43 おねがい
「俺……好きな人がいるんだ」
……。
一瞬、何もかも音が消えた。
バスの走る音から、電車の接近を知らせるスピーカーの音。話し声。何もかもが消えて、俺の頭は真っ白になった。
知らなかったわけじゃない。わかってた。亮平と一緒に歩いていて、たまにすれ違う、女の人。
吹奏楽部のフルートの先輩で、名前を宮部さんと言った。気になった俺が、まこっちゃんに確認した。まこっちゃんと同じパートだそうで、ちょっと天然だけれど優しい先輩だと、まこっちゃんは教えてくれた。
そういえば、亮平が吹奏楽部に見学に行った時、優しくいろいろ教えてくれたのが彼女だったというのを、亮平自身から聞いた覚えがある。
そうか。
きっと、亮平は宮部さんに出会った瞬間から、彼女のことが好きだったんだろう。好きで好きで、本当に好きで。
その気持ち、わかってた。でも、知らないフリをしていた。知らないフリをしていたかった。そうすることで、自分の思いは無駄なんかじゃないって、自分で確認していた。でも、それが苦しくなってきた。
だから、言った。
言ったことに後悔はない。後悔があるとすれば、ひとつだけ。
宮部さんに出会う前に、亮平を好きになっておきたかったな。
だからといって、彼女と出会う前の亮平に告白しても、付き合えるわけでもなんでもない。日本で同性愛者として生きていくにはまだまだ辛い部分が多すぎる。俺は亮平を好きになって、いろんなことを知れた。
人を好きになる嬉しさと辛さ。日本という国の現状。恋することの清さと浅はかさ。嫉妬や憎悪の怖さ。告白する瞬間の甘酸っぱさ。フラれたときの辛さ。
亮平を好きになって、本当に良かった。それより何より、告白することができて、本当に良かった。俺の思いは、無駄にならない。
でも、まだ俺は諦めないよ。
告白するだけで終わらせるつもりなんて、毛頭ない。
俺は言った。
「亮平」
「……何?」
「お願いがあるんだ」
「何?」
沈黙が続く。亮平が俺の目の前に顔を近づけてきた。
「キスでもしてほしいか?」
「!」
俺は顔を背けた。
「なっ、なんだよ! ビックリさせんな! 誰がそんなこと……」
「ハハハッ! なぁんだ。てっきりお願いっていうから、キスかと思ってさ」
亮平の笑った顔。見ると、嬉しい。
「それで、お願いって?」
「俺……いま、お前に告白したけど」
「うん」
「好きな人、いるんだよな?」
「うん」
だけど。俺は諦めないって、決めた。
「でも、俺……まだまだずーっと、亮平のことが好きだ!」
「!」
予想外の大声に一瞬亮平の表情が狼狽したものに変わったけど、周囲は俺たちに意外と無関心だったのですぐに亮平も落ち着いた表情に戻った。
「うん」
亮平が優しく笑い、答えてくれた。
「だから……」
途中で声が裏返った。胸が熱くなって、どうしようもなくなって。
「だ……から……」
気づけば声が震えて、俺は目からポロポロと涙を流していた。
「賢斗……」
「へへ……。おかしいなぁ! こんっ……なっ……つもりぢぁ……」
鼻声になっておかしな声が出る。
「ウッ……ック……」
「……。」
涙が止まらない。泣くつもりなんて全然なかったのに。
不意に、俺の体を暖かいものが包み込んだ。
「……?」
見上げると、亮平が俺を抱き締めていた。
「りょ、亮平?」
「大丈夫だよ。周り、誰も俺たちなんか見てないもん」
「……。」
いい匂いがする。柔軟剤かな。制服、いい匂いがする。
嬉しい。好きな人に抱いてもらえるって、こんなに気持ちよくて……嬉しいものなんだ。
「ありがとう」
亮平が言った。
「俺なんかを好きになってくれて」
俺は思い切り亮平を抱き締めた。
「亮平」
「ん?」
「お願いがあるんだ?」
「なんだ?」
「俺……まだ、諦めたくない」
「え?」
亮平の目を見つめて、ハッキリと言った。
「まだ、亮平を好きでいさせて」
「……。」
亮平の目が丸くなる。
「いつか、亮平が俺のことを好きだって言ってくれる日が来るまで俺、頑張るから。だから、好きでいさせて」
「……。」
「お願い」
亮平の大きな手が俺の頭をクシャクシャと撫でた。
「楽しみにしてる」
「……何を?」
「お前が、俺を振り向かせてくれるのを」
亮平の言葉に俺は思わず笑ってしまった。
「……話はこれだけ。これだけのためにわざわざ、呼び出してゴメン」
「ううん」
俺は亮平をもう一度見上げてから、言った。
「じゃあ、帰ろうか」
「え? もう?」
亮平の言葉に俺が今度は驚かされる。
「だって……用事は終わったし」
「用事って、告白?」
「お、おい! ハズいじゃんか!」
「ハハッ!」
亮平の屈託のない笑みに、心臓が疼く。
「でもさ! せっかく普段部活で忙しい二人が会えたんだぜ? せっかくだし、ちょっとウロウロして行こうぜ!」
「で、でも……」
「いいからいいから! ほら、行くぞ!」
俺に有無を言わさず、亮平が走り出した。
「お、おい待てって!」
「あ、そうだな」
亮平が立ち止まった。それからおもむろに俺の手を亮平の左手が握り締める。
「は、はぁ!?」
真っ赤になっているのが自分でもわかる。どうしたんだよ亮平、急に!
「いいじゃん」
「な、何が!?」
「ガキの頃、俺たち毎日こうして手ぇ繋いで遊びに行ってたじゃん!」
「もうガキじゃないだろ!?」
「でも、未成年は子供だろ?」
「……。」
こういうちょっと理屈っぽいとこも変わってないな。でも、そういう亮平も俺は好きだよ?
「しょうがないなー」
俺はやれやれという具合で言った。
「ちょっとだけ付き合ってやるか!」
「おっ、生意気言うじゃん。よーし、じゃあ七海中央商店街巡りだ!」
「おう!」
俺と亮平は昼下がりの商店街に向かって走っていく。まだ諦めるには早い。可能性が費えたわけではない。俺にだって、可能性はあるんだから。
そう気づいた、初秋の休日だった。