18 進まない筆
「……。」
6月になりました。入学してからはや2ヶ月。あれから大澤くんは1回も学校に来ない状態が続いてる。三宅くん、私、日高くん、戸口くん、こころ、知未と交替で、あるいは複数で行ったりした。家へは入れてくれるけど、学校へは来ようとしない大澤くん。そんなもどかしい日々が続いている中、私も少し悶々とする日々を過ごしていた。
「玲菜ちゃん!」
美羽先輩が声を掛けてきた。
「はいっ!?」
「筆が止まってるよ? 調子悪いの?」
そう言われて私は初めて気づいた。美術部での活動は楽しいけれど、なぜか最近筆が進まない。
「ちょっと……悩み事というか……」
「悩み事?」
「はい」
「あたしで良かったら聞くよ?」
一瞬、本気で言いそうになってしまった。でもダメ。きっと言えばみんな私のことを……。大澤くんに後ろめたい感じがしたけど、大澤くんみたいになるに決まってる。だから私は言わなかった。ううん、言えなかったのかもしれない。
「このタイトル」
美羽先輩が指差す。この絵のタイトルは『優しい音色』。
「誰かをイメージして決めたでしょ?」
「……わかります?」
「うん! だって玲菜ちゃん、とってもわかりやすい」
わかりやすいと言う言葉にドキッとしてしまった。ひょっとして、バレちゃってるんじゃないだろうか。
「憧れてるんだよね」
「……!」
「だってこれ、あの子でしょ?」
まだ下書きしかしていないのに、先輩は見事にその人を当ててみせた。そのとおり。先輩の視線のその先にいるのは――宮部先輩だ。
「わかります?」
「わかる。あたしもあの子みたいにフワフワした感じだったらもうちょっとモテたかもねぇ」
先輩もそんな感じになることがあるんだ。そう思うと、ちょっと肩の荷が降りた。
「あの……」
私は思い切って聞いた。
「先輩は、憧れる人とかいます?」
「あたし?」
先輩は目を丸くした。
「はい」
「そうだな〜……。あのね、同じクラスに豊田めぐみって子……あぁ、彼女も吹奏楽部なんだけど、あの子はハキハキしてていいなぁと思うわ。あと、バドミントン部で大活躍してる佐藤真里紗ちゃんとかもステキかなぁ! 同じ女子として、憧れちゃう」
先輩は本当に嬉しそうに話している。
「あの……聞いていいですか?」
「うん? 何?」
「同性に関心を持つって……ありですか?」
「玲菜ちゃんはどう思ってるの?」
「わ、私……よくわかんなくって」
「アハハ! そうだよね〜」
美羽先輩は突然大笑いし始めた。何がおもしろいのか私にはよくわからなくて、首を傾げてしまう。
「私もよくわかんないよ」
やっぱり。そうだよね……。
「でも、ありだとは思う」
「そうですか?」
「例えば、玲菜ちゃんは好きな女優さんいる?」
「私ですか? たっくさんいますよ! 堀北真希ちゃん、新垣結衣ちゃん、香椎由宇さん、仲間由紀恵さん!」
「へぇ〜! そんなに。じゃあ例えば、真希ちゃんのどこが好き?」
「そうだな〜……。容姿は私の憧れ。あんなふうにショートカットが似合う人になりたいし、そもそも目が大きいのが羨ましい」
「うんうん」
「性格としては、ハキハキ物怖じせずに物事言えるっぽいところが好きです。私、ちょっと引っ込み思案だし……」
「なるほどね〜」
先輩はウンウンとうなずく。
「あの……これって何の意味が?」
「今ので同性に関心を持ってるっていうのが証明されたじゃない」
「あ……」
私はようやく気づいた。でも、まだ肝心の部分が聞けていない。
「あの……」
「何?」
怖い。言うのが、怖い。でも、言うしかない。
「好きになるのは……アリだと思いますか?」
「……。」
先輩は黙ってしまった。
「クラスメイトの件?」
「え……? ご存知なんですか?」
「……その子のお兄ちゃん、私の……」
先輩は辛そうだった。けれど、ゆっくりと言った。
「彼氏なの」
「……!」
私は信じられなかった。こんなことってあるんだろうか。
「大澤 達哉。弟は……賢斗くんよね?」
「はい……」
「私も何度も会ったことある。普通の子よね。ううん、むしろ、カッコいい……あ、あたしの彼氏がどうとか別にして、ひいきじゃないよ? ふつうに見てて、カッコいいのね十分」
「そうですね……」
私もそう思う。グランドの王子様っていう名前まであるんだし。
「どうなんだろうね」
「え?」
「なんで、好きっていうのがたまたま男の子だったからって、こんな仕打ち受けなきゃいけないんだろう……」
そう言うと美羽先輩が泣きだした。
「達哉、最近ボロボロなの。家で賢斗が暴れて仕方がないって。お母さんにまでヒドいことしそうになるから、自分が見張ってなきゃ不安でしょうがないって……」
「……。」
「でもね、達哉最近言うんだ。賢斗が、本音でいろいろ話してくれてるって」
「そうなんですか?」
美羽先輩は大きくうなずいた。
「クラスメイトだよね?」
「はい……」
「彼のこと……軽蔑しないで支えてあげてほしいな」
「軽蔑だなんてとんでもないですよ! むしろ、私は交替でクラスの仲良い子と賢斗くん家行ってるんです」
「そうなの?」
「はい!」
「そっか……。彼、元気?」
「とても」
「良かった」
沈黙が続く。
「賢斗くん……早く学校来れるといいね」
「はい……」
それっきり、私たちは黙り込んでしまった。
「あ……そ、そろそろ再開しよっか!」
「そうですね! じゃ、私も絵、頑張って続き描きます!」
「ウン! 頑張って」
美羽先輩も自分の席へ戻った。その直後、2年生の先輩5人がやって来た。だから再開って言ったのかな。
「……!」
フルートの音色。宮部さんの音だ。
「よし……」
私は鉛筆を握ると、止まっていた下書きを再開した。