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思い出


 その日の午後いっぱいを使って、疾風はやて紫苑しおんに送るデータを仕上げた。

 瑠璃るりが変な受け答えをしておかしなことが起こらないようにするために、あらゆる情報を盛り込んでおいたつもりだ。

 

 基本は『ユニークな教育方針の学校を訪問して、未来の教育について考える』といった感じのテーマに設定してある。

 小学生の自由研究にしては大仰な気もしないではない。だが、多少オーバーな表現にしておいたほうが、教師のウケは良いはずだ。

 あとは適当に写真を撮って子どもらしく素直なインタビューでもすれば、体裁は保てるだろう。



 疾風の通っている高校は、まだ二年前にできたばかりの新設校である。

 政府肝いりの一大プロジェクトとして計画され、発表された当初から世間の注目を集めていたうちの一校だ。

 特に理系の人材を育成することに力を入れているのが特徴で、プログラミングなどの授業には多くの時間を割いている。


 その一方、自治体が地元住民の意見を無視して建ててしまったという問題で、批判を浴びたという経緯もあった。

 都心近郊に人口が集中したことによって子どもが急増、教室や職員が不足し、半ば強引に政府主導で計画を推し進めてしまったのだ。


 このような理由から、学校側としては是非ともイメージ回復を図りたいはずである。

 特に、新規の生徒となる可能性がある小学生からの取材申し込みは、メリットが大きいのではないか? そんな狙いが、疾風にはあった。

 明日、高校に連絡をする際も、彼はその線で攻めていくつもりでいた。

 


 作成したデータを送信してしまうと、疾風はタブレットのイラスト作成アプリを起動させる。

 ここ数日は触る暇がなかったから、描きたいモチーフがいくつか頭のなかにストックされていた。

 タッチペンを手に取ると、疾風はいきおいにまかせて線を重ねていく。


 きょうから夕食に呼ばれるまで、疾風は夢中になって絵を描きつづけた。

 出来上がったのは、ちいさな花を手にした少女のスケッチ。

 疾風は、それに「flower」とタイトルを付け、保存した。少々安易すぎる気もしたが、なにぶんネーミングセンスというものを持ち合わせていないので仕方がない。

 どうやら彼は、菖蒲あやめから言葉選びのセンスは受け継がなかったようだった。



 夕食を終えて自室にもどると、疾風は自宅に電話をかけた。

 しかし、しばらくコールがつづいたあと、留守電に切り替わってしまう。

 ため息をついて通話を終えると、疾風は端末をサイドテーブルに置いた。着信履歴は残るはずだから、気付いたら折り返してくるだろう。


 ただ、外出するには遅い時間帯なのが気になった。疾風が家にいたとき、菖蒲はすくなくとも夕食の時間には帰宅していたからだ。

 まさか、家のなかで倒れていたりしないだろうな。

 年が年なので、心配になってくる。


 疾風はいても立ってもいられなくなって、階下におりていった。

 リビングをのぞくと、杏子きょうこがなにやらテーブルに大量の冊子を広げている。


「あら、こんな時間におりてくるなんてめずらしいわね。なにか用?」


 入り口でぼーっと立っている疾風に気付いて、杏子が訊いた。


「あー……さっき家に電話したんだけど、留守電になってて。ちょっと時間が遅いから気になったんだよ」


「そうなの? 私はなにも聞いていないけど。大体、あの家はセキュリティサービスが付いてるでしょう。オプションの見守りも加入してたわよね?」


 言われてみればそうだった。そもそも、嫌がる菖蒲を説得して加入させたのは他ならぬ杏子である。

 見守りの仕組みは、一日三回の定時連絡によって安否確認をするというものだ。外出する際は、専用の機械にあらかじめ予定を入力しておくようになっている。

 緊急連絡先は疾風と杏子の端末に設定してあるので、なにかあったらすぐにセキュリティから通知がくるはずだった。


「じゃあ、こんな時間でも遊び歩いてるってわけか」


 疾風は拍子抜けして、つい愚痴をこぼしてしまう。


「元気なのは良いことじゃないの。まぁ、いい加減お年寄り向けの簡易な端末くらいは持ち歩いてほしいものだけど」


 杏子はそう言って、テーブルに目を戻した。


「一体、なにを出してきたの」


 疾風が問うと、彼女は山と積まれたなかから、一冊を抜き取って差し出す。


「これ、劇の脚本なの。このあいだ紫苑と話していたら、急に読みたくなってね」


 たしかに、杏子が持っている冊子の表紙からは、団体名や演劇のタイトルらしい文字が読み取れた。

 疾風はそれを手にすると、パラパラとなかを流し読みする。どうやら、宗教団体をモチーフにした話のようである。

 キャストの欄を見て、おもわず笑ってしまった。教祖役に紫苑が抜擢されているのだ。


「それはね、実際にあったテロ事件をテーマにしたものよ。脚本家が時事問題の得意な子でね。いまはジャーナリストになってるけど」


「へぇ」


 その事件に関しては、疾風にも多少の知識があった。祖母が、同じテーマの小説を書いていたはずだ。


「もし興味があるなら、紫苑に公演の予定を聞いてみるといいわ。たぶん年に二回くらいはまだやってるはずだから」


「演劇ねぇ……」


 疾風自身はいまいち乗り気ではなかった。だが、旭緋はこういうのが好きかもしれないな、と思い、すぐ彼女に結び付けて考えてしまう自分に戸惑う。



 杏子は、そんな疾風の様子には気づいていないようだった。満足したのか、机のうえに広げた冊子をダンボール箱に戻している。

 疾風がそれを手伝っていると、彼女が不意になにかちいさくつぶやいた。


「いま、なにか言った?」


「あ、ごめんなさいね。私が初めて出た舞台の本だったから。無意識にセリフが出ちゃったみたい」


 そういうものか。疾風は演劇に詳しくないので、なんとも返答しずらくて黙っていた。



「考えてみると、おかしな政策よねぇ……遺伝子で適性があると判断されないと、プロの俳優にもなれないなんて」


 急に、杏子が変なことを言い出した。


「それって、いまは廃止されたんじゃないの?」


 遺伝子診断による職業選択は、ひと昔前に政府が始めた制度だった。結局、思ったほどの成果が出なかったために取りやめになったはずだ。


「スポーツ選手はもうやってないけど、芸能系はどうだったかしら。でも、養成所に入るには診断を受けないとダメだったはずよ。だいたい、アイドルが国家資格だものねぇ」


 そう、いまでは正式に『アイドル』と名乗れるのは、試験をパスした一部の人間だけなのだ。

 疾風はそういった方面にまったく興味がないので、特になにも思っていなかったが。


「ほら、お母さんの知り合いにいたじゃない、養成所に入ってた子。あの子、最近資格取れたらしいわよ」


「あぁ、そういえばいたなぁ……」


 疾風は、ぼんやりとそのときのことを思い出す。

 数年前に、菖蒲の小説を朗読する会を開きたいとかで、芸能事務所が連絡してきたことがあった。

 企画を立案したのはひとりの少女で、菖蒲の作品の大ファンだったらしい。

 いちど家に訪ねてきたことがあり、そのときに疾風とは顔を合わせていた。


「疾風と同じくらいの年じゃなかった?」


「どうだったかなぁ。ひとつ上くらいだった気がするけど」


 なにしろいちど会ったきりの相手である。しかし、年齢の割にずいぶんと幼い容姿だったことは印象に残っていた。旭緋とは正反対だ。


「まぁ、あなたはアイドルとか興味なさそうだしね。でもせっかくだから、サインとかもらっておけば良かったわねぇ」


「家にはあるかもしれないけどね。なんか無理やり押し付けられたような気がするから」


 サイン、と聞いて、疾風の頭に当時の記憶が蘇った。まだ正式にデビューしていないにもかかわらず、彼女はいっぱしの芸能人気取りで彼に接していたのだ。

 菖蒲に対しては大ファンと言うだけあって礼を尽くしていたはずなのに、その落差におどろいたことを思い出す。


「それなら探してとっておいたほうが良いんじゃない? あとで価値が出るかもよ~」


 杏子は笑いながら、冊子の詰まったダンボールを抱えた。


「それ、重いんじゃないの。どこに運べばいい?」


 疾風はごく自然に、杏子の手からダンボールを取って言った。


「さすが、お母さんのしつけが行き届いているわねぇ……となりの洋室の、納戸に入れてくれるかしら」


 杏子が感心するように言った。疾風はなんだか照れくさくて、黙ってダンボールを運ぶ。

 納戸は戸が開きっぱなしになっていて、いくつかの箱やクリアケースが整然と積まれていた。ちょうど空いている隙間にダンボールを収める。


 隣に置いてあったクリアケースを何気なく見てみると、なかにはひらひらとしたドレスのようなものが入っていた。

 きれいに畳まれて詰め込んであるが、なんとなくサイズが小さく感じる。

 

 これ、まさかオレが着せられていたやつかなぁ。

 ちいさかったころの自分と杏子を思い出す。なぜか笑みが浮かんできた。

 なつかしい記憶。

 当時は心底嫌だったが、いまとなってみると良い思い出と言えなくもない。


 疾風はリビングにもどりながら、あとで杏子に訊いてみよう、と思った。

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