第6話 鎧の少女と攻撃用マクロ
目の前で傷付き、血まみれになってもなお諦めず前へ前へと進もうとする二人を私はただただ見ていることしかできなかった。
鈍臭くて体力も力もない自分が前に出ても邪魔になるだけだと自分に言い訳をして、安全な木の後ろで隠れて二人の姿を眺めていた。
莉嘩の横腹に風穴が空いた時も、目をつぶって震えていただけ。青葉が必死に彼を守ろうとしていた時も、声一つかけることもできずに傍観者でいるだけしかできない。
何度かシャノワールと目が合ったが、何もなく簡単に目をそらされた。まるで、いてもいなくても同じだと言われているようだった。そんな風に見られた悔しさを糧に自分も戦えたらよかったものの、そういうのに慣れてしまっている自分には飛び出す勇気はなかった。
生前、その地味さと影の薄さからまるでそこにいないように無視され虐められていた私は家に引きこもるようになった。そこでたまたま見つけたネトゲを気晴らしにやってみたのが始まり。
自分とは真反対の可愛く、凛として、存在感のあるアバターを作り、いざゲームを始める。 そこでの日々は人生の中で一番楽しかった。自分を見てくれる人がいる。頼ってくれる人がいる。自分は確かにそこにいて、そこに存在している。その事実に縋るように引きこもり、私はネトゲに全てを捧げた。
しかし、実際に会ったネトゲの友人は私を見るなり三者三様に言葉を詰まらせた。あの舞姫が、あの可憐で美しいアバターの中身が、と誰もが現実の私を受け入れることはなかった。
そしてついに現実はクソだ、掃き溜めだと、私は一切家から出ることをやめた。
そんな私を彼等は、あの二人は…。
(二人共必死になって頑張っているのに私は…ん?)
急に鼻についたツンとした香り。
居酒屋でアルバイトをしていた時によく臭ったその香り。
(アルコールの匂いがする)
くらりと頭を揺さぶるその香りの意味を理解して、姫子は慌てて二人の様子を伺う。
特にどうということなく戦う二人に胸をなでおろすも、それが時間の問題ということを悟る。
(伝えないと…!)
シャノワールの黄金の蜂蜜酒はセラエノ断章に記された製法により作り出し、自在に操ることができるというもの。彼はそれを体の一部のようにして攻撃や防御を行なっている。しかし、能力はそれだけではなかった。
シャノワールは待っていた。アルコールによる酩酊状態、それによる戦闘不能を引き起こす黄金の蜂蜜酒のもう一つの能力。
本来なら既に二人はこの能力に落ち、立つことすらままならない状態となっているはずだが、幸いなことに二人共アルコールに強い体質なようで効きが遅くなっていたようだった。
しかし、それももうここまで。
「う…」
二人を同時に襲う頭痛と目眩。疲労とは明らかに違う異変。頭に靄がかかり、今立っているのか寝ているのか分からないほどの意識の低下と倦怠感。足掻いても否応無しにまぶたが下がってくる。意識が途切れるその瞬間、彼等の目に映っていたのは心底楽しそうに笑うシャノワールの姿であった。
「やっと効いてくれましたか。もしやそんな若くして物凄い酒豪なんですかね」
やれやれと呆れた表情を浮かべるシャノワールであったが、ローブについた砂埃を払って一呼吸置く。
「あなたは何もしないんですか?」
急に声をかけられびくりと肩を揺らす姫子。 その脳裏には血まみれになって倒れる二人の姿がフラッシュバックする。
あんな姿になりたくない。なんて思えればこのままだんまりを決め込んで、彼がいなくなるのを待つなりできた。
しかし、彼女はそこまで落ちぶれてはいない。
震える体に鞭を打って姫子は木の後ろから姿を現わす。
彼等は違う。そのことを思い出す。
彼等はネット上の上辺の付き合いではなく顔を見合わせて笑い合った大事な大事な友達だ。
「せ、拙者も貴殿と一戦交えるでござる」
「震えてるじゃないですか。私そんなに恐ろしく見えますか?」
わざとらしくぺたぺたと自分の体を触りながら眉をひそめるシャノワール。
「あなたのギフトはまだ確認していない。よもや模倣なんてことはないでしょうが、私も流石に疲れました。何もできないなら動かないで大人しくしていてくださいね!」
出会った時の優しげな表情とはまるで違う、下卑た笑みを浮かべてシャノワールは黄金の蜂蜜酒を姫子へと伸ばす。
(ギフト、能力、私の得意。出ろ、出ろ!出ろ!!)
ズッ…
欠片ほどの慈悲すらなく、シャノワールの黄金の蜂蜜酒は姫子の体を貫く。
痛みを認識するより疑問が先に来た。
なぜ自分の体から血が流れているのか、なぜかシャノワールは無事で立っていられているのか。ここは能力が発動してカウンターなり逆転の一撃を繰り出している場面のはずだ。
しかしそうはならない。
なぜならここは現実なのだから。
理解が追いつかず呆気にとられる姫子を現実に引き戻すように痛みが襲う。
「あ…、ああああああああああ!!!」
腕を胴を足を、無数の槍が貫いている。
生き残れるという希望の一切を排斥したその攻撃に、姫子の悲鳴もやがて薄れて消えていく。
どちゃりと自らの血だまりに身を落とし、流れ落ちていく意識に身を任せる。
「ほん…っと、げ、んじつはクソで、ご、ざるなぁ…」
痛みもなく、体の感覚が薄れていく。ひたすら襲いくる寒さの中、ポツリとそう呟いて姫子の意識は途切れた。
訪れる静寂。
聞こえるのは風が木々を揺らす小さな音だけ。
傷だらけではありながらも立っているのはシャノワールただ一人。パタンと魔道書を閉じ、黄金の蜂蜜酒は一瞬で蒸発する。
「…本当、やってくれましたね。落ちぶれた王の眷属如きにここまで遅れをとるとは」
意識を失った莉嘩を睨みつけ、シャノワールはそう吐き捨てる。
彼としては一度戻り、十分に傷を癒してから調査を再開したいところ。状況の説明も兼ねて帰還が妥当な判断だが、彼の立場としてそれはあまり好ましくない選択だった。
(サラーサやセノトトまでも動いてることですし、ここは手柄を立てておきたいところですね。そもそもこんな傷だらけで帰っては面目が立たない。最悪、魔道書の剥奪もあり得る…)
血の滲むような努力の末に手に入れたこのセラエノ断章をそう簡単に手放すわけにはいかない。
そんな焦りの中、彼の視線は再び莉嘩へと向けられる。
(本当に本当に、こいつらがいなければ私は…)
死んだように倒れ伏す彼だが、まだ息はある。
湧き上がる怒りを鎮めようともせずに、シャノワールは閉じた魔道書を再び開く。脳裏に蘇る彼等との戦闘。自らの誇りを模倣され、さらにはそれによって一時は追い詰められたことを憤る。汚れた手に一瞬躊躇うもページをめくり、黄金の蜂蜜酒の製法について書かれたページで止める。頭の中で念じると共にそのページが光り出し、彼の足元には黄金の液体が溢れ出す。後は何度も繰り返した通り、細く鋭く先を尖らせそれを倒れた莉嘩へと向ける。
動かないものを狙うなど造作でもないが、それでも調整に調整を重ね、確実に頭を穿つように位置を整える。そしていざ貫かんというその瞬間、シャノワールは背中をつんざくような殺気に振り返る。
眼前、鈍く光る銀の線を間一髪のところでかわし、大きく後ろへ飛びのく。
状況把握。たった今起きた出来事への認識と理解。気配を察知できなかったことから魔物ではないことは確かだがと顔を上げた瞬間、シャノワールの思考は停止した。
「なぜお前が…」
そこには意識を失ったはずの姫子の姿があった。いや、厳密には姫子の姿形をした別人といった方が正しいか。吸い込まれるような藍色の髪は燃え盛るような紅へと変わり、風変わりだった衣服は、木漏れ日を浴び鈍く煌めく銀の鎧へと変わっていた。
「へぇ、今のを躱せるんだ」
片手に細く長い剣を持ち、その少女は驚いたような表情を浮かべる。
「…なるほど。それがあなたのギフトですか」
第三者という線も頭に浮かべたシャノワールだが、倒れているはずの姫子の姿がないことから同一人物と仮定、異質な見た目の変化からそういう能力だと結論付けた。
「にしても驚きました。冴えない少女が剣を振るうとは。そもそも傷はどうしたのですか?殺すつもりで蜂の巣にしたのですが」
「あぁ、あれくらいなら問題ないね。オートヒールでどうにかなったし」
「オートヒール?」
「そ。自動で発動するやつ」
「まぁ何でもいいです。とりあえず大人しく死んでいてくださいよ」
黄金の蜂蜜酒を無数に伸ばすシャノワール、全方位から襲い来る槍の雨に対して姫子は微動だにせず、剣を振ることすらなくその全てを木っ端微塵に砕いてみせた。飛び散り、雨のように降り注ぐ蜂蜜酒に顔を酸っぱくする姫子を前に、シャノワールは唖然と彼女を見ていた。
そんな彼を見かねたのか、姫子が丁寧に説明を入れる。
「どうしたのよそんな鳩が豆鉄砲食らったような顔しちゃって。なーに簡単な話よ。今のは攻撃用の"マクロ"の一つでね。詠唱破棄、魔法発動速度上昇を五つ、魔法効果量上昇を五つ、動作加速を六つ、筋力強化を四つ、腕力強化を三つ、脚力強化を二つ、感覚強化を二つ、物理強化を四つ、剣速上昇を三つ、武装強化を五つ、剣技強化を三つ、それぞれを重ねがかけして、そして最後にエクストラクラス剣豪の固有スキルの抜刀無塵。っていう組み合わせでね。側から見ると止まって見えるのに攻撃してるっていうやつ。すごいでしょ?…実際はマクロでごちゃごちゃやってるだけなんだけどさ」
少し残念そうに肩を落とす姫子と、彼女の言っていることの一割も理解できずにいるシャノワール。まともに取り合ってはまずいとすぐさま二撃目を繰り出そうとするも彼の手からはセラエノ断章が滑り落ち、地面へと落ちて閉じられる。
「なぜ、腕が上がらない…?」
「あぁ、これ以上面倒なことされると困るからついでにあんたの腕の神経も切っといた」
ドヤ顔でピースを繰り出す姫子と、だらりと下がった両腕を見て呆然とするシャノワール。慌てて魔道書を拾おうとするも、脳から指先への信号が届いてないかのようにピクリとも動かず、ずりずりと落ちた魔道書の表紙を力の抜けた指でなぞるだけだった。
「この剣ね、超級難易度のデウスエクスマキナっていうレイドボスを大体十万体倒してようやく一つ落ちるかどうかっていうドロップアイテムなの。切りたいもののみを絶対に切るっていう代物なのよ。すごいでしょ?」
煌びやかな装飾のついた銀の剣をフリフリと振りながら説明する姫子。そんな彼女を睨むシャノワールの額からは脂汗が滲み、自分が良くない方へと向かっていることを誤魔化すようにして叫んだ。
「私の!私が主より賜った神聖なる魔道書を地に落とすとは!!低俗なドブネズミ共が、どれほど私を辱めれば気が済むのだ!!!」
「いや、落としたの自分自身じゃん。それと大声出さなくても聞こえるっての」
そう言って姫子は軽く剣を振るう。その瞬間、斬撃を受けてないにも関わらずシャノワールがどしゃりと倒れる。
「何、を…」
「ふっふっふ、今のは四つ目の攻撃用マクロの…って説明するのも飽きてきたなぁ。まぁとりあえずあんたの体動かす系の神経的なアレを全部ズタズタに切り刻みました。あんたもう動けないから」
「な…!?」
「はいそしてドーーン!」
ずぶりと倒れたシャノワールの顔面に彼女の握る剣が突き刺さり、彼はそのまま白目をむいて意識を失った。