第1話 ぶつかったのは黒塗りの高級車ではなかった
新たな連載です。
よろしくお願いします。
『ヌゥン!ヘッ!ヘッ!ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!!ウ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ ゛ァ!!!!!フウ゛ ウ゛ ウ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛ン!!!!フウ゛ゥ゛ゥ゛ゥン!!!!』
脱ぎ捨てられた服と食べかけのカップ麺が散らかり、足の踏み場すらないゴミ部屋の中。
その部屋の奥に取り付けられた四つのディスプレイには、異様に目力のある全裸の男が真っ青な背景の中で凄まじい叫び声をあげていた。
しかし、彼もただ叫んでいるわけではない。
戦っている。抗っている。己に打ち勝つために、己を貫く剣に屈しないために。襲いくる絶頂の波を押し返すが如く男の怒号は音を割り、その部屋に響き渡る。
「あぁ^〜」
そんな男の生き様を一人見守る少年がいた。
尼ヶ崎莉嘩。十八歳の高校三年生。
彼は食い入るようにディスプレイを覗き込み、無駄のないマウス捌きで男の周りにまた別の男を飾っていく。サングラスに網タイツのような奇抜な服を着込んで斜めに傾く男や、パンツ一枚のみを身に纏い必死に取っ組み合う男達。『そのためのフォルダ』と書かれた場所から次々に引っ張り上げては、青い背景を塗り潰していく。
彼の仲間を、家族を。
彼一人では心細いだろうとドラッグ&ドロップを繰り返し、青い背景を彩っていく。
そう、これが《BB職人》こと尼ヶ崎莉嘩の日常であり、趣味であり、魂である。
高校でとある事件を起こし引きこもりとなった彼の唯一の特技、それがBB素材の作成とそれを使った"淫らな夢"の動画作成。
ニパニパ動画という動画投稿サイトの片隅で、一部の熱狂的なファン達によって盛り上がっているカテゴリの一つがその淫らな夢である。
尼ヶ崎莉嘩はその第一人者。
「リツカ」のハンドルネームをその界隈で知らぬ者はいないとされるほどの有名投稿者である。投稿したMAD動画は全てミリオンを達成し、配るBB素材は「ちょうど切らしてた」とありとあらゆる人達に使われる。
彼の高校生活という青春の三年間は全裸の男達と青い背景によって埋め尽くされているのだ。
「…ふぅ」
動画制作の区切りがつき、背もたれに寄りかかって一息つく。机の端の麦茶に手を伸ばしたところでスマホから、ソファに座って自己紹介してそうな「二十四歳学生です」という着信音が響いた。同業者ですらお前そこまでする?と引きかねないその音に、特に疑問を抱くことなく莉嘩はスマホを耳に当てる。
『あ、もしもし?今から莉嘩殿と青葉殿でいつものやりたいのでござるがよろしいでござるか?』
「あぁ、わかりました。場所は駅前のファミレスでいいですかね」
『当然でござる。今期は豊作なので楽しみでござるよ』
「僕もちょっといくつか気になってるのありますし今回も楽しめそうです。それでは後ほど」
通話が切れると莉嘩は天井を見上げ、小さく笑みを浮かべる。今日は何を話そうかと期待を胸に、莉嘩はその部屋を後にした。
□■□■□■□
「見てくれよここ。笑えるよなほんと、勝負所の一話目からこの作画崩壊。さらには原作ガン無視のストーリー。これは良く燃えるぞ」
「原作改変のオリジナルストーリーは扱いが難しいのが常ではござるが、この改変は原作ファンから見てもあまりよろしくないでござろうなぁ」
「まぁこれはこれでありと思います。あ、もちろん上手に燃えるって点からですが。この改変だと原作信者すらアンチの味方するんじゃないですかね」
作品ディス。
アニメやラノベ、漫画などを端から端まで粗探ししては掲示板に書き込んで不満を煽り、炎上させるアンチ三人組。それが彼らである。
性格が捻じ曲がりすぎて頭のおかしいこの三人組は片田舎のファミレスによく集まってはこの害悪行為を繰り返し行っていた。
「つーわけで今回はこのよくある異世界転生系原作のクソアニメを燃やす方向で行くか。まとめサイトの知り合いにも声かけてあるから簡単に燃えると思うぜ。楽しみだなおい」
「さすが青葉殿、用意周到でござるなぁ。拙者としても円盤が売れてこんなクソ改変の二期なんて決定されたら憤慨ものでござる」
「僕も作画崩壊してる部分のBB素材ばらまいてニパニパからも燃やしていくことにしますよ」
クズ。それ以上の言葉が見つからない。
彼らに目をつけられた作品は、そのほとんどが思惑通りに綺麗に燃えている。作り手側からしたらたまったものではないが彼らにはそんなことどうでもよかった。
彼らはただ飢えていた。現実で居場所を失ったが故に、ネットの中でだけは居場所が欲しいと声無き声をあげる。
自己顕示欲と承認欲求の化け物。
それが尼ヶ崎莉嘩、槙島青葉、相原姫子の三人である。
邪悪な笑みを浮かべつつノートパソコンのキーボードへと指を走らせる茶髪で整った顔立ちの少年が槙島青葉。
高卒で就職するも上司ともめてクビに。家族から厄介者扱いされようとも、就活をすることなく毎日苛立ちを吐き出すように掲示板で論争を繰り広げ、今では彼のIDを知らぬ者はいないほど有名になっている。
そして、爆速のタイピングでアンチコメを垂れ流す彼の横でフライドポテトを頬張る少女が相原姫子。
目元まで隠れた藍色の綺麗な髪の隙間からは満足そうに煌めく瞳がちらりと垣間見える。側から見れば臆病そうで地味な女子高生。そんな見た目からか高校でいじめられ彼女はアトラスオンラインというネトゲの世界へと逃げ込んだ。睡眠を極限まで削り、ネトゲ三昧の日々。ついた異名は舞姫。極限まで鍛え上げられたステータスと状況判断の鋭さからついた名である。また、彼女の操るアバターの可愛らしさからファンクラブもあるとかないとか。
三人が三人共、とうの昔に現実を捨てている。
ちょっとした出来事一つで社会的ヒエラルキーの底辺まで滑り落ち、足掻くこともなく、ネットの世界へと逃げ出した。
そうして三人は出会い、意気投合してはこうして顔を合わせて底辺らしく仲良く地面を泳いでいるわけなのだ。
「そういえば姫ちゃんは今度のバイトはどうなの?続きそう?」
「先週始めたバイトは昨日クビになったでござる。これで十五件目。働きたくなんてないでござるが、課金のためには労働しなければならないのが悲しいところでござるなぁ」
「今度は何やらかしたんですか?お皿割ったんですか?料理こぼしたんですか?それともレジ壊したんですか?」
「一日でその全部こなしてやったでござる」
「うわぁさすが姫ちゃん。ドジっ子だねぇ」
「青葉殿青葉殿、拙者にそんな可愛らしい属性があるならネトゲなんかやってないでござるよ」
「そういう青葉さんもバイトしないんですか?今月お金やばいとか言ってませんでしたっけ」
「あー、働く気はさらさらねぇけど、かといって金もねぇもんなぁ。なんつーかさぁ、働く暇があるなら掲示板潜ってたいって思うんだよ」
「そんなことしてるから青葉殿はご両親からつまはじきにされるんでござるよ」
「姫ちゃんや。そういう上から目線はちゃんと働ける人が言えるものなんだよ?」
「姫子さん、店に貢献してるつもりで害を撒き散らしてますからね」
「あい分かった。貴殿ら二人は拙者の囲いに暗殺してもらうことにするでござる」
現実を他人に壊された彼らがとった行動。それは捻くれ切った意趣返し。自分を貶めた誰かではない。誰でもいいから自分と同じ場所まで引き摺り下ろしてやりたいという根底を元に、何かを見つけては跡形もなく燃やし尽くす。
極論、誰かの人生を破壊するその行為を神様とやらは見逃せなかったようで。
"それ"に気付いた時には既に手遅れだった。
居眠り運転か否か、かすっただけで人を殺せる速度の大型トラックがファミレスに突っ込んだ。
ガラスは粉々に砕け散り悲鳴があがるよりも先に、窓際の席に座っていた莉嘩の体は宙を舞っていた。
(なんだ)
突然起きたこの出来事に全ての感覚が追いつかないまま、思考だけがゆっくりと進んでいく。
(青葉さんも姫子さんも吹っ飛んでるじゃないですか。いくら今回の炎上が楽しみだからってそんなにはしゃぐほどですかね。姫子さんに至っては縞パン丸見えですし)
足元まで伸びたグレーのフレアスカートは勢いに任せてめくれ上がり、本来隠すべき下半身は投げ打って上半身を覆いかぶせるような悲惨な状態になっていた。
そして、その隣をすごい勢いで回転しながらテーブルの角に叩きつけられる青葉。首があらぬ方向に曲がり、打ち付けた頭から血が飛び散る。あられもない姿となった姫子の方も、テーブルの仕切りに突っ込んで腰が背中側へ、"く"の字ならぬ"つ"の字に折れ曲がっていた。
(うわ、どうなってんだこれ。あの二人間違いなく死ん)
首を何かが貫いたような感触と同時に、尼ヶ崎莉嘩の意識は途切れた。
蝉の声が響く、うだるような暑さの七月二十日。
その日を境に伝説のBB職人と、掲示板のとあるIDと、アトラスの舞姫は姿を消した。
誤字脱字あれば是非指摘をお願いします( ˘ω˘ )