57 人を好きになる瞬間
「……ゴメン。急に」
柳原は鼻をグスグス言わせながら鼻声で俺に言った。
「いや……全然構わないよ」
俺は少し顔を赤くしながらそう答えた。冷静なフリをしてるけど、さっきから心臓は高鳴りっぱなしだ。
高鳴っている原因。それは他でもない、柳原だ。
今まで、ホント今まで、ほんのさっきまで亮平のこと考えると胸がドキドキしたのに、この感覚はなんだろう。なんか……よくわかんない。
とりあえず、今は柳原のことのほうが心配だ。
「……あのさ」
聞きづらいけれど、俺はあえて聞いた。
「見たのか?」
それだけで十分だったのか、柳原は小さくなずいた。
「どのあたりから?」
「……三宅くんと、宮部先輩が……唇を……こう、する前から……10分くらい前」
なんて具体的。そりゃまぁ、意中の人が異性といりゃあ、気にもするよな。俺だってそのひとりだったんだから。
「……。」
「……。」
沈黙が続く。どちらともなく、話すことをやめてしまった。
「私……わかってた」
「え?」
「わかってた。いつかは、こんな時が来ることくらい」
「……。」
柳原はまっすぐ前を見ている。
「そもそも、同性愛自体、やっぱり難しいんだよ。私たちってさ、えっと、ネットで調べたんだけど、こういうのもマイノリティって言うんだって。少数派」
マイノリティ。少数派。そういう言い方、俺あんまり好きじゃないけど。少数ってどんくらいだよ、とか思う。1億2000万いる日本人の、どれくらいだったら少数派? 120人? 1200人? 1万2000人? 1万でも1200でも多いと思うけど。
何を基準にして少数派にしてるんだろう。俺にしてみれば、今の俺のこの気持ちが「基準」だ。標準とか基準とかそんなもの、知らない。
なんでもかんでも平均とか基準とか取るのが俺は嫌いだ。それを下回ればすぐに「変」とか「足りない」とか。上回ればたいてい「優れている」とか「十分」とか。けど、それがたとえば血圧だったりすれば「悪い」になるし。コロコロと良し悪しが変わるから、基準なんて嫌いだ。
だから、俺は……今まで亮平を好きだという気持ちを貫いてきた。それはもちろん、柳原だって。
だけど、その「少数派」という言葉が、俺たちの気持ちを揺るがす。柳原も俺も今、揺らいでる。
「辛いよね……」
柳原がポツリと呟いた。
「こんな辛い思いするなら……やめちゃえとか思うの。そのときにコレでしょ。さすがに今回は……参っちゃって。ゴメンね。さっきは急に」
そう言って柳原が儚げに笑った。
まただ。
胸が……痛い。
「帰ろう! そろそろ、暗くなってくるし!」
「うん……」
なんだろう。
わかんない……この気持ち……何?
「そりゃあ……恋だろ」
さとっぺの答えに俺は言葉を失った。
「こ、恋?」
「そう。賢斗、お前は彼女に恋をしてる!」
「ちょ、ちょっと待てよ! お、俺……」
家なので家族に聞かれるとマズいので小声で言った。
「亮平が好きなのに……」
「でも……そのみーやんと接した時と同じような感情を今日、柳原に抱いたんだろ? それは、紛れもないんだろ?」
ケータイの向こう側で落ち着いた口調で言うさとっぺ。俺は反論できなくなった。
「……あのさ」
さとっぺが続ける。
「こんなこと言っちゃなんだけど……。あ、でもその前にこれだけは言わせてくれ」
「え。何?」
「お前がみーやんを好きだっていう気持ちは本物だと思う」
顔が赤くなる。
「だけど……その……」
さとっぺが珍しく言葉に詰まった。
「なんだよ。どした?」
「お前……エロいこと言っても平気か?」
「あ、ある程度は」
「その……お前、みーやん見て……エロい気分なることあるか?」
「へ」
俺は素っ頓狂な声を出してしまう。
「言ってる俺だってハズいんだ! わかれよ!」
いや、わかれよって……わかんないから困ってるんじゃん!
「わかれよってのもメチャクチャだぜ? 具体的に言ってくんなきゃ」
「んー……!」
さとっぺは声を振り絞って、けど最小限の音量で言った。
「勃つのか?」
「は!?」
俺はあからさまに真っ赤になってしまった。
「何度も言わせんな! 俺だってハズい!」
「~~っ!」
妙な沈黙。さとっぺも俺も黙り込んでしまう。
「おっ……俺は、時々……」
さとっぺの思わぬ告白。
「だ、誰見て?」
「見てじゃねーけど……妄想で……その……」
うわぁ。何の話だよ、これ……。俺らどうしちゃったわけ。
いやいや。でも。自然な話でもあるのか。
「部の……同級生」
「……そ、そっか」
「……名前、聞かないわけ?」
「き、聞いていい?」
「ん……」
「誰?」
さとっぺと同級生ということはすなわち、俺と同じ学年。誰だろう。俺が知っている子だろうか。
「トランペットの……久野……」
「ちょ、ちょっと待った。トランペットなんて言われたって、俺わかんねぇ」
「あぁ……ゴメン。1年B組の、久野」
「……あぁ」
あのお人形みたいな感じの可愛い子か。
その後、しばしの沈黙の後にさとっぺが言った。
「俺なりに調べたんだ」
「……うん」
さとっぺ曰く、同性愛も俺たちのような時期には一時的にあるものだそうだ。それは憧憬から来るものが多いらしい。そして、思春期を終える頃になると自然と消滅していく。それでもなお、やはり同性が好きなままである場合も、あるそうだ。
「多分……お前が柳原にドキッとしたってことは……」
「……。」
さとっぺはそれから先を言わなかった。
「そこから先をどうするかは、賢斗次第だよ」
「うん……そうだよな」
「気持ちの整理するのには時間かかるかもしれねぇけど……ガンバレよ」
「ありがと。俺、精一杯やってみる」
そう言って俺は電話を切った。
そうだ。まずは自分の気持ちの整理から始めないと。
俺はそう考え、うなずき、机に向かった。
気持ちの整理をするために。