第7話 小さき女王の思い
「…う」
激しい頭痛と吐き気に襲われながらも意識を取り戻した莉嘩の視界に飛び込んできたのは、艶やかな藍色の髪の間から覗く涙ぐんだ瞳だった。
「あ、青葉氏青葉氏!莉嘩氏目を覚ましたでござる!!」
「マジか!」
続けて飛び込んできたのは、至るところを包帯でぐるぐる巻きにされた青葉の姿。莉嘩は心配そうな表情を浮かべる二人を少しでも元気付けようと歪ながらも笑ってみせる。
「ヘッタクソな笑顔」
「うるさいですね。笑い慣れてないんですよ」
「でも本当に良かったでござる。よもや瀕死の状態からそのヘッタクソな笑顔を見ることができるとは思わなかったでござる」
「分かりました、もう下手くそでいいです…。ところでここはどこです?」
「ここは森を抜けて少し離れた所の洞穴じゃ」
鼻に付くような子どもっぽい声に振り向くと、そこには例の如く仁王立ちで踏ん反り返るアリスの姿があった。
「とりあえず大事に至らず…まぁ大事じゃったが、回復して良かったの」
「あいつは、シャノワールはどうなったんですか?」
「あれなら姫子が倒した。それに土産もあるのじゃ」
そう言ってアリスは石のような本を取り出して莉嘩へ見せる。
「これって、あいつが持ってた魔道書…」
「そうじゃ。魔道書《セラエノ断章》。これを使ってこれからとある場所に協力をしてもらいに行くのじゃよ」
「とある場所ってどこなんだよ」
「…それを説明する前に、お主ら三人共そこになおれ」
眉毛を釣り上げて口をへの字に曲げるアリスに渋々従って彼女の前に正座する三人。横一列に並んだ彼等の頭をアリスは順番にはたいていく。
「命を粗末にするな馬鹿者共め!その痛みを戒めにわしの話をよーく聞くのじゃ!」
「「「全く痛くない」」」
「うるさい!手加減してやったのじゃ!決してわしの力が無いとかそんなんじゃないからの!」
馬鹿にされて恥ずかしかったのか、反省の色がない彼等をアリスは小さな体で必死に怒鳴りつける。
「わしは言ったであろう?逃げろ、と。今回はたまたま運良くことが進んだだけであって、本来なら全員死んでてもなんらおかしくはなかったのじゃぞ?」
「お言葉ですがアリスさんよぉ。逃げろったって何からかすら分からなかった上にあんな奴が出てくるなんて思わないだろ普通。しかも全部終わってひょっこり出てくるってどういうことだよ」
そうだそうだと青葉に続く莉嘩と姫子。ど正論を突かれ、バツが悪そうにぐぬぬと歯噛みするするアリス。
「うるさい!逃げろと命じたのじゃからなりふり構わずとりあえず走り回ってれば良かったのじゃ!」
「あ、開き直ったなお前」
「うるさい!」
そのまま青葉とアリスの掴み合いが始まった。幼女腕力でポカポカ殴るアリスと、彼女の頬を揉みくちゃにする青葉を何とかなだめ、改めてと冷静になる一同。
「おほん。とりあえず時間がなくて説明できなかった部分を説明するとしようかの」
彼女曰く、三人が転生したこのカレイドスフィアでは、大小様々な国が権力や領土の拡大を求め戦争を繰り返しているそうだ。数にして百。大国ともなれば、かなりの領土と国民と武力を持ち、他国を力で屈服させては支配してさらに勢力を拡大させている。対して辺境の小国の中には王一人のみの国なんかも存在しているとのこと。果たして王一人の国を国と呼べるのかは些か疑問だが、目の前の女王を自称する少女がその信じられない例の一つのようで。
「何を隠そう、このわしがカレイドスフィアの頂点、【創造の国】女王アリスであるのじゃ!」
「へぇ」
「な!もっと食いつかぬか!わし頂点じゃぞ?最強なんじゃぞ?」
「そうは言ってもシャノワールが言ってたぜ。他の国に攻められて壊滅した挙句逃げ出したって」
「うぐ、お主ら知っておったのか…。それならそうと先に言っておけ馬鹿者め!」
そう言って青葉の頭をはたくアリス。再び襲いかかろうとする青葉を莉嘩が抑える。
「何となく察しはつきました。要するに僕達はあなたを守る兵隊になれってことですね」
「気に食わぬ言いようだがつまりはそうじゃな。わしの国はとある国の同盟によって一夜にして壊滅させられてしもうた。国民も眷属も失い、命からがら逃げ出したのは良いがわしも力のほとんどを使い果たしていてな。最後の足掻きとしてお主らを召喚したというわけじゃ」
「事情は分かりました。今更文句を言うわけでもありません。ていうかそんなこと言える立場じゃないってことはもう十分に分かりました」
自分の全身を覆う痛々しい傷跡を見て莉嘩はそう言った。
自分達三人だけではとてもこの世界を生きていけない。幼女一人加わったところで何がどうなるというわけもないだろうが彼女はこの世界に詳しい。生きる術も戦う術も少なからず自分達より分かっているはずだ。
無理やり転生させられたのは癪だがしてしまったことを嘆いてもしょうがない。今はいち早くこの世界について知り、襲いくる敵への防衛策を講じる必要がある。
「ところで、協力を仰ぐっていう話のことなんですけど」
「うむ、この近くに見知った国がある。そこに協力してもらおうと思ってな。魔道書の国との全面戦争のためにも力を借りねばならぬからな」
「ひえ、戦争でござるか!?拙者達まだこの世界のこと詳しく知らないのでござるが!?それよりも拙者が意識を取り戻したとき目の前でぶっ倒れてたシャノワールの理由についてまだ聞いてないのでござるが!!」
「それはお主のギフトの力じゃ。《私の隣に寄り添う理想》。意識を失うと発動し、お主が元の世界で作り上げたネトゲのアバターに変身するという能力じゃよ」
はえー…と目を丸くする姫子はさておきと莉嘩と青葉がギフトの話に食いつく。
「そういえばだ。俺達のギフトもあれ何なんだ?そもそもの説明もなしにわけわかんねぇ能力押し付けて飛ばすなよ!説明キボンヌ!」
「そうですよ!あんなのわかるわけないじゃないですか!」
「そんなこと言ってもお主ら使えてたではないか。わしも中身をちょろっと作っただけじゃし、詳しいことはお主ら自身の方が分かってるでおろう」
投げやりな返答に怒りを通り越して呆れる二人。確かにそうだと内心諦めて、ギフトについては以降色々と試してみることに決まった。
「さて、お主らがやってくれたおかげで魔道書の国と全面戦争することになったわけじゃが、お主らには責任を取ってしっかり働いて貰うからの」
「全面戦争って…こっち数人的に面どころか点なんですけど…」
「うるさい!わしだって今戦える状態にないことぐらい分かっておるわ。それでもお主らがふっかけてしまったが故に対抗せねばなるまいて。向こうさんも幹部の一人をやられた上に魔道書まで取られておる。幹部含めた総動員でわしらの捜索に全力をかけてくるであろう」
「あんな恐ろしいやつがまた来るでござるか…。胃が痛いでござるぅ」
「仕方ないのじゃよ。莉嘩も起きたところじゃし、そろそろ向かうかの」
「待てよ」
同じ止まっても危険だと、洞穴を抜けようとするアリスを青葉が引き止めた。飄々とした態度で歩いていくアリスを睨みつけ、己の内を吐き出すように声を荒らげる。
「莉嘩や姫ちゃんが納得しても俺はできねーぞ。お前の身勝手に付き合っていいと思ったが、命のやり取りになるなんて聞いてねぇ。あんな思い二度とごめんだってのにお前はまた俺達に殺し合いをさせようとしているじゃねーか!」
「…それはお主らが」
「そうじゃねぇ!そこじゃねーんだよ。お前が身勝手だって話をしてんだよ。俺達の言葉をろくに聞きもせずに勝手に進んで、俺達もそれしかできないからそれについて行くしかない。…それでよく王なんて務めれたもんだな。だいたいお前は…」
「まだ分からぬか!馬鹿者が!!!」
青葉の声を遮るようにしてアリスが怒号をあげる。突然の叫びに呆然とする三人を他所に彼女は拳を握りしめて口を開く。
「…そうじゃよ。わしにもう王を名乗る資格などないことくらい分かっておる。襲撃を受け、対抗しきれず、目の前で民や兵達が殺されているのを横目に遠く遠くへと逃げ出すしかできなかったわしが王などであってたまるものか」
握った拳は彼女が内心を吐き出すごとに小さく震え、見開かれた碧眼は悲しみに煌めき、その頬を大粒の涙が伝っていく。
「わしは、わしを信じる多くの民を犠牲にした。わしのために剣を振るう兵達を見殺しにした。気がつけばわし一人だけじゃった。泣いた。叫んだ。己の無力を嘆き、酷く憤った。そして、わしは誓ったのじゃ。このままで終われるかと、底辺まで引きずり落とされたままで納得できるかと。復讐ではない。わしは皆に示さねばならぬ。皆が暮らすこの国は他のどの国よりも雄大で壮大で、豊かであると。死してもなお、胸を張って誇れるほどの国を作り上げねばならぬのじゃ。今は亡き我が国民のためにもわしはこの底辺から這い上がらなければならぬのじゃ。そうでなければ皆に顔向けできぬからな」
青葉は彼女の言葉を黙って聞いていた。
それっぽい雰囲気を醸し出して、言っていることは結局自分勝手な己のエゴでしかないことはすぐに分かったし、どうでも良かった。彼の捻じ曲がった性格ではその身勝手なエゴをどうやって論破してやろうかと考えていたが、それもすぐにやめた。
同じだった。自分も彼女も。
他人によって絶望の淵まで叩き落とされ、底辺を這いずり回るしかなくなった気持ちを彼女は知っている。
それだけで十分だった。
「…はっ。それも所詮は自分の都合じゃねーか」
「え、マジに言ってるでござるか青葉氏。このタイミングでそんなこと言えるなんて、拙者普通に引いたでござる」
「ちげーよ!…まぁ俺とお前は同じ穴の狢っつーかなんつーか」
「ツンデレですね」
「違うでござるよ莉嘩殿。この人はただ単に性格が捻くれているだけでござる」
「だぁーっ!もういい。とりあえず悪かったな。身勝手なんて言ってよ。お前は王だ。その年で国民のことをそこまで思えるなら立派なもんだろ」
青葉は性に合わないことを言ったと頭を掻き毟るも、莉嘩と姫子の仲直りコールに渋々アリスの前にしゃがんで手を伸ばす。意外な行動に目を丸くするアリスであったが、薄く微笑んで涙を拭い、そして青葉の頭をはたいた。
「幼女扱いするでないぞ!わしはお主より年上じゃ!」
「いだっ!お前っ、お前ーっっ!」
「おい!頬をつねるな!引っ張るな!お主少しはわしに敬意を払わぬか!敬語を使え敬語を!」
大人だと主張するアリスだが力は幼女そのもの。青葉を必死に叩くもまるで意味をなさず、結局青葉に頬を引っ張り上げられ掴み合いになる。
「二人共ツンデレですね」
「能力被りに属性被り。拙者、パーティのこれからが不安でござるよ」
掴み合う二人を止めることなく、姫子はこれから先のことが少し心配になるのであった。