第5話 削除人権限を実行しますか?
隣から急に消えた青葉に驚く莉嘩であったが、動きを止めるわけにはいかなかった。
せっかくひっくり返した状況をそう簡単に手放してなるものかと莉嘩は右手をかざす。しかし、手数が一気に減ったからか、シャノワールに余裕ができる。当然それを彼が見逃すわけもなく、薄く笑って彼は黄金の蜂蜜酒を防御用の形状から攻撃用の槍へと変化させる。莉嘩もやらせまいと手数重視の攻撃へと切り替えるも、やはり絶望的な総量差。少ない量の蜂蜜酒をやりくりしている莉嘩の右手は、手数のために一つ一つの強度が落ちてしまったためかシャノワールの新たに作り出した槍によって簡単に潰される。
そして遂に右手の蜂蜜酒が限界を迎え、もはや莉嘩や右腕は形を保つことすらできなかった。
「あ」
突き出される槍をどうにかする手段はなく、莉嘩の胸元を槍が貫く。喉元に込み上げる吐瀉物と血の塊。それを躊躇うことなく地面に吐き出し、力なく倒れこむ莉嘩。抉れた胸元からは止めどなく血が流れ、ぬかるんだ地面を赤く染める。
「莉嘩!!!」
自分が招いたこの惨劇。怒りと悲しみとがぐちゃぐちゃに混ざり合い、青葉は莉嘩の元へ駆け寄る。どうして良いか分からず、すぐ横に敵がいることも忘れて莉嘩の名前を叫ぶ。
「あなた方には驚かされましたが最後は意味の分からぬ自爆とは。見たところギフトをまだ使いこなせていない様子でしたが、その程度で私から逃げようなどと考えていたとは。本当に不愉快極まりない方々です」
「黙れ!貴様よくも…」
「威勢がいいのは結構ですがあなた一人で何ができるのですか?見たところそこの彼と同じく特殊な模倣の能力のようですが、模倣元がなく、瀕死の彼を守りながら私の黄金の蜂蜜酒を防げますかね」
シャノワールの足元では蜂蜜酒が波打ち、瞬く間に槍へと姿を変え青葉の方へと向けられる。
(考えろ、頭を回せ。莉嘩は瀕死。そして俺は次の瞬間死んでいてもおかしくない状況)
考えれば考えるほど泥沼にはまり、思考は迷走して答えは遠のいていく。そんな彼を見てシャノワールは少し考えた後、楽しそうに口角を上げて口を開いた。
「一つ提案があります。あなた、魔道書の国の眷属になる気はありませんか?」
「…は?」
「いや、こう見えて私は魔道書の国の幹部の一人。偉大なる主に認められ、ギフトである魔道書の一冊を賜ったのです。ある程度融通は効くでしょう」
「何が言いたい」
「国家間での戦争が激化する昨今。我が国も人手不足でして。魔道書を賜るにふさわしい人間も少なく、大国を相手取るとなると戦力不足が目立ちます。そこであなたを我が国へと迎え入れることによって国力強化を図ろうというわけです」
シャノワールは楽しげに槍をくるくると回し、続けていく。
「しかしそんな美味しい話はありません。その代わりとしてアリスについて知っていることを全て話しなさい」
「は、俺達からは情報を得られないってさっき諦めてたよなぁ?」
「気が変わったといいますか、あなた方を少し侮っていた部分があるのは認めましょう。あなた方に私を傷つけるほどの力があるとは思いませんでした。というのもそこが疑問なんですよ。アリスこと創造の女王、ひいては創造の国は三大国によって壊滅的なダメージを負ったはず。眷属は愚か、自らの力ももう無いはずなのにあなた方のような強力な眷属を用意した。何かカラクリがあるのでしょうがそれを知りたくてですね」
「そんなこと言われたって俺達は知らね…ぐっ」
青葉が答えるより先にシャノワールの槍が彼の腕を突き刺す。苦しそうに顔を歪める彼の腕のからは血が滴り落ち、赤く染まった地面と同化していく。
「状況を正しく認識できないのは良くないですよ。あくまで私は提案をしているだけです。答えなければ別にそれでも構いません。その場合死んでもらうことになりますが」
「はは、正直に答えてんのにめちゃくちゃしやがるな全く」
腕の痛みに思考を乱され、流れる血と共に意識も薄れていく。こんな大怪我もこんな痛みも今まで味わったことはない。
そもそもなぜこんなことになったのだろうか?俺は、俺達はただなんてことなしにファミレスで駄弁ってただけだったはずだ。それがあれよあれよと事が進んで気が付いた時には二度目の死を迎えようとしている。今までクソみたいな人生送ってやっと死ねて、そしたら死ぬほど嫌いな転生なんかして。
口ではあぁ言っていたけど、どこか新しい世界を期待していた自分がいて。
最底辺から一変して全て思い通りにいくとか勝手に思ってたが、どうやら夢物語だったようだ。こんなことになるくらいならまだ死ぬ前のクソみたいな人生の方が良かったとさえ思える。こんな痛い思いも辛い思いもしたくなかった。
痛みも、辛さも、悲しみも、怒りも、絶望も、全て…。
(消せるもんなら消してぇよなぁ)
ポンッ
彼が諦めたように意識を手放そうとした瞬間、目の前にポップアップが開いた。
そこには薄紅色のホログラムに白い文字でこう書かれていた。
『削除人権限を行使しますか?』
傷が消える。
血溜まりが消える。
異変に気付いたシャノワールが青葉へ向けて槍を放つも槍は消え、足元から流れ出る黄金の蜂蜜酒そのものすら、最初からなかったように消え失せた。突然の出来事に困惑するシャノワールであったがすぐさま自らの持つ魔道書《セラエノ断章》より黄金の蜂蜜酒を再度行使しようとするも、それより先に青葉の拳が彼の顔をぶち抜く。そのままシャノワールは数メートル吹き飛び、背中から地面に叩きつけられる。倒れた彼を睨み、息を荒らげる青葉は横に倒れる莉嘩を横目に目の前のホログラムをスクロールしていく。
「『617:名無し ID:shanowaru 黄金の蜂蜜酒による胸元への攻撃【削除】』」
彼の呟きと同時に指定されたレス番はパキンとひび割れてそのスレッドから消え去った。
《カレイドちゃんねる》の中の行動板は青葉自身が知覚した行動を書き込み保存する事ができる。
今、そこから莉嘩に致命傷を与えたシャノワールの攻撃が削除された。削除されたその行動は、このカレイドスフィアという世界で行われていないものとされる。つまりはそれに伴って発生した事象も無かったものとされ、その行動があるはずのない状況へと強制的に書き換わる。
青葉はシャノワールの攻撃を消し、それに伴って引き起こされた状況。莉嘩への致命傷という結果も消え失せた。
これが《カレイドちゃんねる》の削除人権限による削除。
「う…、あれ、俺何して」
「莉嘩まだやれるか?」
「え、いやはい。大丈夫ですが」
意識が戻ったばかりの莉嘩には酷だがアレをなんとかしない限り、現状を変える事ができない。削除人権限を使えるのは有限だということを頭の中で実感しながら、青葉は顔を抑えて立ち上がるシャノワールへと走り出す。
「クソが…!」
セラエノ断章を開き直し、すぐさま黄金の蜂蜜酒を行使するも青葉によって簡単に消されてしまう。
「『620:名無し ID:shanowaru セラエノ断章による黄金の蜂蜜酒の行使【削除】!」
そのまま青葉は再び拳を振り抜くもギリギリのところで躱されてしまう。
「『622:名無し ID:shanowaru 拳による攻撃に対する回避【削除】!!』
彼が叫ぶと同時に避けられたはずのシャノワールの顔が振り抜く拳の前へと瞬間的に移動する。たった今起きた事を理解する暇すら与えず青葉の拳は彼の顔を再び射抜く。
青葉の直感は正しく、削除人権限は何度も使えるものではなかった。アリスによって作られた《カレイドちゃんねる》は青葉達の世界にあるネット掲示板を元に作られている。機能の再現は元より、その機能のあり方まで再現されている。
レスの削除は、消された側の人間からしたらたまったものではない。レス削除により不満が募りそして最後には荒らしの温床となる。そう何度も消しては掲示板自体が崩壊してしまう。 そのため削除は必要な分だけ、回数制限付きのとっておきというわけだった。
(使いすぎてどうなるかなんて知ったこっちゃねぇ。今が攻め時、出し惜しみしてる場合じゃねーよなぁ!)
「莉嘩!あいつの攻撃は俺が消すからお前は攻め続けろ!」
青葉の叫びに呼応して莉嘩は黄金の蜂蜜酒に変換した右腕を突き出す。芸がないと言われればそこまでだが、これを長い間使っている本人がそれを行なっていたのだからそれが最善であろう。
指先を槍へと変えてシャノワールに向ける。シャノワールも、対抗して黄金の蜂蜜酒を行使しようとするも片っ端から青葉の削除によって消されていく。自分が使うはずの能力を封じられ、あまつさえ相手がその能力を使っているとなるとこれほど不愉快なことはない。実力を認められ、ようやく手にしたセラエノ断章を彼は誇りに思っていた。そんな自らの力を、誇りを、簡単に掠め取られて我慢のしようがあるだろうか?
「それは私が偉大なる王より賜ったギフトだ!何処の馬の骨とも知れぬ雑魚共が気軽に使っていい代物ではない!!!」
放たれた莉嘩の槍は狙いの通りに的確に、シャノワールの手足を貫く。しかし、彼はそのまま槍を握りしめ、痛みなど歯牙にもかけず怒りに任せて引っ張り上げる。
その槍が元々液体状とは言っても、それを操り形を作っている以上ほぼ個体とみて差し支えない。思い描くように固定した蜂蜜酒の槍は、引っ張られたから千切れたり伸びたりするわけでもなく、シャノワールに引っ張られると共に大元である莉嘩の体も宙に浮く。
一度形状を変えて再構築しようと槍をバラす莉嘩だが、それよりも早くシャノワールの拳が振り抜かれる。
「がっ…!!」
こめかみに強い衝撃。それと同時に体が百八十度転換して地面を引きずられるように吹き飛んだ。命運分けるほどのその一撃は絶対に消さなければいけないと青葉が口を開きかけるも、頭に走る鋭い痛みに顔を歪め、その場に膝をつく。
『削除人権限の上限に達しました』
かろうじて開いた視界には無慈悲にも回数切れのポップアップ。それならそれで良い、次の手を考えればと頭を働かせようとするも、痛みに思考を邪魔される。ぼやけた視界の端から黄金の線が横切り、痛みを押さえつけるように頭の中で響くけたたましいアラートに従ってそれを回避する。直撃は避けられたが完全に避けることは叶わず、頬を抉られ血が噴き出す。
「…悪あがきはもうおしまいですよ」
見ればシャノワールの足元からは黄金の液体が溢れ出し、盛り上がってはすぐに先を尖らせて一直線に青葉へ向かう。疲労によりもはや立ち上がることもできない彼は諦めたように目を閉じて両手を投げ出す。あと数秒後には焼き鳥みたいに串刺しにされて死ぬだろう。
(走馬灯、なんて見たくねーなぁ)
しかし、一向に痛みはない。うっすら目を開けると背後から伸びる黄金の槍が青葉を守るようにして囲んでいた。振り返るとそこには倒れながらも右手を伸ばし、奮闘する莉嘩の姿があった。
「はぁ…はぁ…、青葉さん、もう僕も、とうに、限界超えてきついんで、早く終わらせましょうよ」
息も絶え絶えにそう言って笑ってみせる彼の姿に諦めかけていた自分を殴り飛ばす。そうだ、こんな痛くてきつい思いしたんだ。はい終了なんて許せるわけがない。
満身創痍の中、膝に手をつき立ち上がろうとする青葉。指一本動かすことすらできない莉嘩。
いけると思った。いくしかないと思った。
そんな二人の最後の足掻きは予想だにしない終わりを迎える。