過去の記憶
「そういえば、おふたりはどういった関係なんですか?」
疾風はちょうど良い話題を見つけて、さっそく訊いてみた。
「あぁ、そういえばまだ説明してなかったわね。中学時代の同級生よ」
「へぇ……?」
ずいぶんと長い付き合いなんだな、と疾風は思う。
「もうすこしくわしく説明するならば、我々は演劇サークルの仲間なのだよ」
「演劇、ですか? それに、中学生でサークル?」
疾風たちの会話の意味がわからないのか、旭緋が首をかしげた。
現在の学校では、そもそも部活動というものが存在しない。
疾風も、かつてそういった制度があったということはぼんやりと知っている。だが、具体的な内容についてはわからなかった。
「私たちの時代は、まだ例の施策が始まったばかりだったから。正式な部活は廃止されたけど、各自で勝手に立ち上げたサークルがいくつかあったのよ」
例の施策とは、エンターテイメント関連の職業をAIが担うシステムのことだ。
おかげで一部の伝統芸能を除いて、芸能関係の仕事に人間が関わることは極端にすくなくなった。
そのため、わざわざ学生時代に余計な文化に触れさせる必要はないというのが、いまの政府の方針なのだった。
「いまでは親が舞台俳優でもない限り、余程のことがないと職業として認められないがね。当時のサークルメンバーは、細々とではあるがまだ活動しているのだよ。もちろん、あくまで趣味としてだが」
「紫苑の所属してる劇団は、アマチュアでも集客力あるわよね。私もここに移住しなかったら、まだ続けていたかったけど」
杏子がすこしさみしそうな顔をした。
「長く続けていると弊害もあるがね。おかげで、ワタシはいまだに十八番の役が抜けないよ」
紫苑がハハ、と乾いた笑いを漏らした。
「あぁ、あの博士……」
くくっ、と杏子が思い出し笑いをする。旭緋はきょとんとした顔で黙っていた。疾風ももちろん話についていけていない。
「そう。ワタシの当たり役はマッドサイエンティストでね。熱演するあまり、すっかり板についてしまったというわけさ」
「それで、その話し方なんですか」
紫苑のおかしな話し方は、役者魂から来ていたものだったのだ。
よく考えたらずいぶんとおかしな理由のはずなのだが、疾風はなぜか納得してしまった。
プレゼンのときだけマトモになっていたのは、別の人格を演じていたから、というわけなのだろう。
紫苑は素でもじゅうぶんに変人だろうから、あまり役柄は関係ないのでは、と疾風は思った。
もちろん、口には出さなかったが。
「さて、実験も成功に終わったことだし、そろそろお暇しようか」
紫苑の言葉で、ふたりは帰ることになった。
「疾風は淑女たちを送ってさしあげなさい。どっちにしろ、この部屋を換気しないといけないから」
杏子の命令で、疾風は否応なしに外へと追い出される。
「紫苑さんは民宿に泊まってるんですか?」
「いや、村長のところに世話になっているよ。苺の操作法についての指導も兼ねてね」
こうして疾風は初めて、旭緋の住んでいる家に行くことになったのだった。
村長の家は、村のメインストリートからほんのすこし歩いた場所にあった。
こちらも叔父夫婦の家とおなじくデザインは古めかしいが、よく見るとそこまで築年数は経っていない感じだ。玄関まわりに、防犯カメラが取り付けられているのが見える。
「じゃあ、村長さんによろしく」
「わざわざすまなかったね。杏子は基本的に場の空気を読まないタイプだけれども、根は善人なのだよ」
紫苑のセリフに、疾風はうなずいた。杏子に悪気がないのはわかっている。ただ、少々やり方が強引なだけだ。
「ハヤテくん」
それまでずっと黙りこくっていた旭緋が、ようやく口を開いた。
「明日の朝、迎えに行くね」
そう言った旭緋の表情がなぜか不安げに見えて、疾風は思わず手を伸ばしかけた。が、紫苑の目の前なので思いとどまる。
「うん。明日は絶対起きて待ってるよ」
疾風の言葉を聞いて、旭緋の顔に笑顔が戻った。
家へ帰る道を歩きながら、疾風は先ほどの実験について考えていた。
特に、杏子の思わせぶりなひとことが引っかかる。
彼女は、疾風のバラの香りにまつわる記憶について、思い当たることがあると言っていた。
いまとなっては倒れたときの記憶は薄れつつあるが、強い既視感だけははっきりと覚えている。
窓際に立つ女性、それをうしろから照らし出す陽の光、そして——バラの香り。
疾風にはさっぱり思い当たる節がない。一応、杏子には思い出せるだけの話を伝えてはいる。
しかし、なぜ彼女が本人もわからない過去の記憶について知っているのだろうか。
帰ったら杏子に訊いてみようかとも思ったが、どうも先ほどの様子では素直に答えてくれる感じはしなかった。
まさか、催眠療法とか言い出さないだろうな。
疾風は嫌な予感がしたが、あえて考えずにおくことにする。
叔父夫婦の家にもどりリビングに入ると、まだかすかにバラの香りが残っていた。
疾風は軽い頭痛がしてきて、こめかみに手を当てる。
「やっぱりシャンプーかどうかに関係なく、バラのにおいがダメみたいね」
彼の様子を見た杏子が言った。
その言葉どおり、部屋にはあのシャンプーとは微妙に違った香りがただよっている。
「問題は、倒れたあと別の日に教室に入ったときも、具合が悪くなっていたことね。そのときバラの香りはしていなかったんでしょう?」
「たぶん……すぐ廊下に出たり意識が飛んでたから、よく覚えてないけど」
言われてみれば、教室に一歩足を踏み入れた途端、急激に変化が起きていた気がする。特に香りを感じていたようには思えなかった。
「いちど発作を起こした場所だからよ。きっと、フラッシュバックでしょうね」
「フラッシュバック……」
単語そのものは疾風にも聞き覚えがあった。
「強いトラウマ体験が、後に鮮明に思い出される現象よ」
杏子が補足説明してくれる。
疾風は、自分の場合はそれとはすこし違うような気もしたが、どちらにしろ身体に変化があったことは確かだ。
「杏子さんの言ってた、その……オレの過去の、思い当たること、って」
疾風はダメもとで訊いてみた。
「そうね……いまは、まだ言えない。もうすこし調べて確信が持てたら、そのとき説明するわ」
それを聞いて、疾風はすこし残念なような、でもほっとしたような気持ちになった。
自室に引き上げてからも、疾風は複雑な思いを抱えたままだった。
バラの香りにまつわる、過去の記憶。
菖蒲も心当たりがないと言っていたから、おそらくは疾風が施設にいたころの出来事だと思われる。
三歳ごろの話だとすれば、ぼんやりとしか覚えてない理由も説明がつく気がした。
疾風はベッドに横になると、過去の記憶を辿ってみた。
菖蒲の家に初めて行ったときのことは、なんとなく覚えている。
そう、あの家には当時、旭緋によく似た人形がいた。
たしか……『こきあけ』と呼ばれていたのではなかったか。
疾風は当初、あまりにもリアルなその造形に恐怖を感じて、あまり近寄らないようにしていた覚えがある。
それに、人形は日焼けによる劣化を防ぐために、雨戸を閉めきった暗い部屋に置かれていた。
そっと入口から部屋の奥をのぞく、おさない自分。
薄暗い闇のなかでも、銀いろの髪は妖しくきらめいていた。
陶器でできた、なめらかな白い肌。鮮やかな珊瑚いろのくちびる。
なによりいちばんの特徴は、紅玉のように輝く、ガラス製の大きな瞳だった。
いまにも動き出しそうなそれを、ちいさかった疾風はびくびくしながら眺めていたものだった。
それでもあまりの美しさに、一度見に行ってしまうと、ずっと目が離せずにいたのだ。
疾風は、自分の思考がどんどん関係のない方向に飛んでいっていることを自覚していた。
だが、あえてその流れに身をまかせる。
どこかで、自分の過去を思い出すのが怖いという気持ちがあることも、わかっていた。
いっそこのまま、原因がわからずにいた方が楽なんじゃないか。
学校なんて無理をして行く必要もない。なんなら、この村に移住して叔父夫婦の手伝いでもして暮らしたら?
そんな考えが頭をよぎって、疾風は自嘲的な笑いをこぼす。最初は、あれだけ田舎に行くことを渋っていたというのに。
目を閉じると、真っ暗ななかに、くるくるとまわる白い日傘が浮かんでいた。




