表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/49

大科学実験


 夜の八時きっかりに、紫苑しおんは訪ねてきた。

 きょうに案内されてリビングに入ってくる。その姿を見た疾風はやては、一瞬その女性が誰なのか、わからなかった。

 紫苑は、昼間とはまるで別人のようだったのだ。


 髪は無造作に耳のしたで一本に束ねられ、前に垂らしてある。半袖の、身体のラインに沿ったTシャツに、スリムジーンズ。

 メガネをかけていないせいか、ずいぶんと子どもっぽい印象である。


 そして、紫苑のうしろにぴったりと張り付いている人物。

 姿を見せる前から、疾風はすでにその香りで気付いていた。

 おずおずと、()()()()()雰囲気で旭緋あさひが顔を出す。

 風呂に入ってから急いで来たのか、髪がしっとりとした質感のままだ。紫苑とおなじく、長そでのTシャツにジーンズという軽装。


「なんで旭緋が?」


 疾風が問う。昼間はなにも言っていなかったはずだ。


「この実験の主役は、キミと旭緋嬢だからね」


 またしてもニヤニヤと笑いながら、紫苑が言った。



 部屋に引っ込んだままのかなめを除いて、リビングに四人が顔を揃えた。

 疾風と旭緋が並んでひとつのソファに座り、向かい側に杏子と紫苑が、それぞれ椅子に腰かけている。


「疾風。今日の旭緋ちゃん、すごくいい香りがするでしょう」


 とつぜん、杏子が妙なことを言い出した。

 疾風は、例の実験というのが始まったのだな、と察した。

 ただ、彼女の意図するところまではまだわからない。


「あぁ、なんか甘い、バニラみたいな」


 特に今は、香りが強く感じられた。

 疾風の言葉に、杏子と紫苑がなにやら目配せをし合う。


 おそらくは旭緋の能力に関連した実験なのだろうが、一体これからどうしようというのだろうか?

 

「やっぱり、思っていたとおりね」


 杏子はそう言うと、履いているスカートのポケットに手を入れた。ごそごそと、なにかを探し始める。


「え、なんの話?」


 疾風はさっぱり意味がわからず、旭緋を見た。彼女は、やけに真剣な表情をしている。


 杏子が、ポケットから小さな筒のようなものを取り出した。透明なガラス製で、なかに液体が入っていることがわかる。


「ちょっと失礼」


 ふたを開けてポンプを押すと、シュッという音とともに、細かな霧が出た。

 あたりに、バニラの香りがただよう。


 突然のことに、疾風はただ茫然ぼうぜんとしていた。

 杏子が、香水を振りまいたらしいことはわかる。だが、なぜ急にそんなことをするのか。

 彼の体質のことは、知っているはずなのに。


「バラの香水だな」


 となりにいた紫苑が、そう言って疾風を見た。今、たしかに()()()()()と聞こえた。


「旭緋ちゃんも、似た香りがするわよね」


 どういう意味だろう? 杏子の言葉に、疾風はますます混乱してくる。


「疾風、体調はどう」


 杏子はそう言って、疾風の全身をチェックしているようだった。


「べつに、なんともない、けど」


 疾風は、もういちど旭緋の顔を見る。


「ハヤテくん。あたし、今日、バラの匂いがするシャンプー、使ってみたの」


 旭緋が、ひとことひとこと区切るように、ゆっくりと言った。

 バラのシャンプー。まさか。


「あのね、疾風。これから説明することを、良く聞いてほしいの」


 もったいぶった口調で、杏子が話し出す。


「旭緋ちゃんの……特性、というのかしら? 不快なにおいを変える能力のことは、疾風も知っているのよね」


 疾風はちいさくうなずく。


「今、旭緋ちゃんからはバラの香りがしているのだけど。疾風は、それがバニラだと感じるのよね?」


 杏子の質問の意味はつかみかねたが、疾風はとりあえず、もう一度うなずいた。


「バラの香りは、私たちにとって不快じゃない。だから、そのままの匂いがする」


 そう言って、杏子が小さな筒——アトマイザーを、机の上に置いた。

 疾風は、ようやく頭が追いついてくる。


「バラの香りがダメな疾風だけは、バニラだと感じてるってわけ」


 杏子はなんだか楽しそうな様子で話をしていた。そういえば、この人は昔から超常現象やらの話が大好きだったことを、疾風は思い出す。


「例の、疾風の彼女が使ってたシャンプー。あれを、旭緋ちゃんに試してもらったの」


「あぁ、そういうこと……」


 ようやく、疾風は杏子の目的がはっきりとわかった。



 疾風の体調不良が香料のせいだという可能性が出てきたとき、菖蒲(あやめ)は、医療関係者である叔父夫婦に対策を相談していた。

 しかし杏子は、原因となる物質が特定されないことに、疑問をていしていた。

 そして、シャンプーに含まれている成分は無関係で、単純に、バラの香りそのものが要因なのではないかと疑っていたのだ。


 それを証明するための実験。


 疾風が倒れたときにいだシャンプーを、旭緋が使う。

 彼女の能力によって、疾風はバニラの匂いとして感じるようになる——バラの香りは、トラウマの原因という不快なもののはずだから——と仮定する。

 その状態で発作が起きないのであれば、シャンプーの成分が体調不良の原因ではない、ということだ。なぜなら、旭緋の力はあくまで違うにおいに感じさせるだけだから。


 単純に、バラの香りがトリガーになって、意識を失ったりしている。その時々によって症状が変わるのは、疾風の精神状態に左右されているから。

 それが、杏子の仮説だったのだ。


「これで、直接的な原因が香料の成分ではない、ということははっきりしたわ。できれば旭緋ちゃんのいないところで、バラのにおいを嗅いでもらいたいところだけど」


 杏子は若干がっかりした様子で言った。さすがにこれ以上、意識を失う危険のある実験を続けることは思いとどまったらしい。


「次は、根本的な原因を探る段階に移らなくてはいけないな」


 それまで黙っていた紫苑が口を開く。

 そう、これで香料アレルギーではないということはわかったが、バラの香りで体調不良になる理由はいまだ謎のままなのだ。


「それに関しては、すこし思い当たることがあるの」


 杏子が含みを持たせた言い方をした。


「でもまぁ、今日のところはこれで十分よ。旭緋ちゃん、協力してくれてありがとう」


 旭緋が、こくんと小さくうなずく。

 神妙な顔をしたままなのは、緊張しているということなのだろうか。

 疾風は声をかけてやりたいと思ったが、叔母コンビの前ではやぶへびになりそうだったので、止めておいた。



「それにしても、よく同じシャンプーが手に入ったね」


 疾風は、杏子の手際のよさに舌を巻いていた。


「疾風がこっちに来ることが決まった時点で、準備を始めていたのよ。あなたの彼女、可愛らしい子ね」


 その言葉に、疾風は迂闊うかつなことを言ってしまったと焦った。

 杏子がシャンプーの持ち主とコンタクトを取っているのは、かんがえてみれば当然の話である。


 墓穴を掘ってしまったことを悔やみながら、疾風はおそるおそる旭緋の顔色をうかがった。

 案の定、先ほどとはすこし違った仏頂面になっている。


 それにしても、すこしは空気を読んでくれてもいいものだ。

 こういうところが、杏子の悪い癖だった。旭緋が家出した理由も、村長から聞いて知っているはずなのに。


 疾風が釈然としない思いで旭緋から視線を外すと、紫苑と目が合った。やれやれ、といった感じで苦笑している。

 彼女も、杏子のこういった言動にはあきれている様子だった。


 そういえば、このふたりの関係はなんなのだろう?

 どちらも一筋縄ではいかない人物なところは共通しているが、疾風には接点が思い浮かばなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ