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村長の願い


 遠くから、なにかの音がきこえてくる。


 疾風はやては目を開いた。

 見慣れた景色が、彼の記憶を混乱させる。


 そこは、菖蒲(あやめ)の家の、自分の部屋だった。夏休みに入る前、毎日見ていた光景。

 


 オレは、森のなかの集落にいたんじゃなかったっけ?


 思い出す。


 流れていく緑。降り立った土の感触。木や、草のにおい。


 そこで出会った少女。美しい銀の髪。透明感のある白い肌。紫の、宝石のようにかがやく大きな瞳。あまいバニラの香り。


 にっこり笑った顔。ぷくっと頬をふくらませた顔。

 くるくるとまわる、白い日傘。

 夏の太陽のような女の子——旭緋あさひ



 そうだ。あの子を、オレは泣かせてしまった。


 可哀想な子。ひとりぼっちにされて。



 疾風の意識は、さまざまな思いの波のなかをただよっていた。

 

 起きようとして身体を動かす。しかし、目の前の景色は変わらない。

 まるで、固定カメラで撮影した画面を眺めているようだった。

 

 あぁ、これは夢だ、と自覚する。

 明晰めいせき

 むかしから、昼間の変な時間に眠ってしまうと見るものだ。


 自分では、目を開いて現実の景色を見ている感覚でいる。だが、実際はまだ夢のなかなのだ。


 もう一度、今度は自分の状況を強く意識しながら、まぶたを開く。

 調子の悪いときは、いつまで経っても覚醒できない。だが、今日は大丈夫のようだった。

 いつもとは違う部屋。ここは、叔父夫婦の家だ。



 腕につけっぱなしだった端末を見ると、もう夜の八時前。きょうからの着信が一件ある。

 先ほど聞こえていた音は、これだろうか。

 ついでに曜日も確認する。水曜だから、診療所は午後休診のはずだった。


 直接話したほうがはやいと判断して、疾風はベッドから起き上がった。寝ぼけまなこをこすりながら、一階におりていく。


 杏子はリビングで、誰かと電話をしていた。

 疾風に気づくと、彼の顔をじっと見据みすえる。


「いま、起きてきました。えぇ、すぐ向かわせます」

 

 その様子から、ただならぬ事態が起きていることが予想された。


 旭緋に、なにかあったのではないか?


 疾風はなぜか、そう思った。

 電話を切った杏子が、彼に向きなおる。


「疾風。旭緋ちゃんが、ダム湖に行ったらしいの。あなたが来ないと帰らないって言ってる」


 疾風は目を見開いて、その場に固まった。まさか、よりによって家出とは。


「とにかく、村長さんが待ってるところに行きなさい。地図を送るから」


 ほどなく、疾風の端末にデータが届いた。

 疾風ははじかれたように家を飛び出した。示された場所は、国道に向かう道とは逆だった。



 暗い森のなかを、全力で走る。端末から漏れる光だけが、ぼんやりとあたりを照らしていた。


 湖のほとりで立ち尽くしている、旭緋の姿。そんな、いやな想像をしてしまう。

 疾風はネガティブなイメージを振り払うように、さらに速度を増した。


 やがて道のさきに、なにかのシルエットが見えてきた。

 小型のトラックのようだ。窓から、村長が顔を出している。


「坊主、これに乗れ!」


 疾風は、村長の顔がある側とは反対のほうに走りこむ。座席は前にあるだけ。

 助手席のドアに手をかけようとして、疾風は戸惑った。開けかたがわからない。

 気付いた村長が、身体をのばして内側から開けてくれる。疾風は、せまい座席に飛びこんだ。


「とばすでな! しっかりつかまっとれ!!」


 そう叫ぶと、村長はふたつの座席の真ん中にあるレバーを、がちゃがちゃと動かした。

 ものすごい音がして、トラックが動き出す。


「坊主は、軽トラなんぞ乗ったことないやろ。()()()まではめちゃくちゃ揺れまくるで、頭に気をつけとれよ」


 村長の言葉どおり、軽トラはガタガタと揺れに揺れた。シートベルトを締めていても無駄だった。疾風は、車の天井にしたたかに頭を打ちつける。


 本当は、すぐにでも村長から事情を訊きたかった。だが、とてもそれどころではない。

 なにより、エンジン音がうるさすぎる。これでは会話が成り立たないだろう。

 ふだん、防振防音設備のととのった自動運転車にしか乗ったことのない疾風は、目をまるくして助手席でちぢこまっていた。


 軽トラからのびるヘッドライトの光が、道のさきを照らし出している。舗装されていない土のうえに、ゴロゴロと転がった石。

 助手席の窓から外を見ても、夜の闇に沈んだ木々があるだけだった。


 どれくらい走っただろう。

 やがて光のなかに、ずいぶんと立派な門がそびえ立っているのが見えてきた。

 これがゲートか。

 とつぜん森のなかに現れた金属製のそれは、疾風の現実感を失わせる。


「ちょっと待っとれよ」


 そう言うと、村長は軽トラを停めた。運転席から降りて、門のほうに歩いていく。そのさきには、機械のようなものが設置されていた。

 村長が近づくと、モニターに明かりがともった。そこに顔が映し出される。認証システムなのだろう。

 さらに村長は、中央の台のうえに手のひらを置いた。あれは掌紋を確認しているのだろうか。

 わざわざ二重チェックにしているとは、なんとも厳重なセキュリティである。


 しばらくすると、門が開きはじめた。


「やれやれ」


 村長が運転席に戻ってくる。


「このゲート、車の出入りだけは厳しいんや」


 ふたたび軽トラを発進させる。

 門をくぐると、そのさきは綺麗に舗装された道路になっていた。


「ダム建設のときに、重機用に整備された道やから、揺れへんやろ」


 軽トラは、道路をそれて広大な駐車場へと入っていく。


「こっからは、自動運転車に乗り換えするで」


 そう言うと、村長は軽トラを駐車場のすみに停めた。疾風は、村長に案内されるがまま、中型のセダンに乗り込む。

 村長がルートの設定をしているあいだ、周囲を確かめてみた。駐車場には、何台かの、様々なタイプの車が整然と並んでいる。

 いくら大型の工事用車両が出入りするとはいえ、駐車場にしては、すこし広すぎるような気がした。


「むこうのだだっぴろい場所は、ヘリの発着場や。重機は空からやないと運べんでな」


 張りつくようにして窓のそとを見ている疾風に、村長が説明してくれる。


 車がゆっくりと走りはじめた。

 先ほどまでとは打って変わって、しんと静まった室内。

 疾風は、ゲートのほうを振り返った。大きな門がゆっくりと閉まっていくのが見える。


「ダムまでは十分くらいやな」


 村長がつぶやいた。

 疾風は、なにから訊いていいものかわからず、黙ったままだ。


「あの跳ねっかえり娘、昔は悪さして怒られると、しょっちゅうダムに逃げよったんやで」


 車内の空気を明るくしようとしてか、村長が冗談っぽく言った。


「でも、村からここまで、結構な距離がありますよね」


 軽トラに乗ってから、かなりのあいだ走っていたような気がする。


「そうやな。歩いて行こうと思ったら、半日はかかるやろなぁ」


 ということは、けさ疾風と別れてからすぐに、旭緋はダムに向かったのだろうか。


「あいつが腕につけとる機械な。あれで、居場所はすぐわかるんや。今は、瑠璃が一緒におる」


 疾風を元気づけるように、村長が言った。

 その言葉で、疾風はすこし安心した。旭緋は、ひとりきりではないのだ。


「坊主が迎えに来たら帰るって、だだこねやがって。まったく、いつまで経っても子どものままや」


 村長の口調はくだけていたが、顔は笑っていない。

 

「ようなついとるのはわかっとったが……お前さん、あの子になにしたんや」


 疾風は身を固くした。どう説明したものだろうか。

 しかし、ここはごまかしてもしかたがない。

 疾風は今朝の出来事を話した。


「オレは夏のあいだしか、ここにはいない。このままでは、お互いに良くないと、思ったんです」


 疾風の話を、村長はむずかしい顔をして聞いていた。

 やがて口を開くと、ゆっくりと話しだす。


「坊主の事情は、アヤメさんから聞いとる。お前さんたちは、なんつーか……通じ合うところが多い気がしてな。良いほうに転べば、きっと旭緋のためにもなると思っとったんやが……」


 通じ合う。

 その言葉を、疾風は、苦々しく思った。

 とんでもない。通じ合うどころか、オレは、旭緋を傷つけただけだったじゃないか。


「わしは、あの子をこのまま村に置いとくつもりはない。近いうちに、外に出してやろうと思っとった。村の年寄り連中は猛反対しよるけどな」


 それはそうだろう、と疾風は思う。お年寄りたちは、まるで孫のように旭緋を可愛がっているように見えた。

 さらに、彼女の容姿や体質、そしてあの能力。心配にもなる。


「お前さんが、この村に来たら……あの子が、出ていこうと思うきっかけになるかもしれん、と……」


 疾風は、宴会のときのことを思い出した。不自然にふたりだけ取り残されていたのは、村長の差し金だったということか。


 そして、今回の滞在の意味を考えた。祖母や杏子の立場からすれば、疾風の身体の不調がすこしでも治るように、という期待をもって決めたことのはずだ。

 一方、村長は旭緋と村以外の場所との接点を作るために、疾風を利用しようと思ったわけだった。


「悪かったな。坊主にあの子を任せようとした、わしの責任や」


 村長はすまなそうに言った。


「いえ……村長さんは悪くないです。旭緋の気持ちを考えてやれなかった、オレのせいだ」


 そのまま、ふたりはしばらくのあいだ黙った。


 ヘッドライトのあかりが、道路とはちがう景色を照らし始めていた。

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