政府と警察
八月七日。その日のラジオ体操は中止になった。
「護衛のひとたちが民宿に一泊するとかで、準備にてんてこまいらしいわよ。ここ最近、泊りでこの村に来るひとなんていなかったから」
朝食の席で、杏子が中止の理由をまるで他人事のように話していた。
明日、いよいよ旭緋を村のそとに連れて行く。どうやら護衛の皆さんは、万全を期して前乗りをされるようだった。
疾風が自室で家に持っていく荷物をまとめていると、端末に着信があった。紫苑からだ。
「今日の午後に御一行様が到着するそうなんだが、打ち合わせの席には来られそうかい? 体調が悪いなら、無理にとは言わないが」
「もうすっかり良くなりました。大丈夫です、行きます」
時間と場所を確認して通話を終えると、疾風はちいさくため息をつく。
打ち合わせ、と聞いて浮かんだイメージは、黒服のいかつい大人たちに囲まれてちいさくなっている自分の姿だった。
しかし、ここで怯むわけにはいかない。なにしろ旭緋の笑顔が懸っているのだ。
反対勢力との初顔合わせということで、疾風は緊張を隠せないまま会場である公民館の会議室に向かった。
開け放たれた入口からなかをのぞく。上座にスーツ姿の一群が座っているのが見えた。
「失礼します」
声をかけて部屋に入ると、そのなかのひとりだけが振り向いて疾風の顔を見た。小太りの中年男性だ。
他に男性が五人、女性がひとり。彼らはまっすぐ前を向いて座っている。
こちらからは村長と紫苑、旭緋。どうやら疾風が最後のようだった。
「これで全員揃いましたか」
向かい合うかたちで置かれた長机の、真ん中に座った人物が口を開いた。まだ三十そこそこといったところの青年だが、口調は落ち着いている。
「私は政府の危機管理課課長代理の水嶋と申します。こちらは県警の田川副署長です。さっそくですが、明日の予定について……」
水嶋と名乗った男は、淀みなく話を続けながら傍らのノートPCを操作した。背後に準備されていたスクリーンに地図が映し出される。
打ち合わせとは名ばかりで、当日の出発時間やルートなど、細かいことはすでに決めてあるようだった。
疾風は手元の書類とスクリーンを交互に見ながら、水嶋の説明を聞いた。基本的にレジュメに沿って音読しているだけのうえに、いやに早口なのが気になる。さっさと終わらせて帰りたいという態度がみえみえだ。
隣に座った小太りの中年——田川は、そわそわと落ち着きがない。時折、旭緋のほうをちらちらと横目で見ているのがなんとも嫌な感じだった。
「こちらからの説明は以上です。なにか質問は」
とても答えてくれそうにない雰囲気で、水嶋が言った。
あれこれ訊いてみたいことはあったが、おそらく彼には答える権限がないであろう疑問ばかりだ。
疾風は、隣に座る旭緋の顔を見た。すこし顔色が悪いような気がする。緊張のせいだろうか。
「大丈夫?」
小声で話しかけると、彼女は書類から目を離さずにちいさくうなずいた。しかし表情は固いままだ。
「それでは、打ち合わせはこれで終了とさせていただきます。なにかあれば個別にどうぞ」
水嶋はそう言い放つと、さっさと後片付けを始めた。田川は挨拶もそこそこに部屋から出て行ってしまう。おそらく警察側の立会人として呼ばれただけで、この件に関してはあまり関係がない人間なのだろう。
「えらい慌てとるみたいやが、他に事件でも抱えとるんか?」
村長があきれた口調でつぶやいている。
「それより、疾風氏はあんな説明で良かったかね。どうも連中からは、あまりやる気が感じられないようだが……」
紫苑が心配そうに話しかけてきた。
「まぁ、任務が小学生の護衛ですからね。気合を入れろと言われても困るんじゃないですか」
彼らがどの程度の予備知識を持っているのかはわからないが、正直あまり警備をする必然性を感じていないのではないだろうか。
疾風がそんなことを考えていると、前方からひとりの女性が近づいてきた。
「お話中のところ申し訳ございません。今回、鈴懸さんの身辺警護を担当させていただきます、七川百合子です。明日はよろしくお願いいたします」
傍らの女性はそう自己紹介すると、ぺこっとお辞儀をした。年は二十代後半くらいか。背筋をぴんと伸ばした立ち姿が、いかにもお堅い職業を生業にしているといった雰囲気を醸し出している。
パンツスーツの似合う、長身の体育会系な感じだが、話すと意外と穏やかな印象だ。旭緋もやさしそうな口調に安心したのか、ほっとした顔になっている。
「わざわざすみません。こちらこそ、お世話になります」
疾風がそう言うと、百合子はにっこりと笑った。護衛と聞いて、もっといかつい人物を想像していたのだが、見た目だけなら普通のOLのようだ。
村長の案内で水嶋たちが民宿に引き上げると、疾風はパイプ椅子の背もたれに身体を預け、おおきく息を吐いた。
「さすがの疾風氏も緊張していたようだね」
その様子を見て、紫苑が笑っている。
「そりゃ、ふだんは政府や警察関係のひとと接することなんてないですから……でも、担当の女のひとは、やさしそうで良かったな」
疾風の言葉に、横の旭緋がうんうん、と首をたてに振った。
「その辺りは向こうも配慮してくれたのだろうね。政府の担当者は、まるで礼儀のなっていない若造だったが」
紫苑の身もふたもない言い方に、疾風と旭緋は顔を見合わせて笑う。たしかに水嶋は愛想もないし、いかにも融通の利かないお役人といった男だった。
ふたりと別れて叔父夫婦の家に向かう途中で、疾風はちょうど民宿のまえを通りかかった。
入り口を出てすぐのところで水嶋が電話をかけている。タイミング悪く目が合ってしまった。
疾風が会釈をすると、水嶋は通話を終えてなぜか手招きをした。
「ちょっといいかい? 君は……竜胆くんだったね」
会議室で話をしていたときと同様に、偉そうな態度が鼻につく。
「キミはむかし、CLの本部にいたんだろう?」
「CL……? カナリア教のことですか」
「カナリア教というのは、マスコミが広めた俗称だよ。正式にはCanariesLiberty、我々は略してCLと呼んでいる」
「はぁ。それで、オレになんの用ですか」
水嶋はきょろきょろと周りを見渡すと、疾風のほうに顔を近づけた。
「実は、逮捕を免れた教団の連中が、本部にいた子どもたちにコンタクトを取っているらしいんだ。もし君のところに連絡があったら、僕のほうに教えてくれないか」
そう言って名刺を差し出す。フルネームは水嶋貴之と言うらしい。
「あなたは、政府の危機管理課の所属なんですよね?」
疾風は、名刺に書いてある肩書を見て言った。なぜ、この男がそんなことを依頼してくる必要があるのか。
「そんなこと君には関係ないだろう。だいたい、おとなしくしていてくれれば向こうから勝手に寄ってきたかもしれないのに……」
水嶋はいら立った調子で言い捨てると、疾風が手にしたままだった名刺をひったくった。胸ポケットに差していたボールペンを手に取り、裏返してなにかを書きつけている。
「とにかく怪しい人物が接触してきたら、ここに電話を掛けてきてくれ。誰にも言わずに、真っ先にここに連絡してくるんだ。わかったね」
早口で一方的に命令すると、水嶋は名刺を疾風の手に押し付けた。
呆気にとられて立ち尽くしている彼を置き去りにして、さっさと国道のほうへ向かって歩いて行ってしまう。
なんだったんだ、一体。
疾風はくしゃくしゃになってしまった名刺を手に、水嶋の背中を見送った。




