疑念
甘い旋律と共に始まったスライドショー。
ホログラフィックディスプレイに映し出されたそれを、疾風はただ、呆然と眺めていた。
最初の画像は、窓ぎわの机の上に座っている少女の姿を、教室の後方から撮影したものだ。
写っている物の位置関係や窓からの光の加減を考えても、七月最初の月曜日——疾風が彼女から呼び出された、あの日の朝撮られたものにほぼ間違いないと思われる。
連写したのだろう、カメラに顔を向けた少女が、おどろいた表情から笑顔に変わっていった。
その様子からも、隠し撮りされたものでないことはあきらかだ。
では、これを撮影したのは……一体、誰なんだ?
疾風は、何度も記憶を辿ったあの日のことを、もういちど思い返した。
廊下側の窓から教室をのぞいたときには、彼女以外の人間には気が付かなかった。戸を開けた瞬間、室内全体を見渡してみたはずだが、そのときも人影を見た覚えはない。
とすれば、撮影者は彼女の姿を撮ったあと、教室内のどこかに身を隠していたのだろう。
そして、疾風が意識を失って倒れる直前まで出てこなかった——。
あのとき、暗くなってゆく視界の端に、誰かの影がよぎったことはたしかだ。
そしてブラックアウトする寸前、耳に飛び込んできた、聞き慣れた声。
彼は疾風に向かって、大丈夫か、と問うていた。
そうだ。どうしていままで、あの声の主について考えなかったのだろう?
疾風は自分でも不思議だった。倒れた原因ばかり気にしていたからだろうか。
それとも——認めたく、なかったからか。
別れる一歩手前の状態だった女の子に呼び出された場所。そこに同席する人物がいたとして、それが、男だった場合。
彼女と一緒にいる理由が、ただ立ち会うためだけだとは、とても思えない。
場面が切り替わった。白いワンピースを着た少女が、サンダルを手に、裸足になって砂浜を歩いている。
波打ちぎわ。レンズに向かって、水しぶきをかける姿。
AIが画像に合わせて選んだ曲のメロディが、だんだんと盛り上がっていく。
次に表示された画像は、同じ海岸の夕暮れだった。
今度はカメラを三脚で固定したのだろう、同じ景色のなかを少女がすこしずつ移動していくショットが続く。
少女の隣に、ひとりの人物が並んだ。鮮やかなブルーのシャツに、膝丈のパンツ。彼女よりも、頭ひとつぶんは背が高い。
遠隔操作か、自動でシャッターをきるように設定してあるのかわからない。ともかく、そこからはふたりの画像が次々と表示されていった。
沈んでゆく夕陽に浮かぶシルエット。手を繋いで海を眺めている様子は、誰がどう見ても恋人同士だと信じて疑わないだろう。
ゆっくりと、音楽がフェードアウトしていく。それに合わせて、スライドショーも終わる。
疾風は、画面が消えてしまってもなお、端末をじっと見つめ続けていた。
しかし、もういちど再生する気には、どうしてもなれなかった。
それに、この画像を撮影した人物。
疾風は、それが誰なのかが、もうわかっていた。
ふと思い立って、画像のデータを調べてみることにする。
ファイルにアクセスし、膨大な数のリストをあらためて見て、疾風は軽い眩暈を覚えた。
なにも知らなかったころの、幸せな記憶の欠片たち。
気を取り直して、最新のものから遡ってチェックしていく。撮影された日付と場所、カメラの機種までは特定することができた。
それによると最初の画像は、やはり七月二日の午前五時半すぎに、疾風の通う高校で撮られていることがわかった。
そういえば、意識が戻ったあとに担任に聞いた話では、通報をした彼女以外に関係者は誰もいないことになっていたはずだ。
ということは、撮影者はだれにも見つからないように登校し、騒ぎがあったあとは姿を消していたということだろうか。
よく考えてみると、あのときの声もそこまで焦っているような感じではなかったような……疾風は、さまざまな疑念が胸にうずまいてくるのを感じて気分が悪くなってくる。
嫌な感情を振り切るように、最初の作業に意識を戻した。
海岸のほうは、倒れた日から約二週間後となっている。
使用されているカメラは、どの画像も同じ端末に付属しているものだった。
GPSのデータから海岸のある場所を検索し、日没からの帰宅時間を計算してみた。日帰りできなくもない距離だが、確認してみるとこの日は土曜だ。
思わずため息がこぼれる。
ふたりの行動を冷静に考えてしまっている自分に気付いて、疾風は余計に嫌な気分になった。
端末を床に放り投げる。ベッドに横たわって目を閉じた。
倒れる前の数か月間を思い出そうとしてみる。付き合っていた彼女をふくめた、友人のグループ。そのうちのふたりは、夏休み前の時点ではまだ別れていなかったはずだ。
そして、もうひとり。疾風とは幼馴染の少年。
あのときの声は、確かにあいつのものだった。
背が高くて筋肉質で、目鼻立ちのハッキリとした、いかにも男らしい奴。見た目は自分と正反対だったが、彼とはなぜか気が合った。
あいつも中学生のときは、何人かの女の子と付き合ったり別れたりを繰り返していたはずだ。
そういえば、高校に入ってからはずっとフリーだった気がする。モテまくっているのにもかかわらず、誰とも付き合っていなかった。
疾風も、いろんな女の子から彼に紹介してほしいと頼まれたことを覚えている。
あいつは……疾風と付き合っていた女の子のことが、ずっと好きだった、というわけか。
そのことに思い当たって、疾風は必死に記憶を手繰り寄せた。だが、どうしてもふたりの姿がはっきりと思い浮かばない。そこまで仲の良さそうな感じには見えなかったような気がするが、実際はどうだったのだろう。
なにしろ疾風は他人のことにあまり興味がない性分なので、そんなところまで気を配ってふたりに接していなかったのだ。
紫苑からは察しが良いなどと言われたりもしていたが、疾風は基本的に、恋愛感情の絡むことに対して無関心だった。
浅く狭い友人関係。相手に興味を持てないから、その気持ちを深く考えて付き合うようなことはしないというスタンスでいままで過ごしてきた。
自分の推測が正しいとするならば、あいつはこの半年ほどを、一体どんな思いで過ごしていたのか。
疾風の覚えている限り、すくなくとも自分と接する際には、特に変わったところはなかったように思う。ただ、奴とは幼稚園からの腐れ縁だが、疾風と同様にあまり感情を表に出すタイプではなかった。
あいつが付き合っていた女の子たちのことも思い出してみる。ぼんやりとしか記憶しかないが、これといった共通項はなかったのではないか。
お互いに好きな異性のタイプを披露し合うような性格ではないから、その辺のことも疾風はよくわからない。
こうして考えてみると、付き合いの長い割には相手について意外と知らないことが多いとわかって、疾風はなんだか寂しい感じがしてくる。
同性の友人ですら、こうして距離を取ってしまう自分。
そして、恋人と友人に裏切られたというのに、すこしもショックを受けていない自分。
もし、あの場で倒れていなかったとして——彼女に、あいつのほうが好きになった、と告げられていたとしたら?
それでも、特になにも感じることなく、別れることに応じていたのではないか。
そんな風に考えて、疾風は胸にぽっかりと穴が開いてしまったような感覚に襲われた。
まがりなりにも、最初は恋人同士だったはずのふたりである。しかし、いまのこの自分の状態はどうだろう? あまりにも無頓着すぎやしないか。
怒りや悲しみといった感情も沸いてこない。先ほどまでは、いいようのない嫌悪感のようなものだけが胸にわだかまっていたが、それもだんだんと薄れつつあった。
むしろ、これできっぱりと別れられると思って、すっきりした気分になってきたくらいだ。
自分から別れを切り出さなくても良くなったいまの状況に、ほっとしてさえいる。
このスライドショーの通知が疾風にも届くことは、彼らにとっては承知のうえだろう。だとしたら、わざわざこちらから連絡を取ってやる必要など、もうないのでは、と思ってしまう。
これは、あのふたりからの無言のメッセージなのだ。
疾風は、彼女に連絡を取る気がすっかりなくなっていた。
学校で顔を合わせたとしても、動揺することなく普通に接することすらできるだろう。結局、その程度の関係だったということだ。
すっかり冷めきった感情を自覚して、今度はむなしさがこみあげてくる。
寝返りを打った疾風は、ゆっくりと目を開いた。床に転がったままの端末が視界に入る。
ぼんやりとそれを眺めながら、彼は過去を振り返るのはよそう、と思った。
この先、自分には、どうしてもやり遂げなくてはいけないことが待っているのだ。
半ば強引に、先ほどまでの出来事を思考の片隅に追いやる。
いまの自分にとって、いちばん大切なこと。
ふたたび目を閉じる。暗闇のなか、きらきらとかがやいているなにか。
透き通った紫水晶の虹彩が、じっとこちらを見つめている。
疾風は、無性に旭緋に逢いたい、と思った。




