ワガママ
その日の夜は大変な騒ぎになった。
迎えに来た村長を、旭緋が断固として拒否したのだ。
「まったく、あいつは一度こうと決めると絶対にテコでも動かん頑固者やでなぁ。坊主、なんとか説得してくれんか」
村長が困り切った様子で部屋を訪ねてきたので、疾風は一緒に旭緋の部屋に行くことになった。
「あたしは、ぜったいに帰らないんだから! ずっと、ハヤテくんと一緒にいるの!!」
ふたりが彼女の泊まっている部屋に近づくと、廊下にまで絶叫が届いた。扉は開け放たれており、杏子と紫苑がなかの様子をうかがっている。
「やあ、久しぶりに旭緋嬢がエキサイトしている場面に遭遇できたよ。最近の彼女は、オトナっぽく振る舞うことを至上命題としていたから、ここまで暴れるのは珍しいね」
疾風の姿をみつけると、紫苑は楽しそうに言った。わざと茶化して元気づけてくれている気がして、申し訳なくなる。
部屋に入ると、百合子が必死に旭緋をなだめている声も聞こえてきた。
「でも、今日までここに滞在できたのも政府のかたが譲歩してくださったからなんですよ。これ以上はダメだと言われていますから……また、許可を取って来たらいいじゃないですか。一度おうちに帰りましょうよ。ね?」
「イヤ! ハヤテくんをひとりにするなんて、あたしは絶対にイヤ!! だから、一緒にいるの!!!」
完全に駄々をこねる子どもに戻ってしまったようだ。疾風は苦笑しながら、現場へと乗り込む。
「あ、ハヤテくん!」
旭緋は彼の姿を見つけると、座っていたベッドから跳ねるようにして立ち上がった。制する百合子を突き飛ばし、まっすぐに駆け寄ってくる。
「竜胆さんからも言ってやってください……もう、私には手に負えません……」
床にしりもちをついた状態で、百合子ががっくりと頭を垂れた。ボディーガードの資格を持っているであろう彼女を弾き飛ばすとは、とんでもない馬鹿力だ。
「旭緋、ちょっと待っててくれる?」
疾風はぽんぽん、と旭緋の頭を軽くたたくと、百合子を連れて部屋の入口に戻った。
「申し訳ないんですが、七川さんはちょっとそとに……三人とも、なかに入ってもらっていいですか」
そう言って百合子を廊下に出すと、村長・紫苑・杏子の三人を部屋に招き入れる。
「お願いしますよ!? 鈴懸さんを連れて帰らないと、私減給されるかもしれないんですから!」
懇願する百合子を尻目に、疾風はドアを閉めた。
「疾風氏もなかなか無茶を言うね」
応接セットのソファに腰かけて、紫苑が腕組みをしている。
疾風は、みんなに旭緋を連れて海に行く計画を打ち明けていた。
「まぁでも、別にいいんじゃない? 実際、旭緋ちゃんがここに来たことでなにか問題があったわけでもないんだし。それにね……実は、持ってきてあるのよ。変装セット」
「マジで!?」
得意げに笑う杏子に、疾風はおどろきを隠せない。
「そう。一度、荷物を取りに村に戻ったでしょう? そのときにね。旭緋ちゃんも、火葬場に来ると思ってたから」
「さすが!」
旭緋が、にこにこしながら杏子を褒め称えた。
「たしかに、護衛があのお姉ちゃんひとりのうちに決行したほうがええやろなぁ。筋骨隆々の若い衆が相手では、さすがのわしも歯が立たん」
戦うつもりでいること自体どうかと思うが、ともかく村長は警察を出し抜けるということで妙に張り切っている。
「では、ワタシはいまから研究室に向かうとしよう。ここからであれば三十分ほどで着く。準備が出来次第、瑠璃に指示を送るから、それまでに旭緋嬢の支度を頼む」
紫苑はさっそく立ち上がると、部屋を出ていった。廊下で待つ百合子になんと説明しているのかは謎だが、おそらく例の早口謎理論で煙に巻いているのだろう。
「じゃあ、ふたりは海へ行く準備をしてから、私の部屋に来て。あの護衛のひとは……疾風、てきとうにごまかしてくれる?」
急に杏子に振られて、疾風は慌てて理由を考え始める。
彼女は看護師なのだから、具合が悪いので診察してもらうとでも言っておけば大丈夫か。
村長は旭緋を連れて帰る準備をするということにして、いったん自分の部屋に戻ることになった。
三人で部屋から出ると、百合子は喜びを隠しきれない様子で疾風を見る。
「鈴懸さん、帰る気になってくれたんですね! もう、すぐに出発されるんですか?」
ぬか喜びさせることになるのは忍びなかったが、疾風は先ほど考えた話をさらに盛って彼女を丸め込んだ。
百合子は護衛の任務をすっかり忘れた様子で、帰り支度をしに自分の泊まっている部屋へ行ってしまう。まるで人を疑うことを知らないようだ。
「なんや、あの嬢ちゃんは……あんなんでよう護衛が務まるな」
村長があきれた調子でつぶやいた。
疾風が準備を終えて杏子を訪ねると、やけにニヤニヤした顔の彼女に部屋に通された。
なんとなく嫌な予感がする。なかに入ると、目の前には見知らぬ美少女が立っていた。
「あ、ハヤテくん! どうかな、似合う?」
そう言って、美少女がにっこりと微笑む。
その声はたしかに旭緋なのだが、見た目はふだんの彼女とはまるで別人だった。
艶のある漆黒のストレートロングに、眉と睫毛を黒く塗っている。たったそれだけのことでも、ずいぶんと印象が変わっていた。
「すごいな……全然、いつもと違う」
「でしょう? 髪のいろだけでも雰囲気がガラっと変わるわよね。それでね……旭緋ちゃんだけじゃなくて……」
杏子はもったいぶった調子でそう言うと、傍らに置いてあった茶色っぽい毛の塊を手に取った。
「疾風も変装すれば、より見つかる確率は低くなると思うのよね」
彼女は悪魔の微笑みを浮かべながら、疾風ににじり寄ってくる。
「……は? そんな話、聞いてないんですけど」
じりじりと後ずさりしつつも、疾風はもう逃れられないことを悟っていた。
「似合うだろうとは思ってたけど、まさかここまでとはねぇ……私、あなたたちをプロデュースして売り出そうかしら」
杏子は壁ぎわに立ってふたりの姿を交互に眺め、感嘆の息を吐いた。
「冗談じゃない。だいたい、これなんだよ? 肌が突っ張ってしゃべりにくい」
疾風は、自分のほおを軽くつねってみる。なんだか薄い膜が張り付いているようで気持ち悪い。
「あぁ、当然、シート式のファンデーションなんて初めて使うんだものね。大丈夫よ、すぐに馴染むから。それより、自分でも見てみなさいよ。すっごく可愛いわよ」
杏子はそう言うと、疾風を洗面所に引っ張っていく。そのすぐ後ろから旭緋もついてきた。
「じゃーん!」
鏡に映った自身の姿を見て、疾風は目を丸くした。明るい茶髪のストレートボブに、くるんと上向きに持ちあがった長い睫毛。グロスでつやつやとかがやく紅いくちびる。
「旭緋ちゃんが清楚系だから、ちょっと派手めにしてみたんだけど……怖いくらい似合うわね」
「ハヤテくん、ほんとカワイイよ! これならアイドルになれそう!!」
ふたりの絶賛の声を背に、当の本人は絶句したまま自分の姿を見つめていた。
童顔で女っぽいというのは自覚していたつもりだったが、まさか化粧とカツラでここまで変わってしまうものだとは。
「うーん。目立たないようにと思って変装させたのに、これじゃふたりとも逆効果かしら……まぁでも結局、AIにはバレバレだろうしね。その辺は紫苑がなんとかしてくれるでしょ」
杏子はぶつぶつとつぶやきながら、洗面所から出て行った。
呆然と立ち尽くす疾風の隣に、旭緋が並ぶ。
不本意ながら、こうしてふたりが揃うと本当にアイドルユニットのようだ。
「ハヤテくん……イヤなら、あたしから杏子さんに言おうか?」
旭緋が鏡越しに問いかける。
「いや、別にいいよ。なんか変なことになっちゃったけど……でも、これでやっと、旭緋を海に連れていける」
疾風は、引きつる顔でぎこちなく微笑んだ。




