44 最高の一枚
まさか、こんなことになるとは思っても見なかった。
私は、中央玄関に飾られた絵を見て呆然としていた。呆然としているのは、私だけじゃない。こころも知未も、偶然そこで会った戸口くんも日高くんも、山崎くんも。それから、大澤くんと一緒に来た三宅くんも。
大澤くんが呟いた。
「これ……柳原が、描いたの?」
私はマヌケな答え方をした。
「そうみたい……」
プッとこころが笑う。
「そうみたいって……玲菜ぁ、アンタが描いたんでしょ!」
そう言ってこころは私の肩をバシバシと叩いた。
「痛いってば! もう!」
一番驚いたのは、私だった。
8月13日。宮部先輩にお願いしてモデルになってもらったときに描いた絵。タイトルは『木漏れ日の微笑』。自分の気持ちに素直になって、七海市役所横にある市役所公園のブランコに座って、先輩の絵を描いた。
好きな人の絵を。
最初は美術部の3回ある展示会のうち、夏休み後の展覧会での展示のみにするつもりだった。けれど、顧問の大久保先生が私の絵を是非、市の作品展覧会に出したいと言ったのだ。私は毛頭そんなところへ出してもらうつもりはなかったし、毎年3年生がそこへ作品を出展することになっていた。
だけれども、美羽先輩も私の絵のほうがずっと出し甲斐があると言ってくださり、結果的に私の絵が市の展覧会に出されることになった。そうしてつい昨日。2ヶ月間に及ぶ展示が終わり、その間に観覧に来たお客さんから得票数の多かったものを順に、最優秀賞、優秀賞、優良賞を選んだのだそうだ。私の作品は驚いたことに、最優秀賞に選ばれた。
これはすぐさま朗報として、学校中に報告された。私の絵は、あろうことか来校者から生徒、保護者まで出入りする中央玄関に展示されることになった。しかも、今年いっぱいだ。それを考えただけで赤くなる。
「それにしても、やっぱり綺麗よね」
知未が呟いた。
「本当だよな。これが実在の人だってんだから、信じらんねぇや」
山崎くんも腕を組んでウンウンとうなずく。日高くんと戸口くんが「しかも、俺たち同じ部活にいるしな、この人」と笑い合っている。
「そうよ~! これは本当にスゴいことなの」
振り返ると、美羽先輩がいた。
「先輩! おはようございます」
「おはよ、玲菜ちゃん。それにしても、すごいよねぇ。最優秀賞だなんて! さすが私の後輩だわ」
先輩は本当に嬉しそうに言ってくれた。やっぱり、美羽先輩だなぁと思ってしまう。
「ねぇ」
美羽先輩は私の気持ちなんて全然知らないだろう。だけど、言われるとドキッとしてしまう。
「この絵のモデルになってくれた、宮部さんだっけ? 報告した?」
私はフルフルと首を横に振る。美羽先輩が驚いて目を丸くした。
「ダメじゃない! ちゃあんとお礼と報告しなきゃ」
「なんか……恥ずかしくて」
不意に後ろから声がした。
「恥ずかしがることなんて、ないじゃない」
振り返ると、宮部先輩がいた。
「み、宮部先輩!」
「えへへ~」
よく見ると吹奏楽部の同級生だろうか。同じパートの大谷さんに、会った覚えのある背の高い男子の先輩と背の低い男子の先輩。後はよく知らない人たちばっかりだったけど、なんとなく関西弁の人は覚えてる。普通の女の子なら、まず好きになりそうな顔立ちをしていた。
関西弁の人が言う。
「それにしても、天然の宮部っちがここまで美人になるかぁ~」
ショートヘアの快活な人が関西弁の人の背中を叩いた。
「ちょっと! 由美ちゃんに失礼でしょ? デリカシーのないこと言わないで」
「そうよ、そうよ! 翔ってそういうとこ無神経なんだから」
ショートの人に続けて、肩まで髪を伸ばした女子の先輩が関西弁の人の背中を叩く。そのとき私はすぐに気づいた。女子の先輩が関西弁の先輩を「カケル」と名前で呼んでいたことに。
その様子をしばらく見守っていると、宮部先輩が隣に来た。
「ゴメンね、うるさくって」
「いえ……」
やばいかも。ドキドキが止まらなくなってる。
「あの二人、本当に付き合ってるんだかね~」
宮部先輩は関西弁のカケル先輩とその彼女っぽい人を見つめて笑っていた。
「まぁ、すぐわかるだろうけど。あの二人、付き合ってるのよ」
「あぁ……そうですよね。なんとなく、わかります」
私は思わず笑ってしまった。だってこの二人、すっごくお似合い。なんていうか、付き合っていないほうがビックリしちゃうくらいだもの。
「今度はあの二人、モデルにどう? あのままの姿を描いてあげてよ」
「おもしろそうですね」
私は笑いをこらえるのが大変だ。なんだか、ギャグっぽい二人。ギャグな絵ができてしまいそう。
「それにしても、よくまぁ私をここまで綺麗に描けたねぇ」
宮部先輩が改めてシゲシゲと絵を見つめる。
「私、こんなに綺麗かな? 美化したんじゃないの?」
宮部先輩が笑いながら言っているのに、私は真顔で答えてしまった。
「いえ! 見たまま、そのままを描くように常に意識しているので。私は、これが宮部先輩そのものだと思っています」
宮部先輩は顔を赤くしていた。
「や、やだ! 私……何言ってんだろ。恥ずかしい」
私は自分の言葉を反芻してあまりに直球過ぎる言葉に赤くなってしまった。
「いやぁ……な、なんか照れるね! そうかぁ~……」
宮部先輩は絵をまじまじと見てくれた。
「嬉しい」
先輩は私に笑顔を向けてくれた。
「私の、一度しかない17歳の瞬間を……ずっと残る形で。それも写真じゃなくて、こんな素敵な絵で残してもらえるなんて……。私、幸せ者だね」
「……。」
先輩の直球な感想に、私はますます赤くなった。
「ねぇ!」
宮部先輩が私の手を握った。思わず放してしまいそうになったが、不自然になってしまうので私は何とか我慢した。
「私の絵、これからも何枚か描いてもらっていい?」
「え……?」
私は予想外の言葉に驚いて、目が点になってしまった。
「写真もいいけど……こんな風に、違う形で私の一瞬を残してほしいなって思って」
どうしよう。
すごく……嬉しい。
私は涙が出そうになるのを堪えるために、俯いて答えた。
「はい……! また、絶対……!」
「ありがとう!」
先輩の弾けるような笑顔が、私の胸をさらに締め付けた。
予鈴が鳴ったので、私たちは少し急ぎながら上履きに履き替える。吹奏楽部の先輩たちと宮部先輩は一緒に上へ上がっていく。私はこころや三宅くんたちと一緒に教室へ向かう。季節はもう、秋だ。私も大澤くんも、夏休み前に比べるといくらか落ち着いて、クラスでも普通どおりに大澤くんに接してくれる人が増えた。それだけで、嬉しかった。
――こんな風に、違う形で私の一瞬を残してほしいなって思って。
宮部先輩を好きになったことは、私の中では一瞬どころではなくなってきた。もう、私の今の心の半分以上を占めている。この想いがいつか、とめどなくあふれ出しそうだ。
正直言って、今回描いた絵も、そんな気持ちが滲み出かけた絵だった。
あふれ出す前に言うべきかどうか。
私はまだ少し、悩んでいた。




