熱
木々のあいだを抜けて村にもどると、畑仕事をしている老人の姿がぽつぽつと見えた。
あのなかにも、自分たちを監視している者がいるのかもしれない。
そんなふうに考えると、のどかな田舎の風景もまったく違ったものに感じられてしまう。
「疾風氏の家に行くのは、三日後だったね。あのワンピースはどうする? いまならまだ届けてもらうことも可能だが」
紫苑が急にそんなことを言い出した。
「あぁ……海に行くわけじゃないから、あれを着て行っても別に大丈夫か。旭緋、どうする?」
「あたしはどっちでもいいけど。でも、せっかくだから着ていこっかな」
考えてみれば、疾風の家に行くだけなら変装する必要はないのだ。しかし、旭緋は断ると面倒そうだと思ったのかもしれない。
「たのしみだなー! ねぇねぇ、やっぱり菖蒲さんになにか持っていったほうがいいよね?」
旭緋は、さきほどまでの沈みようが嘘のようにはしゃいでいる。ひょっとしたら、疾風を元気づけようとしてくれているのかもしれない。
無事に村長の家まで帰ってくると、疾風と杏子は三人と別れた。
しばらく歩いたところで、杏子が口を開く。
「今日は、ごめんなさいね。ほんとうはもっとしっかり調べてから教えてあげたかったのだけど……さっきも言っていたように、カナリア教の分派の動きがおかしいみたいでね」
杏子によると、今日訪れたあの建物も、手入れされているらしいところを見ると信者が出入りしている可能性が高いらしい。
いまはまだ公安も様子見の段階だが、ひょっとすると近いうちに監視が強化されて、簡単には出入りできなくなる可能性がある。彼女が急いだのは、そういった理由からだった。
「警察側も当然あそこはチェックしているでしょうから、いくら紫苑が監視の抜け道を知っているといっても、ねぇ。ひょっとしたら今日の出来事もバレちゃって、旭緋ちゃんの外出許可が取り消されちゃったりするかもしれないわね」
「マジで?」
せいいっぱいはしゃいでいた旭緋の姿を思い出す。さすがに中止となったら、目も当てられない。
「まぁ、さすがにそれはないとは思うけど。なんにしろ、これであなたの倒れた原因ははっきりしたわけだから。二学期からは、ふつうに学校に戻れるわね」
その言葉に、疾風は一気に現実に引き戻された。あまりにもいろいろとあったせいですっかり頭から抜け落ちていたが、この村に滞在できるのは今月いっぱいなのだ。
学校か。疾風は、急激に気分が落ち込んでしまう。あのふたりと顔を合わせなくてはいけない。そう思うと、このまま村に引きこもってしまいたいくらいだった。
その日の夜。疾風は自室で、クラウドサービスの画像をもういちど確認していた。なにかヒントになることが写っていないかと考えたのだ。
しかし、基本的に少女の姿を捉えた写真ばかりなので、教室内の様子などはあまりわからない。
次に、杏子の言っていた『おまじない相談』について調べてみた。おどろくほど様々なケースに対応しているようで、成功した体験談があちこちのサイトに掲載されている。
疾風の元カノとおなじように、時間・場所・天気や身に着ける物などが細かく指定されるようだ。ざっと流し読みしてみたが、どれも見事にバラバラで一貫性がない。
いくらなんでも、疾風を狙っておまじないを仕掛けさせるなどというのは不可能に思えた。
だいたい、彼の意識を失わせることによってなんの得があるというのだろう。
そこまで考えて、疾風はなにかが引っかかった。
自分が倒れることによって起きた出来事を、ひとつひとつ思い浮かべていく。
まず、学校に通えなくなった。そして、病院での検査。
この集落に滞在することになって、旭緋に出逢って……。
オレがこの村に来て、旭緋に会うことによって得をする誰かがいる?
疾風の頭に、真っ先に村長の顔が浮かんだ。
しかし、旭緋をそとに出すきっかけになるのであれば、かならずしも自分である必要はないだろう。
そうだ。オレである必然性がなければ、この推論は成り立たない。
あれこれ考えだして、疾風は頭が混乱してきた。さすがにここまでくると自身の許容量を超えている。
だいたい、三日後には旭緋を連れて家に行くという一大イベントも控えているのだ。その下準備も始めなくてはいけない。
疾風は、とにかく寝よう、と決めた。身体だけが疲れ切って、頭は冴えてしまっているが、とにかく休むことが先決だ。
ベッドに寝転がり目を閉じる。シーツにくるまってじっとしていると、やがて睡魔がおとずれた。
翌朝、目を覚ますと、疾風は自身の異変に気付いた。
頭がぼーっとして、身体が重い。そう意識したとたん、軽い頭痛までしてきた。
額に手を当ててみる。熱い、ような気がする。
夏風邪だろうか。ひさしぶりに遠出をしたものだから、疲れて体調を崩したのかもしれない。
そのまま寝ていると、心配した杏子が様子を見に来た。
疾風の具合が悪そうだとわかるやいなや、さっそく彼の熱や血圧などを測り始める。さすがに手際がいい。
「七度九分ね。他の症状は?」
「身体が重い……あと、頭もすこし痛い」
「きちんと診察してみないとはっきりとは言えないけれど、ストレス性高体温症かもしれないわね。どうする、要さんに診てもらう?」
疾風は、ぼんやりとした頭で逡巡した。なんとなく気がすすまない。
「しばらく寝る……悪いけど、旭緋が来たら熱出して寝込んでるって言っておいて。あと、絶対に見舞いには来るな、って」
「ふふ、わかったわ。でもお見舞いを断るのは大変そうねぇ。良くなったら、すぐ連絡してあげなさいよ」
「本人の連絡先は知らないんだよ……」
杏子は意外そうな顔をしてから、にっこりと微笑んだ。
「じゃあ、私から教えてあげようかしら。それくらいは、別にいいわよね?」
「好きにして……」
疾風は投げやりな返事をすると、シーツを顔のうえまで引っ張り上げた。会話を続けるのもつらいほど弱っている。
「それにしても、お母さんは一体どこに行っちゃったのかしら……」
独り言をつぶやきながら、杏子が部屋を出ていく。
熱に浮かされた頭でそれを聞きながら、疾風はむかしのことを思い出していた。
菖蒲は疾風がちいさいころから、よく取材だなんだと言っては旅行に出かけるひとだった。
最初は杏子が家に来て面倒をみてくれた。ひとりで留守番ができるようになると、疾風は菖蒲の書棚からてきとうな本を借りてきては読書に没頭した。
ひとりでいるさみしさから逃げるようにして、本の世界にのめり込んでいたあのころ。
菖蒲の影響で絵を描くようになってからは読書量がめっきり減ってしまったが、いまでも時々、思い出したように絵本などを眺めることはある。
そういえば旭緋を最初に見たときは、まるで童話の挿絵のようだと思ったのだった。
それは、彼女があの人形——こきあけに似ていたせいもあったかもしれない。
カナリア教の施設にあったステンドグラスを思い出す。
疾風にはどうしても、あの模様が人形の顔だったような気がしてならない。
ぼんやりとした意識のなかで、疾風は留守番をしていたときのおさない自分に戻っていた。
さむい。さみしい。
いくら本の世界に集中しようとしても、また、からっぽの自分に戻ってしまうのではないかという恐怖に苛まれたとき——疾風は、人形を見に行っていた。
最初は、おそるおそる遠巻きに眺めていたはずだ。次第に、すこしずつ近付いていくようになり、やがてすぐそばに立って……話しかけるようになっていたのではなかったか。
そうだ。リアルすぎて怖かったイメージばかりで、すっかり忘れていた。
あのころの彼は、この人形が動いて、自分に話しかけてくれたらいいと、そんなことを考えていたのだった。
ある意味、その願いは叶ったといえなくもない。
そんな風に考えながら、疾風はうとうとと微睡んだ。




