審院もルーシア王国軍も障碍にすらならぬ。ゆえに憂慮しなくともいのだ」

 自信に満ち足りた表情を下からながめながら、ディオークは疑問をさしはさんだ。

 「物好きなやつだ。僕を組織に入れて、何のメリットがあるというのだ」

 「命拾いをしたというのに、まだその驕慢きょうまんな口が塞がらぬか。おもしろい。で、メリットは何だと言ったな。答えてやろう。お主ほどの腕があれば、”月”の今後が安泰になる。いまはそう言っておこうか」

 「王子を殺し損ねたこんな僕を、腕利きと褒めてくれるのか」

 「そういじけるでない。貌似(みたところ)、お主は十分な才能を有してはいても、経験はさほどでもないようじゃ。そう、経験を積めば、お主は恐怕(おそらく)この儂さえたおせる最強の剣士になれるじゃろう……よもや」

 ここで総監は急に考え込んだ。

 「なるほど。だから王子はお主を捕らえたのか。まったく王子もげに目聡(めざと)いのぉ」

 「……何の話だ」

 「いや、お主の知るべきところにあらざる話だ。気にするでない」

 自分が捕虜となった背景の裏にはなにかがひそんでいる。これはたしかである。強引にはぐらかされはしたが、深く追求しても己の身にはならないと考えたディオークは、ここで敢えて沈黙を選んだ。

 「ともかく、お主はもう”月”の一員となった。本来ならばお主は明朝の日輪を目にすることなくその若き命を散らすこととなるはずだった。わかるな、この意味が」

 恩着せがましい言い方を癪に思ったディオークは、彼の言いたいことを理解していても、口に出して答えるのを断じてしようとしなかった。そっぽを向いて、さも意味がわからない様子をひたすら装っていた。そんな彼のひねくれた心を”月”の総監は見抜いたらしく、「ふっ、まだ完全なる忠犬にはなれぬじゃな。無理もない」と笑って、「いつまでも、お主は迷い犬なんじゃのぉ」と言った。

 正鵠せいこくていた。ディオークはなにか言おうとしたがすぐに口を閉じた。この沈黙は先刻のとは違い、総監に対する反逆というより、むしろ総監に対する帰順となっていて、強気がいっさい感じられない、とてもおとなしいものとなっていた。言い返す言葉を見うしなったのである。

 「だが心しておけ」

 総監は言った。

 「生殺与奪の権は儂らに有しておる。お主は三途の川のほとりにて迷っているということを、ゆめゆめ忘れるでないぞ」

 顔は見えずとも、ディオークにはやつが薄ら笑いを浮かべているところをたやすく想像できた。正直で口が裂けても嘘をつかない性分であるがゆえに、軽々しく”月”に忠誠のちかいを立てず、あくまで自身の(くび)が落ちないように思慮して「ああ」と曖昧な返事をした。

 居場所を強いられ、殺しを強いられ、一生あてどもなく荒野をさまようことを強いられたディオークの瞳にはいま、かつての”月”へひざまずいた屈辱は映っていない。いま彼の瞳に映っているのは、一応の敵であるアルデだけだった……

 「アルデくん」

 扉が開かれた音、そしてシータの声を耳にした途端にアルデは眠りから覚め、開けづらい目をせわしなくこすりはじめた。

 「……シータさん?」

 「うん」

 「帰って来たんですか」

 アルデは時計で時刻をたしかめた。

 「そろそろ三時を回りますよ。ずいぶんと長い用事でしたね」

 「うん、ちょっとね」

 「……」

 「どうしたの?」

 「あ、いえ、なんでもないです」

 「そう。まあ、もう遅いし、寝ましょう」

 「……そうですねっ!」

 そう言ってからまもなくして、アルデは忽然シータの腹を一発蹴った。転倒したシータは蹴られた理由に見当がつかないような顔をして怯み、「ど、どうして」と弱弱しい声をこぼした。

 「まだとぼけるんだ。シータさんのニセモノでしょ、きみ」

 「そんなわけないでしょ! まあ、命を狙われているから神経を尖らせるのもわかるけど、おちついて!」

 「いや、あいにくだけどぼくの神経が伝えた感覚は正しい。きみは敵だ」

 「……」

 ここでシータは冷静となり、「どうしてそうおもう?」と問うた。

 「きゅん付けしてない」

 「は?」

 「だから! ぼくをきゅん付けで呼んでないのが、きみがニセモノであることをうらづける証拠なんだよ!」

 とアルデは赤面して指を突きつけた。

 唐人とうじん寝言ねごと耳朶じだに触れたかのごとき反応を見せるシータの顔に、アルデはますますおのがうちにある確信を確固たるものとした。

 「ぼくに対する、あの露骨で、執拗で、気持ち悪い媚びを売ってないんだよ! 本来ならば、ほんとうのシータさんはなんか、その、兎を捕食する飢えた狼みたいな眼光をきらめかせてぼくと対話するんだ。きみにはそういう感じがまるでない!」

 真に迫った風なアルデの言葉に、偽者と言われたシータははなはだ困惑し、「そ、そんな女だったのか……?」とおどろきを見せた。しかしその一言によって、この人自身がシータではないことを完全にうらづけてしまった。

 「くっ、もう少し周辺人物の調査につとめるべきだったかな」

 そうして、彼女は、いや、彼はシータのマスクを無造作にはぎ取り、隠していた白皙のほんとうの顔をついにさらけ出した。

 「やっぱり、きみはプロヴァンス帝国の……!」

 「ちがう」

 即座に彼は否定し、「僕は”月”の者だ」と言った。

 「”月”……だって?(もう一つのレジスタンスか)」

 アルデの前に立ちはだかるその赤髪の少年のまとう服は、よく見ると、ルシアやエレフたちのレジスタンスの隊服と同じデザインであった。ただ違うのは、ラインの色がオレンジではなく藤色で、胸部には太陽ではなく月の紋章が描かれているところである。けだし彼は”月”の一員であることがわかる。

 「無駄話はしない。アルデ・バランス、”月”からくだされた特命により、お前の命、このディオーク・ドラクロアが貰い受ける」

 冷ややかな殺気を含んだ台詞を吐き、腰から一本の刀を抜きとるディオークに、アルデはおそれなかったわけではないけれど、少なくとも取り乱したようすを見せていなかった。苛立ちに耐えられずに顔を引きずらせて、「何なんだよ」とつぶやいていた。

 「みんなみんな、ぼくを邪魔者あつかいして。ぼくはきみたちなんかに興味ないというのに」

 「……すまないけど、我々には興味ある。呪って気を()らしたいのであれば、聖剣に選召せんしょうされた不運を呪うんだね」

 「呪うべきなのは、どう考えてもきみたちの薄っぺらいエゴだよ。なに見当違いなことを言ってるんだよ、それともなにか、ぼくを怒らせてまでぼくに首を落とされたいのか? きみは」

 部屋の机に置かれた聖剣ラグナロクを手に取ったアルデ。命を狙われつづけた結果精神にひずみが生まれ、敵と見做した相手に臆することをおぼえずに、むしろ劇しい憎悪を以てして立ち向かうことを良しとするようになった。急に起こったアルデの気に触れたディオークは二の足を踏み、おもわず刀の位置を低めに下げはじめた。

 (だけど、この部屋は戦うには狭すぎるところだ。一旦外に出ないと)

 ディオークの体型と刀の構え方から、彼はきっとスピードに特化した戦いに長けていると推測したアルデは、うしろへ数歩下がり、聖剣ラグナロクのつかで窓ガラスを割り、躊躇ちゅうちょなく外へと飛び降りた。これにディオークは当然黙殺するはずがなく、いてゆくに自身もまた外へと出て行った。

 シータの隊室はレジスタンス本部基地の二階にあり、さほど高いわけではない。だからアルデは地面に着地することに何らの苦はなかった。言うにおよばず、それは潜入の訓練を積んできたディオークにとってもおなじである。

 「かしこいね」

 ディオークは言った。

 「室内での戦闘を避けたということは、お前には、僕がどういった戦い方をするのかについておおよその見当がついているということか?」

 「まあ、ね。なんとなくわかるよ」

 「ほう。見どころのある男だ」

 「……きみはぼくを『かしこい』と評したよね」

 「ああ、だからなんなのさ」

 「ぼくはきみを『甘い』と評しておくよ」

 「……どういうこと?」

 「なんでぼくが外まで逃げるのを止めなかったのか」

 「……」

 「ぼくの意図がわかっているのなら、あの場でさっさとぼくを仕留めるべきだった。きみはわざと一旦ぼくを逃がしたんだろう?」

 「……そうだけど」

 「なんでなの」

 「なにぶん選召者と刀をまじえるのははじめてだからね、どれほどの力を見せてくれるのか、ためしたくなったのさ」

 「余裕があるね、ずいぶんと」

 「いくら選召者とはいえ、戦闘経験がわずか二日のお前に僕は討てない。考えるまでもない、必然だろう?」

 「だから甘いと言っているんだ!」

 舐められていることに憤るアルデは、またたく間に聖剣を振っておろし、そのときの斬撃が巨大な光の形となって、いきおいよくディオークのほうへと突進した。

 「光の斬撃を飛ばす能力か、じつにシンプルだ。つまらないな」

 がっかりした風にディオークは目を細め、みずからに迫りくる斬撃をひらりと、軽い身のこなしでかわしきった。目標を見失った斬撃はそのまま方向を変えることを知らずに、本部基地の壁に激突した。

 「鉄沙の壁にこれほどの傷をつけられるとは。威力だけは一人前のようだな、アルデ・バランス……なっ!?」

 ふりかえると、そこにはもうアルデの姿はなかった。ほんの四秒目を離した隙に、自身の察知能力をすり抜けて、すばやくどこかへと移動したというのか。これをにわかに信じられなかったディオークは動揺し、たちまち四方を見渡してアルデの所在をつかもうとした。しかし、そのまえに彼は脇腹にするどい痛みを感じることとなった。いつのまにか、アルデは彼の足許にしゃがんでいて、飛燕の一撃をディオークに与えていたのである。

 「意外とやるね」

 傷をつけられた脇腹を左手でおさえ、アルデを軽視したことを省みるディオーク。

 「だけど、次はない」

 とうとう本気をだしはじめるディオークに、アルデは緊張で歯を食いしばる。身体能力の(たが)を外して、さながら一発の銃弾のごとくに飛び掛かってくるディオーク。そして距離を縮めたと同時に繰り出すいくつもの突きは、アルデの目を翻弄ほんろうしてやまなかった。ルシファーよりも剣捌けんさばきが目で追えないほどに速いため、すべてを叩き落して防ぐのはむずかしい。五回に一回の突きがアルデの血肉を侵してえぐる。斬られる痛みにいまだに慣れていないアルデは怯みつつ、反射的に蚊細かぼそい悲鳴を漏らした。このままではいずれ生殺しにされて終わる。俊敏さを封じるにはどうすればいいか、アルデは必死に策を思いつこうとした。

 「どうした、さきほど出していた殺気がだんだんと怖気に変わっているぞ、アルデ・バランス」

 「なにを!」

 どうせ斬撃が当たるのならば、避ける必要性がない。そう思ったのか、アルデは(きっさき)の雨に敢えて飛び込み、強引にディオークに反撃をあたえる行動に出た。猪突猛進の戦法を選んだアルデに、さしものディオークでも駭然がいぜんとして動きを鈍らせてしまった。

 「ぐっ、無茶をする!」

 ディオークは手首を曲げて、刀を死角に回り込んだアルデのほうへと向け、そのまま彼に斬りかかろうとした。頭めがけておろされるその白刃をアルデはラグナロクで受け流し、フリーとなっていた左手でディオークの右頬を殴った。態勢を崩し、飛ばされるディオークに、アルデさらなる追撃をしかけた。

 「うざったいんだよ、きみも、プロヴァンスも! これに懲りて二度と喧嘩を売ってこないで!」

 鬼神の一撃をじかに食らい、右胸に生々しい赤の刺青をほどこされたことに逆上したディオーク。紅焔こうえんよりもなお熱く烈しい敵意を目にたたえ、つかを握る手からは血と汗がまじわりながら流れ出て、ぼとぼとと堅き地面へとしたたり落ちた。

 「見くびっていたことは謝ろう……だが、図に乗りすぎだ!」

 逆上したディオークを印を結び、地面のなかへ溶け込むように潜っていった。忽然奇妙な術を以てそのすがたをくらました彼にアルデは、刹那の(かん)戸惑い、握る聖剣の刃先をそっとおろした。しじまの幕が四方八方に落とされ、あたり一帯に人の気配が感じられず、風の音、葉のひしめきあう音のみがアルデの鼓膜に届き、かりそめのやすらぎといつ襲われるか知れぬ恐怖をそろってもたらした。

 すると、アルデは足裏から土の刻むような振動を感知した。これに不審を打ったアルデは即座にその場から離れた。彼にはなにとなくディオークの術のメカニズムと、その目的が推測できたのである。おそらく土中を自在に移動することでターゲットに近づき、その命をさっかす()るタイプの術であろう。そう考えたアルデは危険だと断じた地面を忌避して、安全圏となりえよう大木の枝へとうつり、来たる難をまぬがれようとした。

 くしてディオークの術を封殺したと思いこんだアルデであったが、どうも彼の推測ははずれたようである。安堵もつかの間、彼は後方から激烈な斬撃を浴びることとなった。わけがわからなくなってふりかえると、そこには当然ディオークの刀を構えるすがたがあった。刀に付着した血を振ってはらい、いやしむような目つきをする彼は「惜しかったな。何も考えずにただ斬られるのを待つだけの馬鹿ではさすがになかったようだ」と言った。そうしてふたりが立っている枝にゆびさした。

 「おおかた、お前は僕の術を、地面下に潜伏するものだと想像しただろうけれど、少々観察不足だったね。たしかに”月”にはそういった術を使う者がいるが、僕のはちがう。……鼹鼠(もぐら)の真似事など、あまりしたくないからね」

 「だけど」

 肩の傷をおさえながらアルデは言った。

 「実際潜っていたじゃないか……鼹鼠みたいにさ!」

 「僕は土の中にいたのではない、お前の影の中にいたのだ」

 「影……だって」

 「だから、地面から離れようが、どこへ行こうが、影さえできていれば、お前の命はつねに僕の手のひらにある。影ができない場所などには行かせないぞ。行く前に仕留めてやるからな」

 そう言って、ディオークは刀を握る力をより一層強めた。

 「一歩動けば刺す。動かなければ為せる限り楽に殺す。わかったな」

 しかしながら、殊勝しゅしょうにそれにしたがうアルデはなかった。むしろ全神経をとがらせて、ディオークの瞬速の一撃を見究みきわめたうえで迎え撃とうとしていた。

 シュっと疾風の過ぎる感じの音がした。斜め上から横切るひとすじの白光が虚空にひらめく。白光消ゆれば、アルデの脇腹に浅い切り傷がうまれた。

 「だから、動くなと言ったろう」

 目の前に立ち、アルデの喉元に刃をつきたてるディオーク。

 「いたずらに痛い目に遭いたくなくば、おとなしくしてくれ」

 「痛いのも嫌であれば、死も嫌なんだ。わるいけどおもいっきり悪あがきさせてもらうよ」

 「往生際が悪いのはうつくしくないな」

 「死にざまがどうであれ、もっともうつくしないのは死にほかならないとおもうけど?」

 「価値観をぶつけ合う気はない……死ね」

 ふたたび繰り出される瞬速の一撃。今度は確実にアルデの急所を狙っており、おまけに至近距離という点もかさねて考えれば、アルデの落命は明瞭となっている。だが、いくどもわざとディオークの斬撃を受け止めていたアルデは、とうとう完全にディオークの斬撃の軌道と速度を見切ることができた。肉を切らせて骨を断つアルデの策は無茶ではあるかもしれないが、無益では断じてなかった。

 「なっ、お前」

 弾かれた刀をひらりと返して追撃をするものの、それもむなしくアルデによってきれいに防がれる。次の攻撃も、その次の攻撃も、のちにさまざまな剣技をこころみても、どれも軽々と躱されるばかり。

 最後に刺突を見舞おうとするディオークだったが、動揺で隙が生じていて、がら空きになった胸部にアルデはつけこみ、するどい一撃をあたえた。

 「……見切ったとでもいうのか。素人の付け焼き刃が、この僕に大きなダメージを……屈辱でしかない!」

 「屈辱ではないさ。素人とはいえ、付け焼き刃とはいえ、ぼくだって選召者せんしょうしゃの一人なんだ。むしろ光栄に思いなよ」

 そして、アルデはディオークを蹴り飛ばした。

 起き上がるディオークは、散々コケにされた恨みを歯に込めて、みずからの親指を噛み、親指から垂れる血を撒いたのちに印を結んだ。

 「減らず口を叩けなくしてやる! 『忍法・闇夜霧やみよぎり』――!!」

 まわりに黒の霧が生じ、濃く、厚く、あまねくところに瀰漫びまんし、アルデの視界のことごとくを覆っていった。夜よりもなお暗い空間に閉じ込められたアルデであったが、案外彼はおどろくことをせず、うろたえるそぶりさえしなかった。その異常ともいえる平静は、霧の奥底でひそかに彼の様子をうかがっているディオークの心頭に、怒りの炎をともすライターの役割をになうこととなった。

 「ナマイキなやつだ。ここまで来て、まだ平静をよそおうか!」

 「その技……ぼくには逆効果だよ」

 アルデは淡々として言った。

 「ラグナロク……もう、だいじょうぶだ。戦いにはもう、慣れた。すくなくとも、無様な戦いを見せるつもりはないよ」 

 聖剣ラグナロク。アルデはそっとその刀身を撫でるように払い、そうしてたてに構えはじめた。するとたちまち(みどり)の光の粒子が点滅を繰り返しながら刀身にあつまり、かがやき、ディオークの目を威嚇するようにいきおいを増していった。先刻まで単なるブレードとしての力をふるっていたが、ほんとうの聖剣としての固有の能力がとうとう発現されたことにディオークは警戒し、多大な緊張と恐怖をおぼえた。

 しばらく様子見に徹していたら、アルデの発光する身体からもう一人のアルデが生まれて出てきた。

 まるで単細胞生物が生殖の際におこなう分裂であった。一人だけではなかった。二人、三人、四人、五人、六人と、立てつづけにアルデの分身体が製造されていった。ディオークの驚愕がおさまるころには、なんと三十五人のアルデが、黒の霧のなかでたたずんでいた。

 「ぼくには君が視えない。だから反撃できない」

 アルデはいやしむようにそう言った。

 「だけど、きみは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 「くっ、小癪な」

 「そう。きみにはむやみにぼくを攻撃することはできない。一人ずつ潰そうだなんて軽率な手段に打って出たら、きみの居場所がぼくに割れてしまう危険性が高まるからね」

 「舐めるな……僕はお前が思うほど弱くはない!」

 一人のアルデが斬られた。だが、手ごたえはない。ディオークの刃はそのアルデだと思われたものをすり抜けて、自分もまたそのまますり抜けていった。

 当てた。ただ惜しむらくはそれは本体(オリジナル)ではなかった。居場所を晒したディオークは、すばやく駆けつけてきたアルデの聖剣の刃のもとに斬り伏せられた。当然の結果であった

 分身体をふくめたアルデたちは、一斉に地に這いつくばるディオークを見下ろし、彼にむかって聖剣をつきたてた。歯をらせ、「ナマイキな……!」と負け惜しみを吐き捨てるディオークに、アルデは何も言い返さなかった。

 

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