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おまじない


「マスター、そろそろ戻りましょう」


 それまで黙って立ったままこちらを見ていた瑠璃るりが、急に口を開いた。


「そうだな、あまり遅くなっても村民に怪しまれてしまうだろう。いったん帰るとしよう」


 紫苑しおんが立ち上がり、そのまま入口に向かう。


「まぁ、いまさら怪しまれるもなにもないけどね。私たちの言動なんて、公安にバレバレでしょうし」


「え、そうなの?」


 きょうの言葉に、てっきり紫苑の手腕でどうにかなっていると思っていた疾風はやては、おどろいた声をあげた。


「そりゃそうよ。だって、あなたは……自分の意思ではなかったにしろ、公安がマークしているテロリスト集団にかつて所属していたわけだから。この村に来る前から、とっくに顔も名前も知られているわ」


 言われてみれば、まったくその通りだった。つまり、疾風は菖蒲あやめに引き取られた時点からブラックリスト入りしていた人間だったのだ。


「でも、そんな人物を旭緋あさひに接触させて大丈夫なわけ?」


「現にこうして来ているってことは、問題ないと判断されたんでしょうね。まぁ、あなたがこの村に来たこと自体、大人たちの様々な思惑が絡んでいるのはたしかだから」


 そういえば村長も、ダム湖に向かう車のなかでそんなことを言っていた。

 疾風が一連の件に巻き込まれたのは、想定内だったというわけか。


「公安にしても、一枚岩ではないからね。旭緋嬢を村に閉じ込めておきたい人間と、わざとそとに放ちたい人間がいるのは間違いないよ。今回、あっさりと外出許可が出たのもそのあたりの駆け引きが作用しているのだろうね」


「放つ、って……まさか、旭緋を餌にテロリストを引っ張り出そうってことなのか?」


 言ってしまってから、疾風はしまったと思った。感情がたかぶると、口調が乱暴になってしまう悪癖。


「そういう考えを持った人間も、すくなからず存在するのだろうね。特に最近は分派の活動が活発になってきているそうだから、方針転換もやむなしということかもしれない」


「ふざけやがって……」


 ついさっき反省したばかりだというのに、また暴言を吐いてしまう。旭緋がおどろいた顔で疾風を見た。


「ごめん。でもさ、自分たちの都合で旭緋を村に閉じ込めていたくせに、今度は村から出して囮に使うみたいな……そんなの、オレは許せない」


 安心させたくて、疾風はその髪をやさしく撫でてやる。


「あたしは、大丈夫だよ。だって、ハヤテくんがいてくれるから」


 そうつぶやくと、旭緋は自分の髪に触れている疾風の手を取った。そのまま、ぎゅっとにぎりしめる。


「こうやって、手をつないでいてくれたら……あたしは平気。たとえ、なにがあっても」


 ふたりのそんな様子を、杏子と紫苑は並んで見守っていた。



 森のなかを歩くあいだ、疾風と旭緋はずっと手をつないでいた。

 彼女の手のぬくもりが、不思議と自分の気持ちを落ち着かせてくれていることを、疾風は感じていた。


 自身の過去——そして、意識を失った原因の究明。

 この村に来た当初は、まるで考えてもいなかった。ただ、体調が回復してふだんの生活に戻ることだけを願っていた。


 いまはちがう。オレの願いは、旭緋のほんとうの笑顔を取り戻すこと。


 ダム湖での一件が、遠い過去の出来事のように思い出される。

 そういえば、あのころは旭緋と距離を置くことばかり意識していた。


 疾風はつないでいた手をさりげなく組みなおした。俗に言う恋人つなぎだ。

 照れくさくて、旭緋の顔は見ることができなかった。でも、彼女の指に力がこもったのを感じて、思わず口元がほころぶ。


 相手がまだ子どもだとか、人形に似ているから恋愛対象外だとか、あれこれ言い訳を並べて考えないようにしていた感情。いま、それが疾風の全身をやさしく包み込んでいた。


 そっと旭緋の顔をのぞき見る。彼女もこちらに顔を向けていて、自然と目が合った。

 そのおおきなうつくしい瞳に、吸い込まれていきそうになる。


 光を受けてかがやく紫水晶アメジスト。こころから、守ってやりたい、と思う。


 

「しかし……これで疾風氏の件は一応の決着をみたわけだが、まだまだ問題は山積みだな」


 前を歩く紫苑が、ぶつぶつとつぶやいているのが聞こえてきた。


「あら、疾風の話もまだわからないことだらけよ? 大体、あの倒れたときのシチュエーション。いくらなんでも条件が揃いすぎてて不自然だもの」


 紫苑の隣で歩調を合わせていた杏子が、またしても妙な話を持ち出す。


「そうは言っても、あの事件はカナリア教でも一部の信者しか知らないのだろう。キミの陰謀論好きも結構だが、あまりにも飛躍しすぎだよ」


 ふたりの話を聞いているうちに、疾風は例のスライドショーのことを思い出した。


「そういえば……あの、オレが教室で倒れた日。あのときの画像が残っているんだけど」


「画像? 一体、どういうこと?」


 話がまったく違う方向に飛んでしまい、杏子が怪訝な顔をする。

 疾風はそっと旭緋の手を離した。腕の端末からクラウドサービスにアクセスする。

 一連の画像を三人に見せた。旭緋の表情がみるみる暗くなっていく。


「これを、キミの同級生が撮影していたと言うのだね」


「たぶん。意識を失う直前に聞いた声は、たしかにアイツのものでしたから」


「……シャンプーのことであなたの彼女に会いに行ったとき、変な話を聞いたの」


 そう言って、杏子も自分の端末を取り出した。


「これ。いま、女子高生のあいだで流行ってる、おまじない相談」


 端末の画面に表示されていたのは、ネットでの噂をまとめたサイトだった。「かならず願いが叶う」だとか「後腐れなく別れられる」といった文字がおどっている。


「このサービスとSNS上で友だちになると、それぞれの願い事に合わせたおまじないを教えてくれるんですって。あなたの彼女は、その……二股をキレイに清算するための方法を、教えてもらったらしいの」


「なにそれ。ひどい」


 なぜか、疾風の代わりに旭緋が怒っていた。頬がぱんぱんにふくれあがっている。


「そのときのやりとりをメモしておいたのが、これよ」


 杏子が示したテキストデータ。そこには、詳細なおまじないの方法が書いてあった。


 朝の教室に彼氏を呼び出し、窓の前に立って別れを切り出す。その際、かならず天気は晴れであること。出かける前に、バラの香りがするシャンプーで髪を洗うこと……。


「こんな……これじゃ、わざとオレにあの場面を思い出させるように仕組んだみたいじゃないか」


「私も、偶然にしては、ちょっと出来すぎているとは思っていたのよ。SNSのアカウントを紫苑にすこし調べてもらったら、どうも結構大掛かりな組織らしくてね」


「ワタシのスキルを持ってしても、おおもとの指示を出しているところまではたどり着けなかったのだよ」

 

 紫苑が残念そうな顔をして言った。


「ひょっとしたらカナリア教とつながりがあるのかと思って、千草ちぐさにも調査を依頼したのだけど、難航しているみたい。ただ……」


 杏子が、端末に画像を表示させた。このあいだ話題に出していた、菖蒲と文通をしているアイドルの少女が微笑んでいる。


「彼女が、ここのおまじないを使って国家試験をパスしたっていう噂があってね。そのせいで、爆発的に広まったらしいのよ」


 だから急に、彼女の話題を出したのか。疾風は妙なところに納得しながら、画像をじっと見た。


「ハヤテくんって、そーゆーアイドルとか好きなの?」


 旭緋がヤキモチをやいている。


「いや、菖蒲さんを通じて、ちょっと面識があるってだけだよ。心配しなくても、オレの好みはこんな子どもっぽいタイプじゃないから」


 多少含みを持たせた言い方をしたせいか、旭緋は納得のいかないような顔をして黙った。


「お母さんのツテでこのアイドルの子を紹介してもらえたら、なにか手がかりがつかめるかとも思っていたんだけど……」


 杏子がちいさくため息をつく。


「そういえば、まだ菖蒲さんに連絡できてないんだよな」


 あれから何度か家に電話してみたのだが、いつかけても留守電になってしまっていた。


「そうよねぇ。肝心の本人が雲隠れしちゃってるんだから、どうしようもないわ。でも、セキュリティから通知が来ないってことは予定を入れているのよね? お母さんも、またずいぶんと遠くに行っちゃったのねぇ」


「日程は決まってないって言ってたから、どれだけ家を空けるかなんて知らないしな。いきなり帰ったら怒るだろうなぁ……」


 しかも小学生の女の子とアンドロイド、さらに護衛つきときている。なにを言われるかわかったものではない。

 誕生日プレゼントで機嫌を直してもらえると良いのだが。


「さすがにそろそろ帰ってくるとは思うけどね。また今夜にでも電話してみるよ」

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