幕間 魔王の置き土産
魔王城の最深部にあるこぢんまりとした密室。魔法で何重にも防諜対策が取られたこの部屋は、魔王や魔族の上位貴族が代々秘密の会合を開く時に使われてきた。今その部屋に据え付けられた円卓には、五人の男女が座っている。
一人目は「聖騎士団」団長聖騎士ファブリス。主要な神々の信徒が集まって設立した宗教組織「神々の教会」が設立した、信徒保護と魔物討伐を主任務とする「聖騎士団」の団長だ。カイルとは聖騎士団での下積み時代からの同期であり彼が最も信用する親友の一人でもある。
二人目は魔族の新王オキアス。魔大陸の外へ侵攻した前魔王に代わり、新たに魔族の王となった前魔王の息子。暴走する父を玉座から追い落とし、魔族と対魔王連合との戦争を終わらせた立役者。
三人目は「神々の教会」の聖女マリエル。「神々の教会」の信仰する神々から祝福を受ける聖女。彼女が神々からの神託によって魔族の王が企む陰謀を察知した。そして彼女が、神託によって魔王を倒す可能性が最も高い者としてカイルを選びだした。
四人目はドワーフ傭兵団団長ギドール。ドワーフ族の頑丈な鎧に身を包んだ重装歩兵からなる傭兵集団を束ねる豪傑。彼は対魔王連合からの依頼でカイルの仲間に加わっていた。
五人目はエルフ族族長の娘で里一番の弓使いイリス。エルフ族は森を尋ねてきたカイルの説得により、エルフの選抜射手と魔法兵が連合と共に戦った。それに加え、族長は娘でエルフ一の弓使いである彼女をカイルに同行させた。
密室にはカイルの仲間たちが、魔術師ギルド筆頭魔法工学士のアレナを除いて全員集まっていた。
「アレナの嬢ちゃんは下から出てこんのか?オキアスが世話しとるんじゃろ。知らんのか?」
「アレナ嬢は研究に忙しいのだ。それに、この話を耳に入れたら研究の妨げになりそうなのでな。呼ばなかった」
「一山終わったと思ったら、まーたきな臭い話かい……」
オキアスの返答を聞いたギドールは酒臭いため息を吐く。
「酒臭い。ギドール、こういう時は酒気抜いて来てって言わなかった?」
「戦争が終わったんじゃ。同胞と酒盛りをして何が悪い」
「もう、これだから穴堀たちは嫌い」
「ぬかせ耳長」
「二人共その辺にしてくれないか?本題に入れないからね」
いがみ合うギドールとイリスをファブリスが宥める。双方が落ち着いたのを確認してから、ファブリスは議題を持ち出した。
「皆に集まってもらったのはこの前ようやく片がついた停戦会議の中で、一部の国家から『魔王城に秘匿されている魔法技術と魔道具』について開示要求が出たからだ」
対魔王連合と魔王軍停戦会議の中で、一部の国家が魔族が保有する魔法工学の知識と魔王城にある魔道具について開示するように要求した。だがその要求は両者の戦力が未だに拮抗しているために却下され、会議は最終的に双方賠償なしの対等な講和で終わった。
交渉に参加していたオキアスとファブリスは、この開示要求をした複数の国家に対しある疑念を持った。
「秘匿されている魔法技術って、もしかして転移門の事なんですか?」
それを聞いたマリエルが、信じられないという顔をする。
「我とファブリスはそう考えている」
「大使たちは転移門について直接言及はしなかったが、魔王城地下にある転移門の存在を既に知っている可能性が高い」
マリエルに向かって、オキアスとファブリスが渋い顔をして頷いた。二人は転移門の存在を連合側の一部の国家が知っていると考えていた。
「あり得ません。転移門の情報は漏れないように、関係者全員を契約神の誓約で縛ったんですよ!」
マリエルが声を荒げる。契約と誓約の神へ誓った契約や誓約は、破ると破ったことが関係者全員に即座に知らされる。この中で神事に最も詳しい彼女が動揺するのも仕方ないことだった。
「落ち着けマリエル。最初から誓約した誰かが漏らしたとは考えていない」
「じゃあどうして」
「既に知っていたんじゃな」「別口の情報でもう知っていた」
同時に同じ意味の答えを口に出したギドールとイリスは、互いに相手を睨んでからそっぽを向く。
それを見たオキアスが笑う。
「エルフとドワーフは仲が悪いと聞いたが、存外に仲良くなれるのかもしれんな」
「あり得ん!」「あり得ない!」
またギドールとイリスは同時に発言し、互いを睨んだ。
「そうか?それで情報漏れの件だが我らが誓約で情報を漏らさずとも、部外者が初めから知っていれば誓約の意味がない。そうだねマリエル嬢?」
「ええ。そうです」
「そこで重要なのが、過去に誰がこのことを連合側の複数の国へ伝えたかなんだ。これは連合側が知ることは出来ない情報だ。魔族側の誰かがこちらに教えたとしか考えられない。オキアス、調査はどうだった?」
「調べはついたぞ。魔族で転移門の事を知っているもしくは知り得る魔族は、口伝が残っている魔王一族と上級貴族、それと城仕えの者たち。この三つだ」
オキアスは王位を示す杖を撫でながら、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「先週、我へ辞を述べに来た上級貴族を一人づつこの部屋に呼びつけ尋ねた。転移門について漏らしていないか?とな。誰もが滝のような汗を流しながら否定し、これからも決して漏らさぬと誓った。父上にも楯突く度胸が無かったのだから、あの日和見主義者たちが秘密を漏らしたということはないだろう」
「城仕えの魔族はどうなんだ?」
「城仕えの魔族は代々の魔王に破れば死ぬ忠誠の誓いを立てている。魔王の命無しに漏らそうと考えただけで死ぬ」
「死の誓約……ここを強襲した時、近衛の士気が高かったのはそのせいか」
「そういう事だファブリス殿。あの時、近衛をなるべく殺さないように玉座の間へ行けと行った理由を理解してくれたかな?」
「魔王が代替わりすればお前の兵になるからか。あれは随分手間が掛かったぞ」
魔王城を強襲した時の苦戦を思い出し、ファブリスが顔をしかめて部屋の入口を見る。入り口には強襲した時に彼が気絶させた近衛兵が不動の姿勢で詰めていた。
「魔族は老いぬが数が増えん、死人は少ない方がいい。彼らを生かしたお陰で今は我に忠誠を誓う部下だ。連合側に転移門の情報を漏らしたのは、消去法で残った前魔王つまり父上だな」
前魔王が情報を漏らしたという予想を聞いたマリエルが首を傾げる。
「先代の魔王はどうして魔族の極秘中の極秘をこちらへ漏らしたのですか?」
「あの魔王のことだ良からぬ目的で漏らしたに違いない」
「ふん、どうせろくでもない理由があるんじゃろ」
「当たりだイリス、ギドール爺さん。これを見てくれ」
ファブリスが数枚の羊皮紙を全員に配る。
「なんじゃ、これは」
「開示要求をしてきた国家の内部資料と、アレナが転移門を調べて推測した門の向こう側の世界についての報告書だ」
全員が配られた書類に目を通す。内部資料によると開示要求をした国はどれも、民族、資源、土地のいずれかに問題を抱えていた。アレナの報告書には転移門の向こう側に魔法と魔物が存在しない広大な世界が広がっていることと、転移門の機能によって異世界側の法則を書き換え、こちらの魔法が存在する世界の法則を持ち込むことが出来ると書かれていた。
「父上は解決し難い問題を抱える国家へ、問題の解決策となる異世界の土地と資源引き換えに魔族側へ付くように働きかけていた」
「幸いカイルが魔王相手に散々暴れまわったおかげで、裏切ると高くつくと思った彼らは魔王の提案を黙殺した訳さ」
ファブリスが彼らが連合を裏切らなかった理由に、カイルを挙げると全員が納得した。
「あの坊主降伏した相手には優しいが、裏切り者には容赦せんからな。それにしても魔法と魔物が存在しない世界じゃと?信じられんわい」
「ファブリス、これがカイルが飛ばされた異世界なの?」
報告書を読んだイリスがファブリス期待の視線を向けた。
「ああ。アレナはこの世界へあいつが転移したと考えている」
「カイルを連れ戻せるまであとどれくらい掛かるの?」
「分からない。まだあれにどういう機能があるか調べている段階だそうだ」
「そう……」
カイルがすぐには帰ってこないと聞いたイリスはがっくりと肩を落とす。
「異世界の土地や資源が交渉材料になるんですか?」
報告書を読んだマリエルは異世界の存在が交渉材料になることにいまいち納得できなかった。政治に疎い聖女にファブリスは説明する。
「タダで肥沃な土地が手に入るなら、大抵の国家問題は解決するものさ。そうじゃないから政治は大変なんだがね」
土地が足りないなら新しい土地へ移り住めばいい。資源が乏しいのなら資源が豊富な土地を手に入れればいい。異民族と土地を奪い合っているなら異民族に分けられるだけの土地があればいい。慢性的な問題を抱えている国家にとって新天地は魅力的だ。
「ですけど、異世界にも住んでいる人が居ますよね。それはどうするんですか」
「国内の問題が解決するなら、魔法が異世界の軍隊に対してどれだけ有効か次第だけど、侵略を選択する国家は多いと思う。それに異世界人なら、心理的に同じ世界の住人より排除しやすいからね」
「それは異世界側にとって、私達が転移門の伝承にある恐ろしい災いになるということではありませんか?」
マリエルはそのようなことを考える人がいるとは信じられないと身を震わせた。
「そうだ。それだからこそ今日は皆に集まってもらった。あの門をどう扱うか皆の立場から意見を聞きたい」
ファブリスは円卓の四人を見る
「ギドール、ドワーフは転移門の存在を知ったらどう思う?」
「儂らは現状に文句はない。既に何十世代掛けても掘りきれないほどの鉱床を持っておるし、交易で飯と酒に不足はないからな。異世界に魔法金属の鉱床があるなら話は別じゃが、無いんじゃろ?それなら同胞も興味は湧かんだろうな」
「イリス、エルフはどうなんだ?」
「私たちは森が平和であれば外に興味はない。まして異世界なんて。むしろ戦争で失った数を回復するのにどれだけ掛かるか分からない状態。私たちは老いないかわりに子供が出来にくいから」
「オキアス、魔族はどうなっている」
「我らもエルフと似たようなものだ。不老故に子供が増えん。しばらくは戦争前の数を取り戻すのに必死で外征など無理だな」
「他の小種族も戦争で人数が減ってそれどころでなかったり、外界に興味がないだろうな。カイルが走り回って協力を取り付けなければ、連合に興味すら示さなかったのが殆どだ」
「ということはファブリス、転移門がどうなるかは私たち人族次第ということですか?」
マリエルが不安げにファブリスを見る。
「そういうことになるな。まったく、先代魔王はとんでもない問題を残してくれた。カイルなら異世界への侵略に反対するだろう。カイルが戻ってくれば、転移門を侵略の手段として要求する国家も黙る。それまでは俺たちが抑えなければならない。いざとなれば聖騎士団を動員するつもりだ。皆、協力してくれるか?」
ファブリスの問いかけに皆が答える。
「儂が呼べば、ドワーフの重装傭兵団がいつでも駆けつけるぞ」
「エルフ族族長の娘として、出来る限り協力させてもらう」
「我も転移門の所持者として協力は惜しまないつもりだ」
「私も、ファブリス教会を介して国家に働きかけます」
全員の答えを聞いたファブリスは、なんとしてもカイルが返ってくるまで転移門を侵略派から守りきる決意を固める。
「ありがとう。カイルが返ってくるまで、どうにか乗り切るぞ」