54 渦巻く思い
耐え切れなくなった。
だって俺も男子だから。
目の前で、好きな人がこうして震えて……泣いてるじゃないか。
「……。」
俺はギュッと宮部さんを抱き寄せた。リンスの香りだろうか、いい香りがする。そう思うとドキドキが抑えられなくなって、俺の気持ちが次第に暴走し始めた。落ち着け、と思う自分とチャンスだ、と思う自分が渦巻いて、どうにも気持ちの整理がつかなくなってしまった。
「私……私、どうしたらいいんだろう」
そう呟くたびに動く唇に、俺の衝動が最高潮に達した。俺はそれほど背が高くない宮部さんの身長に合わせてゆっくりと顔を下ろしていく。その唇に、俺の唇を重ね合わせようとした。
それを寸前で止めた。まだ何か、この一線を越えてはいけないような気がして、辛うじて止めることができた。
「先輩……落ち着いてください」
俺はなんとか理性を保ってそう言った。宮部さんはしばらく子犬のように震えながら俺に抱きついたままだった。
10分ほどすると落ち着いてきたみたいだった。幸い、周辺には誰もいなかったけれど楽器の音や走る音が聞こえたので、いつ見つかるかはわからないのが怖かったので、そのまま人気の少ない空き教室が多い階へ移動した。
「ウッ……ヒック……」
涙をこぼしながら泣いている宮部さん。やっぱり、まだ落ち着いていないようだった。俺はすぐ傍にあった自販機コーナーでホットコーヒーを買って宮部さんに渡した。この時期になると、夕方にもなれば廊下は冷えてくる。
「先輩。どうぞ」
「……ありがとう」
カシュッ!と爽快な音がして缶のプルタブが開く。俺も宮部さんに続いて缶を空けた。湯気がふんわり、缶から出てくる。
「何が……あったんですか?」
俺はそっと聞いた。宮部さんはコクコクとコーヒーを可愛らしく飲んでから、小声で言った。
「告白……された」
ドクン、と俺の心臓が飛び跳ねる。
「あ……そ、そうなんですか。誰に……?」
俺のバカ。そんなこと聞いてどうすんだ。
「……言えない」
言えない?
言えないような人に、告白されたのか?
「言えないって……なんで言えないんですか?」
「……。」
宮部さんは鼻をすするばっかりで、全然言おうとしない。俺は俺で、いろいろと思い巡らせた。言えないということは、俺が知っている人の可能性が高い。
となると、吹奏楽部か?
先輩なら、佐野さん。川崎さん。水谷さん。本堂さん。
俺と同期の男子なら、さとっぺ。優輝。優っち。徹っち。まこっちゃん。勇。ひろぽん。駿。ノムさん。じゅんぺー。
あまりにも人数が多すぎる。ここから、普段宮部さんが仲良くしている人をピックアップしてみるか。
そうなると3年生の4人と木管の優輝、ノムさん、駿の3人。これなら、だいぶ的を絞れた。
「先輩。俺……」
その声で宮部さんが何を言おうとしているのか気づいたみたいで、両耳を塞いだ。
「今は聞けない!」
「……。」
「みーやんが、何を言おうとしているかはわかる! 私も……私も、本当は同じ気持ちかもしれない! でも……でも、今は聞けない!」
この人のこんな表情、初めて見た……。その表情を見てしまうと、言おうとしていた言葉がするすると喉の奥へと消えていった。
「……わかりました。言いません……。でも、お願いがあるんです」
俺はこれだけは絶対に知りたかった。
「誰に……告白されたんですか?」
宮部さんがハッと顔を上げる。
「俺、フラれてもいいんです。教えてください! 宮部さんに、好意を抱いている人に、なんていうか……負けたくないんです!」
「……。」
「だから」
「言っても、変な目で見ない?」
え?
変な目?
「変な目なんて……見るわけないじゃないですか」
宮部さんが安堵に近い表情をやっと浮かべてくれた。
「あのね……私……」
次の言葉を聞いた瞬間、俺は妙な縁と、不思議な気持ちに包まれた。
「女の子に……告白された」
どうしてこの人と俺は、同じような境遇にあるんだろう。それが不思議であると同時に、どうしようもない愛おしさに包まれた。
そして、俺も無意識のうちに、言っていた。
「俺も」
宮部さんが顔を上げる。
「俺も、告白されてたんですよ」
「……ホント? 誰に?」
俺は誇らしげに言った。返事は、ちゃんとした返事はまだだけど、俺には誇らしいことのひとつだと、今は思っているから。
「男子に、です」
不意にザァッと外で木が風に吹かれる音が響いた。