表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/49

うさぎのハンコ


 初日の報告。


 ターゲットと実験体の接触を確認。計画は無事に成功した模様。


 引き続き、監視を行う。


 ***


 翌朝。疾風はやては目を開くと、飛び込んできた光景に違和感を覚えた。見慣れない天井。

 そうか、叔父夫婦の家に泊まっているんだな、と思い出す。

 きのうは慣れない道を歩いたせいか、いつもよりずっとはやい時間に眠ってしまった。

 疾風は、サイドテーブルに置いてあった端末を手に取る。時間は、もうすぐ六時。

 通知がなにもないことを確かめ、もとの場所に戻した。

 


 朝食をすませた叔父夫婦が出ていくと、疾風はなにもすることがなくなってしまう。

 当初は、家事の手伝いでも、と思っていた。しかし、この家ではあらゆるものが自動化されている。

 きょうがあれこれセットし終わったあとは、機械におまかせなのだった。



 疾風が自室に戻ろうとすると、インターフォンが鳴った。おもわず壁の時計を確認する。まだ七時すぎ。

 なんとなく、訪問者の正体がわかったような気がした。疾風はモニターをチェックしてみる。

 案のじょう、銀髪の美少女が、画面のむこうにいた。

 疾風はすばやく身なりをチェックすると、そそくさと玄関に向かう。


 そっとドアを開ける。そこには、腕を組んで仁王立ちになった旭緋あさひが立っていた。

 きょうは、サーモンピンクのサマーニットに、細身のデニムパンツというコーディネイトだ。

 その表情は、なぜか眉間みけんにしわを寄せたけわしいものになっている。


 疾風は、きのうのことを思い出した。おたがい、なんとなく暗い感じで別れたのはたしかだ。

 しかし、彼女を怒らせるようなことをした覚えはなかった。むしろ、こんな朝はやくにたずねてこられて、こちらが文句を言いたいくらいである。


「おはよう」


 疾風はとりあえず、旭緋を刺激しないように無難な挨拶あいさつだけしてみた。


「ハヤテくん、なんでラジオ体操こなかったの!」


 旭緋が、ぷんぷんおこっている。

 上目遣うわめづかいににらみつけてくる顔は、怖いというより逆にキュートですらあった。


「へ?」


 疾風は、自分でもおどろくほどマヌケな声を出してしまう。旭緋の言葉が、あまりにも意外なものだったので。


「らじお、たいそう?」


 思わず訊きかえした。


「そう。杏子さんから聞いてないの? 六時二十五分に、公民館前に集合って」


 旭緋は、怒る気が失せたようだった。おそらく、疾風がマヌケな顔できょとんとしているせいだろう。


「学校の、夏休みの宿題。都会の子は、ラジオ体操やらないの?」


 疾風は、ようやく事態を飲みこんだ。


「あのさ。オレ、もう高校生だし」


「え、高校って、ラジオ体操ないの」


 旭緋は心底おどろいた顔をする。どうも彼女は、世間知らずなところがあるようだった。


「そもそも、ラジオ体操って家でするもんだろ」


 生まれてこのかた、疾風は学校行事以外でそんなことをしたおぼえがない。


「えぇ~。このへんでは、みんな集まってやるんだよ」


 旭緋はそう言うと、首からさげていたひもを、細い指でつまみあげた。その先には、紙製のカードがぶらさがっている。


「参加すると、これにハンコ押してもらえるし」


「そんなの、見たことない」


「ええぇ~……」


 疾風のすげない返事に、旭緋は信じられない、という顔になった。


 旭緋の説明によると、この集落では、毎朝住民総出でラジオ体操をするならわしがあるそうだ。

 さすがに叔父夫婦は参加していないらしいが、村のお年寄りは残らず集まってくるという。

 しかも、村長手作りのラジオ体操カードまで配布している気合の入れようである。


「オレの時は、家で時間どおりに動画視聴すれば、端末にチェックされる仕組みだったけど」


 そのシステムのおかげで、小中学生だったころの疾風はズルしまくっていた。

 国営放送が中継する動画を、設定した端末で自動再生する。そして、自分は寝ていたのだ。同級生の大半も、似たようなものだった。


「あたしも、宿題のは同じだけど……ほら、このハンコかわいくない?」


 旭緋はそう言って、カードを疾風の目の前に突きつけた。そこには、ピンクいろのインクで、うさぎ柄のスタンプが押されている。


「あ、そう……」


 疾風は、朝からハイテンションの旭緋についていけなかった。昨日のことなどは、すっかり彼女の頭から消え去っている様子だ。


「ちゃんと、ハヤテくんのぶんのカードも、もらってあげるから。明日からは、一緒にいこ?」


 男子高校生が、お年寄りにまじって体操か。疾風は、その光景を想像してげんなりした。

 それでも、美少女に可愛らしい声でお願いされてしまうと、むげに断ることはむずかしい。


「一緒に、って、これから毎朝、ウチまで迎えに来てくれるわけ?」


「うん」


 旭緋が、こっくりとうなずいた。


「しかたないなぁ。そこまでするなら、行ってやるよ」


 疾風は、いかにも大儀そうに言ってやった。決して、お願いした時の旭緋が可愛かったから従うわけではないのだ、と主張したつもりである。


「むー、ハヤテくん、なんか偉そう」


 旭緋は微妙に納得のいかないような、複雑な顔をした。


「じゃあ、明日の朝、ちゃんと起きてね?」


「ハイハイ」


「むむー」


 疾風は、彼女をからかうのがだんだん楽しくなってきていた。



 旭緋はそのあとも、疾風にさんざん念を押してから、やっと帰っていった。


 ラジオ体操か。覚えてるかな。


 疾風は、ふんわりとただようバニラの香りを吸いこむ。

 面倒ではあるが、体力をとりもどすためには有効かもしれない。そんな風に自分を納得させる。

 あくまで、健康増進のためだ。美少女に毎朝お迎えに来てもらうことがお目当てではない。

 疾風は、自分で自分にそう言い聞かせた。



 リビングにもどる。からっぽの部屋を見て、なんだかすこし寂しい気持ちになった。そのことに、疾風は自分でもおどろく。


 そして、旭緋のせいだ、と思った。


 その場がぱっと明るくなる、まるで夏の太陽のような、彼女のまとう空気。

 そのぶん、離れてしまうと、ひとりになった静けさとの落差を感じてしまう。

 沈んでゆく太陽を見送る、あの感じ。夕暮れどきの、センチメンタル。


 疾風はだんだんと、そんな自分がおかしく思えてくる。

 付き合っている彼女と一緒にいることすら面倒に感じるのに、この変わりようはどうしたことか。

 きのう会ったばかりの、それも小学生の女の子と、もっと話していたいだなんて。

 そう、旭緋はまだ小学生なのだ。どれだけ見た目が大人っぽいとしても。


 彼女が、今までに接したことのないタイプだということも、大きいのかもしれない。

 なにより、あの美しい容姿からは想像もつかない、無邪気な言動。いくら眺めていても、飽きそうになかった。

 

 うさぎのハンコ、か。

 自分のほうこそ、野うさぎみたいにぴょんぴょん跳ねてたくせに。


 疾風は、そのときの旭緋を思い出して、すこし笑った。



 疾風は自室に戻ると、昨夜自宅から届いた箱を開けた。中からタブレット端末を取り出す。

 タッチペンを手に持つと、イラスト作成用のアプリを開く。絵を描くことは、彼の数少ない趣味のひとつだ。


 疾風は、とある場面を思い出しながらペンを走らせた。

 しばらく夢中で線を重ね続ける。できたのは、木にもたれて眠る、少女のスケッチ。


 彼はその絵に「Sleeping Beauty」とタイトルをつけた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ