妖精と人形
そこにいたのは老人ではなく、ひとりの少女だった。
ぱっと見た感じでは、疾風と同い年くらいだろうか。
彼女は、身体を木に預けた状態で、地面にぺたんと座りこんで眠っていた。
短めのデニムスカートからのびた細い素足を、まっすぐ前に投げ出している。足元は、黒地に赤いラインの入ったスニーカー。
やはり目を引くのは、その髪のいろだ。全体に白いが、脱色したような感じではない。睫毛も同じところを見ると、生まれつきなのだろう。
太陽が、ふたたび顔を出した。少女の眠っている場所にだけ、光がさしこむ。
それはまるで舞台装置のように、やわらかなピンスポットとなって彼女を照らしだした。
こもれ日が反射して、胸のあたりまでのびた髪が、銀いろにかがやく。
陶器のようになめらかな白い肌は、うっすらと赤みがさしている。半開きになったくちびるは桜貝のようにいろづき、ひそやかな吐息をもらしていた。
その光景は、まるで童話の挿絵のようでもあった。非現実的な場面をまの当たりにして、疾風はそれが本当に人間なのかどうか、いまいち確信が持てなくなる。
この世にこんなに美しい人間がいるものなのか。
疾風は少女のそばまでそっと近づくと、息をつめてその寝姿に見入った。
自分の身体が陽光を遮り、彼女の顔に影が落ちる。かすかにふるえる、長い睫毛。
昨今では、一見しただけでは人間とほとんど変わらないような、精巧なアンドロイドも見かけるようになった。
目の前の人物も、ひょっとしたらそういった類なのかもしれない。それくらい、少女の容姿は完璧にととのっている。
しかし、そもそも機械が、呼吸しながら昼寝をするわけがない。生きている人間であることは、間違いなさそうだった。
風が吹いて、森がざわざわと騒がしくなった。先ほどよりも強く、あまいバニラのような香りがたちこめる。
疾風は、できるだけ息をとめてやり過ごした。いまのところ、身体に異変は感じない。
葉ずれの音がうるさかったのか、眠っていた少女がぱっちりと目をひらいた。
誰かが傍らに立っていることに気づくと、顔をあげる。その瞳は、青味がかった淡いグレイ。
疾風は急に動いた彼女におどろいて、あわてて後ずさった。彼の身体で影になっていた少女の顔に、光がさす。すると、それまで灰青いろだった瞳が、紫へと変化していった。
紫水晶のようなその虹彩。
ふいに、古い記憶が頭をよぎった。目の前の少女によく似た人形。たしか、紅い瞳の……。
それまでじっとしていた少女が、ぱちぱち、とすばやく瞬きを繰り返した。
「あー、え、っと」
われに返った疾風はあたふたと周囲を見まわす。これでは完全に不審者だ。
その瞬間、電子音があたりにひびきわたり、疾風は文字どおり飛び上がった。
パニックになった彼は、そのいきおいのまま来た道をいそいで戻ろうとし、案の定、大きな木の根につまずいて、派手に転んだ。
「うわぁ、大丈夫?」
かわいらしい声がして、先ほどの少女が近づいてくる気配。バニラミルクのような香りが強くなる。
疾風は、転んだ拍子にマスクが外れていることに気づいた。まずい。
慌てて息を止めたが、いまさら遅いのはわかっていた。疾風は発作が起きることを予想して身構える。しかし、身体は何も反応していない。
「あーあー、服、泥まみれ」
少女は疾風の手を取って立たせると、彼の服をぱんぱんと叩いて泥を落としはじめた。やはり彼女の身体から、この不思議なあまい香りがする。
発作が起きないところをみると、どうやら人工的なものではないらしい。
疾風は、あらためて少女の姿を見た。思わず見惚れてしまうほど、きれいな顔をしている。
美しい銀の髪に、透き通るような白い肌。それらを眺めているうちに、彼は、とある名称を思い出した。
色素欠乏——おそらく、彼女はそれではないか。
疾風は、その症状について詳しいわけではない。ネットで見た知識が多少あるだけだ。どこかの国では信仰の対象になっているとか、そんな程度。
たしかに、森のなかでこんなに美しい少女に出会ったなら、妖精だと言われても信じてしまいそうだった。
「ねぇ、さっきの音、なぁに?」
問われて、疾風は先ほどの電子音のことを思い出した。腕の端末が、メッセージの着信を知らせている。
あわてて呼び出すと、空中にホログラフィックディスプレイが浮かびあがった。今日から世話になる、叔母からだ。無事に着いたかどうかを尋ねる文面。
疾風は、すばやく文字を読みとると、端末を消音設定にした。
「その腕の機械、いいなー」
少女は物めずらしそうに、疾風の端末を眺めている。あまり、電子機器とは縁のない生活を送っているのだろうか。
疾風は元来の人見知りを発揮して、彼女と話すことができずに困った。
少女は、西洋人のような外見なのに、違和感のない日本語でしゃべっている。一見、クールそうな印象を受けるが、実際は意外と人懐っこい感じだ。
身長は、一六五センチの疾風と並んで同じくらい。だが、腰の位置は彼女のほうがたかい。顔も小さくて、スタイルが良いことがわかる。
「あたしがつけてるのも、音は鳴るんだけど。さっきみたいな画面は出ないの」
少女が、薄手の白いブラウスからのぞく、細い手首を差し出した。そこには、シルバーのブレスレットが輝いている。
他より少し幅が広くなっている部分には、白い石がはめこまれていた。
「これねぇ、日光に当てると、いろが変わるんだ」
疾風が興味深そうにしているのがわかったのか、少女が石を光にかざした。すると、白かった石が、だんだんと青っぽく染まっていく。おそらく、紫外線に反応する鉱物なのだろう。
「もうちょっと、おどろいてくれてもいいのに……」
じっと見ているだけの疾風に対して、少女がぼそっとつぶやいた。どうやら、彼のリアクションがうすいのが不満らしい。
上目遣いに自分を見つめて、ぷくっと頬をふくらませた顔。それがあまりにも愛らしくて、疾風は鼓動が高鳴ってくるのを感じる。
無機質なイメージの外見と子どもっぽい言動とのギャップが、より彼女の魅力を高めているようだった。
疾風がなにを話したものか迷っていると、遠くからなにか聞こえてきた。
女性の声が、だれかを呼んでいるようだ。少女が、それに反応して振りむく。
疾風が来た方向とは逆から、長身のシルエットが近づいてくるのが見えた。
「おーじょーうー、さまーっ!」
「はーい」
少女が、のんびりと返事をした。
「あれは『ルリ』って言って、あたしの世話役」
世話役、という耳慣れないひびきに、疾風は財閥のお嬢さま的なものを想像してしまった。
木の間から、ひとりの女性が姿をあらわす。見た目は二十代くらいだろうか。
彼女は、漆黒の丈長なワンピースに、フリルのついた白いエプロンという出で立ちだった。
頭には、白いヘッドドレス。まるで中世ヨーロッパの洋館か、秋葉原のカフェにいるメイドのようである。
耳の下あたりで切り揃えられた髪は、藍いろ。そして、金の瞳をしている。瑠璃という名前のイメージにぴったりだ。
「お嬢さま、取っ組み合いのケンカでもなさったんですか」
瑠璃が、そう言ってふたりを交互に見くらべた。機械特有の無表情さと感情の乏しい声音から、さすがに彼女はアンドロイドだとわかる。
しかし、ここまで人間に近いタイプのものを、個人で所有していることはめずらしい。やはりこの少女は、かなりの資産家の娘なのだろうか。
「そんなわけないでしょ。根っこにつまずいて転んだだけ」
それにしては少女のふるまいは、お金持ちというイメージとはズレている感じがする。
ふたりの妙な掛け合いがおかしくて、疾風は思わず笑ってしまった。
「ちょっとー、瑠璃が変なこと言うから笑われてるー」
「お嬢さまの日頃のおこないのせいですよ。それで、こちらのかたは?」
問われて、少女はあらためて疾風の顔を凝視した。そしてひとこと。
「しらなーい」
疾風は、がっくりと肩を落とした。