科学者の憑き物 後編
「ここは.......?」
「ここは、相模一将の研究室のようだね。以前、テレビの特集で見たことがある」
そう言って僕は少し狭い部屋の中を見渡す。
「じゃあやっぱりあの手紙の差出人は......」
「いや、まだそうと決まったわけじゃないさ」
整然と並べられた机、綺麗に並べられている棚の中の本、きちっとファイルに閉じられた書類。
煌々とライトがついた無人の研究室には、清潔な雰囲気が漂っている。
「幸いなことに、僕たちは監視カメラにも記録されなければ、誰の目に映ることもない。なにせ心の眼だけをこの世界に飛ばしているようなものだからね。だから、思いっきり探索ができる」
そう言って僕は近くにあったファイルを開き、中の書類をひらひらと振るう。
「けれどもちろん、そのためなら物にだって触れられる。さて、情報収集だ。まずは桐花さんを探そう」
僕と京香は、『佐上 桐花』の四文字を求めて、あらゆるところに目を配った。
請求書の差出人、相模一将が受け持っている講義の受講者名簿、彼の論文の共同執筆者に至るまで探し尽くしたが、桐花さんの名前は見当たらない。
「やっぱり研究室にはないのかな? マスター。違う部屋に行ってみよう」
「そうですね...............ん?」
僕は相槌を打ちながら、ふと目に止まった写真立てに目が止まった。
「家族写真_____ですかね?」
手にとってよく見て見る。旅館の入り口で撮られた写真だ。家族にしては人数が多い。おそらく親戚まで集まった時のものだろう。
中央少し横で引きつった笑いを浮かべているのが相模一将だろう。彼が肩に手を置いている女性が......。
「あ、桐花さんがいる!」
京香が驚きの声を上げる。
「まあ、名字が相模と佐上ですから、何らかの血縁関係があるのでは、と踏んでいましたが......。おそらくは分家と本家の関係なのでしょう」
「じゃあ、桐花さんと相模一将は知り合いだった? 真逆。彼女はそんな素振りは___」
「いや、京香。よく思い出してみな? あの時桐花さんは、『差出人がこの人だ』としか言っていない。驚いてはいたけれど、よくよく考えれば、面識の有無は否定していないんだ」
僕は写真を元の位置にそっと戻す。
「桐花さんと相模一将は親戚であり、互いに知った仲だった、というわけだ」
「でも......親戚から脅迫めいた手紙が送られてくるってのも、なかなか怖いですけどね」
京香がどこを見るわけでもなく、ぼうっと宙を眺めながら言う。
「そうだね。彼女が『シュレーディンガーの猫』に辿り着いたのも、差出人が物理学者だとわかっていたからかもしれない」
京香が、えーっと、と首を傾げる。
「これで今、『文言を送りつけたのは誰?』っていうのがわかったんだよね。じゃあ次は......」
僕は京香に微笑みを投げかける。
「『どうして送ったのか』だよね。それさえわかれば、後は芋蔓式に答えが見つかるはずだ」
そう言って僕は棚に並べられた資料の背を指でなぞっていく。
「彼は科学者だ。彼の研究内容、実験過程に彼女___桐花さんの姿がないかどうか、調べていこうじゃないか」
「ん〜。全くわからん。私文系なんだけど」
「とりあえず目を通そう。彼は量子力学__つまり物理学者なんだから、『被験者』とかそういう言葉は研究内にそもそも少ないはずだ。それが桐花さんである可能性は極めて高い」
僕と京香は、無言で論文に目を通した。
「......そもそも、今がいつかは知りませんけど、相模一将本人はどこにいるんですか?」
「っ.........!」
確かにそうだと僕は気づく。
ここは、書類やPC、その他の道具類で研究室のような雰囲気だけど、実際に使用するにしては違和感が多い。
まず第一に、綺麗すぎる。付箋の一つも貼られていないし、スケジュールが書き込まれているはずのホワイトボードは白いまま。そしてPCのコードは、プラグに刺さってすらいない。
「ここは、研究室じゃない。デコイだ」
僕は、そう呟いた。
「............なら、本当の研究室はどこに?」
京香も違和感の正体に気づき、疑問を口にする。
「恐らくは、ここからアクセスしやすい場所にあるのでしょう。突然の来客時にも瞬時に対応できるように」
そう言って僕は、もう一度部屋を見渡す。
四方を囲む白い壁。その一点が、灰色に陰っていることに気づく。近づいてみると、周りの照明でぼかされているが、それは間違いなく扉だ。
「大学の研究室って、隠し部屋とかあるものなんですか?」
「おそらく、もともと一つの部屋だったのものを改修工事して2つに分離させたのでしょう」
僕はドアノブに、そっと手をかける。
ギィと軋む音と共に、二つの部屋の空気が混ざる。
「暗いですね」
「そうだね」
僕と京香は隠し部屋の中に入った。中の空気は冷たく、薄暗い。
隣の部屋よりさらに狭い部屋の中には机が一つだけ置かれており、試験官が数本と、PCが1台、そして数枚の書類が置かれている。
PCの電気はついており、画面の中には、空のベッドが映し出されている。ベッドの周りのコンセントやケーブル、ナースコールのボタンなど、周辺の情報から、そこが病院のベッド___さらに言うならば、『未来において桐花さんが運ばれる予定のベッドである』とわかった。
「これは......もしかすると」
「ねえマスター。こっちの文章は気味が悪いよ」
そう言って丸めた書類で僕の肩をたたく京香。薄暗い部屋の中で、PCの光に照らされて虚ろな顔をしている。
手渡された書類には、シュレーディンガーの猫の定理は『観測し続けることで、生死の曖昧な状態になるのを避け続けることができる』と、透明な箱の中で死んでいる猫の写真と共に記されていた。
「いや......。これはそもそも矛盾している。前提が崩壊しているんだ。これはまるで......」
「静かにマスター! 何か聞こえる」
京香の制止を受け耳をすませると、聞き覚えのある女性の声とともに、壮年期の男の声が聞こえる。
どうやら、相模一将は外出中だったらしい。
「へぇ。それじゃあ、伯父さんはすごい発見をしたんですか?」
「.........いや、これからするんだよ桐花。今僕は、大掛かりな実験の計画を練っているところなんだ」
「すごいですねえ。伯父さんの研究内容は難しくて、私にはさっぱり」
僕らは息を潜め、ささやくような男の声に注意を向ける。
「でもね桐花。僕は魔法が使えるんだ。妖術、って知ってるかい? 人が、意図してなくても影響を与えることができるものなんだけど、それを使えばきっと、桐花にも研究をわかってもらえると思う」
妖術って一体、何の比喩? と可笑しそうに笑う桐花さんの声。それに相槌を打つように、男の声が響く。
「大丈夫。そのうち桐花にも手伝ってもらうことになるから......」
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「どうやら、必要な情報は全て揃ったようです」
喫茶店に帰ってきた僕と京香。記憶から帰ってきたのであれば、情報は今までの中にあったというわけだ。
「どうして送ってきたのか。それはきっと、『相模一将の実験への招待状』ということなのでしょう」
「それじゃあ、やっぱり相模一将が犯人?」
疑惑半分で聞いてくる京香。
「恐らくは。桐花さんを殴りつけたのは誰か、それはこの際問題ではなくなりました。もちろん必ず見つけないといけないことですが、それは警察に任せましょう。僕たちにとって大事なのは、『殴りつけられることで彼女が入院する』、ということ」
まだ先が見えない、といった様子で首をかしげる京香。
「これは仮説であり、僕の勝手な憶測に過ぎませんが......」
そう断ってから、僕は続ける。
「恐らく彼は、病院という『外部から見えない箱』、その中でも特に、『面会謝絶中』という外部から隔たれた空間を、まさしくシュレーディンガーの『箱』と捉えたのでしょう。もしその中にいる人が生死の間を彷徨う状態であれば、『観測できなければ、生きているか死んでいるかわからない曖昧な状態』です」
そこで僕は、一旦区切る。
「彼は、その部屋を監視し続けることで、彼女が『生きながら死んでいる状態になるのを避けることができる』のではと考えたのです。その仮説を立証するために、桐花さんは襲われた」
「そんな......そんな馬鹿げた理由で!?」
「ええ。馬鹿げています。さらには、この説は矛盾していうからタチが悪いです。なぜなら、『箱の中が観測できる時点で、それはもうシュレーディンガーの猫ではない』のですから、前提が崩壊します」
「それじゃあ、桐花さんは......」
「あの科学者は量子力学の考えを持ってくることで、生死をコントロールできると思ったかもしれないけど、それは唯の妄想だった。.........京香。人が頭を強く殴られた。ただそれだけなんです。彼女は今本当に、『生死の境目』を彷徨っている」
そんな、と息を飲む京香。
「あの科学者は、悪いものに憑かれていたのでしょう。人を気づかせぬうちに狂わせる、妖の類に」
僕は目を落とす。深い悲しみを重ねて。
「彼に全責任があるのではないかもしれません。妖術...............『人間が意図していなくても危害を加えてしまう力』とは、言い得て妙ですね。彼は本当に、憑かれてしまった」
喫茶店に、しばしの沈黙が流れる。
その数日後、桐花さんが息を引き取ったと、連絡があった。




