丘のうえで輝くもの
疾風が玄関におりたのと、インターフォンの音が鳴ったのは、ほとんど同時だった。
ドアを開けた瞬間に、旭緋の「わっ」という声。ふんわりとバニラが香る。
「ちょっとー、急に開いたらびっくりするでしょ」
旭緋はそう言って胸に手をあて、大きな瞳をさらにまんまるにしている。
「ごめんごめん。ちょうど、部屋の窓から日傘が見えたんだよ」
「もー」
またしても旭緋は頬をふくらませている。さっきから、怒らせてばっかりだ。
「ひとり?」
瑠璃の姿が見えないので訊くと、旭緋がうなずいた。
「まさか、家に遊びに来たってわけじゃないよね」
「その、まさかだよ?」
旭緋があまりにもあっけらかんとしているので、疾風はどうしたものか困った。
だいたい、アポなしでいきなり自宅に突撃してくるというのはいかがなものか。
田舎では、それがあたりまえなのだろうか。
「まだ、荷物とか片付けてないんだけど」
「そんなの、気にしないよー」
旭緋はまったく悪びれる様子もない。
それを見て、疾風はますます困った。男子高校生ひとりきりの家に、小学生女児をあげてしまっていいものか。
もちろん、彼自身は下心など、まったく持ち合わせていないのだが。
「どうしたの?」
疾風がなかなか家にあげてくれようとしないので、旭緋が首をかしげる。
「いや……今、家にオレひとりだからさ」
わざわざ説明するのも、なんだか変な感じだ。
「知ってるよ」
旭緋は、さも当然といった表情である。疾風の言葉の意味を、理解していないようだった。
「その、だから。村の人たちとかに、なんか言われない?」
「ん? なんで?」
疾風はどう説明したものかわからず、いよいよ本格的に困った。
「オレとしても、村に来たばかりであらぬ疑いをかけられるのは、できれば避けたいんだけど」
「ん??」
旭緋はますます首をかしげた。その頭の上に、クエスチョンマークが見えるようだ。
「家の人に黙って来たわけじゃないんだよね」
「うん。ちゃんと言ってきた」
保護者の許可があるのなら大丈夫だろうか。いやいや、そういう問題ではない。たぶん。
疾風は、必死に考えを巡らせた。名案が思い浮かぶ。
「そういえばさ、結局、丘のほうまで行ってないよな」
「うん?」
「もしよかったら、ちょっと案内してもらえない?」
われながら素晴らしい理屈だ、と疾風は自画自賛する。
「いいよー。じゃあ、ハヤテくんの部屋を見せてもらうのは、また今度ね」
旭緋がにっこりと微笑む。どうやら部屋まであがりこむつもりでいたらしい。
疾風は、うまく断ることができてよかった、と胸をなでおろした。
旭緋が教えてくれたルートは、疾風の通った獣道とはまったくちがっていた。
「ふつうに家に行ってから、こっちに来たほうがよかった」
ゆるやかな坂道をのぼりながら、疾風がつぶやく。
「でも、それだとあたしに会えてないよ?」
前を歩く旭緋は、にやにや笑いながら、日傘をくるくるとまわした。
「旭緋に会ってなかったら、ころばずにすんだはずだけどな」
正確には、疾風がテンパらなければ、だったが。
「それはハヤテくんが勝手にころんだんだもん! あたしは悪くないもん!!」
そう叫ぶと、旭緋が、とつぜん小走りになった。
「都会っ子は、これくらいの坂でも走るところぶんでしょー」
言いながら速度を上げ、どんどん坂をのぼっていく。
「はいはい、ソウデスネ」
「むー」
疾風が挑発に乗ってくれないので、旭緋はぶつぶつ言ってスピードを落とした。
本当に、黙っていれば美少女なのにな。
そんなことを思いながら、疾風は、悪態をついて歩いている旭緋を眺める。
しばらく歩くと、小高い丘のうえに着いた。まわりを見わたすと、遠くの木々のあいだに、細い道が一本走っているのが見える。
「あれが、車で走った道か」
「そうじゃないかな。国道から入るとこは、あそこだけだから」
ふたりがいまいるのは、丘のうえでも北寄りの場所だった。
道を正面とした場合、むかって左の国道から右に見える村に、ほぼまっすぐ進んでいくことになる。
「オレが見た人影も、だいたいこのへんに立ってた、ってことか」
「ほんとに人だったら、ね」
そう言われてしまうと、疾風は自信がない。瑠璃の証言のこともある。
「丘にのぼってくる道は、オレが入っていったところと、さっきの坂だけ?」
「うーん……たぶん、そうだと思う。あとは森を抜けてこないと、無理かな」
そうは言っても、疾風が見つけた獣道ですら、あの歩きづらさだったのだ。
わざわざ苦労してまで、道のない場所を通る理由も思い当たらない。
「ふつうに考えたら、あの坂からのぼるよな……」
疾風は、じぶんたちが来たほうを振り返った。
「瑠璃さんがきたタイミングを考えるとさ。もしここに誰かがいたとしたら、彼女がどこかで見てるはずなんだよ」
しかも、瑠璃は生体反応までわかると言っていた。
「やっぱり、ハヤテくんの見まちがいだったんじゃない?」
旭緋はそう言うと、草のうえに座りこんだ。疾風もとなりに腰をおろす。
「なんかさ、さっきからやたらとオレの言うこと否定するよな」
「そーんなことないよー?」
その態度は、どう考えてもわざとらしい。
「なにか、思い当たることでもあるわけ?」
疾風の言葉に、旭緋が黙りこむ。地面をじっと見て、なにか考えているようだ。
やがて疾風のほうに向きなおると、口を開いた。
「ハヤテくんが見た人影って、どんな感じだったの?」
問われて、疾風は車から見た光景を思い出す。丘のうえで、光り輝いていたなにか。
「最初は、なにかが光ってるな、と思ったんだよ」
旭緋が、あごに手を当てて、うーんとうなった。
「あたし、朝は丘にいたって言ったでしょ? 下におりていくときに、なんか聞こえたような気がしたんだよね」
旭緋の話はこうだった。
彼女が昼寝をしようと森のほうに行ったとき、背後でなにか耳慣れない音がした。
それは、機械のモーター音に似ていたらしい。
振り返ってみたが、音のするほうは木が邪魔をして、なにも見えなかった。
旭緋は、畑のほうで草刈り機でも動かしているのだろう、と思い、そのまま木にもたれて眠ってしまった——。
「なんだよそれ。ぜんぜん手がかりにならないじゃん」
疾風はがっかりして言った。
「だから、言うの迷ったんだよ。でも、光ってたっていうから……」
そこまで聞いて、疾風にも彼女の言わんとしていることがわかった。
「あぁ、ヒト以外のものかもしれないってことか」
「なんで結論だけ言っちゃうのー」
旭緋が、台詞を遮られて文句を言う。
疾風はそれを無視して、どういった可能性があるかを考えてみた。
たとえば、ドローン。
ルートをあらかじめプログラミングしておくか、AIの自動操縦にしてしまえば、持ち主が近くにいなくても問題ない。
「ドローン持ってる人って、村にいる?」
「しらなーい」
旭緋が即答した。
「たまに、大学の先生とかが、撮影にくることはあるけど」
旭緋によると、このあたりの森の大半は、自然保護区に指定されているらしい。めずらしい動植物がいるので、学者などが研究目的で訪れるのだそうだ。
「ふうん。じゃあ、調べたらすぐにわかりそうだな」
基本的に、ドローン撮影には自治体の許可がいる。自然保護区であればなおさら、動物への影響を考えて規制が厳しくなっているはずである。
ただ、疾風はそこまでして光の正体を知ろうという気は、もうなかった。
「案外、わかってみるとなんてことない話だったな」
ドローンだと決まったわけではないが、可能性としては一番ありえそうだ。
「そうそう小説みたいな、推理のし甲斐のある事件は起こらないよ」
旭緋が訳知り顔で言った。