36 ずっと、大切にしたい
「……。」
目を覚ますと、白い天井が見えた。それから横に視線を移すと、リョウの顔が見えた。
「よう。目、覚めた?」
「リョウ……。来てくれたんだ」
やっぱり、手紙のとおりだ。リョウは嘘なんてつかない。
「手紙……」
「うん。ゴメンな? 呼び出しておいて、来るの遅れて」
「……いいよ。それより、俺も迷惑かけてゴメンな?」
「何言ってんだよ」
リョウがコツン!と俺の額を突いた。
「お前が無事だったなら、それで俺はいい」
「……うん」
リョウがニコッと笑ってくれた。俺の心臓がまた、ドキドキする。
「あ、そうだ。医者が言ってたけど、もう低体温症も治ったらしいから、ホテルの部屋に戻ってもいいってさ」
「そうなんだ……。いま、何時?」
「ん? 8時半」
え!? 8時半!?
「夜の!?」
「うん」
ウソだろ……。俺が覚えてるのは3時ごろだったのに。
「リョウ、ご飯食べた?」
「いいや。まだ」
「なんで?」
「お前が目ぇ覚ますまでは、心配でご飯なんて喉通らないよ。どっちにしたって」
「……。」
そういうことを聞くとさ……期待しちゃうじゃん?
「あ、そうだ」
リョウが思い出したように立ち上がった。医務室にはちょっとした炊事場があって、お茶を淹れたり、軽食を準備したりできる。リョウは急須にお茶を漉して淹れてくれた。
「温かいくらいだと思う。温まるぜ?」
「ありがとう」
俺はリョウからお茶を受け取って飲んだ。
温かい。
なんだか、俺にはこのお茶の温かさがリョウの気持ちを代弁してくれている気がした。そう思えるだけで、俺は嬉しかった。
「食べる?」
そう言ってリョウが次に取り出したのは、綺麗な形をしたおにぎりだった。
「おにぎり? リョウが作ったの?」
「まさか。偶然来てた久遠と枝野に菅原たちが、お前が倒れたのを心配して、作ってくれたんだぜ?」
「そうなんだ……」
確かに、俺も菅原さんたちと会った。そんなに親しいわけではない彼女たちもこうして、俺のことを心配してくれているって思うと、嬉しくなった。
おにぎりをリョウと並んで頬張る。小さい頃、2人で遊びに出かけて空き地や公園でこうしておにぎりを頬張ることがよくあった。リョウはそんなこと、もう覚えてないかもしれないけれど。
「そういえばさ」
リョウが不意に呟いた。
「俺たち、よく空き地とか公園でこうして一緒におにぎり食べたりしたなぁ」
「お、覚えてるのか?」
俺は驚いて聞き返した。
「覚えてるよ。あの時からウチも賢斗の家も両親が共働きで、俺たち2人であちこち出かけて、冒険とかしたな。怪我とかもしょっちゅうで、2人して怒られたけど、すっごい楽しかった」
素直に驚いた。俺だけが大切にしていると思っていた、小さい頃からのリョウとの想い出。この想い出を共有していたんだと思うと、胸が熱くなる。
「俺は……どれだけ大きくなって、大学生になっても、親になっても、オッサンになっても、おじいちゃんになっても……お前との想い出、忘れない」
リョウがそう、ハッキリ言ってくれた。
「……。」
嬉しくて俺は不意に涙を流した。リョウはきっと、気づいていない。そう思ったのに、突然リョウの手がハンカチと一緒に俺の前に伸びてきた。
「何……」
「涙。拭けば?」
「ん……」
俺は黙ってハンカチを受け取り、涙を拭った。
「なぁ」
「何……」
「……。」
「なんだよ」
「お前さ。畔上から告白されたって、マジ?」
ドキッとした。なんでそれをリョウが知ってるんだろう? 動揺して言葉が出ない。
「返事、した?」
「……まだ」
リョウが優しい目で俺に言った。
「ダメじゃん。ちゃんと、返事しないと」
「……。」
「お前は、畔上のことをどう思ってるか知らないけどさ。お前のことを好きだって言ってくれる人がいるんだぜ? これって、マジすごいんだから」
「……うん」
確かにそうだ。男を好きになってる俺なんかを、畔上は好きになってくれた。不思議だったけれど、それ以上に確かに嬉しかった。リョウが隣にいる時と、いや、それ以上にドキドキした。
「返事して来いよ」
「今からでも遅くない?」
「全然遅くない」
リョウの最後の言葉が、俺の背中を押した。
「自分に素直になれよ」
「……うん!」
俺は病室を飛び出した。エレベーターで10階へ上がり、畔上の部屋をノックしたけど返事がない。だから枝野たちがいるとリョウに聞いた部屋をノックする。
「お、大澤くん!」
久遠がたまたまいて、すごく驚いていた。
「あ、畔上は?」
「菜穂? 部屋にいなかった?」
「いなかった」
「おかしいな……。菜穂、考え事あるから一人になりたいって言ってたのに」
「わかった。探すよ。ありがとう!」
俺は久遠が何かを言おうとしていたのを聞かずに、とりあえず最上階に上がった。屋上には、テラスがある。ここから見える横須賀港の景色は抜群だ。きっと、女の子ならここにいる。俺はなんとなくだけど、そう思っていた。
屋上に上がると、予想どおりだった。畔上がいた。
「……。」
心臓がドキドキする。俺は深呼吸してから、彼女の名前を呼んだ。
「畔上」
「!」
驚いて畔上が振り返る。
「大澤くん……」
「……あの」
言葉に詰まる。けれど、素直になれというリョウの言葉が俺の背中をしっかりと、支えてくれていた。
「告白の返事に、来ました」
「……はい」
風の吹く音が俺たちの耳に静かに聞こえる。電車の走る音がこだました。
「率直に言います」
「はい」
ゴメンな。畔上。
「俺……畔上とは、付き合えません」
「……。」
「俺には……好きな人が、います」
本音を畔上には言えた。次々と言葉が出る。
「小さい頃からソイツとは仲が良くて……いつから好きだったかなんて、わからないぐらい好きなんだ。気がつけば、ソイツのことを頭で考えてる。目が、追ってる。耳が、声に反応する。もう、俺の一部みたいになってるんだ」
「……。」
「だから……ゴメンなさい。でも、俺を好きになってくれて、ありがとう。畔上に告白されて、それからいろいろ考えて、いまこうして返事をしている間も……俺の好きな人のことを考えたり、傍にいる時とは違う、ドキドキを……感じさせてくれて、ありがとう」
畔上が小さく首を振った。
「応えてくれて……返事をくれて……ありがとう」
畔上の顔は、晴れやかだった。
「お願いが3つあるの。いい?」
「多いな」
俺は思わず笑ってしまった。
「ひとつめ。これからも、友達でいい。仲良くしてくれますか?」
「もちろん」
「ふたつめ」
「何?」
少し間が空いた。顔を赤くして言った。
「名前で……一度だけ、呼んでください」
「……。」
少し俺も間を空けた。ワザとだ。
「菜穂」
「……。」
畔上の顔が赤くなる。
「最後です」
「……どうぞ」
「ギュッて、してください」
「……お安い御用」
俺は畔上をしっかり、抱き締めてやった。畔上が俺の胸に顔を埋めてきた。俺はそれに抵抗せず、むしろシッカリと抱き締めてやる。
「ありがとう。賢斗くん」
「……いえ」
最後に俺はしっかりと畔上と握手をした。夏の生ぬるい風が、俺たちの頬を撫でる。
「下へ行こうか」
「うん」
俺はしっかりと、ケジメをつけた。
こうして、俺たちの激動の横須賀旅行は、静かに終わりを告げたんだ。