47 一線突破
「俺と、キスして」
そう言われた瞬間、俺の頭が真っ白になった。
キス?
キスって、唇と唇重ねる、アレ?
「……。」
「……。」
カラスの鳴き声がする。そうだ。もう夕方なんだぜ?
体育祭が終わって、もうどこも部活はやってないし、学校内に残っている生徒もほんの少しだけ。そんな空間で、俺たちはどんな風にいま、映っているんだろう?
沈黙ばかりが続く。
賢斗の顔が、よく見えない。夕陽で逆光になっていて、表情が全然見えない。震えているのはわかった。陸上をやっていて、スラッとした筋肉質な体型の賢斗。その賢斗と対照的に、背ばっかりデカい俺。まるで、小動物とキリンのような、そんな光景。
俺たち、男同士だけど。
知ってる。
賢斗は、本気で俺が好きなんだ。
ここで冗談っぽく交わすことだってできる。だけど、それをすれば絶対、俺たちの関係は終わる。
俺は、賢斗との関係を終わらせるつもりはない。もちろん、俺は異性が好きだから……賢斗と付き合うことはできないけど、そんなことで彼の思いを踏みにじるのは、もっと嫌だ。
「わかった」
俺は意を決した。
「キスしよう」
「……いいのか?」
「あぁ」
俺は優しく笑って、少し怯えた様子の賢斗にそっと近づいた。
あと、20センチ。
意外。賢斗、なんか香水つけてる?
いい香りする。
なんで、俺、こんなドキドキして……。
あと10センチ。
その時だった。
バサッ――。
カバンの落ちるような音がした。俺たちは驚いてその音がした方を振り返る。
「やっ」
俺の声が震えた。
「柳原さん……」
「……。」
気まずい沈黙。その沈黙が続くこと30秒近く。そして、柳原さんが言った。
「何、してんの……?」
「……。」
二人とも答えることができなかった。
「何してんのって、聞いてるんだけど……」
「……。」
答えられるわけ、ないじゃないか。俺がそう心の中で呟いていた時だった。俺の頬に衝撃が走った。
「……痛って……」
柳原さんが目に涙をいっぱい溜めて震えていた。
「なんで……」
その声はもっと震えていた。
「なんで、フラフラ中途半端なことすんのよ!」
「え……?」
「三宅くん、宮部先輩のことが好きなんだよね!? なのに、何で今、大澤くんとキスなんてしようとしてたの!? ねぇ、なんでよ!?」
「そ、それは」
「宮部先輩が好きなのに、別の人とキスなんてする神経が信じられない! 私……私、あなたから宮部先輩が好きなんだって聞いてから、ずっとあなたにかなうわけないから、もう宮部先輩のこと諦めようかって、ずっとずっと悩んでたの! 一人で!」
柳原さんの声が玄関ホールに響き渡る。彼女はまだまだ続ける。
「なのに、なんなのよ! 私のこと、バカにしてるの!?」
「お、落ち着いてくれよ! 俺はそんなつもりはなかったんだ」
「ウソ! 絶対ウソ! ねぇ、それならここで言ってよ! 宮部先輩のことは好きじゃないって! ホントは大澤くんのことが大好きなんだって!」
「……。」
言えるわけないだろ。そんなこと。
「何で言えないの!? そんな態度ってことは、あれでしょ? 大澤くんのことがかわいそうだから、キスしてあげようとかそんな風に思ってるんでしょ!」
その言葉が胸に突き刺さった。
「いらないの! そんな同情! 余計なお世話なの! ホモとかどうとかいろいろ言われるよりも、そんな同情のほうが迷惑なの!」
俺は恐る恐る賢斗のほうを見た。賢斗の目にも涙が溜まっている。
「言いなさいよ! 宮部さんのこと好きじゃないって! 大澤くんのことが好きなんだって!」
その言葉を柳原さんが言い終えると同時に、俺は心臓が飛び出すかと思った。なぜなら――。
「どうしたの……? これ……」
そこには、宮部先輩、大谷先輩、水谷先輩、本堂先輩、そしてさとっぺがいた。
「!」
「!」
5人に気づいた途端、賢斗と柳原さんがすごい勢いで走り出した。
「……。」
気まずい空気だけが取り残され、俺たちは呆然と立ち尽くすことしかできなかった。