52 震える声で
美術室があるのは2階。彼女がいる場所はよく知っている。3階の、音楽室。体育祭も終えたこの時期は、急速に季節は秋へと進んでいた。私の着ている制服も、いつの間にか秋服になっている。なので、少々走っても全然暑くならない。けど、息が切れるのは相変わらずだ。
「……。」
音楽室の前に着いた。震える手で、ドアをそっと開く。音楽室の扉は防音扉なので、かなり重たい。扉を引こうとした瞬間だった。
「あれ?」
その声に驚いて振り返ると、大岩くんがいた。
「柳原じゃん。どした? 珍しいじゃん。俺らの部に用事?」
私は何とかごまかそうとした。
「あぁ、うん……。えっとさ、ほら。新歓のポスターでさ、頼まれ事されちゃって」
「え? マジで。早くね?」
こういうところ、意外と鋭いのが大岩くん。これは要注意人物。
じゃなくて!
むしろ、こうして多少は話ができる仲なんだし、宮部先輩を呼び出してもらうことも……できるんじゃない?
「あの……さ。宮部先輩、いる?」
「宮部さん? あ~。お前、宮部さんと仲良いもんな。呼ぼうか?」
大岩くんはガラガラと扉を開けて、音楽室の中に入った。
「んー? いないのかな……」
大岩くんの独り言ばかりが聞こえてくる。
「あっ。忘れてた。今日、パー練だったんだ」
パー練? なんだろ、それ。
「悪い柳原。今日さ、パートごとに分かれて練習してんだ。そんでさ、フルートの部屋はお前のクラスだから。用事あんなら、直接行ってくれる?」
え?
「じゃ、そういうわけで~」
そ、そんな無責任な!
いや。責任も何も、彼にはないのか……。私が勝手に来て、勝手に呼び出してくれって言ったんだもんね。用事があるなら、彼には部屋の場所さえ教えればもう任務はおしまいって感じか……。
私は重い足取りで自分の教室へと向かう。まさか、教室へ行くのにこんなに緊張するとは思わなかった。
1年A組の教室前へ行く。隣のB組からは、クラリネットって言ったかな。その木管楽器の音がたくさん響いている。それに対して、A組からはひとつだけしか楽器の音が聞こえない。
私はそーっと部屋を覗き込んでみた。部屋の中には、宮部先輩が一人だけ。そしてそして。私の心臓はそこで飛び跳ねるほどに音が鳴り始めた。
私の席に宮部先輩が座っている。それだけで何かもう、私の心はざわついて一気に落ち着かなくなった。
やだ! ど、どうしよう。
いや、どうしようも何もないじゃない。ただ、先輩が普通に座ってるだけで……。
(うわぁ!?)
私はバランスを崩して扉を思い切り叩いてしまった。
「ひゃ!?」
部屋の中から宮部先輩の小さな悲鳴が聞こえた。
「だ、誰?」
こうなったらもう、言うしかないよね……。
「わ、私です……」
そっと扉を開けて私は顔を覗かせた。私の顔を見るなり、宮部先輩の顔が緩んだ。
「なぁんだ! 玲菜ちゃんじゃない」
「こんにちは」
私はなるべく平静を装って挨拶する。宮部先輩は楽器を置いて私のほうを向く。
「こっちおいでよ」
「は、はい」
「それで~? どうしたの?」
けれど、私は答えられない。緊張して声が震えて、思うように声が出ない。
「?」
宮部先輩がキョトンとした様子で私を見つめる。
「やぁだ! 私、わかっちゃった~!」
その声に私はドキッとした。もしかして、見抜かれた!?
「玲菜ちゃん、好きな人いるでしょ!?」
うわぁ……バレバレだ! な、なんで天然なのにこういうときに限って宮部先輩、鋭いの!?
さらに先輩はズバズバと言い当ててしまう。
「そんでもって、その人は吹奏楽部内にいる!」
そ、そこまで私ってわかりやすかったのかな……と思ったけれど、その後の言葉で私は拍子抜けしてしまう。
「それを私に相談しに来たんだ~! どう? 当たりでしょ!」
……残念です、先輩。最後の最後でハズレです。
けど、先輩は気づく様子もなく勝手に想像を始めていた。
「誰かな~……。玲菜ちゃんおとなしい子だから、やっぱりおとなしい感じの男子が好きなのかな。だとすれば日高くんか、富士原くん……。冨岡くんも好みかな?」
「――っ!」
私は耐え切れずに、先輩の横に座った。
「へ?」
先輩は一瞬、呆気に取られた。私は続ける。一瞬ためらったけど、すぐにあの言葉が蘇った。
お前は諦めないでほしい。俺みたいに。
そう。だから私は諦めない。
私は思い切り宮部先輩の手を握り締めて、言った。
「す、好きな人は、この部に、確かに、いま……す……」
声が震えた。
「誰? 落ち着いて、言って」
宮部先輩の優しい声に、私は想いを素直に吐露した。
「私……宮部先輩が、好きなんです……」
私の震える声が、静かに教室に響いた。
生まれて初めての、告白だった。




