30 夏の匂い
「……。」
小旅行当日。旅行は1泊2日。吹奏楽部の亮平とまこっちゃんに優っち、体操部の琴弥がうまく休みだったこの日を利用して、俺たちは小旅行を決行した。
ちなみにメンバーは俺、三宅 亮平、山崎 琴弥、戸口 誠、日高 優、前橋こころ、藤岡 知未、柳原 玲菜、今まであまり俺と関わってこなかった久遠 遥子、そしてなぜか、畔上 菜穂がいた。
「……。」
「おい、どうしたんだよ?」
亮平が心配そうに俺に声をかけた。
「何が」
「お前、すっげぇ不機嫌っぽいけど……」
「別に」
「そう……?」
「うん。悪いけど俺、眠いから寝るね」
最低だと思う。せっかくの旅行なのに、こんな不機嫌な感じ丸出しのヤツ。
最近、亮平との関係が良くなったり悪くなったりの繰り返しだ。それもそうだろう。好きだって言っておいて、自分が不安になったら「友達としての好き」とか言って、自分の都合の良いように持って行く。本当は恋愛対象だよ。そう言いたいのに、以前の事件が気になって、結局言い出せずに夏休み前になってしまった。
さらにその悪循環に拍車をかけてくれたのが、何も知るよしのない畔上だった。俺のことが好きだという畔上。どうやら、俺のクラスメイトである久遠 遥子とは小学校からの友人のようで、久遠づてにこの小旅行の話を聞いたとき、是が非でも参加したいと言ったそうだ。
集合した時、畔上の姿を見て亮平の隣にいる時とは違うドキドキが鳴り出した。亮平もまこっちゃんも優っちも琴弥も「あれ? その子……」と言って不思議そうな顔をした。久遠は「仲良しだから、ついつい連れてきちゃって……」とか言ってた。亮平たちは特に疑う様子もなく、納得していたようだ。俺は全然納得していないけど。
いつ、全員の目の前で「あの日の返事、ちょうだい」なんて言われるかわかったもんじゃない。怖すぎる。亮平にも知られたくないのに。
でも、返事をどうすればいい? 好きな人はいない。それは女子には、だ。あんな事件があってから、俺の名前は学年のほとんどに噂という形で広がった。まぁ、それもあって1学期は学校に来なかったんだけど。
ダメだ。好きな人はいないという返事はできない。じゃあ、どうする?
手っ取り早いのは、亮平とケンカすること。ケンカして口も利けないくらいに仲を悪くしてしまえばいい。けど、そんなことをできるはずがない。今でも、ちょっとぶっきらぼうな態度を取っただけでこれだけ、自分が取り乱しているのがわかる。そんなことはできない。
「ごめん、ちょっといい?」
亮平が俺の目の前に顔を出してきた。
「! な、なに!?」
「窓開けていい?」
「は!? 冷房入ってるじゃん」
「その冷房がちょっと嫌なんだよ、俺」
「何が? 意味わかんねー」
「冷房独特の匂いが充満してきてて、ちょっと空気の入れ替えしたいんだよ」
そんなさぁ……ストーブとかじゃねぇのに。ま、いっか。
「はいはい。開ければいいんでしょ」
「はいは1回」
クソッ。なんか腹立つ。
でも、こういうやり取りをしていれば普通の男友達だよな。まったくもって、なんで俺はよりによって親友に恋愛感情を抱いてしまったんだ。
「前、失礼~」
俺の目の前に亮平の体がドアップで映った。ワックスの香りと、若干の汗の匂い。臭いじゃない。字としては匂いのほうがいい。
「ん~!」
窓を開けるなり、亮平は深呼吸した。お願いだから、早く自分の席戻って。じゃなきゃ、心臓が持たない。
「ちょ、いつまで前にいるんだよ。暑苦しい」
「なんだよ。さっきから機嫌悪いヤツだな」
亮平はブスッとした顔を浮かべて俺の隣の席に戻った。
開かれた窓から、外の空気が流れてくる。夏特有の湿った暑い空気。でも、陸上部の俺としては嫌いじゃない。
あー。夏の匂いがする。なんか、季節ごとに匂いってしない? 春には少しずつ暖かみの増してくる、やわらかい空気。秋には、涼しげでどこか寂しげな空気。冬には乾いた冷たい空気。えらく詩人みたいなこと言ってるように感じるけど、やっぱり俺、季節にはいろんな匂いがあると思う。
そういえば昔、亮平にそういう話を聞いたな。亮平の影響が大きいのかもしれない。
「夏の匂いがするなぁ」
……。
あれ? 俺の心の声が漏れてる?
「な? 賢斗もそう思わない?」
亮平の言葉だった。俺は自然と心臓が高鳴る。
「夏の匂いって何だよ」
俺は茶化す素振りをして、亮平に聞いた。
「うん。なんかさ、湿っぽくってうっとうしい感じがするんだけど、アイスとか冷たいジュースを他の季節よりも5倍くらい美味くしてくれるような、匂い」
俺は思わず噴き出した。
「食い意地張ってるな」
「それだけじゃないぞ? 夕立が降ってきたときのコンクリートが焼けた匂い。あれも立派な夏の匂いだし、花火の煙の匂いも夏の匂い」
驚きの連続。息が詰まりそうだった。亮平の考える夏の匂いと、俺の考える夏の匂いが不気味なほど、一致していた。ひょっとしたら、俺が昔聞いた亮平のこの考えを勝手に気に入って、今でも使っているのかもしれない。それでも、嬉しいものは嬉しい。
「俺も、同じこと考えてた……」
「え? お前も?」
亮平が途端に笑顔になった。
「やっぱなぁ! 俺ら、以心伝心かもな!」
亮平が嬉しそうに俺の背中をバシバシ叩いた。
「痛てーよ、バカ!」
「まぁ、そう照れんなって」
俺は顔が赤くなるのを隠すのに必死なだけだってば。
だけどこの時、あの視線を感じないはずはなかったのに。どうして俺はあの視線を、気にしないようにしていたんだろう……。
「そんじゃ、部屋割りはこういう具合だから」
前橋の考えた部屋割りに琴弥が悲鳴を上げた。
「女子と一緒とかじゃねーの!?」
「アンタ、ばっかじゃないの!?」
前橋に一喝されて体が縮む琴弥。オホン、と前橋は咳をしてから続けた。
「というわけで、部屋割りは異論もないようですのでこれで行きたいと思いま~す」
こればっかりは、前橋に感謝したい。なぜなら部屋割りはこんな具合になったからだ。
(桃)三宅/大澤
(竹)戸口/日高/山崎
(梅)柳原/前橋/藤岡
(松)久遠/畔上
さらにちなみに、桃は松と、竹は梅と向かい合わせとなっている。つまり、部屋割りこそ男女別になったものの、就寝時以外は出入りできるようになっているのだ。やっぱりこのあたり、学校行事での宿泊とは異なるのかもしれない。
「それじゃ、荷物を置いてちょっと休憩しよっか。今は11時半だから……12時に食堂前に集まって、みんなでご飯食べよう!」
一人元気いっぱいの前橋。
「了解~」
部屋へ散っていくメンバーたち。俺と亮平は桃の部屋へ入ってから、しばらく沈黙してしまった。
「……とりあえず、荷物置こうか」
俺が黙ったのは、やっぱり緊張してしまったから。でも、亮平は違うかったようだ。
「やべぇ……眠い……」
早起きしたからかな? 亮平がすごく眠そうだった。昼ご飯までは30分ほどある。仮眠を取るにはちょうどいいかもしれない。
「寝てろよ、リョウ」
「へ? いいのか?」
「メシの前になったら、起こすからさ」
「サンキュー……すっげぇ助かる」
亮平は押入れから早速布団を取り出してその上にゴロン!と転がると、すぐにスゥスゥと寝息を立て始めた。
「……。」
亮平の寝顔は本当に綺麗だ。イケメンだもんな。
「……。」
鼻筋もシュッとしてるし。寝ててもイケメン。本当に、部屋割りを考えてくれた前橋には感謝、感謝だ。
でも。
我慢できなくなりそうで怖い。
リップクリームを塗っているのか、艶いっぱいの綺麗な唇。弦バスという楽器を弾いているので、指先は華奢で手も綺麗。顔も、洗顔している上に化粧水もしているそうでニキビひとつない、まるで子供のようなツルツル肌。世の女子がこんな亮平を放っておくハズがないのになぁ……。
そんな亮平の姿を見ていると、俺のストッパーが緩んできた。
そっと、亮平の隣に寝転んでみた。
ヤバい。それだけでドキドキする。
俺はとうとう、ドキドキを抑えられなくなった。
大丈夫。寝ているから……。
そう思って俺はゆっくり、唇を亮平の唇に近づけてみた……。