37 私の好きな人
7月28日、金曜日。
私は七海市役所前の公園で待ち合わせをしていた。それは昨夜のことだった。突然だった。
「あ……玲菜―!」
お母さんの呼ぶ声。英語の課題をしていた私はシャーペンの手を止め、ドアを開けた。暑いから、冷房を掛けてないとやっていられない。
「なぁにー?」
「電話よー!」
お母さんはメールでも電話でもどっちでもすぐに「電話」って言う。きっと今日だってメールなのにきっと電話って言ってるんだ。
「いいー! どうせメールでしょ? 誰から?」
「宮部さんって出てるわよ!」
私はその名前を聞いて、シャーペンを放り投げて下へ降りた。
「どうしたの? スゴい勢いね」
「ケ、ケータイは!?」
「はい。ここよ」
「うわ! 電話だったし!」
珍しいこともある。本当に電話だった。
「もっ、もしもし!」
『あ、もしもし? 玲菜ちゃん』
「はい! 玲菜です!」
『こんばんは。宮部です』
「こ、こんばんは!」
うわぁ! すごいドキドキしてる……。
『ゴメンね~急に。いま大丈夫?』
「は、はい!」
私はひとまず、自分の部屋に戻った。
『実はね、本当に急なんだけど、明日会えない?』
「明日ですか?」
『用事ある?』
「全然! 超ヒマです!」
『本当? じゃあ明日、市役所公園に11時で。楽しみにしてるね』
「はい!」
そうして、今に至るっていうわけ。それにしても、宮部先輩……急にどうしたんだろう? でも、私も電話をかけようとして恥ずかしくて結局、できずにいた。今日がいいキッカケだったと思う。私は横須賀旅行のお土産片手に、公園へやって来た。
(デートなの?)
お母さんは私を見送る時、そう嬉しそうに聞いた。私は先輩に会うの! でも、女のね!と言って出てきた。お母さんは残念そうにしていたけど、私は嬉しい。だって、これは私の中ではデートに近いからだ。
「玲菜ちゃん!」
先輩がこれ以上ないというくらいの笑顔で駆け寄ってきた。それだけで私の心臓はテンポアップする。
「遅くなってゴメンねー! 暑いのに!」
「いっ、いえ! 私は暑いの平気なので!」
「そう? ゴメンね、ホント」
先輩はハァハァと息を荒くしながらしばらく立ち尽くしていた。
「先輩」
「うん?」
「お茶……飲んでください。走って喉渇いてませんか?」
先輩は嬉しそうに目を細めて「ありがとう。いただきます」とお茶を手に取ってくれた。指先が触れる。それだけで私はドキドキしてしまう。
「あ、そうだ。今日のお昼なんだけど……そこのラパウザに行こうと思うけど、いい?」
「はい!」
先輩とならどこでもいいです!っていうのが、正直な理由だった。ラパウザは思いのほか距離が近い。
「いらっしゃいませー!」
元気な男性店員の声が飛んできた。
「いらっしゃいませ! 何名様で……ってあー!」
「あー!」
私も思わず声を上げる。
「や、山崎くん!」
「何やってんの! 柳原!」
「それはこっちのセリフ! 体操部って確か……」
「わわわわ! ゴ、ゴメン柳原! 俺、この夏厳しくって……お金必要なんだよ! お願い! 黙ってて!」
「……。」
私がすごく困っているのが宮部先輩にも伝わったみたいで、先輩は優しく言った。
「お友達?」
「は、はい」
「お互い困ってる時は助け合わないと! ここは黙っててあげよう?」
「……はい」
「マジ? 柳原、黙っててくれるのか?」
「うん」
「ありがとー! すみません、先輩もありがとうございます!」
宮部先輩は笑顔で「その代わり、いい席案内してね!」と答えた。
席に案内されてから「常盤」という名札を付けた大学生くらいの女の人が接客に当たってくれた。
「あら? 貴方……」
「え?」
常盤さんが宮部先輩を見ておもむろに呟いた。
「ねぇ、あなた亮ちゃんと知り合いじゃない?」
「え?」
私も宮部先輩も聞き覚えのある名前に一瞬戸惑った。
「やっぱり! あなた、吹奏楽部じゃない?」
「はい……そうですけど」
「あぁー! この子かぁ……」
常盤さんがマジマジと宮部先輩を見つめる。
「なるほどね! うん、なるほどー」
「ストップ」
聞き覚えのある声が聞こえたほうを振り返ると、三宅くんがいた。
「やめてよ、梨絵さん。恥ずかしいじゃん」
「やだもー! ハッキリ言えばいいのに」
「ほら! もうあっち行って!」
私も宮部先輩もよくわからないまま、三宅くんが常盤さんを追い返してしまった。
「すいません」
「う、ううん」
宮部先輩はなんだか言葉に詰まっているようだった。代わりに私が会話を繋ぐ。
「三宅くんも、アルバイト?」
ちなみに、吹奏楽部はアルバイト禁止ではないそうです。宮部先輩が言ってました。
「うん。ここのオーナー、俺の親戚のおじさんがやってんの。さっきの常盤さん、俺の従姉妹。もう一人、俺の1つ下の子もいるんだけど、その子まだ15でバイトやらせたらマズいから、代わりに俺が入ってる」
「そうなんだー! 似合ってるよ、その格好」
「へへ……サンキュ。んじゃ、ご注文どうぞ」
「はい! 先輩、何にします?」
「えっと……カ、カルボナーラ……」
「カルボナーラ1つと、私はサンドイッチセットでお願いします」
「お飲み物は?」
「先輩、飲み物飲み物!」
「えと……カルボナーラで」
「先輩、飲み物です」
私と三宅くんは思わず笑ってしまった。
「あ、やだなぁ私ってば! えっと……カルピスで」
「かしこまりました。柳原さんは?」
「私はメロンソーダでお願いします」
「かしこまりました。では、しばらくお待ちください」
三宅くんはスムーズに注文を取ると、すぐに厨房へ戻って行った。
「……。」
あれ?
急に会話がなくなった。先輩、どうしたんだろう?
「先輩? どうしたんですか?」
「あっ、あのね」
先輩の顔が赤くなる。
「今日は、玲菜ちゃんに話があって来たの」
「は、はい」
私も緊張する。そして、その次の言葉に私はますますドキドキした。しかも、耳打ちされたんだから、たまらない。
「私ね……好きな人、いるの」
「……本当ですか!?」
「うん……」
私はその言葉に妙な期待を抱いてしまった。でも、聞かないほうがよかったのかもしれない。
出てきた人の名前は、私もよく知っている人だっただけに、ショックだった。
「私……三宅くんのことが、好きなの」
その言葉を聞いた瞬間、何も聞こえなくなったような気さえした。