35 命に代えても
「賢斗!」
俺は必死に賢斗を呼んだ。でも、思ったよりも賢斗のいる場所は遠く、雨でぬかるんだ地面が俺の足を奪う。しかも、かなり急だ。
「おい! 俺が行く! 危ないだろ!?」
琴弥が俺を引きとめようとしたが、絶対に俺は引き下がりたくない。
「嫌だ! 絶対に俺が行く!」
「みーやん! 危ないって! よせよ!」
「まこっちゃん! 頼む。俺に行かせてくれ!」
「やめろ! 俺が行ってくるから!」
「2人ともストップ!」
優っちが叫んだ。
「ここは絶対、みーやんが行ったほうがいい」
「なんでだよ!?」
琴弥が優っちの襟をつかんだ。
「いいから! 行け、みーやん!」
俺は優っちの声を合図に、琴弥の手を振り払い慎重に崖を降りた。
賢斗。
もすうぐだ。
俺、お前を助けるからな。絶対。
上から琴弥と優っちの言い合う声が聞こえる。
「俺のほうがパワーあるんだから、俺が行ったほうが確実に安定して賢斗を助けてやれるだろ!?」
「そういう問題じゃないんだよ。今はみーやんじゃないと、絶対ダメなんだ」
「なんでだよ!?」
「わかれよ!」
優っちのその怒鳴り声を最後に、静まり返った。俺はあまり気に留めず、慎重に下へ降りていく。
4メートルほど降りてようやく、賢斗に近づいた。
「賢斗」
優しく俺が声をかけると、賢斗がうっすら目を開けた。
「リョウ……」
「賢斗……」
ホッとした。よかった。無事なんだ。
そう思って賢斗に触れて、ドキッとした。異様に体が冷たい。
「リョウ……寒い……」
その言葉を最後に、賢斗の手が俺の手から落ちた。
「え……? け、賢斗……」
ウソだろ? いま、目ぇ開けたじゃん……!
「賢斗! おい! 起きろよ、賢斗!」
「みーやん!? どうしたんだよ!?」
琴弥の声が聞こえた。
「賢斗が……賢斗の体が冷たくて、賢斗、意識ないんだ!」
「意識がない!?」
琴弥の声が響く。
「息は!?」
「し、してない……」
「みーやん! すぐに上がって来い! 賢斗、抱いて来れるか!?」
「背負ってなら行ける!」
「早く!」
俺はしっかりと賢斗を背中に背負い、崖を必死に登った。正直言って、弦バスという楽器を俺は弾いているので、あまり手を傷つけたくなかった。でも、今はそんなことを言っている場合ではない。
5メートルほどある崖を、俺は降りるときよりも早く上がってきた。
「寝かせて」
「わかった」
琴弥が声をかける。
「賢斗。聞こえるか、賢斗!」
しかし、応答がない。
「……。」
雨の降る音だけが響く。
「大丈夫だ。心臓は止まってない」
「じゃあ、なんで息しないんだ!?」
「……。」
「琴弥!」
「お前……心配しすぎ」
「え……?」
「ホラ」
琴弥が俺の耳を無理やり賢斗の鼻の近くへくっつけた。スゥ……スゥ……と息の音が聞こえる。
「あ……」
「息してるだろ」
「……。」
あっという間に力が抜けて、俺は尻餅をついた。
「よし。後は俺が背負って行く。ちょっと体温が低くなって、ボーッとしてるみたいだ」
「大丈夫なのか?」
俺の念を押す質問に、琴弥は笑って言った。
「ホテルに帰って温めれば、何の問題もない」
「……よかった」
ポロポロと涙がこぼれ落ちて、止まらなくなってきた。おまけに、嗚咽まで始まった。
「大事なんだな」
琴弥が心底羨ましそうに、そう呟いた。
俺はなんのためらいもなく、こう言えた。
「命に代えても守っていい、そんな存在だ」
ホテルに帰ってから、久遠たちは青ざめた表情でずっと俯いていた。久遠も、畔上も枝野も菅原も、声ひとつ発さない。
「琴弥」
琴弥が戻ってきたので、まこっちゃんが彼の名前を呼んだ。
「どう? 賢斗……」
「心配ない。ホテルの医務室行ったけど、少し温めればすぐに回復するって」
「よかった!」
「みーやん。俺、まこっちゃんと優っちで部屋に戻って賢斗の服とか取ってくるよ・ビチョビチョになったからさ」
「OK」
琴弥たちはあえて久遠たちに一言も声を掛けず、冷めた目だけを向けて上へ上がっていった。
「……。」
沈黙だけが続く。俺もこんな重苦しい空間嫌だし、賢斗の様子でも見に行ってみるか。
「……?」
立ち上がって久遠たちの前を通った時、突然菅原が俺の服を引っ張ってきた。思わず、俺もキツい目で彼女を睨んでしまった。
「ゴメンなさい……」
それでも菅原は怯まずにこう呟いた。
「何が?」
俺は怒りがまだ収まらず、冷たい声で続けた。
「あなたの……大事な人を、傷つけてしまって……ゴメンなさい」
「……。」
菅原の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。わかってる。菅原は、大事な友達――畔上のために、畔上を俺に振り向かせたいがために、賢斗にあんなことをしてしまったんだって。久遠も、枝野も。友人のために、動いた。その動き方をちょっと、間違えただけなんだ。
そう思うと、急に彼女たちのことを許せる気分になった。
ポン、と菅原の頭を撫でた。
「いいよ」
「え?」
こればかりはウソなんかじゃない。心からの笑顔。
「久遠も、枝野も、お前も……。畔上のためを思っての、行動だったんだよな?」
「……うん」
「ちょっと行き過ぎだったけど、その思いだけは、理解る」
「……ありがとう」
久遠が立ち上がり「ゴメンなさい」と言おうとした。
「いいよ」
「で、でも」
「賢斗が無事だったんだ。俺はお前らを責めるつもりなんて、サラサラないから」
「……。」
「部屋戻りなよ。俺、賢斗のトコ行ってるから」
俺は彼女たちに手を振り、医務室に向かった。