窓ぎわの彼女と、陽光と
二○××年、七月。
これより、レポートを開始する。
作戦は予定通り実行された模様。
協力者との連絡は現在のところ問題なし。
翌朝の模様はネット回線を通じて中継。確認されたし。
***
「明日の朝六時に、教室で待ってるから」
彼女のそっけない言葉が、いまのふたりの距離を物語っていた。
付き合っている女の子からのメッセージ。本来なら、それはよろこばしい出来事のはずだった。
だが、彼の場合においてはそれは当てはまらない。
高校一年の冬から付き合い初めて半年。今となっては恋人らしいエピソードなど、何も追加されないような仲。
そんな状態の彼女と、朝一の教室にふたりきり、というシチュエーション。
ここから導き出される答えなど、おおかた決まっている。
呼び出された当人——竜胆疾風は、もはや自分が振られる場面しか、想像できずにいた。
必要最低限の家具しか置いていない、殺風景な部屋。疾風はベッドに腰かけ、腕に付けた端末から浮かび上がった、ホログラフィックディスプレイを見つめている。
彼女と別れることになるかもしれない。そのこと自体よりも、周囲が騒ぎたてるであろうことのほうが憂鬱だった。
疾風は小さくため息をつく。端末を腕からはずすと、マナーモードにして勉強机の上に放り投げた。
あお向けにベッドに寝転がる。動いた拍子に、伸びてきた髪が顔にかかった。そろそろ切りに行かなければ。
中性的で、年齢不詳。それが、疾風を見てだれもが最初に抱く印象だ。
さらさらとした黒髪を、すこし長めに残したショートカット。前髪からのぞく、たれ気味の大きな瞳。
それは彼にとって、いっこうに高くなってくれない身長や、やせの大食いと揶揄される体型とあわせて、幼いころからのコンプレックスだった。
およそ男らしさとは正反対の外見。
だが、彼女は逆に、そこがいいと言ってくれた。
ふと、彼女と付き合い始めたころのことを思い出す。
「前髪、もうすこし切ったら? せっかくキレイな顔してるんだから、隠さなくてもいいのに」
そう言った彼女の笑顔も、今となってはぼんやりとしか浮かんでこない。
だんだんと睡魔が襲ってきて、疾風はあれこれ考えることをやめた。
なにもかもが、ひたすら面倒に感じられる。
明日は、いつもよりはやく起きなくてはならない。今はただ、そのことが、だるいだけ。
***
翌朝、七月最初の月曜日。疾風は、ふだんの登校時間より一時間も前に家を出る羽目になった。
暑い夏の日差しを予感させる、澄みきった朝の空気。きれいに晴れわたった青い空が、よけいに気分を落ち込ませる。
教室の入口まで来たところで、疾風はいったん足をとめた。廊下に面した窓から、なかをのぞいてみる。
ひとりの少女が、窓ぎわの机の上に座ってそとを眺めていた。他には誰もいないようだ。
疾風はすこしのあいだ、彼女のうしろ姿を見ていた。これから起こるであろうことを考えると、ますます気が滅入ってくる。
ごちゃごちゃと、いろいろな感情をないまぜにしたまま、疾風は彼女から目をそらした。
戸の引き手に指をかけ、深呼吸を一回。
意を決して戸を開ける。途端に、なにかの香りが鼻をついた。
「おはよう」
振り向いた少女が、微笑んで言う。疾風はそれには答えず、さらに一歩、中に足を踏みいれた。
戸を閉めると、むせ返るような香りが彼の身体を包む。
頭がくらくらしてきて、疾風は背にした戸にもたれかかった。
「この匂い、なに」
その問いに、少女は嬉しそうな顔をした。机から、ぴょん、といきおいをつけて飛びおりる。
「気がついてくれたんだ! シャンプー変えたの。バラの香り、大人っぽいでしょ」
彼女のはずんだ声。あたりにたち込める、花の香り。
窓ぎわに立った少女の身体を、背後からさし込む光が照らしだしている。
疾風は、ぼんやりとそれを見ていた。どこかで見たおぼえのある場面だった。
デジャヴュ。自分はたしかに知っている。窓の前に立つ女性。降りそそぐ陽の光。そして、バラの香り。
頭の芯がぼうっとしてくる。目の前がだんだんと暗くなっていく。
「疾風くん? どうしたの、顔色が……」
不安そうな言葉。近寄ってきたはずの彼女の声が、逆に遠ざかる。
ほとんど闇に沈んだ視界のなかに、別の人物の影がよぎった気がした。
「おい、大丈夫か!?」
どこかで聴いたことのあるような声。それが誰のものなのかを思い出す前に、疾風の意識は途切れた。