マイ・ファニー・バレンタイン・デイ
女の子向け小説サイト【野いちご】からの転載です
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朝、目が覚めたら、知らない部屋にいた。
知らない部屋の、知らないベッド、察するに、男子の部屋。
でもお兄ちゃんの部屋じゃない。
起きたと思ってるだけで、まだ夢の中なのかも。
寝ぼけてる頭で考えられることなんてたかが知れてる。
とにかく状況がのみ込めない。
ここはどこ?なんであたし、ここにいるの?
冷え切った2月の朝は布団から出たくない。
でもとりあえず、肩まで毛布の縁を引っ張り上げて上半身をもぞっと起こし、あらためて現状の把握に挑もう、そう考えた。
起き上がると首筋にヒヤっと冷気が流れ込んできた。
首に?
なんで?
いつもと違う感覚に違和感を覚えて自然と手が首筋に向かった。
え……あれ?
あたしの髪、どこ?
高校に入る時に耳のラインで切り揃えられてしまった髪、1年かけてやっと肩が隠れるくらいまで伸ばしたのに、どこいったの?
手に判る感触は、
首のラインをなぞっても、
髪を掻き上げるように頭を撫でても、
まるで男子みたいなめちゃめちゃ短いショートヘア。
「どう、なってるの?」
なにかがおかしい、そう、触れている手だって、
自分が触れているのに、お父さんとかお兄ちゃんに触られてるみたい。
ハっとしてとっさに首から離した手を顔の前で広げてみた。
目の前の『それ』は、どこからどうみてもあたしの手なんかじゃなくって、
ごつくて、おおきくて、肌の色もちょっと濃い目で、って、
どう考えても男の手。
でも『それ』は、間違いなくあたしの意志で動いていて、
広げようと思えばパーになって、
握ろうと思えばグーになった。
「うそ……」
寒さとかここがどこかだとか、そんなこともうどうでも良くなって、
頭の中は大混乱。
慌てて体じゅうをそのおかしな手で確かめた。
肩も!
腕も!
背中も!
こっちも!
ここも!
あたしじゃない!
しかもホントに男だ!
なんで?
どうして?
うそだよね?
絶対これ夢だよね?
だってほら、なんか黒いスウェットなんか着てるよ!
あたし昨日ミント色のルームウェアで寝たもん!
パニックのまま、部屋にあるはずの鏡のほうを見たけど、
その鏡は自分の部屋の鏡だから、ここにあるわけがなくて。
部屋中を見回しても、
あるのは男子に人気があるゲームキャラのフィギュアとか、
棚いっぱいのコミックとか、
そんなのばっかり。
「あれかも!」
ドアに向かう角度のついた壁に、額縁っぽい木の出っ張り。
その向こうにドライヤーがぶら下がっているのを見つけて駆け寄ると、思ったとおり縦長ミラーがそこにあった。
恐る恐る鏡の前に立つ。
なあんだ、やっぱり、夢か。
そう安堵したのは。
鏡に映ったその姿が、あたしの片思いしてる男子、二宮君だったから。
だけどやけにリアルだなぁ。
あたし二宮君の部屋なんて知らないし、自分の体が本当に男子なんだもん。
ちょっと……、恥ずかしい、ですよ?
だって男子の体なんて、プールの授業くらいでしか見たことないし、
それがしかも二宮君の体なんだよ。
ごっつい手で、もう一回、
自分の頭を撫でてみた。
ポンポン、もしてみた。
ああ、これ、今あたし、
二宮君にポンポンされてるんだ。
そんなこと考えてちょっと嬉しくなったりもしたんだけど、
あの、めちゃめちゃ違和感あるの、足の付け根……
どうしよう、これはやっぱり……
『アレ』なんだよね?
そうなんだよね?
ゴメンナサイ二宮君。
あたし今、こんなリアルな二宮君になっちゃってます。
ぜったい、絶対、ぜーーーーったい、
大事なところは触らないようにするから、
許してください。
うん、でも、
ちょうどウチのネネが丸まって寝てるみたいな感じ。
たぶん、本当にネネが足の間に挟まって寝てるんだろうな。
猫って寒いとすぐ脇とか足の付け根とか、そういう隙に入って来て寝るから。
寒いもんね、毎日。
夏は夏で、暑いのにくっついてくるから、マフラーみたいに首のとこで寝てたりして。
そん時なんか絞め殺されそうになる夢とか見たもんなぁ。
そうか、これ全部ネネのせいか。
今日がバレンタインだから、あたし緊張して二宮君の夢とか見ちゃったんだな。
ちょっとラッキーかも、なんて思った時、ドアをノックする音と二宮君を起こす声。
「秀~!時間よ~」
ドアのすぐ横に立ってたから、ちょっと驚いた。
「あ、今行きま……じゃないや、今行く~」
自分の口から二宮君の声。
ホントにリアルだぁ。
スウェットのままダイニングに向かったら、お母さんに具合悪いの?って訊かれた。
二宮君は着替えてから朝食を食べるんだって。
あたしはもし制服汚したら嫌だなって、出かけるギリに着替えるから、そっかーって思った。
考え事してた、ってごまかしたら、
「好きな子からチョコもらえるかとか?」って、からかわれた。
二宮君、好きな子……いるのかな。
えー、でもなんか、夢にしては長いっていうか、
ごはんもフツーに食べて、なんかもう学校行く用意もしてるんですけど。
このパターンってさ、めっちゃ寝過ごしてる系じゃない?
前にもあったよ。
すっごいキレイに髪セットできて、いつもよりイイ感じでいってきまーすってしたのにそこで目が覚めて、時計見たらもう出かける時間だったっていうさ。
あたし、そろそろ起きないとマズいんじゃないの?
結局、玄関を開けても、
駅までダッシュで走って息が切れても、
校門の前で二宮君の友達に背中どつかれても、
あたしは目覚めなかった。
心のなかで、もしかして、もしかして、って、
あの有名なSF映画みたいなことが起きちゃってるんじゃないかって、
いや絶対そんなことあり得ない、いやでももしかしたらやっぱり、って、
授業中も全然集中出来ない。
「にーのみやぁ、ソワソワする気持ちはわかるが諦めろ。お前にチョコをくれるモノ好きはいないぞ」
二宮君を当ててきた先生が、からかうようにあたしの肩をポンポン叩いて言うと、
クラス中で爆笑が起こった。
「あ……」
そうか、今あたし二宮君なんだ。
二宮君が当てられたら、あたしが返事しなきゃいけなかったんだ。
そんでこんなとき二宮君なら……
「せんせーひでーな、俺のファンはチョコ会社の戦略に踊らされないクールビュウテーばっかだからいいんだよw」
またどっ、っと笑いが起こり、
「ソーヨソーヨw」
朝あたしの背中を思いっきりどついてきた親友の中野君が裏声で嘘くさい声援を飛ばす。
「いいから黒板、訳せー」
笑いながら先生が黒板の英文をチョークでコツコツ、と指したから、
思わず反射的に訳してしまった。
「おー、どうした二宮、やればできる子だったか!」
しまった。
二宮君、ぶっちゃけ成績はあんまり良くないんだった。
おー、と低くどよめく声に重なるチャイムが、授業の終わりとランチタイムを告げた。
みんなが席を移動しはじめて、いつものメンバーでランチが始まる雰囲気の中、
あたしの目の前、二宮君の机の上に見覚えのある手がバン、と叩きつけられた。
それはまぎれもない、見慣れた、あたしの手。
恐る恐る見上げると、いつもは鏡で見てる、あたしの姿。
もちろん今は鏡なんかじゃなくて。
「ちょっと、いい?」
睨むような視線であたしを見つめたあたしが、そう言った。
ややこしい。
二宮君の姿をしたあたしを、中村結、つまりあたしが見て言った。
うん、やっぱりなんだかわかんないから、もういいや。
「中村、二宮に告んの?」
背中ごしに中野君の声がしたけど、返事をする間もなく腕を掴まれて教室を出た。
「お前、中村だろ」
廊下の一番端の、階段をひとつ下がった踊り場で聞いたその言葉はあたしの声だったけどあたしじゃなかった。
あたし、こんなしゃべり方じゃない。
「……誰?」
頭の中で必死に否定してきた『あの映画』がいよいよ現実味を帯びてきた。
長い夢なら、これも楽しいけど、
もし夢じゃなかったら?
そんなドキドキを落ち着かせる余裕なんかなく、目の前のあたしが答えた。
「二宮、だよ。さっき訳してたとこ見て入れ替わってるって確信した。そうなんだろ?」
睨むような目が、少し不安そうに揺れてた。
「うん……、そうみたいだね」
言葉にしたら、その不安そうな目の意味がわかった気がした。
なんでこうなっちゃったんだろうとか、
どうやったら戻れるんだろうとか、
そういう気持ち。
夢だと思ってたし、今でもこんなSFじみたこと、起こるわけないって思ってるけど、
目の前のあたし、つまり二宮君は少なくともこの出来事を現実だと思ってるみたい。
あ!
そんなことよりも!
「二宮君!あたしのっ、着替え、着替えしてるってことはっ!……見た?」
今日、頑張って告白するつもりで
チョコも作ったんだよ。
でもやっぱり勇気出なくて、
やめようかなとも、思ってる。
告白もしてなくて、
相手が自分を好きかどうかもわからないのに、見られたなんて、死んじゃう。
「う、んと、なるべく、頑張って見ないようにはしたんだけど、その……下着のつけ方がむずくって……ホックが……」
「そんなぁ……」
死んじゃう死んじゃう死んじゃう
「ゴメン……でもお互いこの状況だろ、ごめんって」
二宮君の姿で泣き崩れるあたしを、あたしの姿の二宮君が支えて、慰めてくれてる。
……そうなんだよね、これは不可抗力だよね。
逆にブラのつけ方が上手な二宮君もなんか嫌だよ。
「……うん、あたしこそごめん、あたしもいろいろ間違えたし、ごめんね」
朝お母さんに心配されちゃったこととか、授業でうっかり訳しちゃったこととか、ね。
「あとこれ。中の人的には逆だと思うんだけど。両想いなら俺の胃袋に入れときたいから食って」
「え?」
「机の上にあったから。あったま来たから食っちまおうと思ったんだけど、手紙、俺宛てだったから」
差し出されたのは、あたしが作ったチョコ。
ああああっ
そうだ、手紙、そのまま机に置きっぱ!
なに?どゆこと?
逆バレンタイン?
ううん、見た目的には女子to男子だから合ってるのか。
いや、でも今チョコをもらってるあたしは女子で、くれてるのは二宮君で。
「あっ、あのっ、えっとっ」
自分のタイミングで告白できなかったテンパりと、
好きな人に告白されてるらしき状況へのテンパりで、
あたし、なにも言えなかった。
「つか、好きになったの俺が先だから」
「え」
驚いて顔を上げたあたしに、照れ臭そうに鼻を掻きながら呟くあたしの姿の二宮君。
「お前、入学してからだろ。俺、合格発表ん時だから」
そう。
あたしが二宮君を好きになったのは、入学して少し経ってから。
恥ずかしいんだけど、お腹の調子が悪くて、凄い音でお腹が鳴ったの。
教室じゅう響くくらい、ぐるるるる~って。
そのとき、俺の腹時計です~スイマセーンって、ごまかしてくれたのが二宮君。
「正直あん時は誰かわかんなかったけど、名乗らないあたり女子だろうなって思ったから。お前だって手紙で読んでガッツポース決めたし、まじあん時の俺グッジョブ」
「あはは」
二宮君のペースがやっぱり楽しくって、自然と笑いがこぼれた。
「俺はね、補欠合格だったからボヤいてたんだよ、そしたらお前がさ、」
「思い出した!公立の滑り止めだから上位の人けっこうそっち行くよって」
「そうそう!きっと大丈夫だよって言ってくれたのが嬉しくってさ。好みだったし」
……そっか、正直見た目は凄い好みとかってわけじゃなかったから、
顔とか憶えてなかった。
「そ、だったんだ。どうしよう、すごい嬉しい」
「俺も」
「でもチョコはさ、胃袋もわかるんだけど、あたし二宮君に食べてほしいよ」
そうそう、大事なことだよね、いくら二宮君の体でも、味覚とかはあたしなんだもん。
「……わかった」
二宮君が包みを開けて、中からあたしが作ったトリュフをひとつ指でつまむと、
ひょい、とそのまま口に放り込んだ。
やった、食べてくれた!
「一緒に食べよう」
え……
そう言ったあたしの顔が近づいてきたと思った瞬間、
口の中に
甘いチョコレートの味と香りが
広がった。
「んっ……」
口の中で、二宮君の意志を持ったあたしの舌が動いてる……
チョコの甘さと、
キスの甘さで気が遠くなりそうだよ……
二宮君の口の中で、
あたしもチョコ味、
あたしの口の中で、
二宮君もチョコ味、感じてる。
もう、
自分がどっちでも、
ふたりでこうして溶けちゃえば、
どうでもいいや、って思えてくる。
……
……
口の中のチョコがすっかりなくなって、
唇が離れた時、
とろけきって朧げなあたしの目に映ったのは、
二宮君だった。
こうして近くでよくみると、
肌がすべすべしてキレイで、
黒髪からのぞく睫毛が長くて、なんか……
色っぽい……
ん?
二宮君?
「「あっ」」
元に戻ったんだ!
「なあ、一体なんだったんだろうな」
「ね、なんだったんだろうね」
「よっ!お二人さん!」
手をつないで教室に戻ったあたしたちに中野君が囃し立てる。
あたしの親友は窓際の席で小さくやったね!のサインで迎えてくれてる。
なんかくすぐったい。
不思議な出来事だったけど、
きっと恋の奇跡、かもしれないね。
END