白いパラソル
疾風は目の前の建物を見上げた。まるで昔話に出てくるような古民家である。
しかしよく観察してみると、デザインのわりに、そこまで劣化している感じではない。
玄関がカードキー式のところから考えて、長く見積もってもせいぜい築十年くらいだろうか。そもそもこの土地で、そこまでのセキュリティが必要かどうかは怪しいものだったが。
鍵を開けて、とりあえずスーツケースを玄関に放りこむ。
まだ、荷解きをする気にはなれない。疾風はひととおり家の中を見てまわることにした。
外観に反して、内装はずいぶんと近代的だ。
ざっとのぞいて見た感じでは、掃除が行き届いた、清潔な空間になっている。どこからか、ロボット掃除機が作動しているらしい音も聞こえてきていた。
おそらく、疾風の身体を気遣ってくれているのだろう。芳香剤の類も、まったく置かれていない。
こんな風にあれこれチェックしなければ安心できないことに、疾風はやるせない気持ちになる。それもこれも、変わってしまった体質のせいだ。
疾風は、自分が小姑になったような気がしてきて、叔父たちに申し訳なく思う。
一階だけをざっと見おわると、疾風はリビングのソファに身体を埋めた。
端末に通知があるのに気づいて、画面をタップする。画像関係のクラウドサービスから、メールが届いていた。付き合いはじめたころ、いつのまにか彼女が勝手に登録していたもの。
添付されたアドレスを開くと、かつて仲の良かったころの、自分たちの笑顔が浮かび上がった。
学校で流行っている、自動生成のスライドショー。AIが設定された条件にもとづいて制作し、定期的にユーザーに送り付けてくるのだ。
疾風は、つぎつぎと入れ替わっていく画像をぼんやりと眺める。こうしてあらためて見てみると、自分の表情がいかにも不自然に思えた。
とってつけたような笑顔。無邪気に笑う彼女との対比に、われながらうんざりする。
学校で倒れた日。あれから、彼女とは言葉を交わしていない。
病院通いで端末の電源を切っていることも多く、まったく連絡も取っていなかった。体調を心配するメッセージが、一度だけ届いたきりだ。
結局、あの日の用件もわからずじまいの状態で、今日まで過ごしてしまった。
スライドショーが終わる。疾風は、消音設定にしてあって良かったと思った。本来なら、恋人たちの幸せそうな画像に合わせて、ロマンティックな音楽が流れていたはずだ。
ふと、旭緋の歌を思い出す。耳に残ったあどけない声が、なつかしさを誘う。
疾風は先ほどの疲れが出てきて、そのままうとうとと微睡んだ。
物音がして、疾風はいつの間にか自分が眠ってしまっていたことに気がついた。
「遅くなってごめんねー! すぐにごはん準備するから!!」
ばたばたと足音がしたかと思うと、杏子が廊下を横ぎっていく姿が一瞬だけ見える。
疾風は、これから居候させてもらう身としては、手伝うべきだろうかと迷った。
だが、妙に身体が重くて、いうことをきいてくれない。ひさしぶりに身体を動かしたせいだろう。
「ただいま」
玄関から声がして、疾風は今度こそソファから起き上がった。のそのそとリビングの入口まで歩く。
ドアの陰からのぞくと、叔父の要と目が合った。彼は診療所で唯一の医者だ。杏子とおなじく、食事は自宅で摂るということなのだろう。
「こんにちは」
疾風が挨拶をすると、要は目を細めて彼を見た。
「あぁ、ひさしぶりだね。学生はもう夏休みか」
「はい。今日から、お世話になります」
要は小さくうなずく。これ以上は会話が続きそうになかったので、疾風はふたたびリビングに戻った。
ソファに浅く腰かけて、外の様子をうかがう。要はどうやら別の部屋に行ったようだ。
疾風は小さく息をつく。
要とは、今までほとんど会う機会がなかった。そのうえ、おたがいに社交的なタイプではないので、話すと疲れてしまうのだ。
しかしこれから一か月あまりのあいだは、そうも言っていられない。
また、旭緋の顔が浮かぶ。
あれくらい相手からフレンドリーに接してもらえたら、こっちも楽なんだけどな。
疾風は自分の人見知りを棚に上げて、そんなことを考えた。
昼食の食卓は、なんとも気詰まりな空気になっていた。
杏子ひとりがひたすら喋りつづけるなか、時折はさまれる質問に疾風が答える。要はそのあいだ、ひとことも発しない。
これが一日に三回、この先もずっと続くのかと思うと、疾風はぞっとした。すこしのあいだの我慢ということだけが救いだ。
ほとんど食事の味などわからないまま、その地獄のような時間は終わった。
要が席を立ち、ダイニングから出ていく。疾風は、杏子が食器を下げるのを手伝った。
「あしたの夜、村の集会があるの。申し訳ないけど、疾風も一緒に出てくれる?」
杏子が、いそがしく立ちまわりながら言った。
さしずめ、村民へのお披露目といったところなのだろう。叔父夫婦の顔を立てるためにも、出るよりしかたがなさそうだ。
「いいけど」
そう返事はしたものの、正直なところ、疾風は気がすすまなかった。
「来るのはお年寄りばかりだけどね。ひとりだけ、若い女の子がいるわ。小学生だったかな」
「へぇ」
疾風はあいづちを打ちながら、旭緋のことを思い浮かべた。すでに会っていることを、杏子に言うべきだろうか?
別に隠す必要もないのだが、いきさつを根ほり葉ほり訊かれそうなところが面倒だ。
「じゃあ、よろしくね。私は午後診療の準備に行ってくるから」
躊躇している間に、杏子はさっさと後片付けをすませて行ってしまう。
やがて叔父も出かけていき、また家の中に静寂が戻った。
荷物を整理しようとして、疾風は肝心なことを思い出した。
そういえば、どこで寝起きするのか訊いていない。
杏子もなにも言っていなかった。おそらく、自身の用事をすませることしか頭になかったにちがいない。
彼女が猪突猛進なのは、昔からだった。
杏子と初めて会ったのは、疾風がまだ幼稚園に通っていたころ。
当時の彼は、誰がどう見ても女の子と信じて疑わない、可憐な容姿をしていた。
杏子は訪ねてくるたびに、そんな疾風をきせかえて遊んでいたのだ。それはそれはかわいらしいドレスを、山のように抱えて。
彼女には疾風より年上の娘がいるのだが、周囲の目を気にして着飾らせることができなかったらしい。その鬱憤を、甥っ子で晴らしていたというわけだ。
小学生になると、杏子が会いにくることは減った。疾風は、女装させられなくなってありがたい反面、すこし寂しく感じたことを覚えている。
疾風は、杏子の端末に連絡をして、自室の場所を訊いた。
二階の、来客用の寝室。昔は従姉が使っていたと言っていた。彼女は大学に進学して、今は都心近郊の寮に住んでいる。
部屋は、六畳ほどの広さの洋間だった。ベッドとサイドテーブル、あとはシンプルなデスクとチェアのセットが置いてあるきり。疾風の自室と大差ない。
スーツケースをフローリングの床に置くと、疾風は窓から外をのぞいてみる。
木々のあいだに、くるくるとまわる白い日傘が見えた。