50 後悔はしていない
俺は必死に走って走って、ようやく昇降口にたどり着いた。昇降口にはまだ、亮平が座っていた。
「賢斗……」
「……。」
息が荒くなってる。汗もかいてる。それに何より、緊張してる。ホント、なんだ。かなりヤバい。
「……。」
息遣いだけが聞こえる。亮平の顔も強ばってる。
「おっ……俺……」
言い出した途端に、涙がこぼれてきた。悔しい。諦めるような感じになるのが、すごい悔しい。
「俺……もう、お前のこと」
「それ以上言うな!」
亮平が俺を思い切り抱き締めてきた。
「え……」
「お願いだから……それ以上、もう何も言わないでくれ……」
亮平の言葉が俺はすぐに理解できなかった。頭がパニックになって、何をどうすればいいかわからなくなった。
それから冷静に考えてみた。ひょっとして、俺、皆を苦しめてる?
柳原に、亮平に、思い出さなくてもいいことを思い出したさとっぺに、宮部先輩に。そう考えたら、なんだか吐き気すら催してきそうだった。
俺……このまま、亮平と距離を保つよりもむしろ、離したほうがいいんじゃないか?
そう思い始めた。そうすれば、柳原が苦しむことも減るかもしれない。それより何より、亮平が俺にこだわらなくて済む。そうすれば、自然と亮平は宮部さん一筋でいけるだろう。言い方は悪いかもしれないけれど、そうすれば、柳原だって宮部さんに対する感情は変化するだろう。
俺が手放せばいい。この感情を。
ゴメン。さとっぺ。俺にはやっぱり、無理だった。
「俺……もう、亮平のこと……」
鼻声になってきた。泣くな、自分。普通、男が男を好きになるなんて、ありえねぇだろ? それに、俺と亮平は友達だったんだ。今ならまだ遅くない。友達に、戻れる。
「好きじゃない」
言った。
言ったと同時に、顔を見上げた。
亮平が、ショックを受けたような表情を浮かべていた。それを見て、俺も胸が締め付けられる。でも、もう揺らがない。
「あ……でも、誤解しないでほしい」
俺は補足した。
「あれだよ。もうさ、亮平を俺は恋愛対象として……見てないってことの、好きじゃない、だからさ」
無理やり笑顔を作る。けど、不自然さはない笑顔だと思う。
「これからもまぁ、今までどおり友達として、仲良くしてよ」
俺は亮平に手を差し伸べた。
「……あぁ」
亮平はどこか不服そうにしながら、手を差し伸べてきた。
「ありがと」
俺はニッコリ笑って最後に言った。
「じゃあ、またな」
「……うん」
「バイバイ」
俺はもう、決めた。
恋なんて、しない。
人を傷つけるようなモノなんて、いらない。
決めたんだ。
「……。」
まだ、手にあの感触は残っている。意外と、三宅くんの頬は柔らかかった。男の子ってもっとこう、ゴツゴツしているようなイメージがあったけど、思いのほか三宅くんは、綺麗な顔をしていて、肌も綺麗だった。
私は思わず立って、自分の顔を鏡で見てみる。
「うーん……もうちょっと、お手入れ入念にしなきゃ」
そんなことを考える余裕がある自分に少しだけ驚いた。
あの時、自分の感情を違う方向へ向けていた。いつまでたっても宮部さんに自分の思いを伝えられない自分にイライラしていたのに、それを何も悪くない三宅くんに思い切りぶつけてしまった。
彼には、申し訳ないことをした。
それに、大澤くんにはもっと悪いことをしたと思う。好きな人を目の前で叩かれるのを見るなんて、私なら耐えられないことなのに。
彼は何一つ文句すら言ってこない。
それとも、なんだろう。ひょっとして私に呆れてしまって、文句を言う気にすらなれないのかな……。
せっかく、彼とは同じ思いを秘めてる人同士、仲良くなれそうだったのに。なんだか、私からぶち壊してしまったような気がする……。
「玲菜~」
ボーッと天井を見つめていると、お母さんに呼ばれた。
「なぁに~?」
「お友達よ。いま外に来てるの」
誰だろう。何か忘れ物とかしたっけ。
「誰?」
私は階下に降りてお母さんに聞いた。
「えーっと……あら。名前なんだったかしら」
「わかんないのに呼んだの?」
「違うのよ。普段、聞いたことのないお名前だったから」
クラスメイトじゃないのかな。
「まぁいいわ。出てくる」
「あっ。でも、男の子だったわよ?」
男子?
私、男子にそんなに知り合いいないけど……。
「ひょっとして、ボーイフレンド?」
「それは100%ないよ、お母さん」
残念そうな顔をするお母さん。だってしょうがないじゃない。私、いま女の子が好きなんだもん。
「はぁーい」
ドアを開けて、彼の姿を見た途端心臓が止まりそうになった。
「……よう」
大澤くんだった。
「……どうしたの?」
「ちょっと、報告に来た」
報告?
もしかして……三宅くん、大澤くんと……?
「俺、亮平のこと、諦めるから」
「――え?」
私は耳を疑った。
「それだけ。じゃあな」
そう言って立ち去ろうとする彼の手を私は引いた。
「待って」
意味わかんない。同じ想いを持っている者同士、頑張ろうねって、言ったじゃない!
「意味わかんない。どうして? なんで急にそんな風に、諦めたって言うの?」
「……。」
大澤くんは私から目を逸らす。私はもう一度、ゆっくりとした声で聞いた。
「どうして?」
「……亮平と、柳原と……皆の、ため」
三宅くん?
私?
皆?
大澤くんの考えていることがいまひとつ読めなかった。
「待ってよ。意味わかんない」
「意味わかんなくてもいいよ。これは、俺が自分で納得すれば、それでいいから」
「……。」
最後に彼は投げ捨てるように言った。
「柳原だって、わかってんだろ? 同性を好きになったって、想いが叶うことなんて、ないんだってことくらい」
最後の声が、震えていた。
「……。」
「……。」
お互い黙り込んでしまう。それは、ハッキリとわかっていることだった。けれど、二人ともハッキリ口にすることは無かった。
「俺はもう……無かったことにするよ。俺が亮平を好きでいると、思っていたよりも周りが掻き乱されてる。もちろん、お前も含めて」
それだけ言うと、大澤くんはゆっくりと歩き始めた。一瞬、立ち止まって振り返る。
「でも……後悔はしてない。ただ」
彼の声が静かに私の胸に響く。
「お前は、諦めないでほしい。俺みたいに」
「……。」
「な?」
私は小さくうなずいてから答えた。
「わかった」
それを聞くと、大澤くんは淋しげだったけど確かに笑ってくれた。
夏の空気と秋の空気が半分ずつになる頃が近づいている、とある夕暮れの日の出来事だった。