熱雷、そして
予定外の出来事が起きたことに関連して、今後の対応を検討されたし。
こちらとしては、場合によっては実力行使もやむなしとの見解である。
引き続き、監視を行う。
***
翌朝、ようやく疾風は旭緋と連れ立って、ラジオ体操に参加することができた。
しかし、疾風は体操のやり方など、まったく覚えていなかった。
そのせいで旭緋にさんざんバカにされ、帰ったら動画で復習しようと固く心に誓う。
疾風は村長にふたつめのスタンプを押してもらい、おばあさんたちに交じって緑茶を飲んだ。
平和だった。このまま、この穏やかな日々がずっと続けばいいのに、と真剣に思ってしまう。
昨夜ずっと考えていたことと併せて、疾風は自分が思いのほかこの村に馴染んでしまっていることにおどろいていた。
意外と、都会よりもこっちの暮らしのほうが合っているのかもな。
そんなことまで考えてしまう始末だった。
休憩がおわり、皆それぞれの家に帰っていく。疾風はなんとなくその場から立ち去り難くて、空の紙コップを弄びながら老人たちを見送っていた。
旭緋もその傍らに立って、ぼんやりと外を眺めている。
誰もいなくなってしまってから、ようやくふたりは公民館を出た。
特に示し合わせたわけでもなかったが、自然に丘へと続く道を歩く。
すこしだけ前を行く、白い日傘。くるくるとまわるその様子は、心なしか普段より浮足立っているようにも感じられた。
丘のうえに並んで座る。まだ日差しはそこまで強くない。
旭緋が、日傘をたたんでそばに置いた。
「ハヤテくん、あのさ……」
旭緋が言いかけて黙る。足元の雑草を、ぷちぷちとちぎっては放り投げた。
「なに? あとそれ、そんなむしっちゃっていいの?」
彼女があまりにもひっきりなしにむしり取っているので、そこだけ草がなくなってしまうのではないかと疾風は余計な心配をしてしまう。
「こんなの、すぐ生えてくるから平気だよー。そんなことより、ハヤテくんの彼女って、どんなひと?」
「へ?」
なんの脈絡もなく突然訊かれて、疾風は返答に詰まってしまった。
「どんな、って言われても……」
疾風は、この場合どう答えるのが適切なのか、必死にかんがえる。
「うーんと、髪型は瑠璃さんよりすこし長いくらい? 茶いろっぽくて、なんかふわっとしてる感じで」
とりあえず、無難に外見の説明をしてみた。
疾風の言葉を、旭緋は真剣な表情で聞いている。
「べつに……普通の、女の子だよ」
われながら、あまりの語彙力のなさに情けなくなってくる。だが、これといって特徴が思い出せないのだから仕方がない。
「ふぅん」
旭緋はそうつぶやいたきり、黙ってしまった。あまりにも情報がなさすぎて、あきれているのかもしれない。
「どっちにしろ、もう別れるのは時間の問題っていうか……倒れた日に呼び出された理由も、たぶんその話だったと思うんだよな」
疾風は沈黙に耐えかねて、言うつもりのなかった話までしてしまった。旭緋が、いぶかしげな顔で見ている。
「そもそも付き合い始めた理由も、見た目が好みだからって言われてたくらいだし」
そう、付き合っていた女の子は、友人たちの前でも「ハヤテくんの好きなところは顔だけ」と公言するようなタイプだった。
「ハヤテくんは……なんで、その子と付き合おうと思ったの?」
旭緋の問いに、疾風は考えこんでしまった。いざあらためて思い出してみると、告白されたようなされていないような、曖昧な状態のまま恋人同士におさまっていた気がする。
「なんだろうな。まわりが、お前たち付き合ってるんだろー、みたいに言い始めて……否定しないでいたら、気付いたらそうなってた、みたいな」
「へんなの」
そう言われてしまうと返す言葉もなかった。当時はそれが普通だと感じていたが、こうして口に出してみると、確かに変な関係だったんだなと思う。
誘われるままに放課後一緒に帰ったり、映画を観に行ったり、ひととおりの恋人ごっこはこなしていたが、自分からなにか行動を起こした覚えがない。
「好きでもないのに付き合うとか、意味わかんない」
旭緋はより一層いきおいよく、雑草をぶちぶちとむしり取り始める。
「ほんとだよな。今になってみると、自分でもワケわかんねぇ」
疾風はわざと乱暴に言い捨てて、その場に寝転んだ。今日の空はやけに雲が多いな、と思う。
「そういうのって、ちゃんとそのひとのことを知って……お互い、ほんとうに好きになったってわかってから、付き合うんだと思ってた」
旭緋の意見はいたって正論だ。だが、疾風は自分も含めて、周囲にそんな風にして付き合いはじめたカップルがどれだけいただろうかと考える。
旭緋が、生えていたちいさな花を手に取った。白い花びらを、ほそい指でつまんで一枚ずつちぎっていく。
ちいさな声で「スキ、キライ……」と唱えているのが聞こえてきた。
その様子を寝転んだ姿勢で眺めながら、疾風はふと、旭緋は自分のことをどう思っているのだろう? と考えた。
ここに来てからの一連の騒動を思い出す。彼女の行動は、どちらかというと恋愛感情というよりは、気に入ったおもちゃに対する独占欲のように感じられた。
「まだ、キライ」
誰のことを占っていたのか。旭緋はちょっと残念そうな顔をすると、持っていた花をそっと地面に置いた。
では逆に、自分は旭緋のことをどう思っているのだろう?
疾風は彼女の姿を、あらためて見てみた。
今日の旭緋は、レモンイエローのシンプルな長袖のカットソーに、デニムのショートパンツを合わせている。
すんなりとのびた細い素足は、肌のいろが白すぎて、決して健康的な印象は受けない。
小学生という点を度外視するとしても、どうも生身の人間と接している意識が薄くて、恋愛対象とするにはなにか違う気がしてしまう。
例の人形に酷似していることも影響しているのだろう。
そういえば、あの人形はどうしたのだっけ?
すくなくとも疾風が小学校に入学するころには、家になかったはずだ。
疾風が思いだそうとがんばっていると、旭緋が「雨ふってきそう」とつぶやいた。
急激に天気が崩れ始め、ふたりは慌ててそれぞれの家に帰った。
疾風がちょうど自室に戻ったところで、雨粒が窓ガラスを叩き始める。
「夕立か」
疾風は独り言をつぶやいて、椅子に腰をおろした。
窓のそとはすっかり暗くなり、雨脚がどんどんひどくなっていく。
ぼんやりとその様子を眺めているうちに、ふと疾風の頭に、ひとつのかんがえが思い浮かんだ。
ただ、それを実行するためには、大人に協力を仰ぐ必要がある。
疾風はいつもの癖で、周囲に手回しすることがやけに面倒に感じられた。
普段の彼なら、この段階であきらめてしまうところだ。
だが今回に限っては、自分ひとりの問題ではない。
疾風は、旭緋をそとに連れ出す計画を思い立ったのだった。
それは、現状に留まろうと思う弱気な自分に対して、活を入れる意味もあった。
いつまでも安全な場所で、傍観者のままでいてはいけない気がする。
窓のそとでは稲妻が光り始めた。
冷房を効かせて窓を閉めきっているので、雷の音は微かにしか聞こえてこない。
今までの自分であれば、わざわざこの安全な場所から出ていこうなどと考えることはなかった。
だが、冷たい雨に打たれる覚悟も、時には必要なのではないか?
目を閉じると、旭緋の顔が浮かぶ。
ダム湖のほとりで、大きな瞳から雫をぽろぽろとこぼしながら泣いていた姿。
そういえばあの日以来、彼女の心からの笑顔を見ていないような気がする。
その原因のひとつに、自分が関与していることは間違いない。
それならばなおさら、彼女の笑顔を取り戻すために行動を起こすべきだ。
自分よりもずっと年下の女の子に、こんな感情を抱くのもすこしおかしな気はした。
でも、村長が言っていたように、ふたりはどこか共通する部分があるように感じられる。
それは生い立ちの複雑さから来るものかもしれなかったし、特殊な体質を持ってしまったことによる疎外感かもしれない。
そういったものとは別種の感情が生まれつつあることを、疾風はあえて思考の外に追い出した。
気付けば、雨は止んでいた。
雲のすき間から、夏の太陽の光が差しこんでいるのが見えた。




