箱入り娘
村長の家から戻ると、疾風は自室に引きこもった。
あれこれ端末に文面を打ち込んでは、すぐに削除することを繰り返す。
付き合っている女の子に送るはずのメッセージ。
以前はどのように書いていたのだったか、それすら忘れてしまっている現実が、すこし哀しい。
そうして彼は、長いあいだアプリと格闘していた。
そのうち、こういった問題は実際に会ってからのほうが良いのではないか? などと余計なことを考え出して、思考が袋小路に入ってしまう。
引き延ばしてもなにも変わらないことは、頭ではわかっている。ただ、踏ん切りがつかないだけだ。
そんな感じで端末を手に取ってみては、また机のうえに放り出すこと数時間。
とうとう諦めてベッドに突っ伏していると、階下から物音が聞こえてきた。杏子が帰宅したのだ。
午後診療のある日、彼女が帰ってくるのはだいたい二十時前後になる。疾風が村長の家から戻ったのがたしか十六時くらいだったから、四時間ほど無駄にしてしまったわけだった。
どうせしばらくしたら夕食に呼ばれるので、疾風は先にしたにおりていった。食欲をそそる、香ばしい匂いが家中にただよっている。
ダイニングをのぞくと、なぜか杏子と一緒に紫苑までがキッチンに立っていた。
「おや、そこに見えるのは疾風氏ではないか? 夕食が待ちきれないとは、さすが育ち盛り食べ盛りの高校生男子だな」
顔を上げた紫苑と目が合ったとたん、そんな風に言われてしまい、疾風はどう返事をしたものか困ってしまう。
「そうなのよ~、この子、細いくせにすごい量食べるの」
またしても杏子が余計なことを口に出した。しかし疾風が大喰らいなのは事実だから、そこは黙っておく。
しかも、いままでは居候の身ということで自分なりにセーブしているつもりでいたのだ。疾風は、今日からはもっと量を減らそう、と思いなおした。
「疾風、今日の夕食は豪華よ。しかもなんと、紫苑の手料理が食べられるの!」
杏子がいつになくはしゃいでいる。
「正確には瑠璃との共作だがね。安心したまえ、旭緋嬢には指一本触れされていないからな」
その言葉の意味するところがなんとなくわかって、疾風は顔がほころぶのを感じた。
たしかに、あの箱入り娘には料理なぞとてもできそうにない。むしろ基本を無視した創作料理でも拵えて、周囲を恐怖に陥れていそうな気さえする。
要は珍しく付き合いで外食をするらしく、食卓は三人だけだった。
おそらくそのこともあって、紫苑はわざわざ今日を選んで訪ねてきたのだろう。
テーブルの中央には、美しく盛り付けられたローストビーフが鎮座ましましている。
「さあさあ、遠慮なく食べたまえ。原材料はもちろんのこと、調理法も完璧だからね。味は保証するよ」
紫苑の言うとおり、料理は格別だった。これなら店で出しても問題ないようなレベルだ。
疾風は驚嘆しながら肉を口に運んでいた。ふと紫苑のほうに顔を向けると、こちらをじっと見つめている。
「旭緋嬢の件は、村長から聞いたよ」
単刀直入に、紫苑は言った。そこで初めて、疾風は彼女が旭緋の後見人であることを思い出す。
「すみません。よく考えたら、最初に紫苑さんに相談するべきでした」
疾風が素直に謝るのを見て、紫苑が微笑んだ。いつものニヒルな感じではなく、やわらかい表情をしている。
「いや、構わないよ。実質、彼女を養育しているのは村長なのだからね。それにしても、うまい理由を思いついたものだ。学校の自由研究とはね」
「この子、昔っから悪知恵だけはやたらと働くのよね~」
杏子が横から茶化す。だが、不思議と嫌な気分にはならない。
「ワタシも何度か、旭緋嬢を村から連れ出そうとはしたんだよ。しかし、どうも彼女は自分が外に出ると、他人に迷惑がかかると思いこんでしまっていてね」
「それって……やっぱり、あの能力に関係しているんですか」
疾風は、最初に旭緋から自身の能力についての話を聞いたときのことを思い出した。
あまりそのことについて話したがらなかった、彼女の態度。
そういえば、ガス漏れについてなにか言っていたはずだ。そのときも、ずいぶんと自嘲気味な言い回しをしていた気がする。
「そう。昔、事故があってね……」
紫苑が、ぽつりぽつりと話し始めた。
それは、旭緋がまだダムに沈む前の村にいたころ。
村民総出の夏祭りの夜、その事故は起きた。
そのころ、村の集会所では燃料としてプロパンガスを使用していたのだが、なにかの拍子にそれが漏れてしまった。たまたま旭緋が近くにいたので、誰も臭いに気付くことはなかった。
そこで誰かがタバコに火をつけたために、ガスに引火して爆発してしまったのだ。
幸い死亡者や重傷者は出なかったが、旭緋を含めた数人が火傷などの怪我を負った。
「やはり当時の村民のなかには、村長が旭緋嬢を世話することに対して、反発するものが少なからずいたようだ。彼女はまだ幼かったけれども……そういった周りの感情を、子どもなりに汲み取っていたのかもしれないね。我々が知らないだけで、直接なにか言われていた可能性もある」
紫苑の言葉に、疾風は沈んだ村の話をしていたときの旭緋の顔を思い浮かべた。
単純に、なくなった故郷のことを考えて悲しんでいるものだと思っていたが、実際はもっと複雑な感情を抱えていたのにちがいない。
「瑠璃はそのときの事故を受けて、開発中だったものを旭緋嬢の世話役としてカスタムしたんだよ」
「そうだったんですか……」
やはり瑠璃の存在意義は旭緋の世話役というよりも、彼女の能力の監視役といった目的のほうが大きいのだ。
疾風はこの話を聞いて、あらためて旭緋を外に連れ出すことの困難さについて考えた。思いつきで行動したは良いが、これは下手をするとひとりの女の子の今後の人生にまで影響を及ぼす可能性があることなのだ。
だが、それでも、疾風は彼女のためになにかをしてあげたかった。
顔を上げると、紫苑と目が合った。
彼女は穏やかな笑みを浮かべたまま、疾風の表情をじっと観察しているようだった。
「でも、旭緋ちゃんをひとの多い場所に連れて行くとなると、あの見た目では目立つわよねぇ」
それまで黙っていた杏子が話題を変えた。暗い雰囲気に耐えかねたのだろう。
「そのうえ、瑠璃も一緒なんでしょ? どう考えても、注目の的よ」
そのことは、疾風も考えないではなかった。
「まぁ、見た目の問題だけなら……最悪、変装でもしてもらえばいいだけの話だから」
カツラを被って髪を隠して、すこし化粧でもしてしまえば、なんとかなるような気がした。規格外の美少女なのと抜群のスタイルに関しては、なんともごまかしようがなさそうだったが。
「それに関しては、ワタシに一任してもらってもいいだろうか? これでも劇団に所属している身だからね。扮装のテクニックに関しては自信がある」
紫苑が断言したので、旭緋の当日の服装に関しては彼女に任せることになった。
夕食のあと、疾風は先に自室に戻った。古い友人同士、水入らずで話したいこともあるだろうと思い、気をきかせたのだ。
疾風は、机のうえに置きっぱなしにしていた端末に目をやる。
いい加減、連絡しないとな。
疾風は、あまり遅い時間になるのも相手に悪いし、などと考えて、一旦は端末を手に取った。だが、日付が変わる前までならぎりぎりセーフだろう、とつい自分を甘やかして、また放り出してしまう。
考えがまとまらないままベッドにごろごろと寝転がっていると、メールの着信音が耳に届いた。
しぶしぶ起き上がってチェックする。送信者は、またしてもあのクラウドサービスだった。
表示されたアドレスを眺めながら、疾風は違和感を覚えた。
この集落に来た初日に送られてきたスライドショー。あのときの画像は、すべて疾風が教室で倒れた日以前のものだ。
あれから、ふたりで写真を撮る機会など絶対になかった。そもそも会ってもいないのだから当然だ。
このサービスは、ある程度新規のデータが蓄積されない限りは作動しない仕様のはずである。
彼女が単独で撮影した画像ということも考えられたが、そんなものをわざわざ疾風のほうにも送ってくる必要があるだろうか?
疾風はもやもやした気持ちのまま、表示されているアドレスをタップした。
「嘘だろ……」
思わず声に出す。
そこには、疾風が倒れた日の教室内を撮影したものと思われる画像が、映し出されていた。




