夜明け
しばらく杏子の部屋で待機していると、紫苑から連絡があった。瑠璃に指示を出すという話だったが、なぜか疾風の端末に直接電話をかけてくる。
「申し訳ない。少々、想定外のことが起きているようでね。瑠璃はいまどこにいる?」
「旭緋の泊まっている部屋ですね。紫苑さんからの指示を待っていると思います」
「そうか……諸事情により、彼女のプログラムを強制的に終了させる必要がでてきた。再起動を待っていては時間がなくなるから、彼女なしで出発してくれたまえ」
「え? 大丈夫なんですか?」
「そうか、キミは気付いていないのだね。村を出てから、旭緋嬢の香りをかいだ覚えはあるかい?」
急に変なことを言われて、疾風は思わず旭緋のほうを見た。不思議そうな顔で首をかしげている。
「そういえば……でも、とくに悪臭とかがなかったからじゃないんですか」
「いや、おそらく彼女の能力は、村を離れることで発現しなくなる。しかしいまはそのことについて論じている時間はない。ホテルの脇の路地に車を回すから、頑張ってそこまで辿り着いてくれたまえ。追跡はなんとかかわせると思うが、あまり長時間は無理だからね……あと、旭緋嬢のブレスレットについても機能を停止させておく。向こうに気付かれないようにできるのは、せいぜい明日の午前中いっぱいといったところかな。では、健闘を祈る」
「え、あ、ちょっと!」
紫苑は言いたいことだけ言うと、さっさと通話を終了させてしまった。
「どうしたの?」
「いや……なんか瑠璃さんの調子が悪いみたいで、連れていけないって言われたんだよ」
疾風は手短に、先ほどの紫苑の言葉を伝えた。それを聞いた杏子は、難しい顔をして黙り込む。旭緋は困った顔で疾風を見つめた。
「とにかく、紫苑の言う通りにしましょう。七川さんだっけ? あのひとは村長に足止めしてもらうわ」
そう言うと、杏子は端末を取り出して電話をかけ始めた。
「旭緋」
疾風は心配そうに自分を見ている彼女の名前を呼ぶと、手を差し出した。
「いこう、一緒に。海へ」
そっとドアを開けて廊下の様子をうかがう。百合子は、こちらに背を向けるかたちで村長と話し込んでいた。村長は視線を百合子に合わせたままで、おろした片手をちいさく左右に振っている。さっさと行け、という意味だろう。
「エレベーターは音で気付かれるかもしれないから、階段で行こう」
疾風は小声で指示を出すと、さきに部屋から出た。幸い、絨毯のおかげで足音はしない。
すばやく階段のところまで行くと、振り向いて旭緋を手招きする。無事に、ふたりとも移動することができた。
部屋のほうを見ると、ドアのすき間から杏子が親指を立ててウインクしたのが見えた。
疾風はちいさくうなずくと、旭緋と手をつなぐ。
ホテルの出入り口に見張りがいることを心配していたが、ごくふつうに正面玄関からそとに出ることができてしまった。
そのまま建物に沿って歩くと、細い路地に小型の自動運転車が停まっている。いつもなら端末のアプリを使って乗車するのだが、疾風が近づくと後部座席のドアが開いた。
なかから、ちいさな頭がのぞく。
「え、マイちゃん!?」
旭緋がおどろいた声を出す。車から出てきたのは、ちいさな人型のロボット。
「いや……似てるけど、よく見るとちがうよ」
目の前のロボットは、ブロンドのストレートヘアにアクアマリンのような瞳をしている。
「ぐずぐずしていないで早く乗り込みたまえ」
ちいさな口から紫苑の声が聞こえて、疾風はおどろいた。が、たしかにこんなところで立っていては怪しまれる。
「とにかく乗ろう」
後部座席にふたりが収まると、ロボットは助手席に座った。ドアがゆっくりと閉まり、車が静かに走り出す。
「先ほどはすまなかった。これは、旭緋嬢の遠隔授業用に開発していたロボットでね。今回、急遽案内役として使用したんだ」
「そうだったんですか。でも……瑠璃さんは大丈夫なんですか?」
「うむ。それなんだが……先ほど瑠璃と通信しようとして気付いたんだが、どうも誰かが彼女のシステムにアクセスしていたようでね」
「え? ハッキングされていたってことですか!?」
「情けないことに、いままで気付くことが出来なかったのだが……どうやらかなり以前から、頻繁にデータを取得していた形跡が見つかった。もうすこし調べてみないと、断定はできないが……公安の仕業という可能性もある」
「そんな……」
旭緋が、泣きそうな声を出した。いままで家族同様に接してきた瑠璃が、敵の組織に利用されていたかもしれないのだ。
「あと……旭緋の能力が、村を出ると消えるって本当なんですか」
その言葉に、旭緋がおどろいた顔をして疾風のほうを見る。どうやら本人には自覚がないらしい。
「これもあくまで推論だがね。ただ、そうなるとダムに沈む以前の村では発現していた理由が説明できないのだよ。なにか、別の条件があると思ったほうがいいかもしれないね」
「別の条件、ですか」
そうは言われても、以前の村の状態を知らない疾風には見当もつかない。
旭緋もまだちいさかったから、そのころのことはあまり覚えていないだろう。
「しかし、そうなってくると旭緋嬢を村に閉じ込めておかなくてはいけないという前提が崩れてしまうなぁ」
紫苑のつぶやきに、疾風ははっとなった。そうだ。旭緋の、ひとが不快だと感じるにおいを変える能力が消えてしまうのなら、村のそとに出てもなんら問題はないはずだ。
「そのあたりのことは、キミたちが戻ってきてから検討する必要があるな。それより、そろそろ海に近づいてきたのではないか?」
疾風は窓のそとを見た。なにやら様子がおかしい。
「あの……紫苑さん。まさか、海って」
「ハヤテくん、これが海?」
ふたりの目の前には、たしかに海が広がっていた。しかし、そこは砂浜ではなく、コンクリートで覆われた港である。
「いや、たしかに海なんだけどさ……」
ホテルから一番近い距離にある海ということで、ここになったのだろう。
しかしどうせなら、白い砂浜のある海岸のほうが良かったな、と疾風は思った。
車から降りると、旭緋は岸壁に向かって走っていく。
「これが海かー! でも、ダム湖とあんまり変わらないね? でもでも、なんかニオイは違う!! 船もいっぱい!!!」
せいいっぱいはしゃぐ姿を見て、やっぱり海水浴場のほうが……と疾風はすこし残念な気持ちになってしまう。
生温かい風をほおに感じながら、疾風はゆっくりと旭緋のところまで歩いた。
「まぁ、これも一応は海だからいいか。もし旭緋の能力が本当に消えるんだったら、今度はもっとキレイなところに行けばいいし」
そんなことを話していると、水平線のむこうがぼんやりと明るくなってきた。
「朝陽だ」
「ん?」
自分の名前を呼ばれたと勘違いしたのか、旭緋が振り向いた。
「いや……空がさ、だんだん明るくなってきただろ? これから、太陽が昇って来るよ」
疾風はそう言って、旭緋の手を取った。つめたくなっていた指に、自分の指を絡める。
旭緋はほう、っとため息をつくと、黙って目の前の景色を眺めていた。
その横顔を見ながら、疾風は菖蒲のことを考えた。
菖蒲に旭緋を紹介したい、と思い立ってここまで来たが、彼女ははたして喜んでくれているだろうか?
まるで眠っているかのような、穏やかな顔を思い出す。
ひとりで、さみしかっただろうか。
最期くらい、一緒にいてあげたかった。
そんな風に思いながら、疾風は正面に向きなおる。うつくしいグラデーションを描きながら、太陽が姿を現してきていた。
菖蒲さん。見える? この子が旭緋だよ。今日はちょっと、雰囲気が違うけど。あ、あとオレのかっこうについては目をつぶってもらえるかなぁ。また、杏子さんの変なクセが出ちゃってさ。
暗い気分を打ち消すように、疾風はわざと明るく、こころのなかで菖蒲に話しかけた。
ぼんやりとにじんでいく景色を見つめながら、疾風はからめた指に力をこめる。
きちんと、言葉にして伝えなくては。
「旭緋……オレ、家に帰るよ。もう、村にはもどらない」




