外出許可
翌朝のラジオ体操後、疾風は村長からアポイントメントを取りつけることに成功した。
普段ほとんど自分から行動を起こすことをしない彼にとっては、たったそれだけのことでも格段に進歩したといえる。
疾風は、思いのほか簡単に事が運んで拍子抜けしていた。
ただ「旭緋のことに関して話がしたい」と伝えただけだったが、村長は午後の面会を快諾してくれたのだ。
もっとあれこれ詳細を問い質されるものと考えて、疾風はかなり慎重に準備してきたつもりだったのだが、それは杞憂に過ぎなかったわけだ。
疾風が村長と話しているあいだ、旭緋はずっと彼らのほうを気にしていた。
一応、おばあさんたちの談笑の輪に形だけ入ってはいるのだが、あきらかにそわそわしているので見ていて面白い。
話が終わって彼女のほうに近づいていくと、我慢できなくなったのか向こうから寄ってきた。
「ねぇねぇハヤテくん。村長さんと何の話してたの?」
あきれるほどストレートに切り込まれて、疾風は苦笑する。旭緋には、疑問に対する返答をさりげなく聞き出すといった思考は存在しないらしい。
「ちょっとね……どうせ旭緋も同席するんだろうから、後でわかるよ」
疾風はあえて返答をぼやかしてみた。反応はだいたい予測できるが。
「どうせき? 後でわかるんだったら、いま教えてくれてもいいじゃん」
ぷくーっと頬をふくらませて旭緋が抗議した。あまりにも予想通りなので、疾風はますます楽しくなってくる。
「昼から、旭緋の家に遊びに行くんだよ。せっかくわざわざ訪ねてやるんだから、盛大にもてなしてくれよな」
家に行くことは事実なのだから、決して間違ったことは言っていない。
「なにそれー! 超エラそう!! いいよーだ、そんな人にはお茶も出してあげないから!!!」
旭緋はべーっと舌を出すと、ぷりぷり怒りながらおばあさんたちのほうに戻ってしまった。
予想以上の反応に、疾風は腹を抱えて笑った。その横を、老人たちが不思議そうな表情で通り過ぎていく。
旭緋のほうを見ると、おおげさに顔をしかめてからぷいっと横を向いた。
これは手土産でも持っていってやらないと、機嫌がなおりそうもないな。
疾風は、旭緋が好みそうな菓子が家にあるかどうか、あとで杏子に訊いてみよう、と思った。
午後、疾風は杏子から持たされたせんべいの詰め合わせを抱えて、村長の家を訪ねた。
小学生女児への詫びの品という意味では、もっとクッキーやらケーキのような、洋菓子的なもののほうが向いているような気はした。
だが、叔母夫婦はもともとおやつに菓子をつまむといった習慣がないらしい。
その代わり、家には村の人たちが診療所に持ってくる駄菓子が、大量にストックされているのだった。
インターホンを押すと、返事の前に玄関の扉が開いた。すきまから、黙ったままの旭緋が上目遣いで疾風のほうを見ている。
「ほら、ちゃんとお詫びの品を持参して来たからさ。機嫌なおしてよ」
そう言ってせんべいの入った紙袋を掲げると、旭緋の大きな瞳がかがやいた。疾風の手から袋を奪い取ると、さっそく中味を確認する。
「よし、合格」
つぶやくと、扉を全開にして疾風を招き入れた。
合否の基準はよくわからなかったが、ともかく家には上げてもらえるようなので、よしとしよう。
和室に通され、疾風は緊張しながら村長を待った。話の順番は考えてきてある。あとは自分の考えをどう上手く説明するか、だ。
「よぉ、坊主。そんなに固くならんでもええから、足くずせや」
村長は部屋に入ってくるなり、正座してかしこまっている疾風を見て言った。
「今日は、お時間を取らせてしまって……」
疾風がさらにしゃちほこばった挨拶を始めてしまったものだから、村長は大声で笑いながら彼の正面に座った。
すこし後から、お茶とせんべいの載ったお盆を持った旭緋も入ってくる。村長がゲラゲラ笑っているので、不思議そうな顔で疾風のほうを見た。
「で? 改まってなんの話や」
旭緋の淹れた日本茶をすすりながら、村長が切り出した。
「え、っと……来週の金曜、高校の登校日なんですけど」
疾風が話し始めると、村長はすこし眉をしかめた。
「その日、旭緋に……一緒に学校まで来てもらえないか、と思って」
いままさにせんべいに齧りつこうとしていた旭緋が、動きを止めた。口をあんぐりと開けたまま、疾風の顔を凝視している。
「それは、旭緋の能力が必要だから、という訳やな?」
村長が、ちらっと旭緋の顔を覗き見たのがわかった。
疾風は杏子がおこなった実験と、それによってわかった事実を簡単に説明する。
「これはあくまで仮説ですけど、倒れる心配がない——バラの香りがしないということがはっきりしていれば、フラッシュバックも起きないんじゃないかと思うんです」
杏子の説明によれば、疾風が教室に入るたびに体調不良を起こすのは、再び意識を失うかもしれないという恐怖心が原因である可能性が高いらしい。
「旭緋が近くにおったら、バラの匂いは絶対にしないわけやからな。理屈はわからんでもないが……」
村長が口ごもった。おそらく、疾風の真意に気付いているのだ。
疾風は、旭緋の能力を口実にして、彼女をそとに連れ出そうと考えていた。
本来なら登校日など、欠席したところでたいした問題ではないのだ。
これは旭緋の協力がないと学校に行けないという大義名分を立てて、本人や周囲の同意を得ようという作戦なのである。
村長はしばらく考え込んでから、口を開いた。
「わしとしては、反対する理由はない。ただ、瑠璃を連れていくのが条件やな」
旭緋の体質を考えたら、それは当然の話だった。
「しかし、そんなに部外者を引き連れて行って大丈夫なんか? 最近の学校っていうのは、セキュリティが厳しいんやろ?」
村長のその疑問に対しては、疾風はすでに答えを用意してあった。
「一応、旭緋の学校の夏休みの宿題ってことで、見学の許可を取ろうと思ってます。自由研究とか、そういう名目で」
瑠璃に関しては、保護者とでも言っておけばなんとかなるだろう。
「あぁ、それやったら通りそうやな。内容まではいちいち突っ込んでこんやろうし」
その辺は、疾風にはうまくごまかす自信があった。特に担任に関しては、いままでも舌先三寸で丸め込んできた実績がある。
「だから、あとは旭緋自身がどう思うか」
「へっ?」
急に話を振られて、旭緋は手に持っていたせんべいを落とした。慌てて拾うと、ふぅふぅと息を吹きかけている。
「担任にも話をつけないといけないから、できたらこの場で返事が欲しいんだけど」
疾風はあえて、旭緋に考える時間を与えないようにした。ただ彼女の性格上、自分の能力が頼りにされているとなれば、断る可能性は低いようにも思う。
「あたしは……ハヤテくんの役に立てるなら、協力してあげたい」
旭緋がつぶやくように言った。手にしたせんべいを、真剣な表情でじっと見つめながら。
村長の家から帰る道すがら、疾風はこれからの手順をひとつひとつ確認していた。
本人と保護者の同意が得られたことで、疾風の計画はさらに一歩前進したといえる。
あとは適当な理由をでっち上げて、高校側に見学の許可をもらえばいい。これに関しては、あまり心配する必要はなかった。
そんなことよりも、疾風にはこの作戦を成功させるうえで、重大な問題が立ちふさがっていた。
旭緋を学校に連れて行くとなれば、当然、疾風の彼女と鉢合わせする確率は高い。
その前に、付き合っている彼女との関係をはっきりさせる。それはつまり、きっぱりと別れる、ということとほぼ同義だ。
おそらく、今回の作戦のなかではこの件がいちばん厄介だった。しかも、リミットは一週間を切っているのだ。
疾風はおそろしく気が重かったが、どちらにしてもずるずると引き延ばして良い問題ではない。
部屋に戻ったら、いちど連絡してみるか。
疾風は、腕の端末をいますぐダム湖にでも放り投げてしまいたい気分だった。




