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帰省


 ひとの多い時期——できれば夏休み中に、旭緋あさひを連れて海へ行く。


 方向性は固まったが、いざ方法をどうしたものか。疾風はやてはまずそこで行き詰った。

 かなめや監視役にバレないように、村から出る。

 はたして、そんなことが可能なんだろうか?


 旭緋が村にいないことがわからないようにするには……例えば、病気になって家で寝込んでいる、ということにするとか。

 そう考えて、しかし疾風は、村長が旭緋は病気ひとつしたことがない、とかなんとか言っていたことを思い出す。

 しかも、要は医者だ。心配だから往診したいなどと言われてしまっては断れない。


 ダム湖に行ったということにすればどうだろうか。これなら先日の件もあるし、そこまで不自然ではない気がする。GPSさえなんとかごまかすことができれば、いけるのではないだろうか。

 となると、ここは紫苑しおんの領域だ。


 瑠璃るりのこともある。万が一、行った先で旭緋になにかあったときのことを考えると、できれば連れて行きたい。

 そうなると、やはり紫苑の協力は絶対に必要だった。彼女がいなければ、この作戦は成り立たない。

 あとはきょうにもこのことを伝えて、協力を要請しなくては。



 疾風はあれこれ考えながら丘から戻ると、自室に行った。

 今日は火曜日だから、ふだん通りなら杏子が帰ってくるのは二十時過ぎだ。

 時計を確認する。まだあと三時間ほど余裕があった。


 疾風は端末に地図を表示させ、村から海へ行くまでのルートを検索する。

 車で直行するとして、片道で一時間強といったところだった。

 しかし、あまり遅い時間に村を出ていては、誰かに見られる可能性がある。村人が異常に早起きらしいことを考えると、日が昇るまえに出発したほうがよさそうだ。


 かといって、海へ行くまでのあいだにあまりそとをうろつきたくなかった。できる限り見つかるリスクは減らしたい。

 わざと遠回りするようにして、時間を稼ぐか。

 

 そのうち、疾風はいちど自宅にもどるのはどうか、と思い始めた。

 そういえば菖蒲あやめはこのあいだの電話で、近いうちに旅行に行くとか言っていたではないか。彼女が留守のあいだであれば、こころおきなく休憩することができる。

 小学生女児を家に連れ込むことに多少の抵抗がないわけではないが、瑠璃が一緒なら別に問題ないだろう。


 近所の目が気になる、という点も心配だったが、そこはなんとかうまくごまかすしかない。

 疾風はなかなかいい思いつきのような気がしてきて、その線で計画を練ることにした。



 夜、いつも通りに杏子が帰宅したことを確認すると、疾風は深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。

 不審な行動を取って要に悟られては、元も子もなくなってしまう。

 とりあえず呼ばれるまでは自室にいたほうがいいだろう。そう思った疾風は、その場で待機することにした。



 夕食が無事に終わり、要が姿を消す。疾風はすこし時間を置いてから、杏子に話を切り出した。


「そう。旭緋ちゃんを連れて、自宅に戻るつもりなのね」


 疾風の説明をひと通り聞いたあと、杏子がつぶやいた。


「うん。ただ、このあいだ家に電話したとき、旅行をする予定があるとか言ってたんだよな。いつ出発するのかがはっきりしなくて。杏子さん、さりげなく聞き出してくれたりしない?」


「嫌よ。この時期に連絡なんかしたら、母親の誕生日にも顔を出さない親不孝者だとかなんとか、散々悪口を言われるに決まってるもの」


 それを聞いたとたん、疾風は固まった。そうだった。八月八日は、菖蒲の七十一歳の誕生日なのだ。


「しまった……すっかり忘れてた」

 

 疾風は困ったことになったな、と思う。あのひとは、誕生日プレゼントをあげたらあげたで文句を言うくせに、忘れていると機嫌が悪くなるという厄介なタイプなのだ。


「あらあら、大変じゃないの。()()がこんな風にないがしろにするから、すねて旅行になんて行っちゃうんでしょうねぇ」


 杏子に嫌味を言われても反論する気が起こらないほど、いまの疾風は焦っていた。

 プレゼントを用意していないとわかったら……考えただけで恐ろしい。


「まぁ、そこは自分でなんとかしなさい。それよりも、旭緋ちゃんのことだけど」


「うん」


 疾風はうわの空で返事をした。


「あの子が村のそとに出るって、そんなに難しいことなのかしら? 以前、紫苑が自分の研究室に連れて行こうとしたときは、ふつうに許可をもらっていたはずよ」


「……え?」


 意外な話になって、疾風はぽかんと口を開けたまま杏子の顔を見つめた。


「そのときは、本人が嫌がって結局行かなかったけどね。ほら、このあいだの話は、場所が学校だったでしょう。ひとの多いところは無理としても、あなたの家に行くくらいなら大丈夫なんじゃない?」


「でも村長さんや紫苑さんは、無断で出ていかせるつもりでずいぶんと張り切ってたよ」


「村長は警察のことを逆恨みしてるしねぇ……紫苑はハッキングの手腕を発揮できると思って、喜んでいるだけでしょうね」


「なんだよそれ」


 疾風は憮然ぶぜんとして、ため息をこぼした。そんなわけのわからない理由で、自分たちは振り回されているというのか。


「さすがにこのあいだのことがあるから、難しいかもしれないけれど。一応、許可が取れそうかどうか訊いてみたら?」


「そうは言われても、誰に訊けばいいんだよ」


 杏子の冷静すぎる口調に、疾風はいら立ちをつのらせた。


「そりゃ、要さんでいいでしょうよ。言っておくけど、村長や紫苑に頼んでも無駄よ。あのひとたちは、聞く耳なんて持ってやしないんだから」


 今夜の杏子はいやに毒舌だった。疾風は話が予期していた方向とまったく違うところにいってしまったので、思考が混乱してくる。


「とにかく……旭緋は海に行きたいって言ってるわけだからさ。その希望は、叶えてやりたいんだよ」


 疾風の真剣な声に、杏子はすこし悲しそうな顔になった。


「あなたの気持ちもわかるけど、この問題は子どもの手に負える話じゃない。そもそも国家権力を相手にしなくちゃいけないのよ? 変な大人たちに変なことばっかり聞かされて、感化されすぎているんだと思うわ。すこし頭を冷やしなさいよ」


 杏子の言うことはもっともだった。たしかに、疾風自身の感覚が狂ってしまっていることは否定できない。


「わかったよ……」


 疾風はちいさくつぶやいて、黙って皿を片付けた。杏子が、その肩にそっと手を乗せる。


「あなただけでも、家に戻ってみたらどう? お母さんの誕生日でもあるんだし。たとえ留守でも、プレゼントだけ置いていけばいいわ。もともと、その日にはいちど帰すつもりでいたから」


 それもいいかもな、と疾風はぼんやりと考えた。気分転換でもすれば、なにか良い案が浮かぶかもしれない。

 ただ、もしひとりで帰るとなれば、旭緋がさみしがりそうだな、というところだけが心配だったが。



 自室にもどった疾風は、あらためて先ほどの話を考えてみた。

 旭緋を連れて自宅に帰る。それを想像すると、疾風はなんだか笑えてくる。菖蒲は一体なんと言うだろう。

 そういえば、電話で旭緋の話をしたんだった。例のアイドルの色紙とやらを見せたかったのだと言えば、不自然ではなくなるだろうか。


 別に今回は海まで行けなかったとしても、いちど村から出た事実があれば、次の許可がおりやすくなるかもしれない。

 なんにしろ、まずは本人の意向を訊いてみなくては始まらない。

 疾風はあしたのラジオ体操で旭緋に質問する事柄を、頭のなかで整理した。


 それから、菖蒲へのプレゼントを用意する必要もあった。

 ネット通販でてきとうに選べばいいか。そう考え、疾風はいいことを思いつく。

 さっそく端末を開いて、検索をかけ始めた。


 結局、彼はそのままネットショッピングに没頭し、気付いたら夜が明けてしまっていた。

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